第2話 同好の士は突然に。
俺は今、路地裏で同じクラスのギャルに壁ドンされています。
「おい、どうしてあの店にお前がいるんだよ……っ!」
見る人が見ればカツアゲにしか見えないこの光景。ぶっちゃけ怖くて漏らしそうだが、最後のプライドがそれを許してはくれていない。
何で俺がギャル―—綿貫さんに壁ドンされているのかというと、それはバイト先から家に帰ろうとしたところを、綿貫さんに拉致されてしまったからである。
「どうしてって、バイトしてるからだけど……」
「わざわざ学校から離れた場所を選んだのに、これじゃあ意味ないじゃねーか!」
目尻に大粒の涙を称えながら、声を張り上げる綿貫さん。
俺は我慢できずに、つい言葉を漏らしてしまう。
「綿貫さんって……もしかして、オタク?」
「…………ちげーよばか」
「え、でも『とあレコ(とある世界の禁忌経典の略称である)』の新刊探してたよね?」
「あ、あれは、その……気のせいだよ、気のせい」
「いや流石に無理があるでしょ……」
「違うっつったらちげーんだよ! 私がそんな、ラノベとか読むわけねーだろ!」
「じゃあその鞄から見えてるレジ袋はどう説明するのさ」
至近距離から漂う綿貫さんのいい匂いに動揺しつつも、彼女の学生鞄を指さす。鞄の中から濃い青色のレジ袋が覗いていた。
「というかレジ対応したの俺だし、今更誤魔化しても意味ないんじゃ……」
「ぐっ……」
彼女も無理があるとは分かっていたのか、気まずそうな顔でようやく俺から離れてくれた。実は彼女の大きな胸が身体に当たっていたので、中々に居心地が悪かったことは秘密である。
綿貫さんは溜息を吐くと、俺に申し訳なさそうに口を尖らせた。
「そーだよ。ラノベとかアニメとか大好きなオタクだよ。わりーかよ」
「誰も悪いとか言ってないけど……でも、いきなり路地裏に拉致られたのはちょっと悪いかな……」
「それは、その……すまん。気が動転しちまってて……」
俗にいう、隠れオタクというやつだろうか。俺は自分の趣味については基本的にオープンにしているので、あまり気持ちは分からないけど。
というか、いつの間にか、綿貫さんに対する苦手意識が消えていた。脳が彼女を同類認識したせいかもしれないな。
「だから……あの、こんなことを頼むのはどうかと思うんだけど、この事は誰にも言わないでほしいんだ。クラスの奴らには、特に知られたくねーからさ」
「うん、別にいいよ」
「拉致まがいのことまでして、虫のいい話だってことは分かって――おい、今なんつった?」
「別にいいよ。わざわざ言いふらすことでもないし」
「…………」
あんぐり、という表現がぴったりだった。
信じられない様子で綿貫さんは俺の方を掴む。
「そ、即答って、何でだよ。黙っててもお前にメリットとかないだろ?」
「メリットデメリット以前に、わざわざ嫌がらせする理由がないし」
そもそもの話、クラスで孤立している俺が「綿貫さんはオタクだったんだ!」と広めようとしたところで誰も信じやしないだろう。それほどまでに、俺はクラスで存在感がほとんどないのだ。
「確かに、そうかもしれないけど……秘密を盾に、私に命令しようとか、そんなことは思わないのか?」
「俺をどんだけ下劣な人間と思っているんですかね」
「だ、だって、エロい同人誌ではよく見る展開で――なんでもないです」
「え、綿貫さんって同人誌とか読むんだ」
「今のは、違う! その、口が滑っただけだ!」
「なにも違わないじゃん」
よーく分かった。
綿貫さんは隠れオタクだ。それも、俺と同じかなりディープな方の。
まさか同じクラスに同じレベルのオタクがいたとは。しかもそれが相容れない存在だと思っていた綿貫さんだったとは。まさに奇跡としか言えない。
「まあ、とにかく、オタクであることを隠してほしいってことなら、俺は誰にも話さないよ。さっきも言ったけど、メリットないし」
「……笑わねーのか? アニメとか興味ねーって顔してるのに、オタクなんだぞ?」
「オタクがオタクを笑うわけないでしょ」
それは、鏡に映った自分を貶すのと何も変わらない。
俺が無害だと理解したのか、綿貫さんは安心したように、ほうと肩を撫で下ろした。
「そうだよな、唯野もオタクだもんな。ははっ、警戒するだけ損だったわ」
「オタクは無害な生き物なので。教室の隅で一人でラノベ読むのが生き甲斐なので」
「知ってるよ。隣でずっと見てたからな」
ずっと見てた。
何の気もなしに口にしたんだろうけど、思わずドキッとしてしまう。
「いっつも『とあレコ』を読んでたから、気になってたんだ。オタクだってバレたくないから声はかけなかったけど」
「意味も分からずチラ見されまくるぐらいなら、声をかけてもらった方が何倍も心やすらかだったかな……」
「……だって、唯野が幸せそうに読書してるから。邪魔すんのも悪いかなって思ったんだよ」
罰が悪そうに口を尖らせ、ブツブツと呟く綿貫さん。
そんな彼女を見ていたら、つい――言葉が漏れてしまっていた。
「あのさ、綿貫さん」
「ん? なんだよ」
「俺のオタク仲間になってください」
「……そういうのって、友達になってくださいって言うもんじゃないのか?」
仰る通り過ぎてぐうの音も出なかった。
だが、これは俺の本音が漏れたもの。訂正するつもりはない。
「俺が友達になるのは、その……綿貫さんにも迷惑になるかもしれないし。でも、オタク仲間なら大丈夫でしょ?」
「どういう理屈だよ」
「実を言うと、俺、友達がおりませんで……」
「知ってるよ。いつもぼっちだもんな」
グサッ、と言葉の刃が突き刺さるが、無視して続ける。
「同級生とオタク談義をするのに憧れてまして……だから、綿貫さんさえよければ、オタク仲間になってくれないかなと……えへ、えへへ……」
「……ふぅーん」
どういう感情なのか、綿貫さんは毛先を指でいじり始める。
いつもクラスの中心にいる綿貫さんに、こんな提案をすること自体間違いだったのかもしれない。
でも、このチャンスを、どうしても逃したくはなかった。
『とあレコ』を推すオタクと仲良くできる、最後のチャンスだと思ったから。
綿貫さんはしばしの沈黙の後、何故か頬を赤く染めながら、俺に言った。
「まぁ、私も唯野と、話したいとは思ってたし……その、なんだ。こちらこそ、よろしくお願いします……」
その日、俺は生まれて初めて、女子と連絡先を交換した。
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