第35話 再起編(七)蔓延

 新型コロナウイルスが蔓延してから一年が過ぎようとしていた。ウイルス感染の終息の兆しは見えず、東京都の感染者数が二千五百人をこえた令和三年一月、政府は二回目の緊急事態宣言を発令した。コロナの影響による雇用情勢はさらに悪化し、アルバイトの仕事もなく路上生活を余儀よぎなくされる人々が、ボランティア団体による炊き出しに並ぶ姿をテレビのニュースや新聞記事が報じている。


 ハローワークに通っていると、コロナ以前とはあきらかに雰囲気が違うことに気がついた。雇用保険給付課という部屋が新たに設けられたのである。コロナ前、この部屋は地方に就職斡旋しゅうしょくあっせんする課が設置されていた記憶があった。雇用保険給付課の部屋は絶えず離職者がひしめいていて、そのほとんどは三十代から四十代の女性であった。ガラガラだった検索けんさくするエリアもかなりひとが目立つようになった。


 この頃から、達也はハローワークに行かなくなってしまった。応募件数が極端に減少してしまったからである。検索は自分の部屋のパソコンからでも出来るので、応募したい企業があればその時だけハローワークに行って、紹介状を発行してもらえばいいのである。


 大学図書館には通っていたが、会計の勉強もほとんどしなくなった。念のため一冊の問題集を繰り返し解いていたが、多くの時間は小説や雑誌を読む時間にあてていた。


 今となっては会計の知識などただの宝の持ち腐れであった。それに、もともと経理の仕事にとりわけ興味があったわけではなかったのである。ある日突然達也の前に現れた営業課長。その者は、人事の嫌味いやみを言うことだけのために執拗しつように酒飲みに誘ってきた。その行為を阻止そしするために簿記の専門学校に通いはじめたのである。それ以降会計の勉強をしてきたのだった。


 新型コロナウイルスの感染者数は、デルタ株の発生によって急速に増加した。令和三年七月、政府は東京都に四回目の緊急事態宣言を発令した。緊急事態宣言下においても、大学側は令和三年度の授業を、オンライン授業と並行して対面授業を行うことを打ち出した。その影響によりコロナ前にはおよばないものの、キャンパス内はにぎわいを取り戻しつつあった。


 行き交う学生一人ひとりがみな活力に満ちあふれている。時計台の前の広場では、子供が喜色満面きしょくまんめんに母親のまわりを走りながらたわむれている。初夏の太陽の射光を浴びて、金色こんじきの塔は燦然さんぜんきらめきを放っていた。躍動感あふれるキャンパス内に無気力な者が侵入することに違和感を覚えながらも、達也は図書館へと足を運んだ。沈黙を保つ大学図書館は、そんな無気力な達也を快く受け入れるのであった。


 会計の知識を取り戻し職に就く。この当初の目的はもろくも崩れ去り、もはや何を目的としてここに来るのか、その理由を探ることさえおろかしいことであった。


 秋になると政府によるワクチン接種が功を奏したのか、日本のコロナ感染者数は急激に減少しはじめた。令和三年九月三十日、政府は緊急事態宣言を全面解除した。しかしそれもつかの間、感染力の強いオミクロン株が南アフリカで発見されると、あっという間に世界中に蔓延まんえんし、翌年二月三日の日本の感染者数は、十万四千三百六十八人を記録した。


 欧米諸国では、感染者数がピークアウトして沈静化ちんせいかし、行動規制を撤廃していくなか、日本では三回目のブースター接種が遅れていたため感染者数の高止まりが続いていた。


 達也は、感染対策のため外出を自主規制して、大学図書館にも行かなくなった。また、アパートに引き籠もる生活にもどってしまったのである。


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