第12話 それぞれの事情を知ったとき

 ここは猪鹿亭。

 夜の酒場は活気に溢れている。


「おい、リッド! 注文頼むわ!」

「はいっ! 喜んでっ!」

「リッド、こっち来て話に付きあえよ!」

「はいはい、喜んでっ!」

「リッド、皿洗ってくれぇ!」

「はいはいはいはい、よろこんでっ!」


 俺は客やバイトマスターの言葉に従い、てきぱきと動き回った。

 すでに働き出して半年程度。

 仕事も慣れたし、客やバイトマスターとも知った仲になっている。

 俺はバイトマスターから受け取った料理をテーブル席に運んだ。


「お待たせしました!」

「来た来た、待ってたぜ」


 嬉しそうに料理を凝視する客を見ると、俺も嬉しくなってくる。


「しっかし、リッドも馴染んだよなぁ! 仕事も真面目にやってるし、大したもんだ」

「俺のガキは、リッドよりも年上なのに仕事をさぼってばっかだぜ。まったくよぉ」

「まさかあの悪ガキが心を入れ替えるとはな。みんな言っているぜ、神様が奇跡でも起こしたんじゃねぇかってよぉ。まるで別人だもんなぁ」

「はは、ありがとうございます!」


 常連客たちが楽しそうに話してくれる。

 俺の心はほっこりしていた。

 ゲームではシース村の人と関わることはほとんどなかった。

 ロゼを中心として、他の村人は少し会話をする程度だったし、人となりはわからなかった。

 リッドもモブとして出ていたが、名前さえ知らなかったし。

 だが『カオスソード』のモブだとしても、彼らは彼らの生活があり、日々懸命に生きている。

 ゲームの中ではモブかもしれないが、俺にとっては彼らは大事な仲間だった。

 だがその仲間に入らない人もいる。


「ちょっと! 仕事しなさいよ!」


 エミリアさんが嫌悪感を露にしながら、俺に叫んだ。

 完全に不機嫌な顔で、虫でも見るような目をしている。

 半年たっても好感度は上がらず、むしろ下がっていったように思える。

 悪童リッド時代よりも、嫌われているとはこれいかに。


「す、すみません」


 一応、客との会話も仕事の内なのだが。

 特にシース村のような狭い村では互いの関係性は密接になる。

 ある程度、親しく話したり、他愛無い会話をするのは必要なことだ。

 もちろん仕事を蔑ろにしてはいけないが、今のところ入店客もいないし、注文も上がっていないし、皿も溜まっていない。

 俺がすぐにやるべき仕事はないのだが。

 そんなことを言ってもエミリアさんの機嫌を損なうだけなので言わない。

 俺は常連客に笑顔でぺこりと頭を下げて、キッチンに戻った。

 すぐさますべき仕事はないが、今の内に少し掃除しておくか。


「おうリッド、ご苦労さん。手すきなら客たちと話してていいんだぞ? それも仕事だからよ」

「あ、いえ、丁度会話も終わったので掃除でもしてます」


 バイトマスターは首を小さく傾げ、フロアに視線を移した。

 バイトマスターの視線の先にはエミリアさんがいる。

 テーブルを丹念に拭いているようだ。

 周りの客たちは、エミリアさんに対してどこかよそよそしい態度だ。

 半年前はあんな感じではなかったのだが。


「……エミリアか?」

「え、ええ、まあ」


 告げ口するつもりはないが、嘘を吐く必要もない。

 ただ「そうです! エミリアさんの当たりが強くて逃げてきました!」とも言いづらい。

 俺の曖昧な返事ですべて悟ったのか、バイトマスターはため息を漏らした。


「おまえがしたことは、まあ村人全員がむかついてたからな。だけどよ、おまえはまだ子供だし、今では真面目に頑張ってんだ。ほとんどの村人はおまえを認めてる。そりゃ当然よ。努力した人間を評価するのは当たり前ってもんだ」

「……ですが、エミリアさんは」

「あの娘にも色々あるからな……ただ、そろそろ素直になるべきだろうよ」

「色々って、何かあったんですか?」

「ほうっておいてよッッ!!」


 俺が質問すると同時にフロアからけたたましい音が生まれた。

 あの声は、エミリアさん?

 バイトマスターと共にフロアに向かうと、常連客とエミリアさんが対峙していた。

 なにやら言い争っている。


「だから、もういいじゃねぇか。目くじら立てる必要ないだろ」

「そうだよ、エミリアちゃん。最近の君は見てられない。もっと素直になれよ」

「俺もそう思うぜ。大目に見てやれよ。今のリッドは真面目にやってる。認めてやってもいいだろ」


 三人の常連客が俺を擁護してくれているようだ。

 口調は優しく、詰問しているというよりもやんわりと説得しているように見えた。

 ただエミリアさんは渋面を浮かべている。

 苦々しい雰囲気から、徐々に苛立ちに変わっていった。


「はぁ? あの悪童がいきなり心を入れ替えたって、おかしいと思わないの? あいつ、やりたい放題だったじゃない! 会うたびにわたしの身体をまさぐってきたんだから! それに、あんたたちにも悪戯したり、物を盗んだりしてたんでしょ!」


