第二話 彼女は「論外だ」と却下する
1
「ふふ、君の香りがするぞ」
歩三は布団に潜りこみ、先ほど二人分の弁当箱を提(さ)げて帰った、彼氏である〈豪馬(ごうま)〉の体臭を嗅ぎとっていた。
彼女のほぼ日課と言ってよい。つまり彼はほぼ毎日、彼女の部屋へ通っていた。
彼女は幸せであった。小・中・高と同じ様に、大学でも彼と一緒に過ごせることにである。
「君には苦労させられたが、それだけの甲斐はあったな」
彼女は顔をほころばせ、また掛け布団に顔を埋めた。
彼と恋人になったあの橋の一件以来、普段の彼女にも表情が現れるようになった。
部屋には彼女の呼吸する音がリズミカルに鳴っている。
――彼女の〈苦労〉。それは高校三年生となってからの一年間、平日は放課後から夜まで、休日は朝から晩まで、ゴールデンウィークも盆もクリスマスも無く行われた教育の労(ろう)を指す。
全ては彼と同じ大学で学生生活を送るためであった。
当時の学力を鑑(かんが)みるに、彼には〈多少の覚悟〉をもって勉強して貰わねばならなかった。
よって教鞭をとり、彼女は鬼となった。
2
「私と君は、あの橋の上で恋人になったのだぞ。離れないと誓いもした。愛している、豪馬。添(そ)い遂(と)げよう。そのためにまずは同じ大学へ進もう」
高校三年生に進級した、その日の帰り道の出来事である。
それまで彼に先行して歩いていた彼女だが、古い橋の二年前と同じ場所にやってくると身体を反転させ、前回同様に彼と真正面から向き合い、そう宣言した。
彼の回答は早かった。
「歩三ちゃんと同じ大学は厳しいと思うよ」
「誓いをどこにやった?」
「心に誓いはしたけども、あれ、俺、それを言葉にもした?」
「君は私を舐めているのか? あの抱擁(ほうよう)は誓い以外の何者でも無いだろうが」
「さすが歩三ちゃん。ちゃんと伝わってた」
「だったらだ。何故『厳しい』などと即答する? 出来る出来ないの話ではない、どうやるかの話だろうが」
「うーん現実的に考えるとね……。それに生涯のスパンで考えたら大学のうちは、どこか歩三ちゃんの大学に近い受かりそうな所で――」
「論、外、だ。私は君と一緒にキャンパスを歩くのだ。これまでと同じ様にいつ如何(いか)なる時もだ」
豪馬、と彼女は続けた。
「共に雪のポプラ並木を歩こうじゃないか」
「ああそう言えば『雪国で暮らしてみたい』と中学生の頃、言ってたね」
彼女ならさらに上を狙えるが、彼女の志望校は一択である。
実は先日、彼女は北海道の旅行雑誌を買い求め、思いを強化したばかりだ。
その土地で思い浮かべる大学生活は、当たり前のように彼も一緒であり、〈同じ大学進学〉という思いも強化されていた。
「その通り。私の思いは変わっていない」
「俺の学力も変わらない」
「やはり、君は、私を舐めている」
彼女は親指と中指で鼻に掛かっているチタンフレームを押し上げた。
位置を戻した眼鏡レンズの向こうで、彼女の目が細められる。
――なるほど上等だ。この一年で君との大学生活を買ってやる。
「豪馬。もう一度言う。同じ大学に来て貰うぞ」
3
「歩三ちゃん、せっかくのゴールデンウィークだし一日ぐらいお出掛けしようよ」
と豪馬が控え目に根をあげた。
彼は彼女から宣言をうけたあの日から、彼女と会わない日はなかった。文字通り、学校のある日もない日も、毎日彼女から特別講義を受けさせられていた。
あの宣言から一ヶ月、たったその程度の期間で彼は弱音を吐いているのではない。
彼には長い付き合いだから判るのだ。だから今からウンザリというより絶望している。
――本気だ。歩三ちゃんは受験のその日まで俺に勉強させる気だ。
「なるほどデートだな。ならばいっそ旅行などしてみようか」
そう提案した彼女は世界地図を広げ、ケッペンの気候区分について授業を始めた。地中海性気候の例として、カリフォルニア州の海岸を映した動画も流れた。
地図の上での旅行であった。
「連休に彼氏と海外旅行とは、一介の高校生にしては出来過ぎだな。ふふ、大学生になったら君と本物の現地へ行こうか」
