page.17 神聖暦457年 晩夏〜秋(1)
夏の終わりが近づいていた。
変わらず、じりじりと太陽は照りつけており、工房の中は蒸し暑い。時折吹く生暖かい風が、汗でびっしょりとした額に吹き付けた。
「ううううん。」
「……うううううん。」
イングリッドは頻りに一人で唸っていた。
「……坊っちゃん。お嬢さん、いつもの、閃き待ちっすか。」
イングリッドの横に腰掛けているラインハルトにそっとヴェルナーが耳打ちをする。
「んん。それに近いけど。今回は壁にぶつかってしまった、という感じかな。」
「壁っすか。」
ラインハルトは心配そうに頭を抱えているイングリッドを見つめる。
「……どうも、武具の軽量化がうまくいかないみたいで。」
武具の軽量化。これが残された課題であった。
威力自体の向上は問題なく進んだ。しかし、重さだけは何をやっても解決できていない。
ラインハルトに他の文献も当たらせているが、老朽化により一部が読めない部分があったり、文献の解釈がどうとでもとれ、悩む部分があったりしていおり、難航している状態である。
いっそのこと、今回は兵士の方の筋力を上げて誤魔化すか、というまさかの兵士からの提案もあったが、兵士への負担を減らしたいイングリッドとしては妥協したくないところである。
仕方ないので、もしもの場合に備えて、取り敢えず、兵士たちが筋力を上げるべく、トレーニングをしているが、イングリッドは諦めたくないと言い、毎日唸っていた。
――まあ、兵士から評価を固定してもらえることはいいことなんだけれどね。
ラインハルトは兵士たちの協力的な態度に安心をしていた。開発の中止の条件に、兵士からの評価が低い場合が含まれているからだ。彼らが積極的にイングリッドの助けになってくれるのであれば、評価をわざわざ悪う書く者もいなくなる。
「インガー、偶には休憩取らないと。」
「……うん。」
イングリッドは、心ここにあらず、といった返事を返す。ラインハルトは溜息を付き、今日も持ち込んできたバスケットから、チョコレートを取り出す。
「ほら、糖分補給。」
「んむ。」
突然、口にチョコレートを放り込まれて、変な声を出してしまう。
「……。」
「……端ないとかは言わないけど、ちょっと、お行儀悪いよ。」
チョコレートを咥えたままの状態のイングリッドの姿に、流石にラインハルトが注意する。
「しひゃたにゃいでしょ、きゅふにくちにひれたれちゃんだかりゃ。」
「……。」
注意をするタイミングを誤ってしまった、とラインハルトは反省する。まさか、咥えながら会話を試みようとするとは思わなかった。言いたいことを言ってから、イングリッドはチョコレートを完全に口の中に入れ直している。口の中に押し込んでから指摘すれば良かった。
「お嬢さん、何おもしろい言葉喋ってるんですか。何語っすか。」
やはり、ヴェルナーがからかいにきた。ごくん、とチョコレートを飲み込んだイングリッドは
「新開発した言語よ。」
とまさかの悪乗りをする。
「……ヴェルナー、今日もエリスは工房に来ないのかい。」
奇人変人たちの愉快な会話に耐えきれず、ラインハルトがエリアスは来ないのかと訊ねる。可能ならば、彼を召喚して、ヴェルナーを引き取ってもらいたい。ヴェルナーとの二人きりの会話は、イングリッドの教育に宜しく無いような気がする。
「……あ――。無理じゃないすかね。」
ヴェルナーの言葉にラインハルトがっくりと肩を落とす。エリアスは兵士の中で一番に幼いにも関わらず、ヴェルナーの暴走を止めることのできる唯一の人間なので、彼の不在はたいへん困るのである。(ヴェルナーは、自分がエリアスの面倒見ているつもりになってるらしいが。)
「なに、今日もエリスは兵士改造計画の主任をやっているの。」
「……兵士改造計画って、君ね……。」
イングリッドの発言にラインハルトは呆れ果てる。
「そうっすよ。あいつ、小柄なくせに運動能力は抜群なうえ、なんだかんだ面倒見いいっすからね。」
武具の軽量化問題の解消をイングリッドが試みているのと並行して行われている、兵士の筋力増強のためのトレーニングは、エリアスが主体で行っていた。
はじめは、ヴェルナーに任せようかと思っていたのだが、教え方が感覚的すぎる上に妙に厳しいため、兵士たちが音を上げて、講師の交代を願い出てきたのである。もう少し熟練の兵士を呼ぼうかとも考えたのだが、それでは予算を超過してしまう為、良案ではない。そこで、お手本を見せることのできる身体能力を有し、比較的わかりやすい説明のできるエリアスに白羽の矢が立ったというわけである。
つまり、彼は、歩兵としての性能試験と槍騎兵としての性能試験、ヴェルナー除く四十六人の兵士の筋肉トレーニング、ヴェルナーの暴走管理を一手に引き受けている、ということになる。十三の少年にそこまで仕事をさせて良いものかと悩んだが、エリアス本人が買って出たので、任せることとなった。
「……それで、なんで熊はここにいるのよ。」
む、とした顔でイングリッドは訊ねる。
「熊はねえですよ、お嬢さん。やるなら、ストライク・ベアーとか、格好良い渾名付けてくださいよ。」
「…………なにそのだっさい渾名。」
ヴェルナーの名付けセンスの無さに、イングリッドが引いている。しかし、イングリッドもあまり人の言えたことではなく、かつて飼っていた犬や猫にアルファ、ベータ、と記号の名前を付けていた。
「兎に角、あなたはトレーニング、参加しなくてもいいのかしら。」
イングリッドの質問に対し、ヴェルナーは腕に力を込めて筋肉を見せつける。そこ筋肉をばしっと叩き、
「そりゃあ、俺はあの重さでも振回せますらね。エリス程じゃあありませんが、弓もそこそこ扱えるようになりましたし。」
と、得意げに言い放つ。
「……。」
そうだった、とイングリッドが黙り込む。ヴェルナーは兵士屈指の筋肉と高身長と運動能力を誇っているのだ。
「……。」
ラインハルトもその事実にがっかりしていた。――エリアスにヴェルナーを引き取ってもらう名目がない。
「んむう。エリスが忙しいから、仕方ないけど、あんたの要約って解りづらいのよね。」
「え、そうすか。」
そうよ、といいながら、評価表をばし、と叩いて見せる。
「ずばーっとか、どばーっとか、ずどーんっとか、感覚的なことばかり言うんだもの。」
へへ、すんません、とヴェルナーが頭を掻く。ラインハルトは、インガー、君もそうだよ、と言いそうになるが、敢えて黙っておく。
ヴェルナーは肉体での天才肌、イングリッドは頭脳での天才肌なのだろう。二人とも、頭、もしくは体で何かを考えているようではあるのだが、彼らの言葉は理解が難しい。はっきり言って、全くと言ってよいほど、凡人には伝わらない。
「はあ……。可愛さがたりないわ。エリス来ないかしら……。」
「呼びましたか。」
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