第2話

 俺は芽衣ちゃんの荷物をまとめながら、だんだん腹が立ってきた。あんな女が普通に結婚して、子どもを産んで幸せになるなんて、納得がいかなかった。


 俺は報復することにした。知人から情報を仕入れていたから、相手が誰かわかっていたのだ。〇〇商事に勤めてる人だった。俺とは人生のスタートラインからして違う。芽衣ちゃんも同じだった。彼女はもともと俺とは社会的なランクが違う人だった。結局、収まるべき場所に戻っただけだ。

 しかし、俺は悔しくて、”簡単に捨てられると思うなよ”と、彼女に言いたかった。


 俺はその相手の人に電話を架けることにした。そして、実際に行動に移した。しかし、電話を架けた時点では何を話すか決めていなかった。俺はどぎまぎしながら、できるだけ落ち着いたふりをしていた。


「〇〇〇(会社名)の江田というものです。原口芽衣子さんと婚約されるみたいで、この度はおめでとうございます」

「はあ。ありがとうございます」

 爽やかで感じのいい声だった。育ちがいいんだろう。田舎から這い上がって来た俺とは人種が違う。


「うちに原口さんから預かった荷物があるので、滝口さんのご自宅にお送りできませんか?」

「はあ。どんな荷物ですか?」

「あなたの方に送って欲しいと頼まれた物で…」

 俺は適当に言った。

「そうですか。じゃあ、お願いします」

 俺はその人の住所を聞き出した。高級住宅街として知られる港区の白金だった。マンションの名前も高級感があり、セレブらしさを伺わせた。俺には港区なんて無縁だった。赤坂や六本木に行ったこともないくらいだった。


「近日中にお送りしますが、中にお祝いの生菓子を入れているので、段ボールを開けて冷蔵庫に入れて召し上がってください」


 芽衣ちゃんは今海外に行っている。結婚が決まってからは、最期のチャンスと思って海外旅行に行きまくっていたのだ。そういう状況だったから、彼氏も荷物を受け取ることを承諾したのだと思う。 


「いや、そんなお気遣いいただいてすみません」

 その人は声もイケメンだった。俺がお近づきになりたいくらいだった。

「いえ。大したものではありません。それに、あなたに見せたい写真もありますので、是非、ご覧になってください。すごくきれいに撮れていますので記念に。あっ、でも、芽衣ちゃんには内緒にしてください。プライベートな写真ですから、恥ずかしいと思いますので」

「わかりました。何から何まですみません」

 男はちょっと不審に思っただろう。プライベートな写真というのが引っかかったに違いない。荷物が来るのをまだかまだかと待つようになるはずだ。


 俺は気合を入れて荷造りをした。段ボールはわざわざ新品を買った。彼女がうちに置いて行ったセクシーな下着や、どこで着るのかわからないような露出度の高い服。そして、官能小説や、読んでいるのが恥ずかしいようなタイトルの本を入れた。例えば”ハイレベルな男を落とす方法”などだ。それに、前儀のやり方や体位について書かれた本なども含まれていた。さらには、家に余っていたコンドームや他の避妊具、大人のおもちゃも入れた。彼女の裸の写真もあったから、それは大きく拡大して焼き増しし、封筒に入れないで、箱を開けたらすぐに見えるようにしておいた。


 俺はその箱を準備しているだけで、すっかり気分がよくなった。


 やがて、一週間くらい経って、芽衣ちゃんから電話がかかって来た。

「ねぇ。江田君、私のフィアンセに何送ったの…」

 間延びした声だった。暗く沈んだ声だが怒っている感じではない。

「知らないよ。俺」

「うそ。江田さんって人が荷物を送って来てって言われたよ」

「え、俺じゃないよ」

「ウソばっかり。それから、ずっと電話に出てもらえないんだけど…嫌われちゃったみたい」

「そんなこと言われても…」

「どうしてくれるのよ!会社も辞めるって言っちゃったし。これからどうすればいいの?私に何の恨みがあるの?」

「恨みなんかないよ。何でそう思うんだよ?」

「だって…相手の人にわざわざ連絡取らなくても」

「いやぁ…」 

 どうやら、一方的に婚約を破棄されたらしいが、俺はフィアンセがいること自体知らないはずだから、最後までしらを切り通した。

 

 彼女とはそれっきりだ。その後、精神的におかしくなってしまったらしい。

 田舎から出て来て一人暮らし。実家にも帰れないし、仕事もやめてしまったから、大変だったに違いない。悪いけどいい気味だったと思うしかない。


 納得いかないのは、男は一人暮らしが当たり前なのに、女性というだけで大変だと言われるところだ。芽衣ちゃんは一般職だったから給料は安かったのかもしれない。その後、彼女と連絡を取ることはなかったが、共通の知り合いから彼女の話をずっと聞いていた。


 今も独身の正社員で仕事を続けていて、会社のお荷物になっているようだ。その相手の男のことが余程好きだったのかなと思う。そんな純粋な人が、一人の人間を下男のようにこき使えるのかなと不思議で仕方ない。だから、気の毒だなんて一切思わない。身から出たさびだと言ってやりたい。


 俺は彼女が置いて行ったゴミのうち、小説だけは残しておいた。いつか読みたいと思っていたからだ。彼女はクズだが、作品は別だ。


 俺はその時、松本清張の「ゼロの焦点」を読んでいた。昔、読んだことがあったけど、もう一度読んでみたくなった。松本清張の魅力は、作者本人の不遇な時代から生じている影の部分だ。非常に優秀だったにも関わらず、父親が山師のような人だったため、中卒で給仕のような薄給の仕事をし、印刷工になり、その後、版下画工を経て頭角を現し、朝日新聞の正社員にまでなった。

 相当優秀だったに違いないが、その後も、アルバイトなどの下積みをしなくてはならないほどの窮地に追い込まれている。恵まれたエリート人生を送った人には書けないような雰囲気が作品に満ちている。


 四十を過ぎて作家デビューを果たしたところも、ぽっと出の恵まれた人とは違う苦労を感じる。それが、この人の魅力なのだと思う。


 昔、見た映画作品も面白かった。俺は振り返っていた。あれはどこで見たんだろう。テレビ放送かな…。スマホのない時代は松本清張作品はよくドラマ化されていた。トリックや設定が今の時代とは合わないから、若い人が見ても面白さが伝わりにくいかもしれない。


 俺は雑念に邪魔されながら本を読んで行くと、ページの間に銀行の振込明細が挟まっていた。原口芽衣の口座から、俺に金が振り込まれていた。金額は三万五千円だった。あれ、この金なんだっけ。俺は思い出せなかった。


 「ゼロの焦点」を一週間かけて読み終えると、次はアガサ・クリスティーの「そして誰もいなくなった」を読んだ。この小説はすでに二~三回読んでいたが、特に好きなので、また読むことにしたのだ。最初読んだ時の衝撃は今でも覚えている。世の中にこんなに面白い推理小説があるのかと思うくらいだった。


 その本の最後にもまた振込明細が挟まっていた。それも金額は同じで、三万五千円だった。この三万五千円という金が何なのか、俺は全く心当たりがなかった。俺はそのうち、本を全部めくって、挟まっている物を集めてみることにした。


 すると、振込明細と印字の消えたレシートが大量に出て来た。コンビニで払った光熱費の領収書も複数あった。


 彼女は本が好きで常に本を鞄に入れていたから、しおりとしてレシートや銀行の明細を本に挟んでいたようだった。


 








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