第17話 アレン 十五歳 転機⑤
「白騎士の祭典に、お前が? 」
鎚を振るう手を止めたゴドーの、白目の濁った鋭い目が驚きで大きく見開かれた。
「……何かの冗談か? 」
「こんな真面目に、僕が冗談言うと思う? 」
アレンは無表情で決然と言い放った。
「はぁ……お前のことじゃあない。お前の後ろに立っている、いけ好かない優男の方だ」
「ひどいなぁ、お爺さん。一年ぶりに挨拶に来たのに」
「俺は、もう会わなくてもいいように紹介状を書いたつもりだったんだがな? 」
威嚇するような老鍛冶師の言葉に、ランダルはやれやれとばかりに肩をすくめてクスクス笑った。
昨夜、白騎士の祭典に出る意思を固めたアレンであったが、いきなり両親に思いの丈をぶつけても反対されることが目に見えていた。
そこで、現状で一番頼りになる指導者ともいえるゴドーに意見を聞くことにしたのだった。
そのためにアレンは、今朝は陽が出る前に毛布から飛び起きた。まだ寝静まっている道具屋の壊れたドアの蝶番を、なるべく音を立てないように静かに直し、家に戻って食事を取り、カトリーナに滋養の薬湯を淹れ、ホーストが今日から取り掛かるであろう片手半剣の改造を、間近で見たい気持ちを何とか押さえつけ、準備万端でゴドーの家に来たのである。
そう、準備は万端だった。
ただ一つの予想外な事象を除いて。
ホーストの剣の改造を見るために家に残るだろうと踏んでいたランダルが、一緒についてきてしまったのだ。
おかげで、ここに来るまでに武具の店を案内させられ、なめし革で作られた胸当て(キュイラス)や腕甲を買うのに付き合わされた。
アレンの決意は既にランダルの知るところでもあるため、他の者に聞かれてしまうよりはマシなものの、アレンはあまり気が進まなかった。
「はぁ……やれやれ。大方そこの御曹司から、あることないこと吹き込まれたんだろうが。まったく余計なことを」
ブツブツ言いながらゴドーは作業を中断した。
どうやら仕事を放棄することにしたらしい。彼が作業を途中で投げ出すなど前代未聞の話であった。
ゴドーは鉄製の炉の扉を閉めて火を落とし、いつも閉じられている木窓を開け放ち、棒でつっかえて戻ってこないようにした。
このことは、この空間が職人の作業場ではなく、一つの粗末な家としての機能を取り戻したことを意味していた。
「大体、なんでお前がヘファイスにいる? もう当分剣の修理は要らないはずだ」
「カノサリズで面白い託宣を受けてね。そのついでだよ」
「あれ? 昨日は託宣がついでって言ってたのに? 」
「そうだっけ? じゃあ、気が向いたからってことで」
「フン。いいご身分だな」
ゴドーが面白くない、といった風に鼻を鳴らした。
「アレン」
「は、はい」
アレンはテーブルの真向かいに座るゴドーの目を真正面から捉えた。
アレンが体験したことのないほどの年月を経て濁った瞳が、姿勢よく椅子に座るアレンの姿を映し出していた。
「お前の気持ちは……まぁ、わからんでもない。理由も大体のところは推測できんこともない」
「うん」
「そこでだ。なぜ俺のところに来た? こういうことはまず両親に話すべきだろう? 」
「正面から言ったところで、父さんたちがなんていうか、ゴドー爺さんなら想像できるでしょう? 」
「まぁ、正直に言ったところで反対されるのは目に見えている。そういうことだね」
ランダルが口を挟んだ。
「お前は黙っとれ、御曹司」
ゴドーの一瞥にもランダルは全く怯む様子もない。
「でも、そういうことだよ。反対されるにきまってる」
「それで? 俺に知恵でも借り来たのか? 」
「そういうわけじゃ……ゴドー爺さんは口も堅そうだし、信用できると思ったんだよ」
ゴドーは長い溜息をついた。
目の前の筋骨隆々のその体躯から空気が抜け出て、みるみる萎んでいくようなおかしな感覚がアレンを襲った。
ゴドーは椅子から立ち、二人に背を向けた。
「……おい御曹司。一つ、頼めるか? 」
「僕にできる範囲なら、どうぞ? 」
ゴドーはおもむろに埃っぽい床を四つん這いで這いずりだした。
訳も分からず目を丸くしている二人の若者をよそに、老鍛冶師は何かを探すように注意深く床を見つめ、小さな取手のついた箇所を探し当てた。
取手を引っ張ると、砂煙のように埃が部屋中に舞った。
咳き込むアレンの目に、床にぽっかりと穴が開いているのが映った。
「……二人とも、ちいっと待っとれ」
