第13話 チュートリアル戦開始
夜の帳が下りて数時間。
村の中でさえ、松明の光で照らされているだけで、ほとんどが黒に染められている。
松明の光がぽつぽつと点在しており、俺もその中の一つに入っていた。
「どうだ?」
「家には帰ってねぇみてぇだが、夕方前に村を出ていくところを見た奴がいる。多分【崩れ森】に入ったな」
「そうか。厄介だな……夜に入ったらダメってのはエミリアもわかってるだろうによ。それだけ混乱してたのか」
村人と村長、そしてバイトマスターの会話を俺は横で聞いていた。
村の男衆が全員、エミリアさんの捜索をしている。
大半の女性や子供は家に残っているのだが、俺はバイトマスターの手伝いという名目で、村の中を捜索していた。
全員が顔を見合わせ、渋面を浮かべる。
エミリアさんが村にいない。
シース村の北にある崩れ森に入ってしまったようだ。
崩れ森はシース村の魔物討伐依頼を受けたカーマインが訪れる場所だ。
いわゆるチュートリアルが行われるステージである。
だがカーマインにとってはチュートリアルでも、モブである俺たちにとっては死の場所だ。
日中も熟練の狩人しか入ってはいけない場所で、夜は特に危険なため誰も足を踏み入れないくらいだ。
視界が狭い上に、夜は魔物が活発化する傾向にあるためだ。
とにかくそれほど危険な場所にエミリアさんは入ってしまったということ。
恐らく日が落ちる前に森を出られなかったのだろう。
「どうする村長。冒険者に依頼する時間はねぇし、朝を待ってたらエミリアは死んじまうぞ」
「だが村人だけで森に入れば無事じゃすまない。やはり朝を待つしか」
「じゃあエミリアちゃんを見殺しにするってのか!?」
「そうは言ってない! だが――」
大人たちが言い争う中、俺は忍び足で離れた。
彼らの言う通り時間がない。
夜が明けるまでまだ六時間以上ある。
その間、エミリアさんが生きている保証はない。
だが村人たちが救助に向かえば全員無傷で帰ることはできないだろう。
彼らは所詮ただのモブ。
それは俺も同じだ。
だが。
「モブはモブでも、俺はやり込み勢なんでね」
『カオスソード』は何度もクリアしている。
ノーダメージクリアもしているし、RTAの記録もある。
あらゆる設定資料やスタッフのインタビューも網羅しているし、ゲーム内データもほぼ把握している。MODを作ったこともある。
俺はただのモブではない。
ゲーマーのモブなのだ。
俺は松明を一旦消すと、夜闇に紛れて村を出た。
シース村から出たことはほとんどない。
日中であろうと、村外には魔物が徘徊しており、危険だからだ。
村を出る時は大人数人、あるいは護衛を連れていくことがこの世界の常識だ。
月明かりが僅かに照らす道を進んだ。
村周辺は草原になっているが、徒歩で数十分の距離に崩れ森は佇んでいる。
日中に見たことは何度もあるが、夜に近くで見ると不気味さが凄まじい。
恐怖はある。だが俺の頭には情報が入っている。
チュートリアル森と呼ばれたこの崩れ森の地理を、すべて把握しているわけだ。
ゲームと現実では没入感が違いすぎるが。
森の入り口には「危険 入るな」と書かれた看板があった。
俺は意を決し、森の中に足を踏み入れた。
森に一歩入ると、樹木が遮り、月明かりが途絶えた。
俺は腰に携えていた松明を手にし、火打石で火をつけた。
ぼうっと火が灯ると、途端に辺りが明るくなる。
だが明るさのせいでより暗さが浮き彫りになり、数メートル離れた場所の闇が深くなった。
ゲームと同じ状況だが、恐怖心は段違いだった。
だが俺の中に別の感情もある。
興奮。つまりワクワクだ。
こんなに高揚したことは人生で一度もない。
エミリアさんを助けるという目的と、自分が大好きなゲームの中に入っているという感覚、そしてこれから戦いに赴くという夢見がちな思考。