と言った彼女に、「……うん、行ってみたいね」と彼は観念したように同意を唱えた。
月日は流れ、街中にはクリスマスソングが流れるようになった、らしい。
彼は知らない。
彼の外出が登下校のみになって久しい。
特別講義は一日たりとて、たゆむことはなかった。
本日も彼の自室で教鞭が振るわれていた。外は風があり、寒い日だった。
「とはいえ、少々エアコンが効き過ぎているな。君の横にある、そのリモコンを取ってくれないか」
彼はリモコンを彼女に渡した。
すると彼女は、
「ちょうど良い機会だ」
と言って、カルノーサイクルの授業を始めた。
「こうして現実とリンクさせて学ぶと、知識が血となり肉となる気がするだろう?」
と彼女は彼へ話しかけた。
彼はわずかに首を縦に降ったのみだった。
4
翌年の三月初旬、彼は前期日程での合格を果たした。
彼ははらはらと涙を流して喜んだ。
この一年で、彼は随分とやつれた。
彼の後ろでは歩三が腕組みをして深い頷きを繰り返している。
彼女の艶がかった肌も髪も、この一年でだいぶ荒れた。
二人とも満身創痍であった。
その後、彼女の受験番号も通知サイトに載っていることを確認した。
彼女は顔を上に向け、そこからさらにチタンフレームを押し上げ、
「君との大学生活お買い上げ完了だ。どうだね、豪馬」
と心底嬉しそうに話したが、「……二度と御免だ」と小さく後につぶやいた。
こうして無事、歩三と豪馬は同じ大学へと進学することになった。
5
最近見慣れてきた雪国にある自室の天井を見上げ、この一年間に思いをはせていた歩三だったが、
「さて、お風呂に湯を張らねばな」
と独り言を言って、床にあるマウスとボールペンと葉書と何かを爪先で退(ど)かしてから、ベッドを下りた。
6
昨日と同じく午後六時ごろ、豪馬は二人分の弁当を持って彼女の部屋までやって来た。
徒歩で片道十分ほどだ。雪が完全に溶ければ、自転車を使ってもっと早く着けるようになるだろう。
向かう途中で自転車に乗った人も何人か目撃したが、雪国初心者の彼には真似するつもりはなかった。
「よく来てくれた。さあ入ってくれ」
毎日といっていいほどの来訪にもかかわらず、彼を迎えた彼女は嬉しそうだった。
受験までの一年間が異常だったとは言え、それ以前と比べても逢う時間は減っている。
今は通学も別々であったし、学部も違ったからだ。
「今日も夕飯を作ってきてくれたのか。すまないな」
「どういたしまして」
「君の料理はとても美味しいし嬉しいが、無理はしなくていいのだぞ」
彼には彼女が本心から喜んでくれて、気遣ってくれているのが分かる。
それが嬉しいのも弁当を作る理由の一つだが、他にもあった。
「歩三ちゃん。俺が来なかったときって、ご飯どうしてるの?」
彼は残る理由を質問の形で言葉にした。
「心配には及ばない。ちゃんとバランスを考えて摂取しているぞ。しかしシリコンスチーマーというのは便利だな。鳥のササミとブロッコリーを放り込み、電子レンジにかけるだけで調理が完結する。文明の利器というやつだ。あとはミニトマトを少々だな」
「歩三ちゃんの冷蔵庫には炭酸水とミニトマト、冷凍庫にササミとブロッコリーしか入ってないものね」
「うむ」
「何とかならない?」
彼女が補足しだした。
「いや待ってくれ。味は都度変えているぞ。ケチャップに牡蠣醬油に各種ドレッシング。最近のお気に入りは梅ドレッシングだ。酸味が心地良い。しかしマヨネーズはいかんな。あれは美味しすぎる。肥満のもとだ」
彼はまだ登場していない必須栄養素について尋ねた。
「お米は?」
「炊くのが面倒でな。炭水化物はもっぱらフランスパンで補っている。日持ちするし顎も鍛えられる」
「了解! 俺、これからもお弁当持ってくるね。一緒に食べよう」
「……いま呆れただろう?」
「はいはい。ご飯食べますよ」
不満げな声を出す彼女の頭をぽんぽんと叩き、彼は靴を脱ぎ始めた。
彼女に続いて部屋に入った。
中を見た。
「たまには俺のアパートに来ない? ほら、出来立ての食事をご馳走できるし」
彼の提案に彼女は、
