page.21 神聖暦457年 冬(1-1)


 冬が訪れて二日目。

 空が厚い雲に覆われ、雪が降りそうなほど、肌寒い早朝。まだ日が昇っておらず、辺りは薄暗い。

 イングリッドは、初めて参謀会議に呼ばれ、父の書斎を訪れていた。

 開発のあとも、女が顔を出す場ではない、と言われ、イングリッドから願い出ても、参加することが叶わなかった。しかし今朝方、突然、侍女伝いに参加を命じられたのだ。突然の申し出に、イングリッドは嫌な予感しかしなかった。

 書斎の中央には、大振りの円卓が置かれていた。その周りには、錚々たる貴族の顔ぶれが腰掛けており、その中にはエーデルシュタイン家の当主グンターと、その長子、ラインハルトの姿もあった。数人の兵の指揮官たちも揃い、物々しい雰囲気が部屋の中を包んでいた。

「イングリッド・ヴォルテンブルグ、参りました。」

 と凛とした声で挨拶をすると、父のフリードリヒに、こちらに座りなさい、と声をかけられ、ラインハルトの隣の席を指定された。イングリッドは静かに指定された席に座る。

「皆を招集したのは無論のこと、昨日、我が従臣、アルデンヌ領がホーエンツォレルン派の軍に討ち取られた件だ。」

 ――え。

 嫌な予感が、最も恐れていた方向に的中した。

 フリードリヒの言葉を聞き、イングリッドは動揺を隠せないでいた。アルデンヌはヴォルテンブルグ派の中爵の家系で、ホーエンツォレルン領に隣接していた地域を治めていた。

 他にも戦地になる領地はあるが、アルデンヌが最も多く戦争がおき、常に最前線の場であった。政争が始まってから、実際に侵略した、もしくは侵略された領地はこれまでは無かった。アルデンヌ領が侵略されたということは、即ち、ヴォルテンブルグ側が劣勢に陥ったことを指す。

「勿論、これは由々しき事態である。」

 と言って、フリードリヒは、ラインハルトとグンターの、エーデルシュタイン父子の方を見据える。

「ラインハルト。貴殿が件の、魔導武具を活用したイングリッド部隊を、併用するための作戦の取りまとめをしていると聞く。状況はどうだ。」

 魔導武具とは、魔鉱石を使用した武器や防具を指す。ラインハルトは立ち上がり、イングリッド部隊とその他部隊との連携訓練が順調である旨を伝えている。それを補足すべく、一人の兵の指揮官が手を上げ、立ち上がり、

「兵士の訓練も順調でございます。偵察部隊が戻り次第、数日以内には投入可能でしょう。」

 と発言した。

 ――矢張り、イングリッド部隊の実戦時期を早める、という方向に話が進むのね。

 イングリッドは複雑な気持ちであった。膠着した戦況の打破を目的に開発を始めたが、まさか、劣勢の状態で初めてお披露目をする羽目になるとは考えてもいなかった。開発の日々を共に過ごしたあの兵士たちもその初陣に付き合うのだろうと思うと、心苦しい。とくに、彼らは平民や下級騎士のため、貴族の兵士たちに比べ、より危険な場所へ送られるだろう。

「うむ。最速でいつ頃出陣が可能か。」

「そうですね。五日ほどお時間を頂ければと。」

 ――そんなに早くに。

 困惑したイングリッドに気がついたのか、ラインハルトが彼の手をそっと手に添えてきた。周囲に気取られぬよう、少しだけラインハルトの方に顔を向けると、心配そうな顔をしていた。震えを抑える手で、彼の手を握り返す。

「否、一日半だ。猶予はない。」

「は、はい。今すぐに準備を始めさせます。偵察隊にも、最速で戻るよう、伝えます。」

 そう言って、兵士の指揮官たちが慌てた様子で立ち上がり、お先に失礼いたします、と告げて書斎を後にした。

「今回の戦争では、アルデンヌの早期奪還を目標する、ということで宜しいですな。」

 手を上げ、グンターが確認するように、フリードリヒに確認する。フリードリヒは

「左様だ。そしてあわよくば、ホーエンツォレルン領を攻め落とす。」

 と言い放つと、数人の貴族たちが、そうだそうだ、あのような不届き者、雪に沈めてしまおうと騒ぎ立てる。

 ――冬の、足場が悪いときに、敵地まで乗り込むなんて。それに、偵察隊が戻ってこれないかもしれないのに、出発を急ぐなんてどうかしているわ。

 高姿勢なフリードリヒの発言に、イングリッドは青ざめる。しかし、イングリッドは代替案を持ち合わせていない。反論するならば、別の案を提示しなければならない。自分の無力さに、イングリッドは悔しくて唇を噛みしめる。

「ホーエンツォレルン領まで進むのは早計過ぎやしませんか。」

 とラインハルトが意見した。

「では、ホーエンツォレルンが、再びアルデンヌに侵攻しない保証はあるのか。奴らは冬である今、手を出してきたのだぞ。」

 う、とラインハルトが悔しそうに俯く。ホーエンツォレルン領を含むホーエンツォレルン一派の領土は、ヴォルテンブルグよりも北にあることが多い。よって、ホーエンツォレルン一派の兵士たちは雪の中での振る舞いになれている。

 向こうもできれば冬に戦争はしたくないだろうが、今回は手を出してきた。長い政争に、痺れを切らしているのかもしれない。

「雪がまだ浅いうちに手を打たねば、こちらが不利だ。」

 と静かにフリードリヒは言い放つ。

「……。思慮が足りず、申し訳ありません。」

 ラインハルトは返す言葉が思い当たらないようで、暗い顔をして引き下がる。

 ――矢張り、兵士に無理をさせてでも先手を打ちたいのね。

 イングリッドが兵士を危険に晒すことを懸念し、苦悶の表情を浮かべていると、フリードリヒが、彼女を一瞥し、

「異論はないな。」

 と言い放った。一応、イングリッド部隊創設の責任者でもあるため、イングリッドにも声をかけたのだろう。

 ――確かに、早く動かないと、取り返しの付かないことになるかもしれないわ。見知った兵士のことばかりを考えてしまうのは、私情を挟んでいるだけだわ。

 イングリッドは少し俯く。そして、すっと面を上げ、

「勿論でございます。」

 と毅然とした声で答えた。その揺るがない彼女の態度に感心したような男たちの視線や、神聖な会議に立ち会うの女を厭う男たちの視線が、イングリッドへと向けられる。ひそひそと、ヴォルテンブルグは娘も出来るのか、素晴らしいな、と呟くものもいれば、女がこのようなところに出張るなど、甚だしいと苦言を呈するものもいた。

「……うむ。では、作戦の方の話しに移る。」

 そう言うのを聞くと、イングリッドの手をそっと離し、ラインハルトも立ち上がる。そしてフリードリヒを含む貴族たちに向け、グンターとともに、作戦の解説をし始めた。

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