page.23 神聖暦457年 冬(1-3)

 ヴォルテンブルグの練武場では、明日の昼には出陣するらしい、という話で騒然としていた。

 それもそのはずで、従来通り、冬は休戦状態になるかと誰もが考えていたからだ。そしてそれは、魔導武具を扱う実験部隊、通称イングリッド部隊の兵士たちも、例外ではなかった。

 その日、ヴェルナーは開発時に同じ五班だったヴィム、エッポ、フランク、マルクと弓の整備をしていた。そこに、同じ部隊のディータとクヌートが、出兵時期の変更の話を持ってきた。

「……まじか。」

 驚きのあまり、ヴェルナーは素っ頓狂な声を上げた。

「それが、まじらしい。なんでも、アルセンヌ領が陥落したらしいぜ。」

 とクヌートが困った顔をして告げたのを聞き、ヴェルナーは少し表情を曇らせた。

 ――お嬢さん、今頃、一人で気負ってるんじゃないか……。

 半年以上を共に過ごしてきた、上爵の娘は、ヴェルナーやクヌートのような下級騎士や、その他の平民の兵士たちを蔑むことなく、別け隔てなく接してきた。常に領民や兵士の安全を優先し、土まみれになろうと、夜中まで作業が続こうと、最善を尽くすべく必死に動き回っていた。そのような彼女の性格上、冬という危険な季節に、自分たち兵士を戦場に送り出すことに、心を痛めているだろう。

 ――そういえば、秋から、あいつを見てないな。

 ふと、ヴェルナーの脳裏に、白銀の髪の少年の姿が浮かぶ。工房で、古文書の解読作業をしたきり、顔を見なくなった。練武場で会えるかと思ったのだが、エリアスだけは何時まで経っても練武場に現れなかった。

「そういや、エリスを秋の終わりから見かけないんだが、誰かあいつがどうしているか知らないか。別部隊にでも送られたのか。」

 と兵士の一人、マルクが切り出した。するとクヌートが、

「俺もずっとそれが気になっていて、さっき指揮官に聞いたら、あいつ、ホーエンツォレルンの偵察隊に参加しているらしいぜ。」

 と答えた。

 ――偵察隊、だと。

 全く聞いていない。ヴェルナーは衝撃のあまり、声も出なかった。他の兵士たちも思いがけない話に、上の命令かな、あいつ優秀で小回りも聞くもんな、騒然とする。

「まじかよ。どうせあいつのことだから、またお嬢様か俺たちのために動いているんだろうけどさ。」

「一番年下のくせに、しっかりしているというか、責任感があるというか。」

 とヴィムとエッポがぼやく。エリアスは、この部隊で最年少であるにも関わらず、開発時から、兵士たちからの信頼が厚かった。それは一重に、あの面倒見のよさと、働きぶりゆえだろう。兵士たちの筋力トレーニングや弓の訓練に積極的に買って出て、講師役を努めていた。エリアス自身の身体能力と説明能力の高さが為せる技ではあるが、自分よりもできない年上の兵士たちを小馬鹿にすることもなければ、自分自身の能力の高さを鼻にかけることもしなかった。綺麗な見た目も相まって、兵士たちからは好かれていた。

「あいつがいないと寂しいんだよなあ。」

 と弓の講師をともにこなしていたディータが憂いを呟く。すると、フランクは心配そうな声で、

「明日までに間に合うのかよ。現地集合か。」

 とエリアスが部隊に参加できるのかという懸念事項を指摘する。ホーエンツォレルンまで、早馬でもかなりかかる。既にこちらに向かっていないと、ヴォルテンブルグ領では落ち合えないだろう。エリアスはその身体能力と判断力の高さから、戦闘時の期待も高い。訓練時も、兵士たちはエリアスの不在を頻りに懸念していた。

 彼らの会話の傍ら、ヴェルナーは途中からあまり話を聞いていなかった。

 ――友人だと思っていたのは、俺だけなのか。

 はじめて会ったときは、なんと美しい少年であろうかと思った。輝く白銀の髪に、透き通った銀色の瞳、そして白磁のような肌。このあたりでは見かけない顔立ちだが、整っていることだけは確かであり、少女と見紛う、中性的で神秘的な容姿だった。

 しかしその実、愛想がなく、話しかけても無視をするようなやつだった。とくに、空っぽで死人のような目をしているのが無性に気に入らなかった。しかしその一方で、そのよう彼にどこか興味を惹きつけるところがあり、なんとか会話をしようと試みた。何度も何度もしつこく話かけていたら(正確には、毎日からかっていた。)、徐々に話してくれるようになった。

 実際に話すようになってみると、声に抑揚はなく、表情も乏しく、いつもほとんど変わらない態度であったが、気の良いやつで、ヴェルナーが提案する無茶ぶりな試合にも付き合ってくれた。十三と思えないほどしっかりとしており、他の兵士たちの面倒もこなし、イングリッドたちに気を配ってもいた。

 ――なのに。

 ――あいつ、なんでずっと、古代文字が読めることを隠していたんだ。

 すらすらと古代文字を書き留めていく彼の姿を見てから、なぜ、という疑念がヴェルナーの中から消えない。もっと早くラインハルトを手伝っていたら、イングリッドももっと早く成果を出せたであろう。今回のような突然の事態が起きたとしても、イングリッドの不安要素を一つくらいは取り除けたかもしれない。

 ――こんなのは八つ当たりだな。

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