page.33 神聖暦457年 冬(3-2)

 兵士一団は、アルデンヌ領とハッセル領の間にある草原で野営をしていた。ハッセル領はアルデンヌ領のすぐ南に隣接した、低級騎士族が治める土地である。

 ――雪は次第にその強さを強め、野営地は深い銀世界となっていた。

 天幕の中で、ヴェルナーは数人のイングリッド部隊の兵士と一緒に歓談していた。数人はすでに眠っている。別の天幕を使っているのか、エリアスの姿は見られなかった。

「しっかし、春に集められたときはとんだお嬢様の茶番につきあわされたと思ったもんだよ。」

「それな。でも、実際に一緒に過ごしてみると、悪くなかったな。」

「そうそう、俺たちのことをすごく思ってくれてたよな。」

「俺、お嬢様が結婚したら、エーデルシュタインに移動しようかな。」

 がやがやと、楽しげに、彼らはイングリッドとの思い出話やイングリッドを称賛する話で盛り上がっていた。

「ヴェルナー、お前のところは下級といえど騎士族だろ。お嬢様に主人の鞍替えとかできるのか。」

 兵士の一人、ディータがヴェルナーに話しかけた。ヴェルナーはにやりとわらい、

「そこは、お嬢さんになんとかしてもらうさ。」

 と返した。丸投げかよ、とディータの隣りにいたエッポが腹を抱えて笑う。

 イングリッドは、いつの間にか、このイングリッド隊のなかでは厄介なお嬢様から、敬愛する主人へと変わっていた。イングリッドは天真爛漫で、破天荒な質ではあるが、その実、領民や兵士を愛し、守る、本当の貴族であった。賢く、聡く、そして強い。そんな彼女に、兵士たちは心から忠誠を誓いたい、と考えるようになっていた。

 それはヴェルナーも同じで、ヴォルテンブルグではなく、イングリッドという存在を守る騎士であろうと、いつの日からか考えるようになっていた。彼女がエーデルシュタインに嫁ぐのであれば、勿論、彼女に付いていく心づもりをしていた。

 ――あいつ、どうしているかな。

 昨夜から、ヴェルナーの頭の中は、エリアスのことでいっぱいであった。齢三十五にして、初めてここまで心乱されている。

「俺、少し歩いてくる。」

「お、おう。きをつけろよ。」

 ヴェルナーは天幕の外へ出た。雪は止んでいた。外はあたり真っ白な雪原で、月明かりに照らされ、白銀に輝いて見える。

 ――綺麗だな。

 ヴェルナーは、幼い頃から、雪を見るのが大好きだった。特に、月明かりに照らされた雪原を見るのを好んだ。一重に、その幻想的な美しさに惹かれるものを感じるが故である。それはヴォルテンブルグ家に十のときに仕え始める前からであり、幼いときは雪が積もると、外を駆け回ったものである。

 ――今夜は満月か。

 天頂近くに登りつつある満月を眺めていると、初めて出会った頃のエリアスが思い浮かぶ。太陽の光できらきらと輝いていた美しい白銀の髪。透き通るような銀色の瞳は神秘的である一方で、何処か虚ろで、何処か儚げだった。肩のあたりにある火傷痕を除くと、肌は白磁のごとく白く、滑らかだった。

 ――はじめは、本当に無愛想だったよな。

 話し掛けると、彼は多くを語らず、こちらとの関係を拒むようにしていた。その中性的な声はどこまでも平坦で、抑揚がなく、人間ではないのではないか、とまで考えさせた。

 しかし、何度も何度も声をかけ続けると、次第に彼は言葉を返すようになった。会話をするようになると、その淳朴さな質を知り、彼との時間が楽しくて堪らないものとなっていた。

 ――既に三回目、か。

 自分の記憶にはない。彼は、三回も自分に他人の顔をされたのである。「春は苦手だ」と彼の言っていた言葉の意味が、今なら理解るような気がする。春は彼にとって、知人が他人になる季節なのである。つい昨夜まで語らっていた友人が、愛を誓っていた恋人が、自分を育ててくれた師が、自分を他人の目で見るのだ。「春は独りになるから苦手」なのだろう。

 ――そりゃあ、苦手にもなるよな。

 そして、なんとなく、そんな彼の性格がわかってきたようなような気がする。彼は、本来、人が好きな質なのであろう。誰かと関わるのを好み、独りを嫌う。しかし、また忘れられることが恐ろしくて、寂しくて、堪らない。

 イングリッド隊の者たちからは頻りに、秋の終わりから、エリアスの顔を見かけていない、彼はどうしているのか、といった彼を心配する声を聞いていた。そしてそれはヴェルナーも同様で、彼が一体どこで何をしているのか、まったくしらなかった。

 昨日になって、ホーエンツォレルンの偵察隊に参加していたことを初めて知った。(今日クヌートに聞いた話だと、さらにそのまま、アルデンヌの偵察隊になっていたそうだ。そして、昨日の夜に先発して偵察隊から帰ってきていたようだ。)彼は誰にも、一言も告げずに参加していた。おそらく、仲間たちとの突然の別れが恐ろしくなり、距離を取るようにするため、自分から志願していたのであろう。

「……さむっ。」

 びゅうっと冷たく強い風が、雪原を吹き抜ける。思わず、ヴェルナーは顔を腕で覆い、目を瞑る。

「……。」

「………………っ。」

 目を開くと、野営地の端の低木の上に、白銀の少年が腰掛けているのが、ヴェルナーの瞳に写った。

 ――エリアス。ここに居たのか。

 彼はこちらに気がついていないのか、月の方をただ、ぼうっと眺めている。その月と同じ色をした瞳は、生気が無く、がらんどうだ。

 ――かつての自分と出会ったときも、このように、死人のようだったのだろうか。

 ――かつての自分は、少しは、彼の救いになれたのだろうか。

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