「そうだな。たまになら良いかもしれないが、出来れば来てくれる方が助かる」
と返した。
「そんなに遠くないよ?」
「いや、そうではない。布団に君の残り香があると眠りの質がとても良い」
「なるほど。俺がその日着てたTシャツ持って帰るといいよ」
「君は私を変態だと思っているのか?」
彼は合理的な提案だと思ったが、彼女には不評だった。
そして彼はいつものように、物理と化学と統計学と応用数学の教科書と何かのメモが取られた裏紙の束と数式が書き込まれたA4用紙を挟んだバインダーとコンマ三ミリのボールペンと層をなしたダイレクトメールと爪切りとハサミとケーブルと何かのUSBドングルと無線式マウスとタブレットに場所を譲ってもらい、カーペットに腰を下ろした。
視界の端には二十七インチディスプレイの空箱が映った。その傍(かたわ)らに緩衝材だった発泡スチロールとその欠片も見える。
あのディスプレイは一人暮らしを始めた翌日に購入したはず、と彼は記憶している。
まだそこにあるどころか、寸分も位置が変わっていないことに彼は気付いていた。
(あああっ! 片付けたいっ)
彼は生来の綺麗好きを押さえ込み、テーブルの上のノートとボールペンと2Lペットボトルを端に寄せ、持参した弁当を広げた。
(昨日も同じ場所に座ったはずなのに、なぜたった一日でこうなるのか)
彼には不思議で仕方ない。
昔、二人が実家で暮らしていたころ、彼は彼女の部屋に何度も入った。
――もっと片付いてた。
――確かに本が十冊ほど、床積みされてはいたけれど。
(歩三ちゃんのお母さんとお父さんが頑張ってたんだろうな。それも多分、すごく)
彼は彼女と長い付き合いでいて、ここにきて初めて知った――彼女は全く片付けが出来ない。
なんにせよ両親の監督から解き放たれたいま、彼女の部屋は散らかり放題になっていた。
彼にとって不幸中の幸いは、彼女が生ゴミを溜めない人間だったことだ。有機的な汚れは虫が湧くから、という彼が大いに賛同する理由だった。
彼が部屋の惨状に頭を悩ませている間に番茶を淹れていた彼女は、茶殻の水を切って、ゴミ箱にきちんと捨てた。
「待たせた。さあ君のお弁当をご馳走になろう」
湯呑みを持った彼女は猫のように床を埋める障害物の隙間を縫(ぬ)って、テーブルの前までやって来た。
7
彼はふと思い出して、毛布の中から部屋を見渡した。
「歩三ちゃん。あのシュレッダーどこ行ったの?」
尋ねられた彼女は、彼の左腕を胸に抱いたまま、彼に顔を向けた。
「……ん? 君が設置してくれた場所のままだぞ」
彼は彼女の作業机の脇に目をやった。一人暮らしを始めるにあたって個人情報が漏れないようにと、彼はシュレッダーを彼女にプレゼントしていた。
彼はもう一度、自分が置いたはずの場所に目をやった。
ゴミ箱が見えた。
そのゴミ箱から、紙に分類されるゴミが盛大にはみ出しているのが見えた。
彼らが住む市ではチラシなどを〈雑がみ〉として無料収集してくれる。〈燃やせるごみ〉と分別して捨てていることに、彼は感心した。
しかし、彼には何かが引っ掛かった。溜め込んでいることを度外視しても感心しきれない何かがある。
(違う。あれはゴミ箱じゃない)
気付いた。それは彼が与えた電動シュレッダーであり、その投入口に雑がみが堆積しているのだ。
「あとで纏(まと)めてシュレッダーにかけるつもりだ。一気にやった方が効率的だろう?」
シュレッダーの投入口――つまり雑がみの最下層は膝下で、てっぺんは股下まであった。
「歩三ちゃん。その『あと』はいつ来そう?」
「今日の君は随分と意地が悪いじゃないか」
そう言うと、彼女は口が隠れるぐらいに毛布へ引っ込んで、彼の腕を強く抱いた。
彼はそんな彼女を愛おしく見はしたが、やはりもう一度、ゴミ山へ顔を戻した。
――紙が腰まで積み上がった辺りで雪崩がおきて、だけどそのまま放置される。
という絵が彼の脳内で鮮明に描かれた。
瞬間。
彼の心がすっと細く、冷たく、静かになった。
雑音の無い思考が働く。
――〈添い遂げる〉は既に始まっているのだ。待つ必要はない。彼女には自分の力が必要だ。
