銀座結び

増田朋美

銀座結び

その日も、なんだか寒い日で、霜注意報が出たというところから、皆厚手のコートを着て外へ出ていた。やっと春が来たと言っても、本格的な春本番と言われるようになるまでには、なんだかまだまだ時間がかかりそうだ。

その日、杉ちゃんとジョチさんが、いつもどおり、製鉄所へ来訪したところ、四畳半から、きらきら星変奏曲をピアノで弾いている音が聞こえてきた。それはきっと多分、水穂さんが弾いているのだろう。

「はあ、朝からピアノ弾いてるんだから、少し体調を良くしてくれたんだろうか。そうなれば、ご飯を食べようという気持ちにもなってくれるかな?」

と、杉ちゃんが言うと、

「それはどうでしょうか。昨日も、利用者さんから調子が良くなかったという話を聞きました。無理して、ピアノを弾いているようにしか見えないけど。」

ジョチさんはそれを否定した。二人は、とりあえず、四畳半に行ってみると、予想した通り水穂さんがピアノを弾いていた。何故か理由はわからないけれど、ピアノの横に、小さな男の子が、ちょこんと座っていて、それを聞いていた。その子はクラシック音楽を初めてきいたようで、とても、好奇心一杯の顔でそれを聞いている。

「水穂さん。」

と、杉ちゃんが声を書けると、水穂さんはピアノを弾く手を止めて、

「ああ、もういらしたんですか。」

と、二人に言った。

「いらしたんですかって、もう10時をとうに過ぎてますから、こちらに来るのは当然でしょう。それより、水穂さん、この少年は何処から来たのですか?」

ジョチさんがちょっと疑い深い顔でそう言うと、

「いえ、大したことありません。以前、こちらを利用したことがあるという、佐藤実絵子さんという女性の方が、今日一日だけここで預かってくれと言うわけので、それで預かりました。佐藤龍太郎くんです。どうしても、外せない用事があるとかでそれでお願いしたのです。」

と、水穂さんは答えた。

「そうか、お前さんは何歳だ?」

杉ちゃんが小さな男の子にそうきくと、

「六歳。」

と佐藤龍太郎という少年は、小さな声で答えた。

「そうか、それなら、小学校1年生だ。それじゃあ何処の学校に通っているの?」

杉ちゃんが聞くと、

「常葉学園橘小学校。」

と、彼は答える。

「はあ、私立の小学校か。なんでわざわざそんな遠く離れた学校へ行っているの?普通なら、何処か近くの学校に行くはずだよなあ?」

杉ちゃんがそう言うと、

「それが、どうも佐藤さんの話を聞きますと、特殊な配慮が必要な生徒さんのようで。」

水穂さんがそう答えた。

「はあなるほど、それでは確かに、学童保育などには入れないのかもしれませんね。それにしても、その母親の顔がどういう顔なのか見てみたいものですね。本気で、仕事だったのでしょうか。もしかすると、そうではないのかもしれないですよね?」

と、ジョチさんが言った。

「そうですね、僕が応対したときは、そのような感じではなさそうでしたけど、、、。」

水穂さんが言うと、

「しかし、佐藤実絵子という女性が、ここを利用していたのかも疑わしいですね。もしかして、偽名を使ったのかもしれない。それを利用して、龍太郎くんをここへ置き去りにして行くつもりだったというのも考えられます。水穂さん、あなたも、面倒見が良くて、小さな子どもさんに優しいのはいいのですが、ご自身の体のことをちゃんと考えましょうね。長時間、子供さんの世話をすることなど、できるでしょうかね?」

ジョチさんはすぐ言った。

「そうかも知れませんが、きっと大事な接待で、お母さんは大変なんだと思います。それに今日は、土曜日で学童保育は休園です。もしかしたら、お母さんだけで育てているのかもしれません。子供さんを自宅に一人で残して行くわけにはいかないと思ったから、ここへ彼を連れてきたのでしょう。もし、子供が一人で家の中で置き去りにされていたら、そっちのほうが危ない可能性も無いわけじゃないですか。それなら、ここに連れてきたほうがよほど安全なのではないでしょうか。」

