第6話 まずは好感度を上げるところから始めよう

 喧騒で酒場は満たされていた。


「おいっ、クソガキ! おせぇぞ! さっさと皿洗え!」

「はいっ、喜んでぇっ!!」


 怒号がキッチンに響き渡る。

 俺は洗い場で、使い終わった皿を洗い続けていた。

 この世界には石鹸なんて贅沢なものはない。

 水洗いが基本だが、脂っこい料理が乗っていた皿は一際汚れていた。

 そのせいでかなり洗うのが遅れてしまう。

 普通の人ならば。


「ちんたらやってんじゃねぇぞ! 手ぇ抜いたら許さねぇからな! いつ終わるんだぁ!?」

「はい、終わりましたぁ!」

「ああ? まだ終わって……は? 終わったのか?」

「はいっ! 綺麗さっぱり洗い終わりましたぁ!」


 忙しなく料理をしていたバイトマスターが怪訝そうに洗い場を覗いてきた。

 そこに汚れた皿は一切ない。

 当然だ。俺がすべて洗い尽くしたのだから。

 まさか、若い頃やっていたバイトの経験が活きるとは思わなかった。


「お、おう。終わってんな。だからって調子に乗んなよ、クソガキが! 次はフロアで接客だ! さっさと表に行って注文とって来やがれ! 今日のおすすめはわかってんな? ちゃんと勧めて来いよ!」

「はい、喜んでぇっ!」


 俺は駆け足でフロアへ移動する。

 この酒場の名前は『猪鹿亭(いのしかてい)』だ。

 どこかで聞いたことがあるような気がするが気のせいだろう。

 テーブル席が二十とカウンター席十ほどある。

 僻地の村にしては広いが、それ以外に娯楽がないとも言える。

 フロアの客たちは酒をあおり、食事を楽しんでいる様子だった。

 人でごった返すフロアを慣れた様子で動き回る女性が一人。

 編んだ長い髪をたなびかせながら歩いている。

 年齢は十六歳程度だろうか。

 中々に豊満な胸と、細い腰、弾力のありそうな太ももが見える。

 モテるだろうな、という容姿をしている。


「エミリアちゃん、今日も可愛いねぇ。今度、俺と遊んでくれよ」

「あはは、ありがとー。でも無理ー。興味なし」

「だー、つれねぇなぁ」


 彼女は客のナンパを華麗に躱し、大量の皿やコップの乗ったトレーを両手に持っていた。

 流れるような動きでカウンターまでやってくると、ガチャリとトレーを置いた。


「注文入りまーす。エール三つに、ルクル豆のサンド、バメット牛の蒸し焼き一つずつ!」

「あいよぉ!」


 バイトマスターが機嫌よく返答する。

 俺に見せる態度とはまったく違った。

 まあ、俺が悪いのでしょうがないんだが。


「ってか、そこどいて。邪魔だから」

「あ、すみません」


 エミリアさんは面倒くさそうにしている。

 うん、彼女の俺に対する好感度もマイナスに振り切ってるな。

 さっきまでの愛嬌ある顔はどこへやら。

 道端の犬の糞を見るような視線に、俺の背中はぞくっとした。

 このままではいけない。

 バイトマスターやエミリアさんの信頼を勝ち取らなくては。

 俺は入店した客を見つけると、すぐさま駆け寄る。


「いらっしゃいませ、猪鹿亭へようこそ」

「げっ!? 悪童リッドじゃねぇか! なんでここにいんだよ」


 二人の男性は俺を見るや否や、渋面を浮かべた。

 おいおい、過去の俺よ。

 本当に嫌われ者だな。


「今日からこちらで働かせていただいております。お二人ですか? お席へご案内いたします」

「うへぇ、言葉遣いが気持ちわりぃ……」

「笑顔も気持ち悪いよな。マジでやべぇぞあれは……なに企んでやがる」


 席へ案内する道すがら、背後から陰口、いや表口が聞こえる。

 もう悪口が表に出過ぎて、店中に響き渡っていた。

 だが俺は気にしない。

 リッドはクズだったのだから。

 男性客二人は俺を睨みつつも、嘆息して席に座った。


「ってかまともに仕事できんのかよ。どうせ商品説明とかできねぇんだろ?」

「そりゃそうよ。クソガキが仕事できるわけねぇわな。なんかうめぇもんあるとか言えるかぁ?」


 馬鹿にするような態度の男性客二人。

 俺はまったく気にせずに笑顔のまま答えた。


「今日のおすすめはルクル豆のサンドでございます。こちら、なんと期間限定で500ルエンでご提供しておりまして、非常におすすめですよ」

「へ、へぇ、ルクル豆ね……珍しいなそりゃ」

「絶品でございますよぉ」


 俺がニコッと笑うと、怪訝そうにしながらも男性客二人は顔を見合わせた。

 これは心が揺らいでいるな。


「ちなみにエールとセットですと700ルエンで、お安くなります。エール単品ですと一杯300ですので。お仕事の後ですと、余計にエールがおいしいですからね。おすすめでございますよ」