 それは本当に申し訳ないと思っている。

 本当に、いや本当に、最低だった。

 過去のリッドが目の前にいたら俺は拳を存分に振るうだろう。

 だが悪童リッドはもういない。

 今いるのはゲーマーリッドだけだ。

 エミリアさんの言葉を受けて、客たちは僅かに気圧されたが、呆れたように嘆息する人が大半だった。


「半年前の話だろ。もういいじゃないか。反省して、償って、謝って、受け入れてもらおうと必死に頑張ってる奴を認めない理由がねぇだろ。子供なんだしよ」


 エミリアさんはピクッと身体を震わせた。


「子供だから……? 受け入れろって?」

「ああ、まだガキなんだしさ。大人が寛容な心で」

「ふざけないでよっ!!」


 激高だった。

 エミリアさんの怒りは酒場内を埋め尽くした。

 すでに店内の客たち全員がエミリアさんを注視している。


「子供だからって、なんで許されるのよ! 頑張ってる? 謝った? だからなに? そんなの当たり前じゃない。なんでよ、なんであいつはたった半年で受け入れられてるのよ! あいつはッ! 村の人たちの優しさに甘えて、裏切って、馬鹿にして、クズみたいなことしてたのにッ! 子供だから? じゃあわたしは? わたしはずっとずっと頑張って、耐えてきたのにッッ!! それでもずっと一人で、のけ者にされて、蔑まれて生きてきたのにッ!!」


 エミリアさんは、まくし立てると外に飛び出していった。

 泣いていた。

 俺は何が起きたのかわからず、呆然とすることしかできない。

 常連客たちは、ばつが悪そうにしている。

 一体何が起きたんだ?

 エミリアさんはなぜあんなに……。

 ロゼが言っていたことを思い出す。

 確か、エミリアさんは十歳の時に、他の村からこのシース村へ一人でやってきたと。

 じゃあ、さっきエミリアさんが言っていたのは前の村のこと?

 追いかけるべきか迷った。

 けれど今は仕事中だし、何より俺が追いかけても逆効果だろう。


「騒がしくして悪かったな! 全員、エールをおごるから勘弁してくれ」


 バイトマスターがニカッと笑いながら客たちに向けて叫んだ。

 全員が気まずそうにしながらも、少し嬉しそうに思い思いに返答をする。

 常連客たちは何やら話しながら、食事に戻っていった。

 俺は彼らのもとへ急いで向かった。


「あ、あのすみません、俺のために」

「あー、いいいい。ただ俺たちが気になっただけだからよ。おまえが気にすることじゃねぇよ」

「そうそう。リッドは頑張ってる。だからそろそろ報われていいはずだからな」

「まあ、エミリアちゃんの気持ちもわからんでもないけどな……それでも、あれはねぇよ」

「もしかして前の村でのこと、ですか?」


 俺の言葉に、常連客たちが顔を見合わせる。


「ああ、知ってたのか。って言っても俺たちも詳しくは知らねぇんだけどな」

「前の村でかなりひどい仕打ちを受けたらしい。エミリアちゃんはまだ子供だったのに、休みも貰えず奴隷みたいに働かされたり、つまはじきにあったり、罵倒されたりと酷かったとか」

「家族もおらず天涯孤独で、結局村を追い出されて着の身着のまま歩き続けて、シース村まで来たんだとか」


 リッドと同じだ。

 両親もおらず天涯孤独だったという点のみだが。

 リッドの場合は、シース村の人たちの優しさに甘えてやりたい放題だったわけで。

 エミリアさんは必死に働いて、いくら報いても認めてもらえなかったのか。

 そうか。

 だから俺を嫌っているのか。

 家族がいないという共通点がある俺と自分の境遇を比べれば、そう思っても当然だろう。

 なぜおまえは恵まれているのに村人たちを裏切るようなことをするのかと。

 なぜわたしは必死に働き、認めてもらおうと努力したのに報われないのかと。

 過去の自分と照らし合わせれば、腹も立つだろう。

 気づけば隣にバイトマスターが立っていた。


「あいつは努力家でな。シース村に来たときは字も書けなかったし、会話もしどろもどろだった。よほどぞんざいに扱われたんだろうよ。真っ当な知識も経験も技術もなかった。不憫に思ってな、俺が色々と教えてやった。あいつは毎日を懸命に生きてたよ。今じゃ、そんな過去があるとは思えないくらいに成長した。性格も明るくなった。けどそりゃ、あいつの努力のたまものだ。最初に会った時とはまったく違う。骨みたいな身体を見りゃ、何があったか想像できるってもんよ」


 シース村は良い村だ。

 だが他の村も、同じように良い村だとは限らない。

 むしろ『カオスソード』の世界は陰鬱で、凄惨で、平和とは程遠い印象だった。

 シース村のような村は少ないはずだ。

 俺はその事実を忘れていた。

 ここは死にゲーであり、ダークファンタジーの世界だ。

 俺は恵まれているというエミリアさんの言葉通りなのだろう。


「リッドには悪いがもう少し長い目で見てやってくれや。あいつも迷ってるはずだからな。おまえらも頼むぜ」

「はい。俺は大丈夫です。その、エミリアさんの気持ちは想像できるので」

「あ、ああ。俺たちも少し言い過ぎたな」

「見てられなかったからとは言えな……」

「帰ってきたら謝ろうぜ」


 俺たちはバイトマスターの言葉にただただ頷くしかできなかった。

 バイトマスターは父親のように大らかな笑顔を浮かべると、キッチンに戻っていった。

 人の気持ちをすぐに変えることなどできない。

 許しを請う場合は特にだ。

 エミリアさんに悪感情を抱いてはいないが、少し焦っていたかもしれない。

 バイトマスターの言う通りもう少し長い目で見るとしよう。

 エミリアさんが帰ってきたら謝ろう。

 そして、俺の気持ちを伝えよう。

 それで余計に嫌われるかもしれないけど、きっと必要なことだ。

 そう思い、俺は仕事に戻った。

 だが。

 閉店時間になってもエミリアさんは戻ってはこなかった。

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