ゴドーはそう言うと、釘の打たれた壁にかかっているロープの束を掴み、ランダルに一方を渡し、穴の中に垂らして下へと降りて行った。
呆気にとられていたアレンであったが、気を取り直してゴドーの入って行った穴を覗き込んだ。
「ゴドー爺さーん。明かりなくても大丈夫なの~? 」
いいから待っとれ、といった感じの言葉が妙に響いて帰ってきた。
音の響き方から推測すると、思っているより深い穴のようだ。
ロープを握るランダルの手が緩んだのを見て、アレンはゴドーが地に足をつけたのを確認した。
しばらく経つと、再びロープがクイッ、クイッ、と引っ張られ、双振りの剣を背負ったゴドーが登ってきた。
さすがに少し息が上がっているようだった。
「どうやら、交通の便が少し悪いみたいだね? 」
「ほっとけ」
「前に言ってた倉庫って、地下にあったんだ。ゴドー爺さん。良かったら今度、縄梯子でも作ろうか? 」
「あぁ、そうだな。だが今はその話は後だ。二人とも外に出ろ」
ゴドーは背負っていた剣を肩から降ろし、二人を外に追い立てた。
青空の下に出てきた二人の青年に、老鍛冶師が手渡したのは、ブドウ色の革鞘に納められた剣だった。
「ゴドー爺さん? なにを……?」
「御曹司。相手をしてやれ」
ランダルはゴドーの言葉には答えず、優雅な動作で剣を鞘から抜いた。
自分の剣でないにもかかわらず、ゴドーが鍛えたと思しき一振りの鋼は、まるでランダルの身体の一部に組み込まれてしまったかのようにその手に収まった。
ランダルは感触を確かめるように、袈裟切り、横薙ぎ、逆袈裟の順に剣を振っていき、最後に剣に付着した血を振るい落とす動作をした。
感触を確かめ、しげしげと剣を眺めた後、ランダルは納得したように涼しげな微笑をもって頷いた。
「え? は? 」
「アレン、剣を抜け」
ゴドーは地べたに胡坐をかいて座り、アレンにそう告げた。
「え? でも……」
「抜け」
有無を言わせぬ言い方だった。
この立会いは、アレンに現実を見せるためなのか。
それとも他の考えがあるのだろうか。
どちらにしても、ゴドーの真意は、アレンが剣を抜かない限り明らかにはならないことだけは確かだった。
アレンはグッと生唾を呑んで、自分の進むべき道が何の道であるのかを噛み締めるように、ゆっくりと剣を鞘から抜いた。
剣を抜くのは生まれて初めてだった。
艶やかな鋼の刀身が、完璧なまでに晴れ渡った蒼天の色彩を見事に反射している。
初めて持つ剣の重みは、鍛冶仕事で使用する鎚のそれとは、重心も重量も……そして、重圧も。
何もかもが、違うものだった。
「準備はいいかい? 」
正面には、軽々とした動作で剣を弄ぶランダルが待ち構えている。
アレンはゴドーの方を見たが、ゴドーは胡坐をかいて座ったままゆっくりと頷いた。
「う、うん」
「よし、じゃあやろう」
ランダルは気軽にそういうと、剣を肩に担いで無警戒にアレンに歩み寄ってきた。
勝負が始まったのかどうかもわからないまま、アレンはとりあえず剣を身体の前で構えていた。
そんなアレンを見たランダルは、剣の間合いに入るや否や、肩に担いだ状態から物凄い速度で剣を振り下ろした。
「よっ、と」
金属同士がぶつかり合う甲高い音が辺りに響き渡り、アレンの持つ剣はいとも簡単に手から離れ、ハエのように容赦なく地面に叩きつけられた。
「がぁッ!! 」
握っていた柄を無理やり手から引き剥がされた痛みで、思わずアレンは声を漏らした。
「ん、どうかした? もう始まってるんだよね? 」
表情は会話する時と全く変わらないのにもかかわらず、否。それ故にアレンは目の前の青年に軽い戦慄を覚えた。
「こ、この! 」
ほんの少し闘志に火がついたアレンは剣を拾い上げ、再びランダルと距離を取った。
そこからしばらく二人は剣を交えた。
結果から言うと、最初の数手で決まらなかった勝負はなかった。
アレンが何度立ち上がり、剣を構えても、涼しげな顔をしたランダルの剣の一撃は、容赦なく、造作なく、いとも簡単にその全てを吹き飛ばした。
ランダルの振るう剣は、決してアレンを傷つけることはなく、正確に、的確に、その手に握られた剣のみを打ち続けた。
アレンにとってはそっちの方が、相手に遊ばれているように思えてならなかった。
吹き飛ばされた回数が十回を超えたところから、アレンはランダルの剣の腕を甘く見ていたことを痛感させられた。
繰り返されるのは、何度喰らいつこうとしても、手に持った剣を一方的に打ち払われるだけで、とても勝負とは呼べない粗末なもの。
