第16話 アレン 十五歳 転機④


 アレンが荷物を自分の部屋に運ぶ間、客人であるランダルに先に風呂に入ってもらい、その後アレンも入浴して身体の疲れと汚れを取り除いた。


 風呂から上がると、どうやらルーシーは自分の部屋に戻ったようだった。


 残っているホーストとランダルは、エキドナが淹れたお茶を片手に、片手半剣バスタードソードの改良点について――どうやら、件の手紙にはその方面の事が書かれていたようだった――片方は熱心に、もう片方は淡々と議論していた。


 エキドナは戻ってきたアレンに気付いたようだった。

 だが、二人の邪魔をしないようにと、アレンが口を噤んだまま二階を指さすと、柔らかな微笑みを浮かべて頷き、もう一度お茶を淹れに調理場へと消えていった。


 アレンは階段を上り、廊下へ出ると、女性の話し声が聞こえてきた。

 声の出処がカトリーナの部屋だったので、話し声の主が、どうやら姉二人の声らしいということをアレンが理解することは造作もないことだった。


 軽く咳払いをして、アレンはトントン、と軽くドアをノックした。


「ちい姉さん、入るよ? 」


 部屋に入ると案の定、ベッドの脇にある椅子に腰かけているルーシーと、ベッドから体を起こしているカトリーナが談笑中であった。


 カトリーナも前日と比べると幾分顔色が良くなっているのが、ランプの明かりの下でもかろうじて見て取れた。


「あぁ……お帰りなさい、アレン」


 カトリーナは目を開けずに、アレンがいる方に顔を向けて笑顔を浮かべてアレンを迎えた。

 その笑顔を見て、アレンは少し安心した。


「よかった。今日は少し調子が良いみたいだね? 」


 アレンは壁に立てかけられた、小さな折り畳み式の丸椅子――これはアレンが日曜大工の作品として制作したものである――を、ベッドの脇に座っているルーシーに隣に置いて腰かけた。


「えぇ、さっきまで眠っていたんだけど、今は不思議と体が軽くなったみたいなの」


 可愛らしくニコニコ微笑みながら、カトリーナは楽しそうに言った。本当に今日は具合が良いようだ。

 つられてアレンも笑顔になった。


「そっか。あ、また薬草採ってきたから、具合が悪くなるようだったらいつでも飲んでね? 」


 アレンのこの言葉を聞いて、カトリーナの笑顔が少し曇った。どちらかと言えば、何かを心配している顔だ。


「……アレン? さっき姉さんから、またオオカミに襲われたって聞いたんだけど、本当にケガはしなかったの? 」


 アレンはバツの悪そうな顔をしてルーシーを見た。


『なんで言ったのさ? 』

『あら、いいじゃない別に』


 二人は口をパクパクさせながら無言をもって会話を交わした。


 心配そうな表情を浮かべているカトリーナの顔を見ていると、何だか非常に申し訳ない気持ちになってしまうアレンである。


「大丈夫だよ。ほんの少し危なかったけど、剣士の人に助けてもらったんだ。おかげでケガもしなかったよ」


「そうよ、ほら、さっき言ったでしょう? お客さんが来てるって。その人が助けてくれたのよ」


 ルーシーも諭すように説明を付け足し、カトリーナは小さくホッと溜息をついた。


 安心したことを表すその小さな吐息も、ランプの暖かな光に照らし出された、少し困ったような微笑みも、家族を想う慈愛に満ちたものであった。


「……本当に良かった。アレン、いつも薬草を採ってきてくれるのはとっても嬉しいけど、危ないことはしないでね? 」


「わかってるって。ごめんね? 心配かけちゃって」


「ホントにそうよ? アンタがいつまでも頼りないままじゃ、いつまでたってもカトリーナが弟離れできないんだから」


「え、なにそれ? 大体、姉さんがちい姉さんに教えなきゃ、無駄にちい姉さんに心配かけることもなかったじゃないか」


「まぁ、アレン? それじゃあいつも私の知らないところで危ないことしてるのね? 」


「な、ちい姉さんまでそんなこと言って……」


 それからしばらくの間、アレンは二人の姉にからかわれて時間を過ごした。


 悪戯好きそうな笑顔で弟をからかうルーシーと、そのやりとりを聞いて楽しそうにクスクスと笑うカトリーナを見ていると、アレンは自然と心が安らいでいくのを感じた。


「ッッ!! ゴホッ、ゴホッ!! 」

 

