薄紅
@midorisatoru
薄紅
薄紅
「いつまでも桜が散らなければ花見し放題なんだよなあ」
散らない桜の実現はある研究者のぼやき、それが始まりだったらしい。しかしながら我が国にあった花見、という文化、それに加え桜の木そのものが今から三百年以上前に滅びてしまい、記録さえも僅かにしか残っていない。どうやら集団で桜を近くで眺めた後、エタノールを静脈からではなく、なんと経口摂取する古来の儀式。そう教わった。
そして眺める対象である桜の花というものは大変に寿命が短く、通常は一週間ほどで散ってしまうそうだ。それを遺伝子研究の結果散らなくさせた。そこまでは分かっている。当時の人類はさぞ喜んでいたことだろう。
その栄華と消失の顛末は、今から二百年ほど前の大戦により紙も、データも、そのほぼ全てが失われてしまった。今や残っているのは逆に三千年以上前の石板たちだけとなった。私はひとりの考古学者として、何故人々が花見と呼ばれる儀式めいた行動を取っていたのか、そして何故消えたのか。それらを研究している。
今は民間伝承や偶然発見される「新聞」や「雑誌」という名の古文書を当てに文化研究を進めている。たまに出る一行の情報に歓喜し、または矛盾の発生に苦悩する。そんな毎日を送っている。
ある日、同僚から興奮したメッセージが送られてきた。
「花見と散らない桜の顛末について」
タイトルから興奮シグナルが私の脳へと注ぎ込まれる。わざわざ別途で金のかかる感情ダイアログ添付までするなんて。ケチで有名なあいつが珍しい。私はそれを開封すると中には重要、と記された画像群のファイルが並んでいた。本文にはこう記されている。
「浜崎研究員へ。これはすごい発見だ。国立研究所の廃墟の中から大戦前の紙束が発掘された。三百年以上前の紙なのに保存状態は良好そのもの。まさに奇跡だ。内容はメッセージのタイトル通りだ。桜だよ。今や古文でしか見たことのない植物だ。散らない桜を追い求めた遺伝工学チームの研究から成果、そしてその消失の顛末までの五十年間が詳細に記されている。お前に送ったのはこの中にあった研究者の日記だ。今この国に再び桜の花びらが舞い散る日が来るかもしれない。俺はこれから論文などを精査するので、カジュアルなものですまないが、先に日記に目を通しておいてくれ」
本文からも彼の息づかいや汗が私の脳細胞へと直接シミュレートされる。暑苦しいからあまり好きではない機能なのだが、おかげで彼の喜びは追加料金なしでも伝わってきた。
スキャンされた画像群に手を伸ばす。そこにあったのは喜びと、愚かさだった。
2029年3月15日
野宮研究員 天候 晴れ
予算が無いと暇になる。当たり前だが。暇な研究所ほど悲哀に満ちたものは無い。隣にいる同僚の鈴原は今日も少ない給料をソシャゲのガチャにつぎ込んでしまってる。俺が金使いすぎじゃね?と聞くが彼から返ってきたのは「うるせえ」の一言。そして彼は愚痴る。
「まーたハズレだよちくしょう。何がスプリングフェスだ。あーあ、ガチャもだめ、彼女もいない。あーあ、今年も寂しいなあっと」
「鈴原お前相変わらずだなあ。ほらもうすぐ桜の季節じゃんか。花見でナンパでもして彼女作れば?」
「何を言ってるんだよ。お前もわかってるだろ?いくら暇な研究所とはいえさ、年度末は家に帰る暇もないほどに事務作業が溜まってるんだよ。研究員の俺らも駆り出されてたまったもんじゃねえ。人工知能さまは俺らの仕事を奪うだけ奪って、めんどくせえ作業だけ残しやがった。あーあ、桜もよお、散らなければずっと花見し放題なんだけどなあ」
彼の突拍子もない意見に笑う。確かに散らない桜があったら年中花見し放題だ。世のサラリーマンたちは毎日宴会騒ぎだろう。窓の外にはまだまだ蕾の桜が寒そうに立っている。
2029年8月1日
野宮研究員 天候 雨
いつになく真面目に鈴原が調べ物をしている。そんなに頑張っても給料変わんねえぞと茶化すと、彼は真剣な表情でこちらに椅子を回転させた。
「野宮、半年くらい前に言ったこと覚えてるか」
「どれだよ。覚えてないぞ」
「桜だよ桜。俺、散らない桜作ってみせるわ。主任に冗談半分に話したらよ、結構本気になってな。様々な需要が見込めるかもしれないってことで予算が下りそうなんだよ。なあ野宮。これ一緒にやらないか?」
突然の誘いに面を喰らった。散らない桜。この国を表すと言っても過言ではない植物。それを永遠のものにするとなればうだつの上がらない私の研究生活も、少しは彩りのあるものとなるだろう。例え失敗しても所詮は桜が散るか散らないかの話だ。
彼に返事をした。固い握手でもって、私と鈴原は今チームとなった。
2031年1月9日
野宮上級研究員 天候 雪