二人の実力の差は、アレンがどこまで食い下がれるか、といったことを考えることすら不遜なものであるかのように、見事に開ききっていた。
かれこれ百回ほど無理矢理剣を吹き飛ばされ、アレンの握力が限界を迎えた。
手はブルブルと震え、ほとんど剣を振ってもいない両の腕は熱をもち、気が付けばアレンは肩で息をしていた。
「まだ、やるかい? 」
ランダルはそう言いながらも、興味を失ったのか、もう既に剣を鞘にしまっていた。
ゴドーは立ち上がり、膝をついてうなだれるアレンに静かに歩み寄った。
「わかったか、アレン。お前が踏み込もうとしている場所はこれと同じだ。認めたくないだろうが、今のお前ではこの御曹司には万に一つも勝てん。万に一つも、だ。こればっかりは、偶然も幸運も助けちゃくれない」
ゴドーはアレンの両肩を掴んで立たせた。
アレンは、考えなしにどこか浮かれていた自分が恥ずかしいやら、圧倒的な実力差を見せつけられて悔しいやらで、ゴドーの顔をまともに見ることができなかった。
「自分の言ったことの意味がわかったようだな。本当の戦いなら、お前の首は今ので百回は飛んどる。一流の武芸者でさえ、野良試合で命を落とすこともある。白騎士の祭典には腕利きの治療師がつくと聞いたことがあるが、必ずしも死者が出ないとは限らんのだ」
アレンはゴドーに乱暴に肩を揺すられて、否応なく顔を合わせざるを得なかった。
アレンはゴドーの白目の濁った瞳に映し出された、涙を浮かべた自分の姿をジッと見つめた。
ゴドーの瞳の中のアレンは何も言わず、ただジッとアレンを見つめ返していた。
「両親に反対されるのが嫌だから、俺のところへ来たといったな? 俺からいわせりゃ、親なら反対して当たり前だ。世の中から戦がなくなって久しいこの時勢に、どこに好き好んで自分の子を危険にさらす親がいる? 」
悔しかった。
情けなかった。
自分の無力さに、どうしようもなく腹が立った。
アレンの目から、そんな様々な感情が混ぜ合わさった涙が、ポロポロと零れ落ちた。
「もう、どう…にも、ならないの…かなぁ……? ちい姉さん…せっかく、病気、治せると…思ったのに……」
泣きながら、たどたどしく言葉を発したアレンの肩を、ゴドーの節くれだった大きな手が強く握った。
「……そうでもない。お前の目の前にいる男は、帝国一の剣聖の称号を皇帝から賜わった剣士だ。……お前が戦わなくても済む方法が、他にあるんじゃないのか? 」
「あ……」
アレンはやっとゴドーの言ったことの意味を理解した。
涙を流すその目を横へと走らせると、目線の先には鞘に納めた剣を地面に立てて寄りかかり、空を流れていく羊雲を目で追っている、銀髪の青年の姿があった。
――そうだ、彼ならば、彼ならばなんとかしてくれるかもしれない……
自分勝手な願いなのは重々承知している。
けれどもう、自分ではどうすることもできないことなのだ。
アレンは必死になって涙を止め、彼の傍へと歩いた。
自分とさほど歳の変わらない、けれど与えられた力には天と地ほどの差がある。
そんな「救済」を象徴しているかのような、年若き白銀の剣聖の前に出るアレンは今や、救いを求める迷える子羊のような心境だった。
「あ、あの」
「ん、お爺さんとの話は終わったの? もしかして、続きをやるかい? 」
涼やかな微笑は変わらずだったが、心なしか、ランダルの声が弾んでいるのをアレンは感じた。
「ランダル・フォン・フランツベルク。お願いがあるんだ」
「いいとも、僕にできる範囲でなら、ね? 」
救済を求めることに一瞬逡巡した。
けれど、アレンは意を決し、重い口を開いた。
「どうか……どうか、僕の姉を助けてください! あなたなら、白騎士の祭典でも優勝できるはずだ! 」
「……」
ランダルの顔から、微笑が消えた。
灰色の双眸が、アレンをとらえた。
「自分勝手な願いなのはわかっています! でも、僕にはあなたみたいな力なんてない。どうしようもないんです! どうか……どうか、お願いします! 」
「……」
少しだけ驚いたように見開かれたその灰色の双眸が、不意に閉じられた。
表情の消えたその端正な相貌からは、何の感情も読み取ることができない。
けれど目を閉じ黙したその姿は、強いて言えば、哀しんでいるかのようにも見えた。
草を小さく薙いでいくそよ風が、二人の間を通り抜けて行った。
「……ふぅん。要するに、君は自分じゃ何もしないで、他人に泣きつくってことだね? 」
先程までとは全く違うランダルの、無機質で、淡白な声がアレンの耳に届いた。