 急に、カトリーナが咳込んだ。


 アレンは急いでカトリーナの身体を支え、その華奢な背中を撫でて咳をなだめようとした。

 ルーシーは飲み薬を取りに行くために下へ降りて行った。


「ちい姉さん、大丈夫…… 」


「ゴホッ、ゴホッ!! ……はぁ、ハァ、ゴホッ!! ゴホッ!! 」


「……じゃないみたいだね。少し話しすぎちゃったみたいだ。もう横になろう? 」


 アレンはそう言ってカトリーナをベッドへ寝かせようとしたが、カトリーナの息もつけないほどの激しい咳は、ほどなくして過呼吸に変わった。


「はぁ、ハァ、ハァ、ッは、はぁ」


 アレンは素早く部屋の中を見渡した。探し物はすぐに見つかった。アレンは文机の上に置いてあった、カトリーナが過呼吸を治めるのに使用している皮袋――適度に空気が入ってくるように小さな穴が開いているものだ――を引っ掴み、カトリーナの口元にあてがった。


「ほら、ちい姉さん? 大丈夫、大丈夫だよ」


 片手で皮袋をあてがい、もう片方で姉の肩を優しく抱き寄せて、アレンは囁くように言った。


 過呼吸は、病のせいもあるが、それ以前に気の持ち方次第で症状が改善される場合もある。


 少し調子が良かっただけに、急に咳き込んで張りつめていた気が切れてしまったカトリーナに必要なのは、何より不安にならないこと、誰かが安心させてやることであった。


「ふぅ~……ふっ……ふぅ~ふっ……ふぅ~……」


 カトリーナは、もはや物を見ることのできなくなったその虚ろな目に涙をいっぱい溜めて、アレンの腕の中で小さく震えながら、弱弱しい手でアレンの服の裾をぎゅっと掴んでいた。


「大丈夫……大丈夫……そばにいるよ」


 実際は、不安な気持ちで心が満たされていく一方であったが、アレンはなんとか暗い気持ちを押し殺した。そして精一杯の優しさで、姉のか細い体を抱きしめた。



 ほどなくして、カトリーナの呼吸はいつもの穏やかなものに戻った。アレンは少々ぐったりしたカトリーナをベッドに寝かせた。


 うっすら汗の滲んだ額に張り付いた前髪を軽く払うと、薔薇色に上気した色白の頬にそっと指をなぞらせる。


「ちい姉さん、疲れたかもしれないけど、もうちょっと我慢してね? もうすぐ飲み薬が来るから」


 そう言ってアレンは微笑んだ。

 カトリーナの目にはまだほんの少しだけ、流れ残った涙の粒が光っていた。


 微笑みかける弟の顔をもう見ることはできていないはずであるにもかかわらず、カトリーナはアレンの笑顔につられるように弱弱しく微笑み、アレンの手に自分から頬を摺り寄せた。

 

 すりすり、と。

 撫でてほしいとねだる幼子のように……


「……本当にありがとう、アレン。何回繰り返しても、やっぱり怖いものなのね……」


「すぐに良くなって本当に良かったよ。もう大丈夫だから、安心して? 」


「えぇ……アレンがそばにいてくれると、とっても落ち着くわ」


 すりすり、と。

 まるで飼い主に遊んでほしいとねだる子猫のように……


「……え~っと、ちい姉さん? 」


「ん? なぁに? 」


 すりすり、と……


「……もう手、放してもいい? 」


「だぁめ。アレンの手、冷たくて気持ちいいんだもの」


 クスッと笑い声をこぼしたカトリーナを見て、困ったような笑みを浮かべながらも、アレンの胸中は穏やかではなかった。


 先程まであれほど苦しそうにしていたのがまるで嘘のように、目の前の女性は愛おしくてたまらないほどに健気な微笑みを見せる。


 愛おしいその笑顔が、愛おしいその姿が、狂おしいほどに愛おしいその存在そのものが、アレンにはとても哀しかった。


 ――なにも、できることなどないというのか……?