水穂さんはそう言って反論したが、終わりの方で少し咳き込んでしまった。

「水穂さんは、本当に人がいいんですね。そうじゃなくて、自分の体のことをもう少し考えてほしいんですけど、、、。それは無理なのかな。」

ジョチさんは大きなため息をついた。小さな少年である、佐藤龍太郎くんが、水穂さんのほうをじっと見て、

「おじさん大丈夫?」

と聞くほどである。水穂さんは小さくうなずくが、それでも咳き込むのは止まらなかった。ジョチさんが、

「薬飲んで横になったほうがいいのでは?」

というので、水穂さんは、すみませんと言って、布団に横になった。

「ほんじゃあ、水穂さんが動けないんだったら、僕と遊ぼうな。一緒お弾きしたり、お手玉したりしよう。テレビゲームなんてそんなものはここではご法度だぜ。」

杉ちゃんがそう言って、彼を縁側に連れて行った。ジョチさんはそれを眺めながら、

「本当に困りますね。水穂さんが、人が良くてものの面倒見がいいのはいいんですけど、もうちょっと体を大事にしてもらわないと。なんでもホイホイ引き受けないほうがいいのでは無いでしょうか?」

と呆れた顔でそういったのであった。水穂さんの方は、咳き込んでしまわないように、水のみに入った薬を飲んで、しばらく横になっていることにした。

杉ちゃんの方は、龍太郎くんと一緒に、おはじきをしたり、一緒にお手玉をして遊んだ。確かにテレビゲームのようなものは何も無いけれど、彼は、とても楽しそうだった。昔の遊びというものは、一人で空想の世界に没頭するのではなく、誰かと一緒に遊ぶので楽しくなれるというものであった。お手玉の遊び方も、お掴みとかおはさみとか、いろんな種類があるし、歌に合わせてお手玉を投げて遊ぶこともあり、すっかり龍太郎くんは夢中になった。

「ねえおじさん。」

龍太郎くんは杉ちゃんに聞いた。

「さっきのピアノのおじさんもそうだったけど、おじさんはなんで着物を着ているの?」

「ええ?なんで着物を着ているかって?それは、簡単なことだよ。ただ着物がすきなだけだ。それ以外に何も無いじゃないか。すきだから着物を着る。それは当たり前のことだろうがな。」

と、杉ちゃんは当たり前のように答えるが、

「でも、着物がすきじゃないのに、着物を着なくちゃいけないこともあるんだよね。」

龍太郎くんはそういった。

「はあ、すきじゃないのに、着物を着るというのは、まず無いんじゃないの?着物は、楽しく着るものだし、好きな人は、それで自分らしくなれるって言ってるよ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「そうかな?僕のママは、いつも着物ででかけているけれど、いつも着物で仕事にいかなきゃいけないのを、すごく嫌みたいだよ。着物って、着るときにすごくめんどくさいし、帯を結ぶのだって一苦労だもん。」

龍太郎くんは言った。

「はあ、それなら、転職すればいいじゃないか。仕事をもっと楽な仕事に変えればいいじゃないかよ。」

と、杉ちゃんが言うと、

「それがね、僕のせいだから、僕は嫌だって言えないんだ。だって僕が、静岡の学校に行けるようになったのは、ママのおかげだから逆らっては行けないって、学校の先生が言ってたし。僕が、他の子と違うから、違う教育とかいうのが必要だって、僕のことをどれ位大きくなったか知りたいおばさんがそう言ってた。」

と龍太郎くんは答えるのだった。ということはつまり、支援センターのような場所で、発達障害の検査でもされたのだろう。

「こんな小さな子どもが、大人のことを話すなんて十年早いよ。子供は子供らしく、お弾きしたりして、楽しく遊んでればそれでいいんだ。そう思わなくちゃ。それが、お前さんのお母ちゃんだって喜ぶと思うけどねえ。」

と杉ちゃんが言うと、

「喜ぶかなあ。ママはいつも、着物を着ることで、いつもめんどくさいめんどくさいって言ってる。その原因は僕にあるから、何も言えないんだけど。僕のせいで、ママはいつも疲れているし、つらそうだよ。」

龍太郎くんは、申し訳無さそうに言った。

「うーんそうかも知れないけどねえ。自分のせいで親が苦しんでいるという事は、あまり考えないほうがいいよ。そういう事ばっかり考えていたら、いずれは、心が病んだりとか、そういうことに繋がっちまうからな。今そう思わなくてもな。これから世の中のことがわかって行けば、だんだんお前さんは、辛いことになるよ。それじゃあ行けないでしょ。もっと、子供らしくて、でかい声でわがままを通したりするほうがよほど健康的なんだよ。」

