後編 『雲居惣治の支払』
やってきたのは古びた古本屋さん。商店街のはずれにある、おそろしく年季の入った本屋さんだ。今回の顧客『雲居惣治』はここの店主である。
「お仕事中に失礼します。今月の集金に伺いました」
と断りを入れたものの、客は一人もいない。つまりは仕事中でも何でもない。そして店主は店の奥で頬杖をつき、片手に文庫本を開いて大きなあくびをしていた。
「やぁ、もうそんな時期か、すっかり失念していたよ」
本を閉じ、カウンターで寝そべるでっぷりした猫を床におろし、雲居惣治はわたしと正面から向かい合った。背は高いが絶妙な猫背、寝癖のついた当たり障りのない髪型、いつも眠そうな二重がなんともだらしない印象を与える。
「今月の支払いがまだでしたので、直接お伺いさせていただきました」
「わざわざすみませんねぇ。でも見ての通り、今月も売り上げがかんばしくなくてね。一か月伸ばしてもらえないかな?」
「先月も、先々月もそう言ってましたよね?」
「え?そうだったっけ?」
なんて言いながらナハハと頭を掻いて笑っている。
借金取りが来ているという緊迫感がまるでない。まぁわたしのキャラクターのせいでもあるのだろうが、まったく呑気なものである。呑気と言えば、猫がすでにわたしにまとわりつき、スラックスにべっとりと背中の毛をこすりつけている。
「今月こそちゃんと払ってくださいよ。わたしだって仕事なんです」
「だよねぇ、仕事しないで済むならそれが一番なんだけどね」
いや、あなた見てるとまったく仕事してるようには見えないんだけど……というのは心にとどめておく。はぁ、なんか胃のあたりがチクチクしてきた。
「なんかもう少しお店工夫した方がいいんじゃないですか?もっと売れるように陳列を変えるとか、仕入れを変えるとか?」
「だめさ、ネットがこれだけ普及しちゃってるだろ?この店の在庫くらいじゃ太刀打ちできないんだよ。それに配送までやってるだろ?こんなのもう、勝ち目がないよ」
「勝つ気あったんですか?」
わたしの質問にオッサンはしばらくポヤンと天井を見上げる。
「いや、考えてみればなかったね、ハハハ」
と、その時だった。
「すみません!この本はいくらですか?」
と、若い男が駆け込むようにして店に入ってきた。
箱に入ったやたらと分厚い本で、なにかの辞典のようだった。
「ああ、それね。値段入ってなかった?」
「はい、確認したけどありませんでした」
「まぁ珍しい本だからね、それ」
「はい、まさかここでこの本が見つかるとは思ってませんでした」
「愛好家がいるからね、ずいぶんと昔に買い取った本だな、当時で一万円くらいだったかなぁ、もう絶版になったしね」
「で、いくらなんです?」
それから雲居惣治はわたしをちらりと見た。
この代金で三か月分の支払いをするつもりらしい。
「……九万円……」
お客さんには聞こえないようにそっと囁く。
オッサンはやはり見えないように小さくうなずいた。
「二十九万円。消費税込みでいいよ」
「ぐっ……思ったより高いですね」
「そう思うかい?ここで買えなかったら、もう二度と巡り合うことはないよ」
「ちょっと考えさせてください」
そういうと青年はくるりと背を向けてスマホの操作を始めた。タッチするたびになにやらブツブツつぶやいている。「あ!」それからちょっと声を上げた。
「わかりました。カードは使えますか?」
「悪いけど、うちは現金だけなんだ」
「ちょっとおろしてきます。取り置きはできますか?」
「もちろん。ちゃんと取っておくよ」
青年は本を店主に預け、おそらく銀行かコンビニを目指して走り出した。
オッサンと二人きりになったところで、わたしはくるりとオッサンに向かい合う。
「ぼったくりじゃないですか?」
「だってキミは九万円いるんだろ?オレは今月の生活費の二十万が必要だし」
「だからって、そんな値段の付け方は」
「それなら大丈夫。あの本にはそれだけの価値があるんだよ。キミには信じられないかもしれないけどね、あの本はファンタジー小説を書く人間にとって聖書のようなもんなんだ。実際プロになった作家のほとんどが所有している。そして手元に残して、決して売らないんだ」
「それにしたって、なんかテキトーじゃないですか?」
「まぁ今度ネットで調べてみるといいよ。どこも在庫なしだけど希望価格は五十万円で表示されているはず。ま、ここまでくるとさすがに高いと思うけどね」
「そうなんですか?」
「ああ。これでも良心的な価格なのさ」
まったくネットなんて気にしてないと思いきや、むしろしっかり利用しているなんて意外だった。この外見と態度からはまったく想像できなかった。
「ちなみに店頭にあるのはそんな本ばかりだよ。たまにああして売れるのさ」
やがて青年が戻ってきて、現金で支払いを済ませていった。
わたしはそのうちの九万円を回収し、茶封筒にしっかりとしまい込む。
「いいタイミングでしたね」
「そう思うかい?」
雲居惣治はそう言ってニッと笑った。まだなにか裏があったのか?このタイミングで売れることは彼の手の内だったというのか?そんなことを思わせる不敵な笑み。
それから彼は店を出ていくわたしの背中にこう問いかけた。
「なぁ、どうしてミスティーさんはオレみたいな男に金を貸しているんだと思う?どうしてキミを、ガラにもない回収人として雇っていると思う?」
「え?」
わたしは薄暗くなってきた店内を振り返る。
「考えたことなかったかい?」
雲居惣治はカウンターに両手をついて目を覆い隠し、その表情をうかがい知ることはできない。
わたしはなんと答えるべきか分からなかった。
そもそも考えたことすらなかったのだ。
だが確かにそうだ。
何かがある。
この仕事の裏には何かが隠されている。
ミスティさんのこと、わたしのこと。
わたしはそれを幸運だと思っていた。
ただの運命みたいなものだと考えていた。
「そう暗い顔をするな、世界にはやさしさと善意が確かに存在するんだ」
雲居惣治の言葉は、わたしには理解できなかった。
「……まぁキミにもいずれ分かるよ」
雲居惣治は猫を抱き上げ、また文庫本を片手で開き、いつものオッサンに戻った。
まったく最後まで喰えないオッサンだった。
~終わり~
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