 アレンは己の無力さが憎らしかった。

 もしも、誰かがこの場で願いを叶えてくれるのならば、即座に言って叶えてもらうのに……


『神聖帝国のシュタフヴァリア平定百年祭。白騎士の祭典と言えばわかるかな? 』


 ふと、昼間ランダルが話していた『白騎士の祭典』のことが脳裏を掠めた。


『優勝者には、帝国最強の称号と栄誉。そして白の精霊の加護の下、願い事をなんでも一つ、叶えてもらえるそうだ』


 はっきり言って、半分は眉唾物の話だと思っている。


 しかし、カトリーナの病には、神父の精一杯の祝福も、精魂込めてこしらえた薬も、思った以上の効果を見せてはくれない。


 もしも、この病を治すことができる力があるとするなら、それは【奇跡】の力だ。


 幼いころ、精霊節の日に家族で教会にお祈りに行った際、神父が読んで聞かせてくれた、白の精霊の持つ、奇跡の力……


 アレンの心は大きく揺さぶりをかけられていた。


 ――いつ消えるかもわからない、一つの儚い命の燈火を、できることなら守りたい。


 アレンの内なる心は、はっきりとそう告げていた。


「……アレン? 」


 カトリーナが不思議そうに小首をかしげた。

 その声でアレンは不意に緊張が途切れた。


 どうやら目の前で優しく微笑むカトリーナの顔を、ただジッと見つめてしまっていたらしい。


 曖昧に笑って言い訳を探すアレンであったが、次の瞬間、ルーシーが、ドアを蹴破るようにして部屋に入ってきたことで、その手間が省けた。長女のその手には、白い湯気がゆらゆらと揺れるマグカップが握られていた。


 急ぎ足で部屋に入ってくる長女の後ろには、心配そうな顔をした母エキドナもいた。


 こうして並んでいると、艶のある美しい黒髪から、すらりとした体つき、端正な顔立ちに、愁いを帯びた表情に至るまで、気持ち悪いほどに――口に出して本人に言うと、きつい一撃をお見舞いされそうであるが……――この母と長女は非常によく似通っていることを実感させられる。