杉ちゃんは、ちょっと呆れたように言った。

「そうかなあ。ママが、毎日、大変そうに着物を着ていると、ああ僕のせいだなって思っちゃうんだよね。」

龍太郎くんがそういうのを聞いて、杉ちゃんは、

「ほうそうか。それならおじさんも話を聞かせてもらおうかな。お前さんのお母ちゃんは、着物を着てなんの仕事をしているのかな?」

と聞いてみた。

「うん、お酒を飲むときに、相手をする人だって言ってた。」

龍太郎くんが答えると、

「つまりホステスさんか。そういうことなら、着物を着ることがあっても不思議じゃないなあ。おじさんはね、こう見えても、着物を作るのを仕事にしているんだ。裁縫なんて女しかできない仕事なんて思うなよ。弱い男がなる仕事でもない。その着物を作る方から言えば、着物の着付けは確かに難しいところがあるよな。特に女ものはね。でも、着物をしっかり着ている女性はとっても素敵だと思うんだ。お前さんのお母ちゃんもそうだと思う。お前さんのお母ちゃんは、まだちゃんとしっかり着る方法を身に着けてないから、めんどくさいと言うんだと思うよ。だけどね、おじさんは着物を面倒くさがらないで着られる方法をちゃんと知っているのさ。それではちょっと聞くが、お前さんのお母ちゃんは、着物の何処で悩んでいるのだろう?」

杉ちゃんは、そう聞いてみた。龍太郎くんの顔がだんだん輝いてきた。なにかお母さんのためにしてあげたいという気持ちがあるのだろう。

「あのね。ママはいつも帯を結ぶのに困ってるんだ。銀座結びという結び方をするらしい。それが結べなくて、本当に困ってる。」

「はあなるほどね。でも銀座結びというと、中年以上の女性がするもので、お前さんのお母ちゃんはまだ30代から40代くらいだろ?その年のやつが、つけるものでは無いんだけどね。」

龍太郎くんはそう言うと、杉ちゃんは即答した。

「ほんと?じゃあ、銀座結びなんてしなくていいの?」

「ああいいんだよ。他の結び方もいっぱいある。それに、今は、めんどくさくなくて、予め結んであるのを逆に背中に背負うようなことをすれば、大丈夫な世の中になってるよ。作り帯と言うんだけどね。作るのも簡単だぜ。」

龍太郎くんがそう杉ちゃんに聞く。もちろん子供だから、初めての質問になるわけで、その目は真剣そのものだった。

「その作り帯を作るのって、難しいの?」

龍太郎くんがそうきくと、

「いや、全然難しくない。むしろ、帯を切って縫い付けるだけだからすごく簡単。」

と、杉ちゃんはそう答えた。

「そうなの!それ、僕にもできる?」

そういう龍太郎くんに、

「できるよ。お前さんは小学校の一年生。それなら針仕事をしてもいいものだ。お前さんはお金持ってる?」

と、杉ちゃんは聞いた。龍太郎くんは、ズボンのポケットから、小銭入れを取り出した。杉ちゃんが開けてみると、千円札が入っていた。

「よし、千円あれば大丈夫。帯も500円で買えるし、紐も一本200円で買えるからね。そしたら、一緒に作り帯を作ってみないか。お母ちゃんにプレゼントしてあげよう。」

「うん!僕、銀座結びを作ってみたい!そうすれば、ママはもっと着替えが楽になるよ。」

龍太郎くんはそう言うが、杉ちゃんは、それは対象年齢が足りないと言って、別の結び方にしようと言った。杉ちゃんは、ジョチさんに頼んでタクシーを一台呼んでもらい、カールさんの経営している増田呉服店に向かって走ってもらった。

増田呉服店は、いわゆる呉服屋と違い、強引な販売や、勧誘などは行われなかった。店主のカールおじさんは、龍太郎くんの作り帯を作りたいという気持ちをちゃんと聞いてくれて、500円の名古屋帯を何本か出してくれた。龍太郎くんは、一番最後に出してくれた、赤の絞りの小紋柄で花模様をいれた、名古屋帯が一番良いと言った。杉ちゃんがついでに作り帯にするので、腰紐を一本というと、カールさんはわかりましたと言って、それを出してくれた。

「合計するといくら?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「はい、腰紐一本だから700円で結構です。」

カールさんが答えた。龍太郎くんが、1000円を差し出すと、カールさんは、ありがとうと言って、お釣りである300円とレシートを彼に渡した。杉ちゃんたちは、店の前で待っていてくれたタクシーで、製鉄所に帰った。

「よし、じゃあ、一重太鼓の帯を作ってみよう。まず名古屋帯のどうに巻く部分と背中にしょう部分とをハサミで切り離して。」

杉ちゃんに渡されたハサミで、龍太郎くんは、帯を切った。子供であったから帯を切るのも躊躇しないのだった。

「それでは、帯をお太鼓の形に折り曲げてだな。両端を縫い針で縫って縫い止める。ちょっと危ないかもしれないけど、頑張ってやってみてくれ。」

と、杉ちゃんが言うと、龍太郎くんは不格好に針に糸を通し、玉結びを作って、杉ちゃんに言われたとおり両端を縫い始めた。確かに不格好な縫い方であったけれどちゃんとお太鼓の形は作ることができた。そして、その四角形になった部分の真ん中に、いわゆる手の部分と言われる突起を縫い付ける。これを縫うのも、大変だったけれど、龍太郎くんは一生懸命縫った。その顔は真剣そのものだった。