それらが俺を前へ前へと進ませる。
ここでこう考えるプレイヤーもいるかもしれない。
エミリアさんがいなければ、シース村戦イベントで魔物を手引きする人もいなくなるのだから、見殺しにすればいいと。
確かにゲームとして見ていればそういう選択肢もあるかもしれない。
だが俺は一プレイヤーだったとしてもその選択を望まない。
なぜなら悪人でない人間の死を前提としたエンディングは、トゥルーエンドではないからだ。
ゲーマーなら完璧に完全にすべてを救って、微塵の余談も許さないほどの救いをもたらすべきだ。
つまり完全クリアって奴だ。
俺はバッドエンドを回避するだけにとどまらず、トゥルーエンドを目指すつもりなのだ。
だからエミリアさんを死なせはしない。
例え、シース村戦イベントで彼女が村人たちを裏切る未来しかなくとも。
俺は諦めない。
必ずエミリアさんを救い、そしてエミリアさんが裏切らないルートを見つける。いや、作ってみせる。
ああ、そうか。俺の背を押す感情はもう一つあった。
ゲーマー魂だ。
松明片手に森を進みながら、俺は己を律した。
高揚は冷静を欠く感情だ。
一度、落ち着くことが肝要だろう。
まずは装備の確認。
腰に下げた鞄の中に火打石、携帯食料半日分、手拭い、ナイフが入っている。
松明は一本。腰には剣を携えている状態だ。
当然ながら防具はない。厚手の麻の服を着ているだけだ。
現代のように綺麗な麻ではなく、かなり粗雑に編んでいるためゴワゴワしているし、すぐに破れる。
防御力はゼロに等しいだろう。
と、俺は足を止めた。
道が三つにわかれている。
崩れ森はそれなりに広いが、道は簡単だ。
獣道は少なく、大体は舗装されており、奥に入らなければ迷うことは少ない。
奥へ行けば行くほど魔物が強くなり、森の主の場所まで行けば帰るのは困難だ。
もちろん道は知っているが、道中の敵の多さも覚えている。
今の俺が奥へ入れば殺されるだけだろう。
問題はエミリアさんがどこにいるかだ。
地図は頭に入っているが、現実にはメインクエストの指示マーカーなんてないし、目的にあわせて方向を示すシステムも存在しない。
エミリアさんがそんなに奥へ行っているとは思わない。
恐らくは森の手前側。
だが道沿いにいるとしたら自分で帰ってくるはずだ。
エミリアさんが崩れ森に入った時には空はまだ明るかった。
恐らく松明やカンテラは持っていないだろう。
ならば視界が確保できずに動けない状態になっているという可能性が高いか?
あるいは魔物と遭遇してしまい、逃げているとか?
奥ではなく、手前のどこかか?
道沿いなら村へ帰るのはさほど困難ではない。
とすると。
「……ゲームではいけなかった【茂みの中】か?」
ゲームではプレイヤーが侵入できる範囲を制限することが多い。
『カオスソード』でも、森の中では草木が多く茂っている場所は入れず、道なりにしか進めなかった。
この崩れ森もそうだ。
まあ、最初の森だからこそ簡単なステージ構造にしたんだろう。
だがここは現実で、入れない場所はない。
どうしたものかと考えていると、ふと地面に視線を奪われる。
子供か女性の足跡だ。
ぬかるみにくっきりと残っている。
前日に軽く雨が降ったからその名残だろう。
狩人さんは大柄の男性だから、彼の足跡ではない。
とするとエミリアさんの足跡である可能性が高いか。
所々に点在する小さな水たまり付近に、綺麗な足跡があった。
俺は足跡を頼りに先へ進んだ。
道なりに進むと、やがて足跡は一か所で幾つも刻まれていた。
何かあったのだろうということはわかった。
足跡は踵を返したが、すぐに止まり、そして。
「……奥に入ったな」
何かと遭遇し逃げようとしたが戻れずに奥へ向かったらしい。
悠長にしている時間はなさそうだ。
俺は早足で足跡を追った。
茂みの中へ分け入るも、足跡を発見しづらい。
