page.22 神聖暦457年 冬(1-2)

 イングリッドは黙ってその様子を見守っていた。自分の知る彼らイングリッド部隊が、どこの部隊の近くに配置されるのかはわからない。イングリッドは軍事の作戦周りで使用する記号や単語には明るくないからだ。誰かは捕虜として捕まるかもしれない。誰かは命を落とすかもしれない。――最悪の場合、全員、帰ってこないかもしれない。

「……っ。」

 イングリッドの脳裏には、娘たちの逃亡を見守る、母親の笑顔が過る。

 ――どうか、健やかに生きて頂戴。

 最期に、自分に掛けられた、母親の言葉。

 ――私は、結局、あの頃と何も変わっていないのね。何もできない。

 自身の無力さに歯痒い。もし、実戦で魔導武具が全く通用しなければ。もし、予定よりも早く投入することで、彼らの身に危険が及んだら。そう思うと、胸が張り裂けそうである。

 魔導武具が、もっと確実に身を守れるものであったならば、此処まで不安にはならないであろう。しかし、あれらは兵士たちの能力を上乗せするものでしかない。彼らを完全に守る盾ではないのだ。

 ラインハルトが、冷静に作戦を説明し、地図の上に、兵隊に見立てた駒を置く。ある貴族が横から口を出し、意見する。ある貴族が不明な箇所を質問する。淡々と会議が滞りなく進められていく。

 参謀会議が終わると、貴族の男たちが今後の動き方を語り合いながら書斎を出ていく。フリードリヒもその男たちと共に退室する。

「インガー。」

 久しぶりに自分の名をよぶ、愛する婚約者の声を聞き、イングリッドは歓喜し、ラインハルトのもとに駆け寄る。

「ルノー。久しぶりね。元気にしていたかしら。」

「うん。インガーこそ。」

 イングリッドはラインハルトから少し身を離し、俯く。

 実際の戦術の考案や兵士の訓練等には当然、参加していない。ちょっと、性能が良くなった武具を作っただけである。今回の出兵ではかなりぎりぎり間に合っただけで、もしも間に合わなければイングリッドはただの穀潰しだった。

「……私は報告書を纏めていただけだもの。」

「そんな、君は素晴らしい開発を成功させたんだ。」

 自分を卑下するイングリッドに対し、ラインハルトは必死に言い聞かせる。

 弓兵を主に強化した武具の開発とそれに合わせた兵士たちのは訓練は、これまでと異なる戦法で兵を稼働させることを可能にした。このあたりの国々は弓をあまり得意としない。遠距離からの攻撃力は十分、アドバンテージになりうるはずだ。

 しかし、自分に厳しいイングリッドは、頭を横に振り、否定する。

「励まさなくても大丈夫よ。素晴らしいかは、明日以降にわかることだもの……。」

 イングリッドの覚悟を決めたような真っ直ぐな眼差しを見て、ラインハルトは堪らなく切なくなる。

 もしもアルデンヌさえ陥落しなければ。もっと余裕を持って、イングリッド部隊のデビューを飾れたであろう。

「……すまない。アルデンヌの戦況が悪化したのは参謀の責任だ。」

 ラインハルトは、魔導武具を使った新戦法の考案が主な担当であったため、ついこの間までのアルデンヌの戦況には関わってはいない。しかし、同じ参謀の身として、申し訳なくなる。

「ルノーが謝ることではないわ。」

「インガー……。」

 今回のアルデンヌ領の陥落に関して、ラインハルトに全くと非が無いことを、イングリッドは重々承知していた。しかし、アルデンヌを救えなかったこと、冬に兵士を送ることになってしまったことが気掛かりで仕方がない。

「……冬に彼らを送り出すのね。」

「そうだね……。」

「……っ。私がもっと早く、軽量化を実現できいたら……。」

「それは僕もだよ……。自分を責めないで。」

 一緒に逃げることを拒み、自ら命を絶った母親を思い出し、イングリッドは不安に駆られる。ユオも突然、自分の目の前から姿を消した。もし、兵士のみんなまでも自分の前から居なくなったらと思うと恐ろしくて堪らない。

「お母様みたいに、帰ってこなくなってしまったら、どうしよう……。」

 イングリッドは涙を流し、嗚咽を漏らす。こんなにも自分を追い詰めてしまった、愛する許嫁をずっと一人にしてきたと思うと、ラインハルトは遣る瀬ない気持ちでいっぱいになる。

「きっと大丈夫だよ。泣かないで。」

 ぎゅっとイングリッドを抱きしめ、ラインハルトは自分にも言い聞かせるように、彼女に言い聞かせる。

「ううう……。会いたかったよお。ルノー……。」

 涙をぽろぽろとこぼしながら、イングリッドはラインハルトにぎゅっと、力強く抱きしめる。

「うん……僕もだよ……。」

 イングリッドの背中を優しく、宥めるようにたたく。

「……彼らの見送りに、行こう、インガー。」

 優しく語りかけるようなラインハルトの声に、イングリッドはひたすら頷く。

 すると、こんこん、と扉を叩く音がした。

「……何かしら。」

 と涙を拭きながら、イングリッドは扉に向かって訊ねると、恐る恐る、乳母が扉から顔を出した。

「申し訳ありません、お嬢様。」

「どうしたの、乳母。」

「イングリッド部隊の兵士と名乗る者に、これをお嬢様かラインハルト様に渡すようにと言われたのですが……。」

 と言って差し出してきた乳母の手の中には、一枚の手紙があった。イングリッドは乳母から受け取り、ラインハルトとともに内容を見てみると、古代語で何か短い文章が書かれていた。

 その筆跡を見て、誰が書いたものなのか、ラインハルトはひと目見てわかった。古代文字を書き、この独特の筆跡は、エリアスだけだ。ラインハルトがイングリッドに目配せすると、イングリッドも理解したようで、

「乳母、ありがとう。下がっていいわよ。」

 と乳母に部屋から出て行くように促した。乳母も、イングリッドの意図を汲み、

「はい、お嬢様。失礼いたします。」

 とすぐに書斎をでた。 

「……ラインハルト、これ、なんて書いてあるの。」

 ラインハルトは文字を追い、読み上げる。

「今日の夕方に、練武場そばの見張り塔にてお二人をお待ちしております。」

 二人は顔を見合わせた。

 秋頃に、彼と一緒に解読作業をしてから、二人ともエリアスの顔を見ていない。ずっと、彼に様々な疑問を持っていた二人は、話を聞きたいと考えていたが、きっとそれは彼もわかっている筈である。おそらく、その件について話があるのだろう。

「行くかい。」

 とイングリッドに訊ねると、イングリッドは答えた。

「うん。もちろんよ。」

 

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