第41話 決着

「「リッドッ!!」」


 ロゼとエミリアさんの叫びが鼓膜に届いた。

 俺は二人の声に答えることができず、その場に膝をついた。

 左手に突然生まれた激痛。

 過去に感じたことがないほどの熱。

 それらが電流のように全身を走り回ると、何者かの咆哮が耳朶を揺らした。


「あああああああああああああああ!!」


 叫びは俺の口から生まれていた。

 痛みと喪失感と恐怖が俺の身体を支配していた。


「ぐ、ぐぅ……う、腕が……」


 左手がない。上腕の途中から先までがなくなっていた。

 離れた場所で俺の腕が転がっている。

 斧で斬られたことは理解できた。

 だが受け入れることはできなかった。

 俺の左手がない。

 その言葉だけが頭を埋め尽くした。

 吐き気を催すほどの痛苦が俺を苛みながら、俺の中に不可思議な感情が生まれる。

 負の感情が押し寄せる中、一条の光が見えた。

 その感情が黒い感情を染めていく。

 と、瞬間的に俺は思った。

 避けないと。

 俺は無意識の内にその場から後方へと飛び退いた。

 その数瞬後、俺がいた場所は戦斧に押しつぶされていた。


「これを躱すか……見事なり」


 言葉とは裏腹に、怒りの形相を浮かべるモーフィアス。

 烈火の如く憤り、顔は鬼のように歪め、赤く染めている。

 奴の腕は完治しているが、体力はほとんど残っていない。

 俺は左手を失い満身創痍。

 だがカーマインは無事だ。

 あと一撃さえ入れられれば俺たちの勝ち。

 しかし、楽観視はできないようだった。


「あ、ああ……あ、ああああ」


 カーマインがわなわなと震え俺を見ている。

 自分を助けた相手が左手を失った。

 その事実に、ショックを受けたらしい。

 彼女は新人で実戦経験は薄い。

 恐らく、すぐに戦いに復帰はできまい。

 俺もこのままだと出血多量で死ぬ。

 残念ながら現時点では回復アイテムや治癒する手段は持ち合わせていない。

 早急に治療しなければ俺は死ぬのだ。

 激しい痛みは今も健在だった。

 俺自身の状況は最悪だった。

 だが俺はそれを無視した。

 意識が持っていかれないように舌を噛む。

 長剣を手に、前に一歩踏み出した。

 それは戦う意志の表れ。


「む、無理だよ! リッド! もうやめて!」

「それ以上、戦ったら死んじゃうわ!」


 ロゼとエミリアさんがこちらへ駆けだそうとする。

 だが彼女たちと俺たちを遮る魔物の群れが、それを許さない。

 俺とカーマインがモーフィアスと戦っている間も、村人たちは魔物の軍勢と戦ってくれている。

 だけどごめん。

 その気持ちは今はいらない。


「邪魔だ」


 俺は呟くように言った。

 ロゼとエミリアさんの優しさも愛情も親愛も友情も、今の俺には届かない。

 俺は。

 最高に高揚していた。

 死にかけで絶望的な状況。

 ゲーム以上の高難易度な戦い。

 こんなものを経験したら、もう無理だ。

 俺の口角がさらに上がる。

 ニタリと笑い、そして高揚を全身で楽しんだ。


「……続けようぜ。モーフィアス」


 俺は哂った。嗤った。笑った。

 あらゆる感情が俺を突き動かす。

 このステージをクリアできれば、他は何もいらない。

 モーフィアスが俺を凝視する。

 奴の表情には初めて戸惑いが見えた。

 俺に向ける感情は僅かな恐怖。

 それは恐らく未知なるものへの感情だった。


「貴様は歴戦の勇士ではない……いで立ち、才覚、所作、技巧あらゆるすべてが凡庸。だが、なぜだ、なぜこうも輝かしく見える!? 貴様は……貴様は何者なのだ!?」

「俺はただのクソモブさ。序盤で滅ぼされるはずだった村のな」

「……なるほど、我は勘違いしていたようだ。倒すべきはそこな女ではなく、貴様だったということか!!」


 モーフィアスが咆哮する。

 同時に奴は俺へと迫った。


「リッドさんッッ!」


 カーマインの叫びが聞こえるも、今はなんの意味もなさない。

 俺はカーマインを一瞥し、そしてすぐにモーフィアスに視線を戻した。

