第4話 気になってた人

 結局、午前の授業はガッツリ眠り通してしまった。


 寝ていたので当然なんだけど、どんな内容だったのか、全然記憶に残っていない。ノートを見せてくれるような友達もいないし、完全に詰んでいる。


 ワンチャン隣の席の綿貫さんに写させてもらおうとも考えたけど、彼女もまた午前中はガッツリ眠ってしまっていたようだ。何故寝ていたのにそれを知っているのかというと、彼女の頬にブレザーの刺繡の跡がくっきり刻み込まれているのを見たからである。


「ふわぁ……ようやく昼休みか」

「ぽぽちゃん、一緒にお昼食べよー」


 大きな胸を逸らして背伸びする綿貫さんに、ふわふわ髪の少女が駆け寄る。


「お、純恋か。つーか、その呼び方やめろっての」

「えー。なんでー? 可愛いからいいでしょー?」

「可愛すぎるから嫌なんだよ。名字で呼べ、名字で」

「綿貫よりぽぽちゃんの方が可愛いからダメー」

「じゃあせめてたんぽぽって呼んでくれよ」

「ぽぽちゃんの方が可愛いじゃん」

「……もう好きにしてくれ」


 あの綿貫さんが完全に手玉に取られていた。まあ、無理もない。あの女子生徒から会話の主導権を奪うことなど、このクラスの誰もにできやしないのだから。


 陸奥純恋みちのく すみれ

 綿貫さんと同じクラスの中心的存在にして、誰に対しても優しい言動とほんわかした空気感から、男女問わずに愛されている我がクラスのマスコット枠でもある少女。

 特に幼馴染みの綿貫さんとは仲良しで、いつも一緒にいるっぽい――と、いうのが彼女と大して仲良くもない俺が持っている情報のすべてである。


 陸奥さんは綿貫さんの前の席を陣取り、机の上にお弁当を広げていく。お察しの通り、そこは陸奥さんの席ではない。席ではないが、昼休み中は陸奥さんに明け渡すことがこのクラスにおける暗黙の了解となっている。席の持ち主も満更でもなかったらしいし、まあ問題はないだろう。


「じゃーん! 今日は卵焼きを作ってみましたー」

「毎日毎日よく作れるな……」

「好きで作ってるからねー。はい、ぽぽちゃんの分」

「ん、サンキュー……って、おい、純恋。ほうれん草が入ってんだけど……」

「うん。知ってるよ? だって私が作ったもん」

「嫌いだって言ったじゃん!」

「私はね、ぽぽちゃんに好き嫌いを克服してほしいんだよー!」

「よ・け・い・な・お・せ・わ・だ!」


 幼馴染みというよりも母娘みたいだった。

 そして、昨日と打って変わって子供っぽい綿貫さんがなんだか面白かった。

 だから、つい小さく吹き出してしまった。


「おい」


 一瞬の間すら置かず、隣から声が飛来した。

 恐る恐るそちらを見ると――綿貫さんが真っ赤な顔でこちらを見ていた。


「今、笑っただろ」

「ワラッテナイデス」

「子供みたいだなって思ったんだろ!」

「オモッテナイデス」

「じゃあ何で目を逸らしてんだよ」

「キノセイデス」

「おっとこんなところに握り拳が」

「すいませんガッツリ思ってたし笑いました!」


 恥も外聞もない完璧な謝罪だった。プライド? え? なにそれ食えんの?


 綿貫さんに肩をつかまれ、前後にがっくんがっくんと揺らされる俺。

 そんな俺たちを見ていた陸奥さんは、不思議そうな顔で会話に割り込んできた。


「二人って、そんなに仲良かったっけ?」

「「え」」


 時が止まる音がした。

 昨日までまともに会話すらしていなかった二人が、まるで元から友達だったかのように振舞うこの光景。そりゃあ不思議に思うだろう。


 綿貫さんをチラ見すると、顔にびっしりと冷や汗を張り付けていた。これはアレだ、どうやって仲良くなったのかの説明に困っている顔だ。

 ここは、俺が一肌脱ぐしかないだろう。今の綿貫さんでは戦力になりそうにない。


「じ、実は……(隣の席からチラ見してくるから)ずっと綿貫さんのことを気になってて……」

「おまっ、いきなり何言って……」

「え……えええっ!? そ、それって……いや、ううん。それでそれで!?」


 何故か陸奥さんがめちゃくちゃ食いついてきたが、構わず続ける。


「昨日、偶然綿貫さんと話す機会があって……で、いろいろ話すようになったんだ」

「ぽぽちゃんが男の人に心を許したってこと~!? へぇ、へぇへぇへぇ!」

「待て、本当に待ってくれ。なんかおかしいだろ、この流れ!」

「いきなり路地裏に連れ込まれた時は、流石にドキドキしたけど……」

「路地裏に!? ぽぽちゃんが連れ込んだの!? ぽぽちゃん大胆!」

「違うから。いや合ってるんだけど、そういうニュアンスじゃないから!」

「ぽぽちゃん……唯野くんのこと、大切にするんだよ……」

「だからちげーって!」


 目尻に浮かんだ涙をハンカチで拭う陸奥さんの肩を掴んで、綿貫さんは悲鳴のような声を上げる。


「唯野も、わざわざ勘違いされるような言い回ししてんじゃねー!」

「え? でも、綿貫さんのことがずっと気になってたのは事実だし……」

「その言葉だけだと、お前が私に惚れ……惚れてるみたいになるだろ!」

「え?」


 綿貫さんの指摘を受け、ちょっと考える。

 ぽく、ぽく、ぽく、ぽく……ちーん。


「あっ、えと……ご、ごめん。そんなつもりは、なかったんだけど……マジですいません……」

「わー。唯野くん顔真っ赤ー」

「……ばかじゃねぇの、お前」


 悪態をつく綿貫さんの顔は、何故か仄かに朱に染まっていた。

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