「よかった。咳は治まったみたいね? 大丈夫カトリーナ? 薬、呑めそう? 」


「えぇ、ありがとう、姉さん」


 ルーシーが体を起こすカトリーナを支え、薬湯を呑ませたが、薬湯が熱いやら、そのものが苦いやらで、全部飲みきるのには少々の時間を要した。


「そういえば、薬を入れるだけなのに、随分と遅かったみたいだけど? 」


「お母さんよ」


 アレンの質問に答えたのはルーシーだった。


「ごめんね? お薬と間違ってお茶を淹れちゃって、それでお湯がなくなっちゃったから、一からお湯を沸かさなくちゃいけなくなっちゃったのよ」


 エキドナが、相変わらずのふわふわした調子でのほほんと言った。


「……まぁ、しょうがない、か」


「でしょう? 」


「ふふっ」


 姉弟三人が口々に思いの丈を述べる。

 こうなってしまうと、誰も咎めることができなくなってしまうのが、この母の凄いところである。


「それで、具合はどうなの? 」


 のほほんとしてはいても、娘の具合を訊ねる母の顔には心配した様子が見て取れた。


「大丈夫よ、お母さん。少し辛かったけど、アレンがそばにいてくれたから」


 カトリーナは苦い薬湯に少し顔をしかめながらも、少し嬉しそうであった。


「ふ~~ん」


「あらあら~」


 ふわふわした目とジトッとした目がアレンに向けられた。

 いつもならドギマギするところであるが、珍しくアレンは掛け合いに乗らなかった。


 この空間にはあまりふさわしくない真面目な表情を浮かべている弟を見て、ルーシーの表情が変わった。


「な~に辛気臭い顔してるのよ?」


「……いや、なんでもないよ。母さん、父さんたちはまだ話中? 」


 アレンは何気なく話をすり替えた。


「あぁ~、そういえばもう遅いわね。お父さんは仕事の話になると長いから、そろそろランダルさんも退屈してる頃かしらね? 」


「僕、部屋に連れてくよ」


「それがいいわね」


 エキドナはクスッと笑った。


 部屋を出ようとするアレンに何か不穏なものを感じたのか、カトリーナはほっそりとした両手でマグカップを包んだまま、不安そうな顔をしていた。


「あ、あの、アレン? 」


「……」


 アレンは足を止めた。

 振り向くと、二人の姉がそれぞれの面持ちでアレンを見つめていた。アレンはふぅっと一拍、呼吸を置いた。


「ちい姉さん。もし……」


 ――もし、病が治せるなら、僕は……


「アレン……?」


「どうしたのよ? 」


「……ううん。なんでもない。ちょっと考え事」


 カトリーナの不安そうな顔を見て、アレンは続く言葉を飲み込んだ。


 怪訝そうな長女の目を誤魔化すため――誤魔化すことなど土台無理なことはわかっていたが――作り笑顔でアレンはおやすみ、と言って、母エキドナを連れてドアを開けた。





 部屋を出て早々、アレンは思い切り面喰ってしまった。部屋の前にランダルが立っていたからである。


「おっと。驚かせちゃったかな? 」


 ランダルは立ち聞きしていたであろうことを悪びれる様子もなく、涼やかな微笑を湛えていた。


「あら、ランダルさん。あの、主人は……? 」


「あぁ、すみません。お酒が入って眠ってしまったので、マントを掛けて置いてきてしまいました。よろしければ、寝室まで運びましょうか? 」


「いえいえ! 大丈夫ですよ? いつもの事ですから」


 エキドナは笑顔でパタパタと手を振った。


「母さん、僕が行こうか? 」


「大丈夫よ。アレンももう疲れたでしょう? ランダルさんをお部屋に案内してあげて? 」


 エキドナはそう言って下へ降りて行った。廊下に残されたアレンは、ランダルを連れて自分の部屋に入った。


 部屋には、アレンたちが風呂に入っている間にエキドナが用意してくれた毛布があった。


 ベッドは一つしかないので、どちらかが床で眠ることになる。


「すぐに寝るかい? 」


 アレンはベッドを指さして訊いた。


 ランダルは床で寝ると言ったのだが、客人を床で寝させるなど言語道断だとアレンが少々激しい口調で主張すると首尾よく折れてくれた。


「少し、話をしないか? 」


 ランダルがベッドに、アレンが床の上に敷いた毛布の上に座ったところで、ランダルが切り出した。


 実のところ、アレンも聞きたいことがあったので、この申し出は好都合だった。


「あぁ、こっちも聞きたいことがいくつかあったんだ。ところで、どこまで聞いていたんだい? 」


「あぁ、さっきの。それほどは聞いてないよ。部屋の前に差し掛かったところで君が出てきたからね」


「そう、か」


「あぁ。でも昼間、君が大会に興味を持った理由がやっとわかったよ」


 ランダルはフッと含み笑いを浮かべながら付け足した。