「そ、そうだな、ああ、まあ、そうか。じゃあ、それで」

「はい、喜んでぇっ!」


 満面の笑みでそう言い放つと、男性客二人はビクッとした。


「お、おい、クソガキリッドの癖になんかおかしくねぇか?」

「あ、ああ。あんな丁寧にきっちりと商品の説明できるとか……まるで別人だぜ」


 客二人のひそひそ話を気にせずに、俺は笑顔のままカウンターまで戻ると声を張り上げた。


「五番席のお客様、ルクル豆サンドセットをご注文いただきましたぁ!」

「お、おう。よ、よくやったな」


 俺の勢いに負けたのか、バイトマスターは若干引いていたが、流れるような所作で料理を差し出してくる。


「注文あがったぜ。これを、あー、どこだったか」

「三番席のお客様にお持ちしますね。喜んでぇっ!」

「お、おう。落とすなよ」


 俺はトレーを二つ左右の手に持つ。

 俺は十歳。力も体力もないが、経験はある。

 持ち方によってはかなりの重量まで持ち運ぶことが可能だ。

 すすっ、と滑るように動き、俺は三番席まで料理を運んだ。

 そんな中、客とバイトマスターの怒号が上がる。


「おい、注文! って悪童のクソガキかよ……てめぇ、仕事できんのか?」

「はい、喜んでぇっ! ご注文お伺いします!」

「さっさとこっち来いよ、クソガキがよ」

「はい、喜んでぇぇっ!!」

「おい、クソガキ! 皿が溜まってんだろ! 戻って洗え!」

「はぁぁいっ! 喜んでぇぇっっっ!!!」


 俺は満面の笑顔のまま、仕事をすべてこなした。

 気づけば閉店時間。

 客はいなくなり、残ったのは大量の皿と汚れたテーブルだけだった。


「今日は店じまいだ。エミリアは帰っていいぞ」

「はぁい、お疲れ様でしたぁ。あー、疲れたー」

「おい、クソガキ。てめぇは閉店作業だ。掃除、全部やっとけな。言っとくが店のもんはすべて把握してっからな。一つでもなくなったらクビだ」

「は、はい、喜んでぇっ!」


 エミリアさんが不快さを隠しもせずに、バイトマスターに話しかけた。


「あいつなんで雇ったんですかぁ。マジでうざいし、キモいし……」

「い、いやぁ、なんか必死にすげぇ頼まれてさ。さすがに無視はできなかったしよぉ。まあ、どうせすぐに逃げるって、それまでの我慢だから勘弁してくれや」

「マスターお人よし過ぎ。あんなクズガキほっとけばいいのにぃ。はぁ、じゃあおつかれさまです」

「お、おお、おつかれさん」


 バイトマスターとエミリアさんは俺への悪口を俺に聞かせながら、さっさと帰ってしまった。

 残されたのは俺一人だ。

 たった数時間の仕事だというのに、俺の身体は悲鳴を上げていた。

 初日からこの忙しさ。

 その上、閉店作業まで俺に一人に任せて二人はいなくなってしまった。

 十歳の子供をここまで働かせるとは。


「くっ……ふふっ」


 俺は思わず笑みを浮かべた。

 笑わずにはいられなかったのだ。

 客も店員も俺を奴隷のように扱った。

 その事実に、笑みを禁じ得なかったのだ。

 俺はカッと目を見開き、そして天井を見上げた。


「なんてありがたいんだ……ッ!!」


 俺は感謝した。

 村の人たち全員に。

 なんて優しい人たちなのだと思った。

 だってそうだろう。

 散々迷惑をかけて信頼も評価も地に落ちている俺を雇ってくれた上に、仕事をさせてくれているのだから。

 どれだけぞんざいに扱っても俺を無視もせず、殴りもせず、そこにいることを認めてくれているのだから。

 こんなに優しい人たちがいるだろうか。

 しかも、仕事を任せるというのは相手への信頼があってのものだ。

 最後に釘を刺した程度で許してくれたのだ。

 感謝せずして、どうするというのだ。

 疲労から身体が痙攣している。

 だが俺の心は元気なままだった。


「へ、へへ……やり遂げるぞ、俺は」


 俺は十歳の身体に鞭を打ち、必死で閉店作業を行った。


「ここ汚いな。あ、ここも汚い。もう全部汚いな。掃除してないのか?」


 掃除をしているといたるところに汚れがあることに気づき、俺はすべて綺麗にしていった。


「うお、売上金が合ってないじゃないか。うーん、一度気になると全部気になるな。こうなったら一通り見直してみるか」


 あらゆる仕事をこなし、帰宅したのは三時間後のことだった。

 俺は満足感に浸り、ベッドで眠ることができたのだった。

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