後編『露木葉子の支払い』

 今回の顧客、露木葉子さんの家は都心から少し離れた住宅街の一角にある。外壁はレンガを模したタイル張り、おしゃれな出窓の並ぶ洋風なたたずまいと、狭いながらも庭があるこじんまりとした家だ。車が二台止められるガレージもあるが、今は車は止まっていない。


 わたしは一つ深呼吸をしてから、ドアベルを鳴らす。と、すぐに玄関の扉が開かれ、露木葉子さんその人が姿を現した。ふっくらとしたベージュのスカートに紫色のニット、フリルのついたエプロンをしている。


「あら、いらっしゃい。思ったより早かったわねぇ、いえ、いいのよ。ただね、人様の自宅を訪ねるときは5分程度遅れるのがマナーなのよ、知らなかった? まだ若いもんね、いくつだっけ?」


 玄関を開けるなり始まったマシンガントーク。マナーを説くわりに、玄関はとっ散らかっており、少なくとも客を迎える体制には程遠くみえる。まぁ確かに客ではないのだが。

 おっと、年齢だった。


「28です」

「あら、思ったより若いのね、30代いってるかと思ってたわ。ごめんなさいねぇ。でももう少し髪とか肌とか手入れしたほうがいいんじゃない? ちょっと不健康そうに見えるから。ご結婚はされてるの?」


 まったく悪いと思っていない『ごめんなさい』が自然に聞こえてくる不思議。


「いえ、そういうのはちょっと」

「だと思った! 彼女もいないんでしょ?」

「ええ、まぁ、はい」

「やっぱり! 若いんだから、積極的に出会いを求めていかなきゃだめよ。って、うちの娘にもしょっちゅうそう言ってるんだけど、なんていうの? 草食系? とにかく淡白なのよねぇ、今の若い子って。それにほら、最近アレ言うでしょ? 『知らんけど』って、最後につけるでしょ。あたし、ああいうのが良くないと思うのよ。自分は関係ないってそういう態度がね。まぁ若い人の事はよく分かんないけどねぇ」


 最後のソレ、『知らんけど』と同じ意味ですよね? と言いたいところはグッとこらえる。この手のタイプは逆らってもいいことがないのだから。


「あの、今日は回収に来たんですが……」

「分かってるわよ。いくら仕事だからって、そういうの玄関先で話すモノじゃないわよ。アタシじゃなかったら怒られてるわよ。ま、とにかく入って入って」


 今の今まで玄関先でマシンガンぶっ飛ばしてたからですよ、とはやっぱり言えない。それから促されるままに玄関で靴を脱いで、居間に案内された。と、そこにはお爺さんとお婆さんがソファに座り、テレビを見ているところだった。


「あら、葉子さん、お客様?」

 と、お婆さん。事前に調べた情報によれば、こちらは葉子さんのダンナさんのお母さんだ。隣にいるのはそのご主人だろう。


「妹のとこの社員さんなの。大丈夫、浮気とかの調査じゃないから」

 あっけらかんと笑いながら葉子さん。気づいたかどうかは知らないが、二人が一瞬顔を曇らせたのが分かった。なのに、葉子さんは追撃する。

「大丈夫ですよ、あの人浮気するような顔じゃないし、甲斐性もないから!」

 と、ダンナの親に平然と言ってのけ、実に楽しそうに笑った。


「葉子さん、妹って?」と聞いたのはお婆さん。

「ああ、実の妹じゃなくて、なんです。あのボケナスにはもったいない、すごくいい妹なんですよ」


 あ。悪いこと聞いたな、というのがお婆さんの顔にもはっきり出ている。が、葉子さんはやはりあけっぴろげな笑みを浮かべている。そんな空気に耐えきれなくなったのか、二人の老人は階段を上がって自室に引き上げてしまった。


(そうか、ミスティさんと葉子さんは親戚だったのか……)


 その情報は知らなかった……ミスティさんのダンナさんが亡くなっていたということも。そういえばこれまで会ったことがなかったのだ。ただ薬指にいつも指輪をつけていたから、結婚している人だなというのは分かっていたけれど。


