page.12 神聖暦457年 夏(4)
もっともな質問に、なんだ、熊でもそういうことを考えられる頭を持っていたのね、とイングリッドが返す。
ヴェルナーが言い返す前に、イングリッドは、一息つき、びしっと、人差し指をたて、黙らせ、
「魔鉱石って、何だ思う。」
と問を投げかける。ヴェルナーはぽかんとし、
「え、誰もわかってないんじゃなかったんですか。」
と答えた。
医療分野でその力は発揮されているが、事実、それを扱う医者ですら、本当はその鉱石が何なのかわかっていない。これは周知の事実である。
「私はね、魔鉱石は精霊石なんじゃないか、と思っているのよ。」
「精霊石……ですか。なんすか、それ。」
イングリッドはゆっくりと席を立ち、別の机に置かれている様々な色の魔鉱石にそっと触れる。
「北の伝承に出てくる石のことよ。」
昔、北方の地域には精霊使いと呼ばれる者たちがいた。
彼らは隣人である精霊たちに働きかけ、火を起こし、水を涌かせ、風を吹かせた。時には人の命を救い、時には人の時を奪った。
イングリッドは、書物の翻訳を一つ読んでみせた。ヴェルナーは怪訝な面持ちをする。
「……それ、ただのお伽噺ですよね。それに、肝心の石が出てきていないですよね。」
「そうね。私もはじめはそう思ってたわ。でもね、別の文献には精霊石の記述が出てくるようになったの。」
「え、そうなんすか。」
「ええ、先程のよりずっと新しい古文書でね。」
気がつくと、ラインハルトも立ち上がり、イングリッドのそばに歩み寄っていた。そして、
「精霊石というものは、どうやら精霊の力が宿ったもの、もしくは精霊そのものが宿ったものらしいんだ。」
と述べる。
「へええ……。ファンタジーっすね。」
「北の文献の中でも、新しくなればなるほど、精霊たちに働きかける、という文章が見当たらなくなり、その代わり、精霊石に働きかける、という文章に置き換わっていったんだ。」
これらに対し、イングリッドは二つの仮説を立てている。
一つ目は、精霊使いの技術の進歩による変化である。技術が進歩することで、精霊の力を借りるのではなく、石か何かに精霊の力を移す、または精霊を閉じ込めるようになったというものである。
二つ目は、精霊使いが途中で石を発見したというものである。もともと精霊たちは石に力を残す習慣や、精霊が石に入り込むような現象があったが、昔の精霊使いはそれを知らなかった。時代が流れ、そのことに気がついた精霊使いが石の方を使うようになったというものである。
「どちらにせよ、精霊の力やそのものが石に宿っている、という部分は変わらないわ。」
但し、前者であれば鉱石は有限である。今は精霊使いがいないため、石の増産は望めない。
「で、もし魔鉱石が精霊石と同一のものであれば、」
イングリッドを遮り、ああ、そういうことかとヴェルナーが口を挟み、
「……精霊使いが扱っていたように手を加えれば、火を吹いたりできるようになる、ということっすね。」
と得意げに言った。ヴェルナーの言葉に対し、そうよ、とイングリッドは答える。
「……たしかにそうだったら、強力な武器とかできそうっすね。」
「ええ。今やっている開発はそれを実現することを目的としているのよ。」
不敵な笑みで、イングリッドは言い放つ。しかし、ヴェルナーは少し首を傾げる。
「でも、精霊が飛んでるとか聞いたことないっすよ。」
イングリッドは、はあ、と大きな溜息をつく。
「そうなのよね……。時代が後ろになるに連れ、視えなくなる何かがあったのか……。」
しかし、その精霊が視えようと視えまいと直近では何の問題はない。今のところ、魔鉱石が採れなくなったという報告はない。付け焼き刃の軍力増強にはなってしまうが、魔鉱石が改良できればそれで良い。
「兎に角、わたしたちは魔鉱石を精霊石と同じもの、という過程で魔鉱石を改良しているわ。」
そして、その魔鉱石を使って武具の機能をより向上させ、敵勢力に対して差別化を図る。
「早く成果を出して、この茶番劇を終わらせるのよ。」
イングリッドはいつも胸に下げているペンダントをぎゅっと握りしめる。
「…お嬢さん、いつも思っていたんですが、それ、何ですか。」
ヴェルナーはイングリッドの胸元にあるペンダントを指さして問う。
「お守りみたいなものよ。」
イングリッドは静かに答える。イングリッドは辛いときや不安なとき、この石に祈りを込めていた。
「その飾り、石ですよね。見たことないやつですね、なんすかこれ。」
まじまじとヴェルナーはペンダントの飾りを覗き込む。そして、
「……ん、お嬢さん、ちといいですか。」
と訝しげな声でイングリッドに訊ねる。
「……なにかしら。」
「もしかして、これも魔鉱石だったりするのか。」
ざわりと他の兵士たちが、そのような色の魔鉱石、見たことがないぞ、と騒ぎ始める。
「……ええ、たぶん、そうよ。」
イングリッドの言葉に、ヴェルナー達は驚きを隠せない。
「まじか。でも、黒い魔鉱石なんて、見たことがないですよ。」
「私もこれ以外は見たことがないわ。」
あっさりとイングリッドも肯定する。魔鉱石は赤や緑、青と様々な色ものがあるが、黒いものが使われているのは見たことがない。市場で出回っていることもないので、かなり希少なものなのかもしれない。
「そんなもん、何処で手に入れたんですか。」
「貰ったのよ。」
「へえ、何処の誰にです。他のお貴族様とかですかね。」
ヴェルナーの問いに、イングリッドは少し困った顔をする。
「……恐らく違うわ。」
イングリッドの答えにヴェルナーはぽかんとした顔をする。それはそうだろう。毎日身につけているほど大事にしているものをくれた人物が何者なのか知らないなど、考えられまい。
「へ、わからんのですか。」
イングリッドは少し俯き、答えた。
「……かなり小さいときに貰ったから、名前以外覚えていないのよ。」
「じゃあ、名前で探せばいいじゃないすか。」
真っ当な意見にイングリッドは、すでに探したわ、と答える。少し落ち込んだような表情をしている。
「僕も、インガーに言われて探したけど、該当する人に会えなかったんだ。」
イングリッドの肩を抱いて、ラインハルトも答える。
「……そんなに何処にでもいる名前とかだったんですか。」
「そうではなくて、正しい名前を知らないのよ。」
「へ。」
ヴェルナーは困惑した顔をした。
「私、彼の名前を正しく発音できなくて、略して呼んでいたのよ。」
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