(覚悟ってのは妙なところで決まるもんなんだな)
彼は彼女がしがみ付いている左腕を微かに動かし、彼女に合図を送ってから話を切り出した。
「歩三ちゃん。今度の連休に一旦実家に戻ろう。そして俺と歩三ちゃんの両親に話して、一緒に住むことを許してもらおう」
彼がそう言うや否や、彼女は毛布から顔を出してしばらく彼の顔を見つめた後、外していた眼鏡を掛け直し、再度彼を見た。
「同棲とは君も思い切ったことを言う」
いつもより少し目を見開いて彼女が言った。
「しかし、私の部屋はそこまで惨(むご)いかな?」
非難するような言葉とは裏腹に彼女の口角は上がっている。
「自覚しているなら何とかしようよ。でも出来ないんでしょ」
「うむ。出来ない」
「出来る出来ないじゃなくどうやるか、という話じゃなかったっけ」
「十年以上続けて駄目なものにしがみ付くのは賢いとは言えないな。努力はした。結果は出なかった」
彼女は微笑んで「苦労をかけるな」と、彼に口づけをした。
8
「豪馬が私を貰い受けに来た」
歩三と豪馬の両親が一堂に会した彼女の実家の居間にて、彼女が切りだした。
「歩三ちゃん、なんをいきなり……」
「豪馬。これはどういうことだ」
「……んー、そうか」
順に豪馬・豪馬の父・歩三の父と、まず男性陣が反応を示した。
「あと四年か六年か。まだ早い」
「それはお金を稼ぐようになってからよ〜」
次に歩三の母・豪馬の母と、女性陣が感想を口にした。
豪馬と歩三はゴールデンウィークを使って地元に戻った。
事前に彼は「相談があります」と彼女の母親に訪問の約束を取っており、帰ったその足で自分の両親を連れて彼女の家に向かった。
彼女の家は隣のブロックである。玄関を開けて三分で目的地に着いた。
そして今に至る。
お互いの両親は子供たちが友達だということで面識こそあったが、テーブルを囲んだのは今日が初めてである。
「歩三、いつも言っていますがあなたは前段を飛ばす。順を追って説明するように」
歩三の母が娘をたしなめた。
「ああ、そうだな。母さんすまない。まず大前提として私は豪馬と生涯を共にすることが決まっている」
「そうなのか豪馬? ――いや今更という気はするが」
「ほんと今更ですよ〜、お父さん」
「歩三を扱えるのは豪馬君ぐらいだろう。すまないが頼むぞ豪馬君」
「歩三、そこはよろしい。分かり切った事です。で、何があったのですか」
歩三の母が先へと促した。
「どうも私は人並みの生活が出来ていないらしい。それを豪馬が見かねてな。同棲がしたいので許可して欲しい、というのが本題だ。豪馬のお父さんお母さん。これは私の世話をあなた方の息子にさせろと言っているのと同義であり無礼極まりないのは承知の上なのですが、どうか許してくれないでしょうか」
「いいわよ〜歩三ちゃん、うちの子を好きに使って。でも子供はちゃんと社会人になってからね」
「待て待て待て、母さんっ」
「ありがとうございます。なおご安心下さい。そこは細心の注意を払って行なっております」
「ふ、歩三ちゃん!」
「豪馬っ! お前!」
「いや、豪馬君のお父さん。そこは大人として建前上叱るべき所なのでしょうが……まあ、なにを今更といった話で。二人を同じ大学に一人暮らしで送り出した時点で分かっていた事です。ただし歩三、それを口にするのははしたないぞ」
と今度は歩三の父が娘をたしなめた。
その向かいの席では豪馬の父が「なぜだ…私の方がおかしいのか……」と独り呟いている。
「歩三、人並みの生活が出来ていない、とはどういう事です」
「そこは人並みである豪馬から話して貰おう」
いままで置物と化していた豪馬は突然話を振られ少し動揺したのち、淡々と客観的に歩三の一人暮らしの有り様を説明した。
「歩三」「歩三」「あ〜良かった。この子に料理を教えておいて」「……」
豪馬の父が彼女の正体を知って呆気に取られている一方、他の大人たちは落ち着いたものだった。
「そんな訳で父さん母さん、そして歩三ちゃんのお父さんお母さん。歩三ちゃんの一人暮らしが不安で仕方ないので、これは俺のために、歩三ちゃんと一緒に住まわせて貰えないでしょうか」
