page.19 神聖暦457年 晩夏〜秋(3)

「……え。」

 ラインハルトは驚きの声をあげた。古代文字の文献を、古代文字で翻訳しはじめたのである。掠れていて読めなかった箇所をとくにじっくりと勘案こともなく、文字を置き換えて書き留めていく。

「……僕が置き換えた文字と違う……。」

 ヴェルナーは、ラインハルトの言葉に、え、どういうことですか、と返す。

「前後関係から、思いつく単語を書いていたのだけれど、僕が、考えて書いたのと全然違う……。」

 ラインハルトたちの会話に耳を貸し、手を止めることもなく、エリアスはすらすらと古代文字を紙に書いていく。あまり綺麗な文字ではなく、たどたどしい筆跡ではあるものの、書く手には迷いがない。

「…………この子、古代文字の読み書きはできるんだわ。」

 イングリッドがぼそりと呟く。そしておそらく、直接、意訳して書かないのは、今の文字は書けないから、であろう。

「え、今の文字の読み書きができなくて、昔の文字の読み書きができる、てどういうことっすか。」

 小さな声で、ヴェルナーがイングリッドに疑問を投げかける。しかし、イングリッドも答えることができなかった。普通は、そのような人間はいないからだ。

「あの。」

 エリアスが手を止め、古代文字がびっしりと書かれた、数枚の紙をラインハルトに差し出した。

「翻訳、お願いします。」

「あ、うん。」

 慌てて、ラインハルトも紙を起き、ペンを握る。ざっと目を通し、ラインハルトはその古代語の文章に舌を巻く。確かに、こちらの方が筋が通る。その様子を見ていたイングリッドも再度椅子に腰掛け、他のペンとインクを取り出し、ラインハルトの翻訳を待つ。

「……俺も手伝うっすよ。」

 一人手をこまねいていた、ヴェルナーがイングリッドの横につく。イングリッドが書く、配合に関する資料を工房の職人たちに直接渡しに行くためだ。

 気がつけば、四人の協働作業になっていた。エリアスが古代文字から古代文字に翻訳し、ラインハルトがそれを現代語に翻訳する。ラインハルトが翻訳したものを読んで、イングリッドが推察し、次に試作するための魔鉱石の配合の割合を書いていく。それをヴェルナーが工房の職人たちのもとへ持っていく。

 イングリッドを待つ途中、ヴェルナーは練武場へ走った。そのうち出来上がるであろう、試作品を実際に触る要員が必要だ。ヴェルナーに声をかけられ、残りの五人の兵士たちも皆、工房へ集まった。

 ――しかし、読めるならもっと早くに言い出してりゃ、お嬢さんたちもこんなに苦しまなかったんじゃあ。

 ひたすら文字を書いているエリアスを見て、ヴェルナーはふと考えてしまう。なぜ、古代語が読めることを言い出さなかったのか。なぜ、古代語の読み書きができて、現代語のそれはできないのか。

 それは、イングリッドやラインハルトも同様だった。彼が一体何者なのか。しかし、問い詰める時間はない。今は一刻も早く、武具を完成させなければならない。



 それから五日ほど経った。

「……おお。」

 ヴェルナーは思わず声を出す。今までずっしりとしていた槍の穂先が、軽くなったのである。そして、威力は変わらない。完成である。

「ちょっとした色の違いで、ここまで性質が違うものなのか……。」

 ラインハルトは、実際に使った魔鉱石の色の違いを比べていた。とくに青い色の魔鉱石に関して、軽量化に問題があったときに使用していたものと、完成品を試作していたときに使用していたものでは、さほど色が変わらない。しかし、少し色の薄く、緑に近い石を採用したところ、重さががらりと変わった。

「青い色の精霊石にはよくあることです。」

 不思議だと呟くラインハルトに、エリアスが話しかける。数本の弓や槍、剣を担いでいる。開発に携わった四十八人で実践的な使い方を参謀に報告するため、練武場に行く準備をしていたようだ。

「青や緑の精霊石のもととなる精霊には、他の精霊石と異なり、数種類います。」

 そのため、若干、色が異なるのであれば、それは別の精霊の力、または精霊が、宿った精霊石である。よってその能力は異なるものとなる。また、これは他の色の精霊石にも言えることであるが、精霊自体が宿っている精霊石と精霊の力が込められた精霊石とで、発揮する機能が異なることがある。

「……エリス、あなた、詳しいのね。」

 エリアスの精霊石への精通した知識を不思議に思ったのだろう。イングリッドが二人の会話に割って入った。ラインハルトも、彼がなぜ精霊石に通じているのか、気になっていた。

「君は、何処でそういった知識を身に着けたんだい。」

「……。」

 エリアスは少し返答に困った顔をする。何かを彼が言おうと口を開くと、工房の外から、兵士のマルクがエリアスを呼ぶ声がした。エリアスは、一旦口をつぐみ、すぐに行きます、と彼らに伝えた。

「……すみません。練武場に行かないといけませんから。」

「え、ええ……。」

 彼への多くの疑念を残したまま、兵士のもとに駆け寄っていくエリアスの背中を二人は見送った。

 それからというもの、ヴォルテンブルグ領やエーデルシュタイン領のあちらこちらの工房に発注をかけ、武具の増産をなんとか間に合わせた。完成した武具は軍に渡され、あとは増員した兵士たちが、実践訓練をするのみとなった。

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