あっという間だなあ。思い返すと鈴原と共に研究を進めてもう一年以上が経った。ふたりだけだったチームは予算が下りた途端に増員が決定し、手狭になった研究室も引っ越しとなった。その時に鈴原は主任研究員となり、ソシャゲはログインだけになっちまうな、と笑っていたことを思い出す。
少ない正月休みで疲れの取れぬ体に鞭打って今日も論文と睨めっこしていたが、突然雪まみれの鈴原が飛び込んできて驚きのあまり椅子から転げそうになった。
「できるかも」
「できるってまさか桜、いけるのか?」
雪の冷たさで真っ赤になった頰がゆっくりと下がる。彼の頷きに研究室は湧いた。彼はモノフィレアの性質に目を付けて、AN3遺伝子の動きを花弁へと応用できないか研究を続けていた。導き出した結論は、子葉を擬似的に花弁の形へと変容させることだった。無限に成長を続ける子葉、それを花弁へと擬態させるのだ。
なので正確には散らない桜、ではなく散っても散っても生えてくる花弁、というのが正しい。ともあれ今日ここに散らない桜の骨格が出来上がったと言っても過言ではない。今こうやって毎日の営みとして日記を書き留めているが、見ての通り字がめちゃくちゃだ。震えて仕方がない。
2034年3月26日
野宮室長 天候 晴れ
この室長って自分で書くのが今だに照れくさい。もう酔っているが気にしないでくれ。今日はめでたい日なんだ。ついに、ついに散らない桜の第一号がこの研究所の中庭に植樹されたんだ。強化肥料によって急速成長させた幹も安定している。まだ気持ち細いがちゃんと花を咲かせている。
これが葉っぱからなる擬態の姿なんて信じられないだろう。
羽目を外してマスコミたちと酒盛りで盛り上がってしまった。もうすでに全国各地からこの桜のクローンの予約が殺到している。商業的にも大成功だ。他の分野にも応用できるだろう。鈴原、いや、鈴原所長様と呼んだ方がいいか?やったな。これで一年中花見し放題だぞ。もっともそんな暇、俺らにはもう無いかもしれないがな。
古文解読用のゴーグルを外し、思い出したかのように深く息を吐く。面白い。なにぶん三百年以上前の記録なので所々に不明な意味の単語は多く解読に時間はかかるが、それでも当時の生活や現在と同じような愚痴があったことが知れるのは大変興味深い。
彼らの行った遺伝子研究自体は正直なところ、現在では子供の教育用キットに収録されているようなお粗末な内容だが、研究の内容そのものより、彼らの息遣いが感じられることが何よりも嬉しかった。
思わず「まだ途中だけどこれ面白いわ」とメッセージを同僚へと送ってしまった。有料の感情ダイアログまで添えて。
2038年3月26日
野宮所長 天候 曇り
第一号の植樹からちょうど今日で四年が経った。早いものだ。相変わらず桜は咲き続けている。更なる改良の結果、以前は散っては咲きを繰り返す代物だったのが今ではそもそも散らなくなった。商業化が成功した当初のようにみんなでバカ騒ぎすることは無くなった。
三年ほど前は毎日が花見だ、とビールやそれに伴う食事の売上が全国的に高まり、桜特需と盛り上がったものだ。しかし不安もある。ここのところ、この研究に対しての反対運動が小規模であるが行われているらしいのだ。
どうやら、年中咲いている桜に対してこれは自然ではない、日本の原風景を返せといった内容のものだ。言いたいことはわかるが、そこまで気になることなのだろうか。鈴原がこれを見てナイーブにならなければいいのだが。
2045年10月7日
野宮所長 天候 雨
群衆、群衆、群衆。私は研究所で寝泊まりを強いられている。遠くに見える門はピンクの塗料でイタズラに塗られている。雨でただれて汚らしい。今日も彼らからどうにか隠れて証人喚問に応じ、這う這うの体で帰ってきたところだ。
日本の原風景を取り戻す会、のメンバーが国会議員となり、この技術の問題を提唱してからこうも話が進むとは。花見そのものの問題点も無理やりに探し出し、文化の根絶に邁進し続けている。
大げさな話な、と思っていたがどうやらそれは違ったようだ。初めは浮かれていた民衆もすっかり桜に飽きて、考えが変わりつつある。あの薄紅色が邪魔だからと光学迷彩シートで覆われることも多く見られるようになった。
濡れた窓ガラスの向こうには桜が今日も咲いている。
私たちは何か間違っていたのだろうか。鈴原、連絡をくれよ。どこに行ったんだ。
2045年11月29日
野宮 天候 晴れ
鈴原が遺体で発見された。死後一ヶ月ほど経っていた。自殺だった。なんとなくそうなんじゃないか、と思ってしまう自分が恨めしい。もう疲れてしまったのか、感情が足りていないことは自分でもわかる。この研究所も閉鎖が決まった。すでに書類などは廃棄され、あとはもうどうなるか私にもわからない。中庭の桜は今日も薄紅色を携えて、何も知らずに揺れている。名残惜しいが、お別れだ。この日記はここに置いていくことにした。残りの人生どう生きようか。