「豪馬君、迷惑をかける」「豪馬さん、どうか宜しくお願いします」「豪馬、しっかり歩三ちゃんを守りなさいよ」
三人の親たちが了承する中、豪馬の父だけが違った。
「すみません……なんかこの中で私だけがおかしいようなのですが……豪馬、俺はどうしても年頃の男女が、社会人でもないのに一緒に住むなんてことは、許すことができん」
話し始めは言い淀んでいたものの、最後は毅然と言い放った。
結局、折衷案ということで隣同士の部屋を借りることでこの話は決着した。
また晴れて、二人は恋人から婚約者ということにもなった。
9
「まあ、これが落とし所だろうな、豪馬」
「そうだね。引っ越し代金を出して貰えるし。上出来、上出来」
「さあ家探しを始めるとしようか」
実家から戻ってきた二人は早速隣同士が空いている賃貸を調べ始めた。
入居者の出入りが多い時期も過ぎており、条件に合う物件を見つけるのには苦労した。
それでも梅雨時には部屋が見つかり、大学が夏休み中に入居することとなった。
そのアパートは多少築年数が経ってはいるが、内装が綺麗で、防音もしっかりしている。
大学からは北に徒歩二十五分と結構な距離に位置するが、地下鉄の駅も近くてスーパーはワンブロック進んだ所にある。生活の便は良い。
二人の部屋は最上階である八階にあり、角部屋が歩三でその隣に豪馬が入居することとなった。
「素晴らしい見晴らしだな」
「良い所が見つかったね」
「全く、探し回った甲斐があった。それにしても、やはり面白いな」
「何が?」
「この窓だ。今のアパートもそうだが、サッシが二重になっている」
「そうそう、この窓が二つあるやつ。暖房入れても結露しないし凄いよね」
「家を建てるとき、本州でも頼めば設置できるらしい」
「その時はそうしよう」
「うむ」
あとは引っ越しを待つばかりとなった。
10
引っ越しをする一週間前となった。
歩三が「最新ゲーム機を購入した」と、弁当箱を片付けている豪馬にそれを見せてきた。白地に青のラインが差し色となった綺麗なデザインの化粧箱だった。
彼女は重そうに箱を掲(かか)げている。まだ中から筐体を取り出していないらしい。
その存在には部屋に入った時点で気づいていた。
――この一週間で、この部屋の物々を整理しなくちゃいけない時に、また物が増えた……。
彼はそう思っていたが、いま彼女の嬉々とした声を聞き、それ以上に嫌な感じが生まれてきていた。
「たまたま足を運んだ店で店頭販売していてな。抽選販売のみの時はそうでもなかったが、やはり目の前にあると抗(あらが)えないな。私はこういう物は君の家で少しやる程度だったが、いつかは自分で持ってみたいと思っていたのだ。君、初心者は最新機を選んでおくのが無難だろう?」
デジタル物が大好きな彼女である。欲しい物は機会を逃さぬよう躊躇(ちゅうちょ)なく買うところがある。
彼女が嬉々として、本体にHDMIケーブルや電源を接続し始めた。
「うむ。やはり初めての機器を手にする、繋ぐ、電源を入れる、動かす、という行為は何度経験しても垂涎(すいぜん)ものだな」
二十七インチディスプレイに起動画面が映し出された。
彼の嫌な予感がますます強くなっていった。
彼女はゲームにハマり込んだ。
遅々として彼女の荷造りは進まない。
明後日の朝に引っ越し業者が荷物を取りに来る、という状況になって初めて彼女が焦り始めた。
一方の彼は、彼女が慌て始めるまでを辛抱強く待っていた。
ただの家政婦になるつもりはない。生涯の伴侶として、少しは人並みになってもらうべく教育を彼は開始していたのだ。
彼女が白くなった顔を彼に向けた時、彼は軽く彼女に頷いて、それから壁に立てかけてあった段ボールに組み立て始めた。
「豪馬……その、見捨てないで、くれ」
「馬鹿なこと言わないの。はいはい、ちゃっちゃと手を動かすよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます