page.09 神聖暦457年 夏(1)


 気がつくと四月ほど時が過ぎ、夏の季節が訪れ、十数日が経っていた。木々は青々とし、風は暖かなものへと変わっていた。空の色が真っ青で眩しいものとなり、日差しもじりじりと暑いものへと変わっていた。

「おおい、エリス。」

 ヴェルナーが大きな声でエリアスを呼ぶ。矢を試しに射っていたエリアスは手を止めた。太陽の光の眩しさに、その銀色の瞳を少し細める。

「なんですか、ヴェルナー。」

「お嬢さんが追加分だと。ほれ。」

 二本の槍をエリアスに向けてほうり投げる。エリアスは片手でそれを受け止めた。エリアスは弓もできるため、異例にも弓と槍、両方の性能試験を担うようになっていた。

「まずはこっちの弓矢の記録を先にやりたいです。」

「おっけー。」

 そう言ってヴェルナーは紙とペンを取り出す。

 ここ四月で、エリアスはだいぶ口数が増え、話すようになった。表情が感情表現に富んでいるかと言われると、そこは変わらずであるが、話しかけられれば、しっかりと言葉を返した。

 そして、そのようなエリアスを兵士や工房の人々はたいそう可愛がるようになった。もともと持ち合わせていた。実際、自分の弟がおなじくらいだ、という者もいれば、息子が同年代である、という者もいた。

 イングリッドやラインハルトも彼を可愛がっており、エリス、という愛称を付けてしまったほどである。今では誰もがエリアスをエリス、と呼ぶようになった。

 さらに、今まで口頭でイングリッドかラインハルトに報告していた、試作品の評価をヴェルナーに代筆してもらうようになった。

「……っふ。」

 エリアスはヴェルナーから受け取った新しい槍を振る。白銀の髪が宙に舞い、槍を持つ腕が艶やかにしなる。厚みはないが程よく筋肉が付いた半裸の背が靭やかに反れる。その肌は、肩のあたりにある火傷を除くと、白磁のように滑らかである。まるで舞っているかのように優美であった。

「しかし、お前さん、出会ったときに比べると、だいぶ話すようになったよな。」

 ヴェルナーが思わず、春と今とのエリアスの態度の違いを指摘する。

「……春は苦手ですからね。」

 エリアスの答えに、ヴェルナーは目を点にしてしまう。いや、それを言うならば冬眠の季節ではないだろうか。人間は獣のように冬に籠もったりはしないから言い訳にはならないことには変わりはないが。

「おいおい、それを言うなら冬だろう。で、本当のところはどうなんだ。俺の人柄に感化でもされたか。」

 エリアスは汗を自らの手で拭い、ヴェルナーの方を向く。

「……秘密です。」

「ちえ、連れないなあ。またそれか。」

 がくりと落胆するヴェルナーを他所に、エリアスは再び槍を振り始める。ヴェルナーは渋々とその場に胡座をかいて座る。

「……。」

 その小さな体の何処からこのような力強さが出てくるのか。エリアスはその小柄な体躯で、彼よりうんと大きく重たい槍を軽々と片手で振り、悠々と美しい所作で体勢を変えていく。

「……っ。おっと。」

 少しバランスを崩しかけ、エリアスが動きを止める。

「ありゃ。怪我とか無いかい。」

「はい。」

  問題ないですよ、と言い、槍を担いだまま、ヴェルナーの横まで来る。すると、かちゃん、という音とともに、エリアスの足元に何かが落ちる。

「おっと、何か落としたぞ。」

 ヴェルナーはその落ちたものを拾い上げた。中に何かいれてあるが、薄汚い、麻か何かでできた、小ぶりな巾着袋である。

「なんだあ、これ。」

「あ、僕のです。」

 慌てた様子で、その巾着袋をエリアスがヴェルナーから取り上げる。よく見ると、腰あたりに付いた紐が切れている。腰につけていたのだろう。

「それ、なんなんだ。」 

「つまらないものですよ。」

 答えをはぐらかし、先程の二本の槍をその場に放る。そして、エリアスもぺたん、とその場に座った。どうも答えたくないようである。ヴェルナーは深入りしないことにした。エリアスはというと、先程まで体を動かしていたため、全身汗だくだ。

「ほれ、お疲れさん。」

 エリアスに汗拭き用の布を渡し、今度はヴェルナーが立ち上がり、肩を回し始める。

 春以降、会話をするようになってから、エリアスの面倒は専ら、ヴェルナーが請け負うようになっていた。エリアスは余計なお世話だ、と跳ね除けるが、まだ十三であるのもあり、つい世話を焼いてしまうのである。

 さらに、これは他の兵士たちもそうであるが、最近は酒場や遊郭に繰り出さなくなった。なんとなく、エリアスの教育に良くないのではないか、と考えるようになったためだ。謎の父性がエリアスの正しい成長優先、という使命を呼び起こしているのである。

「あ、そうそう。エリス、さっきの槍の性能テストの続きをやれるか。」

 ヴェルナーはそう言って、先程の二本の槍をひろう。そして、準備しておいた一般的な二本の槍を空いている方の手で持って見せる。

「……問題ないです。」

 と言い、エリアスはゆっくりと立ち上がる。

「僕が一般兵の役でいいですよね。」

「おうよ。」

 

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