六人目『ひとこと余計なお嫁さん』

前編『露木葉子の場合』

「相手によって態度を変えることなく、自分の思ったままをきちんと話せる、これって大事なことよね」


 天使の笑みを浮かべてミス・ミスティはこう告げた。

 思ったままをきちんと話せる、わたしにはできないことの一つだ。ちなみにミスティさんの今日の服装は、フルレングスの黒いレザーワンピースだ。なんというか体の線が出過ぎていて、目のやり場に困る。


「でも普通はなかなかできない。そういうことが自然にできるって、その人のキャラクターとか持ち味みたいなもの」


 それから手に持っていた鞭をクルクルとまわし、紐になっている部分をだらりと床に垂らした。それはフローリングの床の上で大人しい蛇のように伏している。それからミスティさんは右手を高く上げ、ゆっくりと鞭を回し始めた。蛇もまたゆっくりとミスティさんの周りをメリーゴーランドのように廻りだす。


 あ。これはまた何かやばい雲行きだな……と思いいつつ、わたしはやっぱり思ったことを口に出せないタイプだと再認識する。


「でも一歩間違えばそれは『毒舌』っていうのよね。相手の気持ちを考えず、その場の空気も考えず、自分は言ってスッキリするかもしれないけど、相手にとってはたまらない、ただただ毒でしかなくなる」


 ぐるぐると回る鞭が毒蛇のように見えてくる。鞭打つ方はただの快感、打たれる方は痛みだけ。それにしてもずいぶんとブンブンと振り回している。大丈夫だろうか?


「一番肝心なことは、一度口から出た言葉は戻すことができないってこと」


 ゴクリと唾を飲み込む。そう。一度でも言葉にしたら、それはもう取り消すことはできない。後戻りはできない。


 わたしはずっと言葉にできない思いを抱えていた。わたしの父親が殺人者であったこと。そのおかげで誰からも恐れられ、軽蔑され、父と同じく殺人者になると思われて、まともな生活ができなかったこと。ミスティさんに雇われて、初めて人並みの暮らしができるようになったこと。

 わたしはそのすべてをずっと胸の奥にしまったままだった。

 いつかは本当のことを言わなければいけないと思いながら。


「さて。いよいよ練習の成果を見せる時が来たわね。見てて。いまからこの鞭で机の上のキャンドルの火を消すから」


 机の上にはアロマキャンドルの炎が静かに揺れている。標的はかなり小さい。的を外したら、ろうそくが吹っ飛んで、火災になる危険だってある。まぁわたしに当たることはないだろうが、火の行方だけは慎重に見極めないと……

 

「行くわよ! えいっ!」


 ミスティさんはブンブンと最後にさらに勢いよく鞭を回し、えいっと掛け声とともに鞭を振り下ろした……が、鞭はどこにも当たらなかった。それどころかミスティさんの体にしっかりと巻き付いていた。あまりに艶めかしい姿だが、同時にからめとられたその姿に吹き出しそうになる。笑っちゃだめだ……笑っちゃだめ。


「ちょっと、手伝ってもらえるかしら?」


 自分で自分を縛り上げたミスティさん。よく自分でこんなにきっちりできるものだな、と思いつつ、少しドキドキしつつ、身体に絡みついた鞭をほどいてゆく。


(そうか、今月最後の回収は露木葉子さんか……)


 たしか専業主婦。ご主人とその両親と同居しているとか。愛嬌があって性格も明るいのだが、とにかく義両親との喧嘩が絶えないらしい。わたしから見る限り、その原因の一つは彼女のあけっぴろげなトークにあると思う。まぁ根は悪い人ではないんだけど……とにかく口が悪いし、悪いと思ってないからよけいに始末に負えないのだ。

 

 かくしてわたしは憂鬱をずるずると引きずりながら、今日も顧客のもとに足を運ぶのだった。


 

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