「お姉さんの病気を治したい、そうだろう? 」


「……まさか、さっきの話を聞いただけで? 」


「まさか。君のお父さんから色々聞いて、ね」


 アレンは唸った。

 酒が入って気が緩んだのだろうか。客人にする話としては、ホーストが話したことはあまりよろしいものではない。

 ランダル自身が全く気にしていないようだったのはありがたかった。


 気にしていないどころか、ランダルはむしろ少し楽しげな面持ちだった。

 もっとも、ランダルは微笑みを浮かべたままで表情の変化が乏しいため、その真意はアレンには測りかねたのだが……


「……あぁ、そうだよ。実は、そのことで聞きたいことがあったんだ。いいかな? 」


「いいとも? 一食一風呂一宿のお礼もあるし、答えられる範囲ならいくらでも答えるよ」


「ありがとう。じゃあ、早速。大会の優勝者がなんでも願いを叶えられる。これは本当かい? 単なる言葉の綾っていうことは? 」


 ランダルはふ~む、と何かを考えているようだった。


「君、聖都カノサリズに行ったことは? 」


 アレンは首を横に振った。

 ランダルは肩をすくめて先を続けた。


「聖職者が施す祝福には、病気を和らげたり、簡単なケガを治したりできることは君も知っているね? カノサリズの聖職者たちは、町にいる神父のような聖職者たちとは一線を画しているんだ」


「どういうこと? 」


「カノサリズの主な機能は三つだ。一つは、十二精霊信仰の総本山としての聖地的機能。もう一つは、過去の文献を研究資料として、皇帝がより良い国造りを行えるよう支える助言機関としての機能。そして、最後の一つは、」


 二人の視線が合った。


「『白の担い手』と呼ばれる十二人の高位聖職者が白の精霊の意思を現世に顕現させる、精霊の代行体としての機能だ」


「精霊の意思を、ケンゲン? 」


「もっとわかりやすく言おうか」


 ランダルはアレンを凝視したまま、ベッドから身を乗り出した。


「――町の神父ではできないようなことも、彼らならできるということさ。もっとも、行使できる力には制限があるみたいだけどね」


「そ、それじゃあ、やっぱり……? 」


 ランダルは頷いた。

 アレンはいまいち実感が湧かなかったが、ランダルの言葉には妙な説得力があった。


「でも、ちょっと待って。そんなにすごい人たちなら、カノサリズに行けば、その人たちが願いを聞いてくれるんじゃ? 」


「言ったろう? 行使できる力には制限があるって。それは彼らだけの話じゃない、暦や環境でも変わってくるそうだよ。それに、基本的に彼らは積極的に人を助けようとはしないんだ」


「はぁ? ちょ、ちょっと待って。どうして? 」

 

 アレンはわけが分からないといった様子で待ったをかけた。

 どうして力を持っていながら、それを使わないというのか。


「君は、教会で病気を治してもらったことはあるかい? 」


「そりゃ、まぁ」


「それなら、それを例にとろう。治せないと宣告された君のお姉さんの病気と、かつて君が治してもらった病気。この二つの違いは何だと思う? 」


「……治せるか、治せないかの違いだろう? 」


 安直にアレンは答えた。

 ランダルはクスッと笑い声をこぼし、首を横に振った。


「白の精霊の意思は、『できる』『できない』で決まることはない。彼らは『やる』か『やらない』かのどちらかで行動する」


「ん? じゃあ、白の精霊が治そうと思えば、どんな病も治すことができるっていうのかい? でも現に……」


「――聖典では、全ての人の子は白の精霊の寵愛を受けて生きているとされている。不変の愛。そして無償の愛だ」


「はぁ」


「でもその愛は、決して愛する人の子の望むものをすべからく与えるという類のものじゃない」


「えと、それはつまり……親が子供の欲しいものをなんでも与えるだけが愛情じゃない、みたいなこと? 」


「ふふっ、中々近いかもね」


 ランダルの上手く答えられた子供を褒めるかのような言葉に、アレンは自分が子ども扱いされている気がした。


 実際、何も知らない自分が無力であると感じているのもまた事実であるだけに、何も言えない自分が少し憎らしくも思っていた。


「――『白の担い手』はあくまでも精霊の代行者。白の精霊の意思を超えて力を行使することは、彼らにはできないのさ。そして白の精霊には何かしらの確固とした意思がある。それは僕たちの理解を超えたものであるかもしれないけれど、彼らは確かに人の子らを愛しているんだ。救いを求めるばかりに、人の子が自身の力で生きていくことを放棄し、堕落していくことを彼らは善しとしないのさ。とまぁ、そんな感じだ。もっとも、これは僕の持論じゃななくて、ある人の受け売りなんだけどね」


