page.20 神聖暦457年 晩夏〜秋(4)
実践訓練では、開発時より多くの人員、すなわち、実際に戦争へ行くのに必要な最低限の人数の兵士が揃えられた。兵士たちは、実験部隊、通称イングリッド部隊の四十八人の兵士を活用した隊列の組み方を叩き込まれた。
ラインハルトというと、彼の父のグンターに呼ばれ、参謀として、イングリッド部隊を活用した戦術や作戦の作成を推進することとなった。実際に開発に携わっていたラインハルトは、常に質問攻めをされる日々を送ることとなった。
一方で、イングリッドも武具の発注周りの金の工面や開発関連の報告書の作成やらで日々忙しくしていた。今まで手伝ってくれていたラインハルトが参謀に取られ、ヴェルナーやエリアスのような兵士たちも実践訓練に戻って行ったので、今や一人寂しく作業をしていた。
「お嬢様、ミルクティーですよ。」
乳母がそっとティーカップを机の上に置く。有り難う、とイングリッドは答え、紅茶を啜る。
「寂しゅうございますね。」
「……そうね。」
賑やかだった、あの開発の日々が、もう遠い昔のような気分である。秋の終わりからは開発時の面子に会うことはなく、イングリッドの周囲は開発以前のように静かだった。
「……ルノーのチョコレートスコーンが食べたい……。」
ぼそりとつぶやく。開発を始める前と最も異なる点を一つ上げるとしたら、ラインハルトが全く訪れなくなった、ということである。彼は、彼の父の手伝いで忙しく、イングリッドに会いに行く時間が取れなくなったのだ。元々は、少なくとも週に三回は会いに来てくれていたというのに、今やめっきり顔を見せなくなった。
――それに。
イングリッドはずっと気になってやまないことがあった。エリアスのことである。
――なんで、あんなにも詳しかったのかしら。
ラインハルトが解読していたのは、古代の文献の中でも、遠い北方地域の文献である。これらを読める者の数が少ない。専門としている学者自体も片手で数えるほどである。
そもそも、北方の地が、ヴォルテンブルグ領どころか、この国からもかなり離れた場所にある。一部の国々では、異教徒のものである、という判断のもと、多くの古文書を焼却し、それらを研究していた者たちを弾圧しているという。運がいいことに、今のところこの国にはその気風がないが。
――もともと、何処かの学者の家系の出身なのかしら。
しかしそれでは、現代語の読み書きができない理由を説明できない。何処かの学者の家で奉公として、手伝いをしていたとしていても、矢張り、現代語は必須である。今回の開発でもそうであったが、二度手間になってしまう。寧ろ、清書をする要員として、現代語が堪能な助手を雇うであろう。
「むうう……。」
「……どうかしましたか。お嬢様。」
唸りだしたイングリッドに、乳母が穏やかな声音で話しかける。因みにこの乳母も、イングリッドの唸る癖にはなれている。
「なにか、考えが纏まらないものでもございましたか。」
「んむむ……。……そうね。」
幾ら考えても、なぜ、が解消されない。
「まあ……。でもこの乳母はお嬢様のように頭が良うございませんから……。」
お力になれず申し訳ありません、と乳母がしょんぼりとした顔をして詫びる。イングリッドは、大丈夫よ、気にしないで、と笑顔で返した。
勿論、既に、直接彼に話を聞きに行こうかと、練武場まで足を運んでみてはいた。しかし、エリアスの姿を見かけることはなかった。
イングリッドにも仕事がある手前、彼がどこの練武場を使っているのか調べている暇も余裕もない上、父親から不要な外出を避けるように言われていた。七歳のときのように、拉致でもされてしまうと、今回の場合は大変都合が悪いためだ。誤って、新規に開発した武具についての情報が漏れてしまうと、今現在行われている、兵士たちの努力が水の泡となってしまう。
「はあ……。せめて、ルノーに会いたい……。」
ぽつりとつぶやく。頭が整理できず、想い悩んでいるときは、ラインハルトに会いたくてたまらなくなる。ミルクティーと、ラインハルトのチョコレートスコーンを食べながら、語らいたい。
気落ちしたようなイングリッドを見て、乳母が優しくイングリッドの頭を撫でる。
「ラインハルト様もお忙しゅうございますものね。」
「ええ。」
乳母に甘えるように、少し寄りかかる。開発を始めてから、乳母も口煩く、女が戦に口を出すのはやめなさい、とは言わなくなった。寧ろ、応援してくれるようになったのだ。
「とても仲良うございましたから、とても寂しいですね。」
「……ええ。」
寂しい。新しく仕事用の部屋を、父親から与えられたが、そこは工房と異なり、小綺麗ではあるものの、静かで、居るのは乳母とイングリッドのみ。工房は常に、ラインハルトや職人や兵士たちで賑わっていた。
「でも、これからよ。」
イングリッドは目を伏せる。開発した武具はまだ、実戦に投入されていない。実際に戦地で成果を出すまでが正念場である。
――あの兵士たちも、そのうち戦地へ赴くのね。
数カ月も共に過ごしていたので、情も湧いていた。
ヴェルナーとエリアスは開発初日からずっといたため、とくにそれがある。何時も陽気に楽しませてくれるヴェルナー、そして無表情だけれど、自分を労ってくれるエリアス。
「きっと、成功しますよ。」
乳母が優しく、語りかける。
「……そうね。」
イングリッドはペンダントを握り、祈るように目を瞑る。
窓の外の、葉が落ちきった木々が、秋の終わりと、冬の始まりを感じさせる。木枯らしが、地に落ちた落ち葉をさらい、何処かへと運んでいく。獣たちが冬の身支度を始め、渡り鳥たちが南の方へと飛んでいく。
そして、冬が訪れた。
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