第7話 ロゼはとっても忙しいらしい

 翌日の朝。営業時間前。

 出勤してきたバイトマスターやエミリアさんはあんぐりと口を開けていた。


「おはようございます、バイトマスター、エミリアさん!」


 俺は満面の笑みで二人をお出迎えした。

 二人は呆気にとられた様子で店内に入ると、辺りを見回した。


「これ、おまえが?」

「はいっ!」


 薄汚れていたフロアはピカピカになっており、染み一つない。

 当然、キッチンの掃除も完璧だ。

 昨日とは雲泥の差だろう。


「あ、それと注文票がバラバラだったので全部整理しておきました。あと、売上帳も数字が間違っていたので全部書き直しました。ああ、安心してください。調理場はいじってません。バイトマスターの持ち場ですから、少しでも変えるとダメだと思いまして。それと一応、チラシも作っておきました。それから昨日、お客さんの意見を色々と聞いたので参考にできるかと思って、メモってそこに置いてます。あとは――」


 バイトマスターは注文票や売上帳、チラシ、意見書などをすべて手に取って確認してくれた。

 真面目な顔で読み込んでは、俺の顔をまじまじと見つめるということを何度も繰り返す。


「おめぇ……文字書けたのか」

「え? ああ、まあ、みたいですね」


 この世界の識字率は高い方だ。

 だが十歳の子供が書けるかと言われれば、そこまで書けはしないだろう。

 俺の意識的には日本語を書いている感覚なのだが、なぜかこの世界の文字を書けているようだ。

 ここまでやって俺はようやく気付いた。

 やべぇ、やりすぎたかもしれないと。

 バイトマスターは俺に近づき、ぎょろっと睨んでくる。

 俺は冷や汗を掻きつつ、バイトマスターを見上げた。

 バイトマスターは腕を振り上げる。

 そして俺の肩にぽんと手を置いた。


「仕事始めるぞ、リッド」


 俺は満面の笑みを浮かべ。

 そしていつも通りの相槌を打った。


「は、はい! 喜んでっ!」


 どうやら怒ってはいないらしい。

 俺は内心で安堵し、バイトマスターに続こうとした。


「わたしはあんたのこと認めないから。どうせ、今だけでしょ」


 エミリアさんは俺を蔑視し、奥の部屋へと入っていった。

 バイトマスターも俺を認めてくれたわけじゃないだろう。

 ただ一先ず様子を見てくれるらしいことは間違いない。

 とにかく油断は禁物だ。

 すべては今、ここからスタートするのだ。

 俺はやる気に満ち満ちていた。

 周りの信頼を得て、修行をし、そして魔物の軍勢対策を練る。

 そのために邁進するのだ。


   ●〇●〇


「五十、五十一!」


 俺は木刀を何度も続けた。

 最初に比べて、木刀の形は剣っぽくなっている、さすがに不格好すぎて自分で加工したのだ。

 それに回数もかなり伸びた。

 十歳の割にはよくやっている方だろう。


「五十二、五十三! だぁ、もうダメだ!」


 腕が上がらなくなり、俺は木刀を落としてしまう。

 成長したとはいえ、まだ鍛練を始めて一か月だ。

 まあ、このくらいだろうと思わなくもないが、時間は有限であることを忘れてはいけない。

 俺は腕が痙攣している間、今度はスクワットを始めた。


「一、二!」


 素振りだけでは鍛錬が足りない。

 下半身も鍛えないとな!

 俺はスクワットをしながらも、視界の隅に注意を払った。

 鍛練中、俺は違和感を覚えていた。

 というかもう完全におかしいことに気づいていた。

 茂みの中に隠れているロゼを見つけたからだ。

 鍛練初日から、どうも様子がおかしい。

 リッドの記憶によると、ロゼが俺に会いに来るのは週に一回程度。

 その時に、食料を少しばかり恵んでくれるのだ。

 だが鍛練初日以降、ロゼは数日に一回、会いに来るようになった。

 その度に、食料をおすそ分けしてくれるのだが、段々とその量が増えている気がする。

 しかもいつも俺の顔を見ず、食料を渡すとすぐにいなくなってしまうのだ。

 目が合うとバッと視線を逸らして、脱兎のごとく逃げ出すのだ。

 何かしたのだろうか。

 いや、してただろ過去の俺が。

 つまりロゼはリッドに嫌気が差していたのだろう。

 その結果、俺と会うことを拒絶し始めた。


「十! 十一!」


 太ももやふくらはぎに乳酸が溜まり始める中、俺の思考はさらに先へ進む。

 ふむ、しかしおかしいな。

 ロゼは俺が嫌いだと言っていたし、俺の顔を見るのも嫌になったのだとしたら、なぜわざわざ会いに来てくれるのだろうか。

 しかも食料まで持ってきてくれている。

 これは一体……?