「じゃあ治せない病気で死んでいく人がいることは善しとするっ……ッ!! 」


 熱くなって出たアレンの言葉はそれ以上続かなかった。

 ランダルが身を乗り出して、アレンの口を塞いだからだ。あまりの速さにアレンは全く反応することができなかった。


 ランダルはシーッ、と指を立ててアレンを黙らせてから、ゆっくりと塞いでいた手を放した。


「白の精霊を愚弄するようなことは言わない方がいい。それに、悪い言葉は君のためにもならないよ」


「わ、わかってるさ。でも、そういう人たちが、いや、そう人たちこそ、助けられるべきなんじゃないのかって思っただけだよ」


「だから、そういう人たちのためのチャンスの場が、白騎士の祭典なんだよ」


「え? いくら願いが叶うっていったって、百年に一度じゃあ……」


 ランダルは小首を傾げた。


「百年に一度? ああ、今までヘファイスから出たことがないなら知らないか。大会そのものは十年に一度あるんだよ。三年後が記念すべき第十回大会。これまでも精霊の力が現世に降りる機会はあったけど、僕が昼間言ったのは、今回が特別だっていうことさ」

 

 同じ国に住んでいて、これほどまでに知っていることと知らないことの差があるものなのだろうか。

 またも無知を実感したアレンであるが、今までの話を統合すると、ある一つの仮説が浮かんできた。


「待って。つまり今までの大会の勝者は、全員願いを叶えることができたっていうこと? でも、神父様はいつも『争うことは良くないものだ』って……」

 

 ランダルの微笑みがほんの少し大きくなった。


「そうだね。確かに聖職者が言うように、争うことは決して善いことじゃあない。実際、聖典には、争うことは罰せられるべき悪徳、とまで記されているしね。でも、実際に願いが叶ったという記録は残っているんだよ。もしかしたらこれは、白の精霊が、懸命に生きる者にはその努力に報いてくれることの証明と言えるのかもしれないね? 」


「……ってことは? 」


 アレンは半分答えがわかっていることを訊いて先を促した。

 どうしても第三者からの言葉が欲しかった。


「おそらく祭典の当日に精霊の力がもっとも多く降り注ぐことも鑑みて、優勝した者の願いが叶うことはまず間違いないと言っていいと思う」


 アレンは床の一点を凝視し、ランダルの言葉を反芻した。


 言葉を噛み締めるごとに、アレンの内に潜む意識が、勝利に吠えた。




 カトリーナの病は治せる。




 まるで濃霧が立ち込めたようにおぼろげであった道に、一筋の光明が差したかのようであった。


 いきいきとした目を輝かせるアレンを、ランダルはじっと見つめていた。


 その灰色の目に映るアレンの姿は、彼にとって何なのか。


 羨望なのか。

 憧憬なのか。


 彼の目を見ていないアレンには知る由もなかった。


「質問には答えた。さぁ、寝ようか」


「あぁ、ありがとう。色々教えてくれて」


「君が気にすることじゃないよ。恩には恩をもって応えるものだからね」


 アレンは少し微笑んで、ランプの灯を消した。


 部屋全体が、更けた夜がもたらす黒の帳に包まれた。


「おやすみ」


「ああ、おやすみ」

 

 そう言って二人は横になった。


 しばらくの間、アレンは目を開けたまま情報を整理していた。


 一筋の光明の差した道に、間違いなく自分が立っている。


 その実感が俄かに湧き上がり、アレンに得も言われぬ活力を与えていた。


 それでも宵闇のなかで、急にはしゃいだ後に来る眩暈にも似た眠気を覚えながら、徐々にアレンは夢の世界へと落ちていった。



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