「さて、今月分だったわね。もうホントの臨時の出費でさ、助かったわよ」

「何の出費だったんですか?」


 普段だったらそんなことは聞かない。それは顧客のプライバシーにかかわることだから。それに何のためにお金を借りるのか、とか、借りたお金を何に使ったのか、というのは商売柄あまり立ち入らないようにしているのだ。理由は簡単、情が移る可能性があるからだ。

 だがこの人と話していると、こちらもついつい余計なコトを話してしまうのだ。


「実は探偵を雇っていたのよね。あ、もちろん浮気調査じゃいなわよ。ウチのダンナ、それだけのお小遣い渡してないからね。一日500円じゃ浮気なんてできないでしょ? イケメンならともかく、ウチのダンナはそう言うタイプじゃないしね」

 そう言ってまた豪快に笑った。

 ちょっと旦那さんに同情してしまう。


「実はね、ずっとある人を探してもらってたの。陽介くん」


 あれ? わたしは名前を名乗った覚えはなかった。


「あなた御子柴陽介くん、でしょ?」


 不意に背中に冷や汗が流れる。

 これまで誰にも隠してきた名前だから。


 ああ、とうとうばれてしまった……またここから離れなくちゃならない。この仕事、初めてついたこの仕事、気に入っていたのに。ミスティさんや、お客さんたちみんなの事も好きだったのに。また全部にサヨナラしなくちゃならないのか。


 でも仕方ない。あきらめるしかないのだ。

 それが父のしでかしたことだったし、父が背負いきれなかった罪は、息子であるわたしが背負わなければならないのだから。


「……そうです。わたしは殺人の罪を犯した御子柴明夫の息子です」

「あたしの旧姓は霧中葉子。殺された霧中勇作の姉よ」


 冷たい血が心臓にドっと流れ込み、思考までもが凍り付いた。

『霧中勇作』それはまさに父が殺した人の名前だったからだ。


 こんな時に何を言えばいいのだろう?

 謝ればいいのか? 土下座すればいいのか? 泣けばいいのか?

 それで罪が許されるとでも?

 亡くなった霧中さんがよみがえるとでも?


 だめだ。なにもできない。何の言葉も出てこない。

 この人の前でどんな顔していいかもわからない。


 ぐちゃぐちゃになりそうだった。

 このまま消えてしまいたいと思った。


 その時、葉子さんのささやきが聞こえた。


?」


 予想もしていなかった言葉にハッと顔を上げた。

 葉子さんは涙を浮かべて寂しそうに微笑んでいた。


「あたしはね、この感情をどうしていいのかずっと分からなかった。でもミスティちゃんがこうしてあなたを連れてきてくれて、あなたの顔を見て、ようやくこの感情を流すことができたみたい。うまく言えないんだけど……へんね……いつもは毒舌なんて言われるくらいおしゃべりなのに」


「わたしもあなたになんて言っていいのか分かりません。謝罪したいのに、どんな言葉も足りなくて、あなたをさらに傷つけそうな気がして」



 そうだ。そして葉子さんがわたしの気持ちを理解してくれたことに感謝の涙が止まらなかった。葉子さんの方がもっとずっとつらいはずなのに。だからもう十分な気がした。少なくともわたしの気持ちには整理がついた。

 その瞬間、すべてにサヨナラする覚悟ができた。


「……あのね。ウチの弟はいつもボーっとして呑気で頼りない弟だったんだけど、最後の最後にアタシたちみんなにが残らないようにしてくれたのよ。あなたの顔を見て、やっとそれが分かったわ。だからね、今月の返済はしないわ。来月また回収にいらっしゃい」


 葉子さんはそういうと頬に流れた涙を指で拭った。

 わたしは混乱していた。どういうことなのだろう?

 許されるわけではないのは当然分かっている。

 でも来月また回収に来いと言っているのだけは理解できた。

 それがどれだけうれしい言葉なのか、葉子さんには分からないだろうけど。


「……わかりました。ではまた来月回収に伺います」


 わたしはそれしかいう事が出来なかった。

 声が震えるのを止められなかった。

 涙が溢れるのを止められなかった。


「悪いわね! じゃあまた来月! ちゃんと髪切ってこないとだめよ。イケメンにしてこないと家に入れないんだから」


「はい。髪切って、また来月トリタテに伺います」


 玄関の扉を閉めて帰り道につく。




 

 

 

 

 ~エピローグに続く~

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