「はっ!? 二十! ま、まさか!? 二十一! そういうことか!? 二十二!」


 足が震え始め、俺の心も震えた。

 そうか。

 なぜ俺は気づかなかったんだ。

 くそ! ロゼはあんなに俺に信号を出し続けてくれていたというのに。

 俺はバカだ。

 ここまで考えて俺はようやく気付いた。

 そう、ロゼは……。

 俺が考えている以上に優しい子だったのだ。


「五十! ごじゅういちぃぃっ!!」


 俺は激情の余り叫び、スクワットを続けた。

 体は悲鳴を上げている。

 しかし心はまだ負荷を求めていた。

 俺の叫びと共に、茂みが僅かに揺れた気がした。

 俺は再び思考の海にダイブした。

 考えても見ろ。

 普通、嫌っている相手に関わろうとするわけがないのに、ロゼは可哀想だからと付き合ってくれていた。

 しかも食料をおすそ分けしてくれていた。

 彼女の両親は俺を嫌っているし、俺と関わるなと言っていたにも関わらず、あの子は家族がいない可哀想な子だからと同情してくれていたのだ。

 そんな優しい子が、俺を嫌っていると言ってしまったのだ。

 きっと自分を責めるに違いない。

 そしてその罪悪感から、ロゼは俺にさらに優しくなってしまったのだ。

 しかしその贖罪の行動とは裏腹に、ロゼの嫌悪感は増していく。

 俺を嫌いなのに、その気持ちがあるせいで罪悪感を抱き、そして更に俺に優しく接してしまう。

 つまり食材は贖罪だったのだ。

 ああ、なんということだ。

 俺はなんて罪を背負わせてしまっていたのだ。

 リッド、俺はおまえが許せない。

 あんなにいい子を、どうしてここまで追い詰めることができる!?


「ひゃくぅぅっ!!」


 俺は限界までスクワットをし続けた。

 足は痙攣し、立っていられず、俺は座り込んだ。

 そして頭を抱え、忸怩たる思いを抱く。

 そうだ。ロゼにもっと優しくするのだ。

 俺の気持ちを伝え続け、贖罪に身を捧げるのだ。

 そうすることでしか、あの優しい子の心を氷解させることはできない。

 俺は震える足に鞭打ち、強引に立ち上がると、ふらふらとした足取りでロゼへと近づいた。

 茂みがひと際大きく揺れたが、構わず進む。

 茂みの前に立つとロゼの可愛らしい頭がひょっこりと出ていることに気づいた。

 頭隠さず、尻隠す。

 愛らしい姿に俺は微笑を浮かべるが、すぐに表情を整えた。


「ロゼ」

「ひゃ、ひゃいっ!? あ、い、いないよぉ。ロゼ、いないよぉ」


 愛らしい返答をしながら、ロゼは茂みに隠れ続けた。

 俺はそんなロゼの優しさと愛らしさに、胸を締め付けられる思いだった。


「前にも言ったけど、俺はロゼを大切な人だと思っているんだ」

「う、うええぇっ!!? た、たた、大切な、ひ、ひひ、人!?」

「そうだ。この世で一番大切な人だ」

「い、一番!? え、ええ、え!? そ、そそ、それって」

「家族だ」


 茂みがけたたましいほどに騒音を鳴り響かせた。

 ロゼが茂みの中で転びでもしたのだろうか。

 ロゼはおずおずと茂みから出てきた。

 体中に葉っぱがついている姿は、悪戯っ子ぽい風貌でなんとも庇護欲をそそった。

 ロゼは顔を伏せながらも、上目遣いで俺を見ている。

 ほんのり頬が桜色にそまっているのは、子供独特の体温の高さゆえだろうか。


「俺はロゼのために強くなりたい、そう言ったと思う。それは本心だ。だから俺は鍛え始めたんだ」

「う、うん……で、でもどうして突然……?」

「俺はロゼの気持ちを知ってるから」

「え!? えええ!? し、知ってたの?」

「ああ、もちろんさ。誰だって気づく」

「そ、そそ、そうなんだ。あ、あたしも、自分の気持ちに、お、驚いてて……ま、まさかリッドちゃんが気づいてるなんて。だってあたしひどいこと言っちゃったし」

「いいんだ。気にしなくていい。全部わかってるから」


 ロゼが目を滅茶苦茶に泳がせる。

 どうやらかなり動揺しているらしい。


「リ、リッドちゃん……あ、あたし」

「ああ、皆まで言わなくていい。ロゼ。俺から言うから」

「……わ、わわ、わかった。あ、あたし、聞いてるから」


 ロゼは小さな手を胸の前でぎゅっと握ると、俺をじっと見つめてきた。

 宝石のようにキラキラと輝く瞳が、俺だけに向けられている。

 なんと純粋で清らかな目だろうか。

 吸い込まれそうになる瞳というのはこういうことを言うのだろう。

 俺は深呼吸し、そしてロゼの目を見つめる。

 そして言った。


「俺のことが嫌いなんだよな」

「う、うん、あたしも……ん? んん??」

「わかってる。ロゼが俺を嫌いなことは直接、言ってくれたし。あれを冗談とは受け取ってないから。俺はそれだけひどいことをしていたし」

「え? あ、っと? うん? あ、あれ?」

「ロゼは優しいから、嫌いだって言ったことを気にして、余計に優しくなってしまったんだと思う。だけど気にしなくていい。俺は嫌われるようなことをしたんだ。だからこれ以上優しくしなくてもいい」

