第36話 災厄の魔物モーフィアス

 肝心要の防壁が崩れた。

 その上、大量の魔物が現れてしまっている。

 絶望的な状況だった。

 幸い、俺の指示が早かったおかげか村人は全員無事だった。

 しかし、受けたダメージは大きい。

 俺たちは防壁からやや離れた大通りで立ち尽くしていた。


「ま、魔物が多すぎる!」

「こ、これじゃあさすがに」

「お、おお、俺たち死ぬのか……?」


 村人たちの戦意も失われそうになっている。

 先ほどまでの勝利ムードは霧散してしまった。

 それもそのはず、防壁という盾があったからこそ、村人たちは安心していたのだ。

 それがもろくも崩れ去ったのだ。

 希望を失してもおかしくはない。


「う、嘘……こ、こんなのどうしようも」

「わ、わたしたちだけで勝てるの……?」


 ロゼやエミリアさんも顔を青くしていた。

 俺たちはただの村人だ。

 訓練し、魔物と戦い経験を積みはしたが、根本的には戦うような人間ではない。

 及び腰になって当然だ。

 当然だが。

 それを受け入れるわけにはいかない。


「気をしっかり持て! この日のために俺たちは訓練してきたんだろ! 備えはある! 諦めなければ生き残る道は必ずあるんだ! 逃げるな、諦めるな、最後まで戦え! 俺を信じて、ついてきてくれ!」


 俺は必死に叫んだ。

 俺の顔をみんなが見ていた。

 恐怖や不安の満ちた顔が、徐々に生気を取り戻す。

 これは俺への信頼だ。

 そして彼らの積み重ねた経験でもある。

 この五年で俺だけでなく、村人たちも変わったのだ。

 俺の選択と彼らの選択によって。

 恐ろしいほどの地鳴りが断続的に聞こえた。

 モーフィアスが防壁から歩いてきている。

 その後ろから魔物たちが続いていた。

 このままでは数分後、村人たちは蹂躙されるだろう。

 だが、そうはさせない。


「む、無茶だ! 村人があれだけの大軍と戦うなんて無理に決まってる! ここは冒険者であるボクが戦う! その間にみなさんは逃げてください!」


 カーマインが勇敢にも前に躍り出る。

 その姿を見るのは何度目か。

 その心意気はありがたいが、そんな主人公の玉砕前提の作戦を受け入れたくはない。


「魔霊気兵と霊気兵は弓矢で対処しろ! 拒馬(きょば)用意!」


 俺の叫びに呼応し、跳ねるように村人たちが動き出す。

 ある者は弓を構え、ある者は路地から巨大な鋭利な丸太を幾つも重ねた、いわゆる拒馬を運んでくる。

 それは進行を防ぐために使う防御壁だ。

 拒馬の後ろには矢や魔術を防ぐための木板を備え付けている。

 これを置くだけで、魔物たちは進むことが困難になる。


「え? あ、あの?」


 カーマインが狼狽える中、俺たちは構わずに作戦を続行。

 そう、これは作戦。

 すべて事前に準備していたのだ。


「プランBで行くぞ!!」

「オーッッ!」


 村人たちが気勢を発すと共に一斉に矢を放つ。

 それが魔物たちに突き刺さることを確認し、俺は駆け出す。


「おい、君! 手伝ってくれ!」

「え? え!? なに? ど、どうするの?」


 ずっと狼狽し続けているカーマインの腕をグイッと掴んだ。


「あいつを倒すんだよ。俺たちで!」


 視線の先にはモーフィアス。

 巨躯の人型。

 うねった樹木と融合したような見た目をしている。

 明らかに人間ではない。

 奴は災厄の魔物だ。

 シース村襲撃イベントのボスであり、プレイヤーの心を折りまくったことで有名。

 理不尽な火力、わかりにくい動き、緩急織り交ぜた戦い方。

 それはカオスソードの代名詞とも言える戦い方だった。

 チュートリアルボスである崩れ森の主も確かに強い。

 だがそれ以上に、モーフィアスは大きな壁となりプレイヤーの前に立ちはだかったのだ。

 クリア率、なんと20%。

 端的に言おう。

 こいつはヤバい。

 だが倒さねばならない。

 こいつがすべてを破壊する存在なのだ。


 俺はカーマインの手を引き、魔物たちの群衆の先頭にいるモーフィアスと対峙する。

 村人たちの矢が辺りに降り注ぐ。

 もしも俺たちに当たったらと考えなくもない。

 だが、すでにこの状況は想定済みで、味方を射ずに敵を射る訓練もしている。

 絶対ではないが、信頼は出来る。

 矢の雨の中、俺たちがいる場所だけが何も降らない。

 と。


「穢れ」


 モーフィアスがしゃがれた声で呟いた。


「世界は穢れている。ゆえに穢れで浄化し、穢れで混沌へと帰る。カオスの先に、世界の安寧がある。浄化の災厄は来たれり。今こそ、すべてを漆黒に染めようではないか!」


 モーフィアスは戦斧を振り回し、地面に突き立てる。

 圧倒的な膂力と戦闘力を思わせる所作に、俺とカーマインに緊張が走った。


「我はモーフィアス。現世を浄化せし、災厄の戦士。カオスに身を委ねよ!」


 モーフィアスは巨大な斧を構える。

 俺は純白刀を、カーマインは剣を構える。

 喧騒が徐々に小さくなり、無音が辺りを支配する。

 走馬灯のように思い出される五年の記憶。

 そして色濃く蘇るカオスソードのプレイ体験。

 それらが入り混じり、妙な感覚に襲われた。

 まるでゲームをプレイしていた時のように。

 主観的、客観的、鳥瞰的な感覚。

 妙に落ち着いている。

 だが心の奥底にはくすぶった熱があった。


 俺は笑った。

 強大な敵を前に高揚を抑えきれない戦闘好きか。

 高難易度ゲームをプレイし、ワクワクを抑えきれないゲーマーか。

 あるいはそのどちらもなのか。

 俺は溢れんばかりの感情に身を任せる。

 人生は一度きり。死ねば終わる。

 そしてこのボス戦も一度のみ。

 だったら、楽しむしかないだろう?

 不意に視界にノイズが走る。

 それは誰かの放った一矢。

 俺たちとモーフィアスの視界を真っ二つに切り裂くように、矢は落ち。

 そして。

 地面に突き刺さると同時に、三者共に同時に地を蹴った。

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