page.34 神聖暦457年 冬(3-3)

「……なあ、エリス。」

 とヴェルナーは静かな声で、話しかけた。

「……っ。」

 矢張り、彼に気が付いていなかったようで、ヴェルナーに声をかけられ、驚いた顔をしてこちらを振り返った。

「…………ヴェルナー……。」

「なあ、エリス。」

 ヴェルナーは、静かに、続ける。

「一回目と二回目の俺は、どんなだった。」

 聞いてみたかった、一回目と二回目の自分も、エリアスの友人になれていたのだろうか。彼を悲しませなかっただろうか。エリアスは暫く悩んだような顔をした後、

「……いまと、かわらない。」

 と、か細い、弱々しい声で、エリアスが呟く。

「あなたは、七年前も、三年前も、……」

 細く白い手が、少し震えている。あの空っぽだった瞳が、僅かに揺らいでいる。

「あなたは、何時、何処で出会っても、僕の友人でした。」

 エリアスは以前に二回、ヴェルナーと出会っていた。

 初めて会ったとき、なんと五月蝿い男だろうと思った。一人でいるとしつこく付き纏い、一人で勝手に話し続けていた。人に関わることを恐れていたので、その度に突き放したが、それでも彼は諦めずに、笑いかけてきた。

 仕方なく折れて会話に付き合ってやると、これが意外にも心地よく、自分の立場をつい忘れてしまうことが多くなった。これではいけない、これではまた自分で苦しめるだけだ、と心の何処かでなんども考え、思い悩んだ。しかし、それでも、彼との会話は楽しくて、嬉しくて堪らなかった。気がつけば、自分で彼との縁を切ることができなくなってしまった。

 だから、翌年からは、彼に出会わないように細心の注意を払った。辛い思いをするくらいならば、はじめから会わないほうが良いと考えたからだ。だから、偶々ばったりと会ってしまったときは、避けるようにしていた。しかし、気がつけばまた、有人となってた。

 ――エリアスは、ヴェルナーが大好きだった。

「……っ。」

 ぎゅうっと旨を締め付けられるような思いに駆られ、ヴェルナーは俯く。そうか。自分はどの時も、彼の友人であれたのか。ほっとしたような、悔しいような、言葉にあらわし難い気持ちが溢れてくる。

「……なあ、エリスよ。」

 ヴェルナーは顔を上げる。そして、

「これからは毎年、俺の友人になってくれないか。」

 とエリアスに願い出る。

「……っ。」

 エリアスは驚いた顔をして、ヴェルナーの方を見つめている。

 ――イングリッドには申し訳ないとは思う。だが、彼を苦しみから、独りから、救ってやりたい。

「俺も、お嬢さんに頭を下げてやるよ。」

だから、命が尽きるその日まで、友人であってほしい。それは残酷な要望かもしれない。しかし、

「俺は、きっと、何時でもお前さんと友人になれる。お前さんの孤独を少しでも埋めてやる手助けを、させてくれや。」

 気がつくけば、エリアスはその美しい銀色の瞳にたくさんの涙を溜めていた。ぽろぽろとそれがこぼれ落ちる。その涙はまるで、宝石のようにきらきらと輝いている。

 ……そうか。こいつはまるで、雪原を体現したようなやつなんだな。

 美しく、神秘的だが、春が来ると、その姿は何処かへと消えてしまう、そんな儚い存在。

 低木から雪の落ちる音と共に、エリアスは木から飛び降り、ヴェルナーの腕の中に躍り込む。声の出ない悲鳴を上げながら、わんわんと、彼は泣いた。

 

 ――朝日が、東の空から、登り始めた。

 ――戦が始まる、鐘の音が、空高く響いた。



 冬も半ばを過ぎ、終わりの季節が近づいていた。

 イングリッドは、ラインハルト伝てに、戦況を聞いていた。(勿論、ラインハルトも伝書鳩で報せを受けているので本当の状況と時差はあるだろうが。)

 彼曰く、ことは順調に進み、アルデンヌ領を取り戻すことに成功したと聞いている。そして、いまや、ホーエンツォレルン領に攻め入る勢いであるという。

 ――皆、春までには帰ってこれるかしら。

 自分が創設した、通称イングリッド部隊の兵士たちの安否が、イングリッドは気掛かりでならない。自分の我儘に、快く付き合ってくれた兵士たち。彼女にとって、彼らは掛け替えのない、大切な家族のような存在になっていた。

 ……それに、春までに戦争が終わらなければ……

 春までに帰ってこなければ、自分の中から、彼の存在は無くなってしまう。なにも応えてやれないまま、知らないうちに別れることになってしまう。

 ……エリアス。

 ぎゅっと力強く、ペンダントの黒い石を握る。

「インガー。」

「……ルノー、いらっしゃい。」

 戦争が始まってから、ラインハルトは、ヴォルテンブルグ家に滞在していた。何時でも参謀会議に出られるようにする、というのもあるが、イングリッドの側にいてあげたい、というのが一番の理由である。

 エリアスとの一件と、戦争の件が重なり、彼女の心への負担は思い測れるものではない。その細い肩に、ずっしりと乗った責任感と、苦痛を、少しでも取り払ってやりたい。一緒に分かち合ってあげたい。

 意外にも、ヴォルテンブルグの当主フリードリヒから、一日に数度会いに行く許しを貰うことができた。イングリッド部隊を成功させたことで、彼女を認めたのかもしれない。定期的にフリードリヒが、娘はどうしている、とラインハルトに訊ねてくるようにもなった。

「インガー、調子はどう。」

「ええ、もうだいぶ良くなったわ。」

「そう、良かった。でも、無理は禁物だよ。」

 そうラインハルトに言われると、ぷうっと頬を膨らませて少し不満そうな顔をする。

  数日前、まだアルデンヌ領が奪還される前、イングリッドは体調を崩してしまった。心労が重なったのであろう。風の子で、病気とは無縁だった彼女が倒れたものだから、ラインハルトも乳母も(そしてあの、フリードリヒまでも)大騒ぎだった。医者に何度も何度も、変な病気ではないか、危険な病気ではないかと確認したものである。(そして、フリードリヒはラインハルトに確認していた。)

「みんな過保護が過ぎるんじゃない。ちょっと風邪をひいただけじゃない。」

 と倒れた本人が一番冷静で、騒ぎ立てるラインハルトたちを落ち着かせ、医者に、うちのものが迷惑をおかけしましたと、頭を下げていた。大変申し訳無い。

「ねえ、みんなは何時になったら帰ってこれるのかしら。春までには帰ってくるかしら。」

 心配そうな声で、イングリッドはラインハルトに訊ねる。アルデンヌ領の奪還には成功して、ホーエンツォレルンに侵攻しているとは聞いているから、戦況はかなり良いということはわかってはいる。しかし、それでも気掛かりで仕方がない。

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