第25話 惜別編(二)胃瘻

 救急病院に着いて膨大ぼうだいな説明書にサインをした後、内科の診察室に通された。内科医はまず、レントゲンの写真を達也に見せて説明した。レントゲンに映っている写真は、肺全体が真っ白であった。


「レントゲンとCTを撮ってみましたが、かなりひどいですね。今回はのりきれないかもしれません」

「そうですか」

「一応抗生剤を使って対応してみますが、緊急の場合心臓マッサージは行いますか?」

「いえ、結構です」

「人工呼吸器は装着しますか?」

「しません」

「もう口から食事はできませんが」

「……」

 達也はあらかじめ想定していた処置を内科医に告げた。


胃瘻いろうにしてください」


 内科医は、達也が答えた内容を逐一ちくいちカルテに書き留めていた。


 内科医から説明を受けた後、診察室から出て来た達也に看護師が「こちらへ」と、母親の病室を案内してくれた。


 病室は四人部屋だった。カーテンが敷かれているため、他の患者の姿を垣間見かいまみることは出来ないが、明らかに母親と同じ年老いた認知症患者であるとわかる。カーテンの隙間から見えるしわだらけのやせ細った手足、汚れたおむつの匂い、痰を絡ませながら聞こえてくる呼吸の音、訳のわからない言葉を発している老婆ろうばの声。


 母親は、酸素マスクを装着されて死んだように目をつむっていたが、達也が隣に座ると口を大きく開けだした。


―お腹がすいているのだろう―


 いつものようにとろみ状の食べ物を、口のなかに入れてくれとおねだりしているのかもしれない。達也は母親の耳元にそっと口を近づけて、


「ごめんね、もう何も食べられないんだよ」


 とささやくように言った。達也の言葉が伝わったのかどうか定かではないが、母親の口は少しずつ少しずつ閉じていった。



 翌日、病院の相談員から今度お見舞いに来た時に話したいことがあるので、立ち寄るようにという連絡があった。その病院の入院は今回で二回目であったので、話の内容はわかっていた。


―介護療養型病院への転院の話だろう。前回は断ったが、胃瘻にしていることもあり今回は断れそうにない―


 見舞いに行った日は、気温が三十七度と酷暑の日であった。病院まで自転車に乗って十五分で行ける距離だったが、太陽の熱に加え、アスファルトから立ちこめる熱気によって病院に着いた時は、服を着ながらサウナに入っていたくらい汗だくになっていた。


 母親は、医師が驚くほど回復していて、夜中に突然目覚めたように目はしっかりと見開いていた。看護師がテレビをつけると母親が見ると言うので、売店に行ってテレビ用のカードを買い、母親の顔の真横にテレビを近づけると確かにじっと画面を見つめている。ちょうどオリンピックイヤーで水泳の競技が行われていた。


―画面のどこを見ているのだろうか。内容は理解できているのだろうか―


 母親の様子をうかがいながら横にじっと座っていると、相談員がやって来て談話室で話をしようと言われた。達也は、刹那せつなに住まいの立ち退きを迫られている心境になった。予測していた通り介護療養型病院への転院の話であった。介護療養型病院は現在荒葛江区にはないとのことで、足立区の病院を紹介された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る