だが木々が不自然に折れていたり、茂みが曲がっていたりしたため、進行方向はなんとかわかった。
進む。進む。
恐怖や高揚は消え去り、ただ目の前の証拠を追い続ける。
そして、聞こえた。
「イ、イヤ……ッ!」
微かな女性の声。
俺は走った。
声の方向へと必死で駆ける。
松明片手に剣を抜き、開けた場所に出た。
「イヤアアアッ!」
視界が開けた瞬間、月明かりに照らされた光景に俺の思考は一瞬だけ止まる。
だが身体は動いたままだった。
左に人型の魔物。破損した鎧や兜を身に着けた、やせぎすの魔物だ。
スケルトンとゾンビを掛け合わせたような見た目をしている。
【霊気兵】だ。
敵は剣を振りかざしている。
右にはエミリアさん。地面に座り込み、後ずさりしていた。
俺は逡巡せず松明を落としつつ、加速する。
霊気兵が剣を振り下ろす。
エミリアさんが目を閉じる。
ガギィンという耳をつんざく金属音が森に響き渡る。
肩に伝わる激しい痛痒。
剣が俺の肩に埋まっていた。
だが鎖骨には至っていない。
全身の筋力を総動員して俺は霊気兵の剣を、自らの剣で受け止めたのだ。
だが状況は最悪だった。
相手は大人並の体格をしているが、俺は十歳の子供。しかもモブ。
だが半年の鍛錬の成果か、何とか耐えることはできていた。
必死で押し返すと、肩から霊気兵の剣が離れていく。
全力と全力がせめぎ合い、力は拮抗していた。
霊気兵は戸惑うことなく振り下ろした剣に体重を込める。
俺は片膝をつきながら叫んだ。
「避けてッ!」
俺の声に反応し、エミリアさんが背後から移動した音が聞こえた。
ズズッと何かを引きずる音が響いたが、背後の気配はなくなった。
視界に入っていなかったが何とか彼女は無事だったらしい。
霊気兵は立った状態で剣に全体重をかけ、俺は片膝をついた状態で奴の剣を受け止めている。
劣勢は明白だ。このままではいけない。
俺は敢えて力を抜きながら、剣を斜めにして、霊気兵の剣を刀身で滑らせつつ、瞬間的に横に転がった。
美しいほどの金属の擦過音が響く中、俺は霊気兵と距離を取った。
よしっ! やっぱり、受け流せたぞ!
『カオスソード』の戦闘システムの中に【受け流し】がある。
敵の攻撃に合わせ防御をすると、敵の攻撃を受け流すことができるのだ。
このタイミングは非常にシビアで、2フレーム以内に入力しなければならない。
当然、先行入力は効かない。
1フレームは60分の1秒だ。
つまり、相当に短いタイミングで入力しなければいけないということ。
ほぼビタ押しというシビアなバトルシステムだが、ゲームだとあまり役には立たない。
なぜなら成功しても、ただ相手の攻撃を受け流すことしかできないからだ。
だが俺は好んでこの技術を使っていた。
なぜかって?
その方が難しいし達成できた時、気持ちが良いからだ。
もちろんここは現実だ。ゲームの世界じゃない。
ゲームのようにワンボタンでアクションができるわけじゃない。
だが今のでわかった。
ここは現実でもあり、ゲームでもあると。
【受け流し】は可能であると。
これは大きな収穫だ。
そして俺の高揚を後押しする出来事でもあった。
俺は霊気兵に向かい構えつつ、背後にいるエミリアさんに話しかけた。
「今の内に逃げてください」
「む、無理……足が」
横目で見るとエミリアさんの足には裂傷が走っていた。
結構な出血だ。
辺りにはそこかしこに血が飛び散っている。
恐らくエミリアさんの血液だろう。
走ることはもちろん、移動も難しいだろう。
つまり。
「こいつを倒さないとダメってことか」
俺は意を決し、霊気兵を睨みつける。
俺の心にあるのはただ一つ。
目の前の敵を倒したいという欲求のみ。
さあ、チュートリアル戦の開始だ。
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