不思議なことに、この無感情で平淡な声が耳に入ってくるのと同時に、先程まで抑えることができないほどだった涙が、ものの見事に引っ込んでしまった。
ゴドーは溜息をつくとともに、眉間に深いしわを寄せて顔をしかめた。
「ぇ……」
「あれ、聞こえなかったのかい? 目の前にチャンスがあるのに、君は挑む前から指をくわえて見ているだけなんだねって言ったのさ」
「……」
ランダルは只々無表情だった。
それが逆に空恐ろしかった。
「悪いけど、お断りだよ。正直、昨日の夜、熱心に話を聞いていた君のいきいきした目を見たとき、ちょっと期待していたんだ。やっと面白いものに巡り合えたと思ったのに、昨日見た意志の強さは何かの間違いだったのかな? たかだか百回かそこら勝負に負けて、お爺さんに諭されただけで簡単に諦めるなんて、期待外れもいいところだよ」
「おい、もうそれくらいにしておけ、若いの」
ゴドーが割って入った。
「大体、お爺さんもお爺さんだ。『相手をしてやれ』だなんて言うから、彼の背中を押してくれるつもりなのかと思ったら、親の情を利用して剣を捨てさせるなんてね。人と関わりがないって噂だったけど、案外一人前の情があったみたいだね? 」
淡々と紡がれるその言葉の端端には、けれども嘲りや失望、なにより静かな怒りが込められているように感じられた。
「フン。なんとでも言え。お前にこの子の進む道をとやかく言う道理などないはずだ。剣聖と称されるほどのその剣の腕、一度でも誰かのために使ったこともあるまい? 振りかざした剣の切っ先を振り下ろす場所が見つかるのかもしれんのだぞ? 」
「それを言うなら、お爺さん。あなたにも僕にそんなことを言う道理はないはずだ。僕の心ががらんどうだと言ったお爺さんの言葉はよく覚えているよ。でも、人に用意された道を歩いて、人の願いを叶えても自分を満たすものがあるとは思えない。一言で言うなら、お節介、としか言いようがないね。剣を振るう先は自分で決めるよ」
ランダルは無表情でしゃべり続けた。
言葉の調子に刺々しさが増えていく。
「人の死は最高の不条理ではあるけれど、本来受け入れられなければならないものだ。生き物は遅かれ早かれ皆死んでいくものなのだから。それを覆すことができるような力だって立派な不合理だと僕は思っているけれど、君はもしかしてそれほどの力が何の努力もしてないような輩に与えられるなんて、本気でそう思っているのかい? 何の苦労もせずにもらえる子供のお小遣いみたいなものとでも? 」
「で、でも、今の僕にはそんな力なんて――」
「――ないっていうんだろう。確かに君はとんでもなく弱い。脆弱に過ぎるといっても過言じゃない。けれどそれが何だっていうんだい? 本当に願いを叶えたいと思うのなら、なぜ自分から掴みに行くことをしないんだい? 不合理を受け入れるしかないならともかく、それを覆すことができるかもしれないチャンスが転がっているのに初めから諦める。その軟弱な考えが僕には理解できないよ。なんでもかんでも母親に泣きつく赤ん坊と何ら変わりない――」
ここまで言いかけて一旦言葉を止めると、ランダルは何かを思い出したかのような薄ら笑いを浮かべた。
端正な相貌と相まって、その笑顔はともすれば相手を小馬鹿にしたような、そんな不遜な態度にも見えた。
「――あぁ、どうやら人に泣きつくのが好きなのは、赤ん坊のころから変わらないみたいだね? 」
「え……?」
「おい、若造。あまり調子に乗るなよ? 」
「僕は彼に話しているんだ。水を差さないでくれないか。で、 何か言うことは? 」
ランダルは直にアレンに問いかけた。
物腰は柔らかだが、薄笑いを浮かべたその表情は、この二日間で見たどの顔とも違う。
抜身の真剣のように鋭く、凍てつく氷のように冷たいものであった。
「……何が言いたいんだ? 」
アレンには質問の意図がわかりかねた。今しがたランダルが口にしたことの意味も……
「物心つく前から文字通り人に泣きついて、他人の厚意でその年まで何不自由なく育てられているから、人に泣きつくことに抵抗がないのかな? 」
「だから、なんの話を――」
「――君は、あの家族とは血の繋がりを持っていないんだよ」
――アレンの中の「時」が、その瞬間、停止した。
音として耳に入ってきた言葉を頭の中で咀嚼し、解析し、吟味し、理解に及ぶまでの「刹那」が、アレンには「永遠」に感じられた。
――コイツハナニヲイッテイル……?