「え? ちょ、ちょっと。これなんの話してるの?」


 俺は戸惑っているロゼの手を優しく握った。


「ロゼ」

「え? え!?」


 ロゼの戸惑いは加速していく。

 ああ、わかっている。

 そう思って当然だ。

 リッドが、まるで別人のように変わってしまったのだから。

 過去の俺は変えられない。

 だから未来の俺を変えるしかないのだ。


「もう、気にしなくていいんだ。ただ俺を見てくれていればいい。これから俺は変わる。もっと成長する」

「も、もう変わってると思うけど……お、お仕事も頑張ってるの見てるし、いつも優しいし」

「え? 見てる?」

「た、たた、たまたま! 前を通った時に見ただけだから! ま、毎日気になって窓から見てるわけじゃないもん!」

「そうか、ありがとう……いや、でも全然ダメだ。こんな程度じゃダメダメだ! こんなんじゃロゼを幸せにできない!」

「あ、あたしを幸せにッ!? そ、それって」

「俺はロゼを幸せにするために、もっと成長しなくちゃいけないんだ。だから、ロゼ。どうか待っていて欲しい。俺が君の隣に立てるくらいに……いや、君の前に立ち、君を守れるくらいの男になるまで」


 ロゼはぽーっとした顔をしながら、呆然と俺を見つめていた。

 目がとろんと蕩けているが、一体どういう心境だろうか。

 ああ、そうか。

 こいつは何を言ってるんだと呆れているのか。

 そう思って当然だろう。

 だが俺は諦めない。俺は邁進し続ける。

 その思いを伝えなくては。


「ロゼ、俺が君を守るから」


 そして魔族の軍勢から村人全員を守る。

 さらに俺自身が死ぬことも避ける。

 バッドエンドを回避すれば、誰も死なないはずだ。


「だから俺の傍に居てくれ」


 そして俺の成長を見守っていてくれ。

 長い時間がかかるだろう。

 だから君には悪いけど、長い目で見て欲しい。


「ロゼ、君が好きだ」


 ロゼは序盤に登場するキャラの上、すぐに死んでしまうが『カオスソード』人気キャラランキングで上位に位置する。

 俺もロゼのことはかなり気に入っていた。

 個人的にはかなり好きだ。

 うん、こういう考えはちゃんと相手に伝えないとな。

 好印象なら特に。言わない理由がないもんな。


「あ、あた、あた、あたっ! あたた……」


 ロゼはしどろもどろになっていた。

 秘孔を突こうとしてるのかな?

 彼女の雪のような肌は次第に朱色に染まり、顔中がトマトのように真っ赤になった。

 頭部に白い煙が上がった気がしたが気のせいだろうか。

 もしかして、俺はまた選択を間違ったのか?


「あ、あ、あああ、あたし、よ、よよ、用事思い出したぁーーーッッ!!」


 ロゼは踵を返すと一瞬にして走り去ってしまった。

 なんという俊足。

 いつものことなから圧巻だった。

 選択を間違ったのだろうか。

 いや、俺の言葉は彼女に伝わったはずだ。

 相手を貶める言葉じゃないなら、きっといい方向へ向かうはずだろう。

 相手を褒めたり、好意を伝えることは良いことだ、と俺は思っている。

 『カオスソード』では選択肢があるし、シナリオの内容はすべて覚えているが、さすがに五年前の過去編までは描かれていない。

 シース村の出来事まではわからないのだ。

 これで正しいとは思うが。

 少なくともロゼや村人に嫌われるより、好かれる方がいいに決まっているし。

 うん、俺の行動はやっぱり間違ってないな!


「それにしてもロゼ……いつも忙しいな」


 用事があるのにいつも会いに来てくれている。

 優しすぎる。そこがまた魅力的なんだろうか。

 シース村イベントはユーザーにもかなり人気がある。それは偏にロゼの容姿と性格によるものだと認識している。

 考えてみればその人気キャラと実際に関われている時点で、俺はかなり恵まれているような気がする。

 切羽詰まった気持ちだったが、もっとこの世界を楽しんでもいいのかもしれないな。

 例え、凄惨な出来事が待っているとわかっていても。

 ここが超高難易度の死にゲーの中だったとしても。


 ロゼに、俺の気持ちが伝わったのかはわからない。

 だが表明はした。

 今後、俺の姿を見てもらい、認めてもらうしかない。

 やれることはすべてやっておく。

 ここはゲームではない。

 人生は一度きりしかないのだから。

 俺は再び素振りを再開した。

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