「それでは、次に体に巻く部分を作るぞ。幸いこの帯は、全部に柄のある全通だから、何処からとっても大丈夫だ。とりあえず、胴に巻く部分を、4尺取ろうね。一尺のものさしがここにあるから、それで4回測って、四尺取ってご覧。」

杉ちゃんにものさしを渡された龍太郎くんは、頑張ってそのとおりにした。そして四尺の長さを確保し、ハサミできちんと切った。更に腰紐を半分に切って、その胴に巻く部分の両端に縫い付ける。

「よし、これで作り帯は完成だ。お母ちゃんが戻ってきたら、僕が作ったんだって、堂々と見せてやれ。」

ちょっとお太鼓の不格好なところはあったが、ちゃんと作り帯になっていた。龍太郎くんは、その針でしくもくと縫う作業を体験して、

「僕とても楽しかった、縫っていると、他の事は考えなくていい。だから良かった。」

と、杉ちゃんに言った。

「そうか。それなら、和裁を実際に習ってみたらどう?今は女だけの職業じゃないよ。男でも和裁をするやつはいっぱいいるよ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「でも、ママにまた、誰のおかげで学校にいかせてもらっているのとか言われたら怖いし。」

と、龍太郎くんは答えた。

「うーんそれはどうかな。それは考えなくてもいいんじゃないの。和裁を習ってみたい、自分の場所を何処かに持ちたいというのは、別に贅沢な要求じゃないからね。それにいつまでもいい子で、家にずっといたら、さっきも言った通り、おかしくなっちまうぞ。そうならないためにも、学校以外の居場所を作って置くことは大事なんだ。」

杉ちゃんの話を龍太郎くんは真剣に聞いていた。

「それにお母ちゃんはもしかしたら、お前さんが自己主張してくれるのを待っているかもしれないよ。」

やがて、お昼の時間が過ぎて夕方になった。製鉄所の開室時間は17時までだった。利用者たちもそろそろぼつぼつ帰り支度を始めている。それではそろそろ龍太郎くんの迎えも来るかなとおもわれていたが、暗くなっても、佐藤実絵子さんは現れなかった。

「来ないですねえ。」

とジョチさんが、受話器を取りながら言った。そして佐藤実絵子さんのスマートフォンにダイヤルしてみる。何回かかけてみても繋がらず、やっぱりこれはと思った頃、

「すみません。佐藤です。今日は突然来てしまって迷惑でしたよね。」

という声で、佐藤実絵子さんという人が玄関先に現れた。

「まあ、迎えに来てくれて良かったです。もしかしたら、お母さんが現れないかもと正直思ってしまいましたよ。」

ジョチさんは、彼女を玄関先で迎えて、とりあえず中に入るように言った。確かに、ホステスさんらしく、付下げの着物を身に着けていて、変なふうにだけど名古屋帯を結んでいる。それを聞きつけた、佐藤龍太郎くんが、ママおかえりなさい!と言って駆け寄ってきた。

「ママ今日、おじさんに作り帯の作り方を教えてもらった。だから、これからは僕がいっぱい作ってあげる。」

そう言って、龍太郎くんは、自分が作った作り帯を、お母さんに見せた。それは、たしかに下の方が膨らんでいる銀座結びではなかった。いつもしているのは銀座結びよと佐藤さんは訂正しようと思ったが、龍太郎くんの満面の笑顔にそれはできないなと思った。一重太鼓の作り帯を見せられて、佐藤さんは、龍太郎くんが、自分のしごとを否定しているんだと言うことを悟った。

「わかったわ。ママ、他の仕事に仕事を変えるから、許して。」

申し訳無さそうに頭を下げる佐藤さんに、

「そうですよ。子供さんを預ける事業所では無いんですから、ちゃんと、子供さんを預けられる仕事を選んでください。」

とジョチさんが注意した。佐藤さんはそれを真摯に受け止めてくれたようで、

「本当に今日はすみませんでした。私も、龍太郎と話し合ってみます。今日はごめんなさい。」

と言って、ジョチさんや杉ちゃんに頭を下げた。

「おじさん今日は、帯を縫って楽しかったよ。ありがとう!」

明るく元気に言う龍太郎くんは、文字通り天真爛漫な、子供そのものだった。

「やっぱり、そうじゃなくちゃな。」

杉ちゃんは、大きなため息をついた。

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銀座結び 増田朋美 @masubuchi4996

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