 斧が眼前へと迫る。

 単調な動きだった。

 だが俺は満身創痍で身体はまともに動かない。

 だから避けず、パリィもせず、俺は一歩前に移動し、奴の懐へ飛び込んだ。


「甘いわ!」


 モーフィアスは腕を内側に引き込み、斧の軌道を変化させる。

 斧は俺へと迫り、背に斧が突き刺さった。


「リッドーーーーっ!!」


 ロゼたちの悲鳴が聞こえた。


「幕引きだ」


 モーフィアスの声が頭上から降ってくる。

 俺は体勢を崩し、モーフィアスの胸に倒れ込んだ。

 瞬間。

 俺はニヤッと笑った。


「ふぐっぅっ!?」


 俺はモーフィアスの腹部に長剣を突き刺した。

 最後の力を振り絞った会心の一撃。


「なぜ……い、生きて」

「カス当たりだよ。あんたの攻撃は確かに俺に当たった。けど、傷が浅かったのさ」


 モーフィアスの一部の攻撃に対して、大きく踏み込むとカス当たりになり、ダメージが大幅に軽減される。

 バランスもあまり崩さずに済むため、敢えて受けてから攻撃するという高等テクニックだ。

 奴の最後の攻撃に対して俺は前に踏み込んで背中に攻撃を受けたが、そのダメージは大したことがなかったというわけだ。


「……俺の勝ちだ。モーフィアス」


 俺が力を込めて、さらに剣を深く突き刺した。


「がはっ! ……く、くく、確かに、してやられたわ。だが、貴様の一撃は……無意味。すぐに治癒され……る……?」


 モーフィアスはガクッと膝を折った。

 そしてそのまま後ろに倒れてしまう。


「馬鹿……な、なぜ……だ……選択者の浄化以外で、ダメージを受ける……はず……が」

「無知だな。モーフィアス。例え治癒できるとしても、死ぬほどのダメージを受けたら死ぬに決まってるだろ。あんたの体力はミリだったんだからさ」

「そ、そうか……我は……もう……死んでいるのか」


 モーフィアスは絞り出すように声を出した。

 不思議な感覚だった。

 相手は敵だというのに、やっと倒せたというのに、俺はなんだか妙に感慨に耽っていた。

 怒りも憎しみもない。

 ただ強い敵を倒せたという事実があっただけだった。


「そうか……そうか」


 モーフィアスは何度も自分を納得させるようにそう呟き。


「見事なり……モブよ。楽しかった……ぞ」


 そう言い放ち、目を閉じて息を引き取った。

 モーフィアスの顔に負の感情はなく、小さな笑みを浮かべていた。

 モーフィアスの身体は消えていく。

 同時に、他の魔物たちの身体も消失し、そして。

 地鳴りと共に崩れ森に鎮座している巨大な災厄の足も消えていった。

 災厄の魔物、その一部であるモーフィアスが死に、この地の災厄は浄化された。

 ボスを討伐したのだ!


「ぃぃぃぃぃよおおぉぉぉぉぉしっ!! ヴィィィッィクトォォリィィィーーーッ!!!」


 心の底から叫んだ。

 圧倒的な達成感と喜びが全身を駆け巡る。

 勝った。勝ったのだ!

 ゲームでは決して勝てなかった負けイベで俺たちは勝ったのだ。

 誰も死なせずに勝利したのだ。

 内から広がる嬉しさに俺は満面の笑みを浮かべた。

 そして――倒れた。


「あ」


 視界が暗くなっていく。

 ああ、血を流し過ぎたみたいだ。

 さすがに死ぬかもなと思う中。

 視界に三人の女の子の顔が映る。

 ロゼ。

 エミリアさん。

 カーマイン。

 全員が泣きながら何かを叫んでいる。

 ああ、ごめん。

 もう意識を保ってはいられない。


 でも。

 俺は満足だ。

 こんなに楽しいゲームは初めてだ。

 俺は勝った。

 クリアしたんだ。

 村を救えたんだ。

 ロゼをエミリアさんをそしてカーマインを救えた。

 だからもう十分だ。

 カオスソード序盤で滅ぼされるはずの村は、滅ぼされることはなかったのだから。

 これで俺のカオスソードは終わり。

 そう思った瞬間、ブラックアウトした。

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