画像ファイルの端まで到達した。日記はここで終わっていた。別のファイルにはその後の顛末が記されていて、件の研究所はこの一週間後に閉鎖、野宮元所長は責任こそ追われなかったが、地方に追いやられて静かな余生を過ごしたそうだ。こめかみの目薬トグルに手をやる。思わず読み耽ってしまった。
肝心の桜だが、研究所の閉鎖から徐々に全国各地で伐採運動が始まり、散らない元来の桜とこの桜の区別がつきにくい事から、半ばヒステリック気味に全ての桜が伐採され続けていったそうだ。そして研究の開始からちょうど五十年後あたりで、過激な伐採運動と元々病気に弱かった事もあってこの国から桜は消滅した。ざっくりだが、これが顛末だ。人間の身勝手さと愚かさ下卑た笑いが出る。失礼かもしれないが。
そこから日記や各種記録をまとめること一ヶ月。膨大な資料にてんてこ舞いになりながらもようやく一段落を見せた日のことだった。居間で電子カフェインを摂取しているとあの同僚から突如通話が届いた。
「よう、浜崎。元気か。今暇か?第三視界への接続できるか?」
「ああ、暇だけど急だな。どうした」
「聞いて驚け。三百五十年前の風景がどうにか再現できたんだ。桜が生えてた当時の山間や街中の風景が完成したんだよ。いやあ苦労したぜ、古文書からの文字サンプリングでのデータ復元だからなあ。気候パラメータの再現までは出来てないけど雰囲気だけは味わえるぜ」
喜ぶ同僚と同様に自分も喜びの声をあげる。なんてこった、まだ日本と呼ばれていた頃の世界を体験できるとは。私は二つ返事で第三視界へのアクセスを開き、網膜接続を開始した。
そこは、奇妙な世界だった。街中に無造作に木々が生えていて、道は曲がりくねっている。住宅も正方形区画で区切られておらず、まるで個人個人がここが自分の土地だと争っているように、家の大きさや形が異なっていた。
しばらく歩くと今度は奇妙な木が現れた。やけに薄紅色に満ちた木。待てよ。これがもしや
「これが、桜ってやつ?」
独り言に同僚が返事をする。
「お、浜崎見つけたか。そうそう、それ。それが桜なんだとさ。なんかすげえよなピンクだぜピンク。花びら一枚一枚は割と白っぽいんだけど集まるとそう見えるんだよ。不気味だよな。こんなんが大昔の人らは好きだったとはねえ」
ああ、うんと頷きじっくりと眺める。不思議と魅入られる感じはあるが確かに不気味かも。花弁は妙に薄っぺらく、頼りない。しげしげ眺めていると同僚からの声が響く。彼の提案により今度は田舎の風景を見ることとなった。そこにあったのはさらに奇妙な光景。山は異様なほどカラフルで茶色、緑、黄緑、お、オレンジ?、など色とりどり過ぎる色合いに満ちていた。
「うわっ、なんだこれ酔いそう。ええ〜、昔の人こんな山見てたの?この時代って連邦からの色彩管理統制されてないのか。山は一色が当たり前で育ったから訳わからんな」
「すごいだろこれ。あ、ほら見てみ。あそこ右らへん。あれ桜」
「ほんとだ。ええ?ははっ、ちょっとあれ浮すぎじゃない?色。乱雑な濃い色彩の中に急にあの色?変なの」
浜崎と笑いながら山を眺める。一色に管理されてない山に区画が中途半端な街。そして急に現れるピンクの花。めちゃくちゃだ。古代人の感覚はわからん、と再び彼とひとしきり笑った。
桜との初邂逅から半年が経ち、学会での研究発表も終わって一連の桜関連の仕事はこれにて一旦お開きとなった。居間で電子カフェインを摂取し、一息つく。あの乱雑な山や街の風景は学会でも話題になった。皆、驚愕と笑いが同時に立ち上がり、昔の人はよく分からん、調べてみると面白いかもな、と同じ感想でもって今後の研究テーマが決まった。
だがしかし、実の所私たちはあの風景が忘れられずたまに第三視界で覗き込んではぼうっと眺める、そんな時がある。
花見の理由を探す研究だったが、結局昔の人も特に儀式めいた深いものは無かったかもしれない。皆が桜を眺める場所やこと。それにただ花見と名を付けただけかもしれない。
「よーう浜崎。エタノール準備OK?」
エミュレータ上の桜の木の下で研究チームがゴザ、と呼ばれる古代道具のテクスチャを敷いて座っていた。静脈セットされたエタノールはよく冷えている。拳を振り上げて乾杯、と古来の儀式を終えるとエタノールを摂取して桜を見上げた。薄紅色の花弁がゆらゆら揺れる様を眺める。
心地よく酔いが広まり、いつまでもこれが続いたら良いのになと感慨に耽っていた。
薄紅 @midorisatoru
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