体の末端から熱という熱が一気に失われていく。
視界が白くぼやけ、いるはずのない夜光虫が飛び交う。
耳鳴りの音が頭を満たし、他の音が遠く遠く感じる。
それらは全て、自分自身が衝撃を受けているということを意味していた。
そのことを妙に俯瞰的に見ている自分にアレン自身が気付き始めたのとほぼ同時に、ランダルが続ける。
「あれぇ、もしかして、知らなかったのかい? 少し考えればわかることだと思ったんだけどなぁ。君、家族の誰とも似ていないのに気付いてなかったのかい? 」
まるで、自分の言葉がアレンに染み込むのを待っていたかのような間のとり方だった。
未だ頭の中が痺れているアレンは動けなかった。
自然と近くにいたゴドーの方に顔が向いたが、ゴドーはゴツゴツした大きな拳を握りしめ、しわが刻まれたその顔を歪ませていた。
今にも殴りかからんとしている老鍛冶師を無視して、ランダルは追い打ちをかけるため口を開いた。
「いきなり言われても実感が湧かないかい? でもまぁ、そういうことだから、君が人に泣きつくのも、生来持って生まれた才能なのかもしれないね? 」
いつの間にか、ランダルの顔には再び顔に微笑みが浮かんでいた。
しかし、その涼やかな微笑みはもはや、アレンの心の内に眠るどす黒いモノを悪戯に刺激するだけのものであった。
――ナゼ、コイツハワラッテイル……?
「まぁ、言ってみれば、あの家族は君にとって赤の他人でしかないわけだ。病気の家族を助けたいと思う君の志は、さぞや皆から称賛されるものなんだろうけど、ましてそれが赤の他人のためだったとわかったんだから、君のその献身ぶりはまさに英雄じゃないか! あははっ、おとぎ話とちょっと違うのは、主人公が自分で望むものを勝ち取らず、ただただ他力本願なところかな? あははっ、なんて興醒めな物語なんだろうねぇ? 」
「……ろ」
「あぁ、ごめんごめん。君が捨て子で甘ったれた他力本願な気質の持ち主だなんていう本当のことを、ついうっかり言ってしまって。訂正するよ。そうだな……赤の他人を助けようとして行動に移せないまま諦めた、「英雄」に恋い焦がれるが、なりきれるはずもない哀れな凡人、っていうのはどうかな? 」
「……やめろ」
とどめとばかりに、ランダルはフッと鼻で笑った。
「それとも、恋い焦がれていたのは「英雄」にじゃなく、もしかして―― 」
「ああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!! 」
アレンは猛然とランダルに突進していった。
憎悪、憤怒、悲哀。眠っていたそれらの激情が心の中で蛇の様にのた打ち回っていた。
それこそ、許容量を超え、アレンの心を破壊しつくさんほどに。
相手との実力差など一切考慮せず、先程百回も打ち負かされたことなど全くもってお構いなしだった。
とにかく、アレンは目の前にいる涼やかな微笑を浮かべた銀髪の青年が、たまらなく憎かった。
「おおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!! 」
対象との間合いが詰まる。
アレンは全身全霊を賭して握り絞められた拳を、あらん限りの力をもって、ランダル・フォン・フランツベルクの涼やかな顔に叩き込んだ。
ランダルは避けようとする素振りすら見せなかった。
ただ、微笑みながらその場に佇み、アレンの渾身の一撃を受けた。
鈍い音と共に、若草色の芝生に、鮮やかな紅が差した。
アレンの渾身の拳は、ランダルの右頬を見事にとらえ、彼にたたらを踏ませるに足る十分な威力を持っていた。
――だが、それだけだった。
殴った感触が拳の皮膚に伝わった後、体制を立て直したランダルは懐内に入りこみ、アレンの鳩尾辺りに掌底を繰り出した。
吹き飛んだアレンの視界は反転し、意識は遠のいて行った。
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