page.16 神聖暦449年 初夏〜冬(4)

「……お守り。」

 イングリッドはきょとんとする。手の中には、きらきらと光る、綺麗な黒い石。

「そう。これはね、嫌なことや、恐ろしいことから、君を守ってくれる魔除けのお守りだ。」

 顔を上げ、ユオの、顔を見る。優しい、優しい兄のような顔をしている。

「お母さんを失ってしまった君のまわりは、味方ばかりじゃないかもしれない。でも、」

「このお守りが、わたしを、まもってくれるのかしら。」

 ユオはこくり、と頷き、そしてそっと、イングリッドの涙を手で拭う。

「これをあげる。だから、泣くのはおやめ。お母さんを安心して天国へ行けるよう、笑顔で送ってあげよう。」

「……っ。うん。」

 ぎゅっとユオに抱きつく。

 ――おかあさま、わたし、頑張るよ。

「じゃあ、行こうか。」

「……うん。」

 ユオに手を引かれて部屋を出ると、心配して待っていたラインハルトとツェーザルが、イングリッドのもとに駆け寄る。

「インガー、大丈夫かい。」

「うん、ありがとう、ルノー。」

「インガー、おにいさまがついているぞ。」

「うん、ありがとう、ツェーザルおにいさま。」

 そして、遺体の無い棺桶への葬儀は終わり、冬が終わった。

 その翌日になると、ユオの姿は忽然と消えた。



 イングリッドはユオの姿をひたすら探していた。目を覚まし、いつものようにユオが泊まっていた部屋を覗きに行ったところ、姿が見当たらなかったのだ。なんとなく不安になり、ユオからもらったピアスの黒い石をぎゅっと握る。

「ねえ、乳母、ユオが何処に行ったか知らないかしら。」

「……ユオ、ですか。」

「うん。」

 乳母が、困惑した表情をしている。何か良くないことでもあったのかと、焦燥感を感じる。しかし乳母は、

「……お嬢様、どなたですか、その方は。」

 と、逆にイングリッドに訪ねた。イングリッドはぽかんとする。あわてて特徴を説明するも、

「この屋敷にそのような者はおりませんよ。」

 と返された。慌てて、ラインハルトの元に駆け寄り、確認したが、

「ユオって誰だい。」

 と返された。さらには、心配そうな眼差しをして、

「……インガー、葬儀で無茶をしすぎたんじゃあないか。」

 と労るような口調でイングリッドに訊ねる。

「……っ。ちがうもんっ。」

 イングリッドは堪らず、涙を浮かべ、その場を走り去る。

 ……どうして、誰も覚えていないの。

 ……ずっとそばにいてと、お願いしたのに。 

 そして結局、彼を見つけることはできなかった。



「……というわけよ。今じゃあ、私も顔を覚えてないわ。なんせ、七つの時の記憶だからね。」

 ふう、とイングリッドは溜息を付き、続ける。

「まあ、小さかったから、お守り云々は信じたけれど、本当にお守りとしての効能があるのかどうかに関しては、まだわからないのよね。」

 イングリッドはペンダントを握る手を降ろした。

「……。」

「……ホラーっすね。」

 工房を包む静寂を、ヴェルナーの思わず上ずった声が打ち破った。ラインハルトも苦笑いで返し、

「僕もその人のこと、全く覚えていないんだよね。申し訳ない……。」

 と申し訳無さそうに肩を落とす。まあまあ、他の人も誰も覚えてなかったんだから、と気を落とすラインハルトをヴェルナーが諭す。

「しかし、その黒い石が、魔鉱石であるとする根拠は何なのですか。」

「魔鉱石と、同じ特徴を持つのよ。」

「え、特徴とかあるんすか。」

 素っ頓狂な声を上げるヴェルナーを、まるでごみを見るような眼差しで、イングリッドは見据える。

「逆に聞くわ。特徴がないのに、どうやって魔鉱石を採ってきて、医者に売りさばけるのよ。」

「……たしかに。」

 イングリッドは、机の上にある魔鉱石を一つ、太陽の光に翳す。

「魔鉱石はね、夜、月に照らされると光を放つのよ。」

「え、まじですか。」

「あなたは、夜に工房に寝泊まりしたことないから、知らないでしょうね。」

 お嬢さん、寝泊まりしたことがあるんですか、と数名の兵士たちが小さい声で囁きあう。何よ、悪いかしら、とそんな彼らをイングリッドが睨み返す。

「逆に、新月の夜は魔鉱石は色がなくなるんだ。長期間、月の光にあてないと、色が戻らなくなったりするよ。」

 と言い、ラインハルトは魔鉱石を手で覆って見せる。へええ、と兵士たちが驚きの声を上げる。

「……ん。ちょっとまってくださいよ。」

「なによ。」

 ヴェルナーは何かを思いついたような顔をした。

「もしその石の人が周囲に忘れられていなくて、普通にお屋敷務めとかしていたら、お嬢様、その石の人に夢中だったかもしれないですね。命の恩人、お母上との思い出の共有者、そして、イケメン発言。」

 突然、魔鉱石と関係ない話をするヴェルナーに、エリアス含む他の兵士五人が呆れた顔をする。一方で、イングリッドだけは顔を真っ青にしている。

「……っ。ちょっ。何言ってるのよ。」

 慌てて、顔を真っ赤にして否定するも、ヴェルナーはラインハルトに対し、

「よかったっすね、ラインハルトのお坊ちゃん。」

 と肩をたたいて、励ますような素振りをする。イングリッドは慌てふためく。

「ルノー、真面目に捉えちゃだめよっ。ヴェルナーが思いつきで言っているだけよっ。」

「……いや、実は、はじめてインガーから話を聞いたとき、ちょっと妬いたかも……。」

 頬をかきながら、ラインハルトがまさかの告白をする。ラインハルトの発言を聞いて、イングリッドは、真っ青になる。

「え、嘘、ごめんなさい。」

 何かならツェーザルお兄様も妬くんじゃないですかね、と言いながら腹を抱えて笑うヴェルナーの耳を引っ張り、エリアスが

「ヴェルナー、イングリッド様とラインハルト様をからかわないでください。」

 と静かに忠告した。

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