第18話 アレン 十五歳 転機⑥


 見渡す限り一面純白の世界に、アレンは立っていた。


 アレンの目の前に誰かが倒れている。


 顔のところが黒い影に覆われていて、口元しか見えない。


 微笑を湛えたその口が動き、その声がアレンの耳に届いた。




 ――さぁ……英雄……僕を……解放してくれ……





 気付けばアレンは地べたに仰向けに倒れていた。


 倒れている場所が攻撃を受けた場所から離れているところを見ると、件の掌底でかなり吹き飛ばされたらしい。起き上がろうとしたが身体が動かなかった。


 まるで身体の力の入れ方を忘れてしまったかのような奇妙な感覚だった。


 数回に渡って自分の身体と格闘した後、アレンは辺りの様子を探ることにした。


 気を失ってからどれほどの時間が経ったのだろうか。


 太陽は高く上がり、アレンの全身をくまなく照らしていた。

 アレンは顔を腕で覆いたかったが、腕一本どころか指一本ですら自分の自由に動かすことはままならなかった。


「起きたか。……大丈夫か? アレン」


 少しして、碧空を仰ぎ見るアレンの視界にぬっとゴドーのシルエットが入ってきた。


 節くれだった手にはちょろちょろと水を漏らしている穴の開いたバケツが握られていた。


「……おはよ。もしかしてそれ、ぶっかけるつもりだった? 」


 不思議と思っていたよりも楽に声が出た。


 先程まであふれかえっていた激情が心の中には見当たらなかったことも併せて、アレンは驚いていた。


「気絶には昔からこれが一番だからな。起きたんならいい。ほれ、手ぇだせ」


 ゴドーはそう言って勝手にアレンの手を取って引き上げ、何とかアレンは起き上がった。

 しかし立ち上がった後も四肢に力が入らず、結局ゴドーの肩を借りて家の中に入ることになった。


「いってて……全然思うように動かない。アイツ、一体何したんだろ? 」


 アレンはやっとのことで椅子に座り、上半身をテーブルに投げ出した。


「身体の急所を突かれたんだろう。取りあえず、動けるようになるまで休んでいけ。二、三時間もすれば動くようになるはずだ」


「それまでず~っと、死んだ魚みたいにぐにゃぐにゃしてなくちゃいけないのか……もし、時間が経っても動けなかったら? 」


「俺が背負って町まで連れて行ってやるさ」


「……ありがとう」


 両者の間に沈黙が走った。

 アレンはテーブルに突っ伏したまま、何とか首だけを動かしてゴドーと顔を見合わせた。


「そういえば、アイツは? 」


 思い出したようにアレンは進んで沈黙を破った。

 ゴドーはフン、と鼻を鳴らした。


「やりたいことはやったから、もうここには用はない、だとさ。それから、お前が家に帰ってくる前に自分の剣を受け取らないと剣を譲ってもらえなくなる、とかなんとか言ってたな。」


「……そっか。こっちが身勝手なこと言ったのは認めるけどさぁ。だからって散々人のことボロクソに言って吹っ飛ばして、ぐにゃぐにゃにすることはないだろうにねぇ? 」


 皮肉たっぷりにアレンは愚痴をこぼした。


「そして……お前に伝言だ、アレン」


「……へぇ、何? 」


 アレンは突っ伏したまま、真っ直ぐにゴドーの目を見た。


「『悔しかったら、ここまで登っておいで』、だそうだ」


「…………」


 ついさっき間近で顔を見たこともあって、この子供じみた台詞を涼しげな微笑をもって口にするランダルの姿がアレンの脳裏にありありと浮かんできた。


 あまりにも鮮明にイメージが浮かんできたので、得も言われぬ面白さが沸々とアレンの中に込み上げてきた。  


 ――本当にまるで子供のようだ。


 アレンは本当に不思議に思ったが、怒りの感情は全く出てこなかった。


「……ふふっ。ふふふっ」


「おい、大丈夫か? まさか頭までやられちまったわけじゃあるまい? 」


「いや、大丈夫だよ。『ここまで登っておいで』か。あんのヤロウ」


 老鍛冶師は怪訝そうな表情を浮かべて、アレンの顔を覗き込んだ。


「……本当に大丈夫か? いつもと様子が違うようだが」


「かもしれないね。でも、悪い感じはしない。むしろ何だかとても気持ちが軽いんだ。」


 アレンは鋭い丈夫そうな犬歯を見せて野性的な笑みを見せた。


「そうだ、まだ聞きたいことがあった」


「あん? 」


「さっきアイツが言ったこと。きっと本当なんだよね? 父さんたちと僕が、血が繋がってないって」


「ッ!! ……なぁ、アレン」


「知ってるんだね? じゃあ答えて。そうなのか、違うのか」


 ゴドーは顔をしかめて、頭をガシガシと掻き毟った。


「……あぁ、確かにお前はあの夫婦の子供じゃない。赤ん坊だったお前が森に捨てられていたのをホーストのヤツが見つけて、家に連れて帰ったんだ。あそこは男の赤ん坊に恵まれなかったからな。それにあのお人好しな二人の事だ。捨て子だったお前があの家に引き取られるのは、当然といえば当然か。……まぁ、町の年長者なら知ってるヤツらも多いことだ」


「そう……大人の人達は知ってたんだね」


「お前が知らないまま過ごせるのならその方が良いと、皆あの夫婦に釘を刺されていたんだがな。……まったく、あの御曹司もいったいどこで情報を仕入れたんだか」


「……」


「アレン。それでもあの家族とお前が赤の他人だとは思わんことだ。血の繋がりはなくとも十五年の間、お前を育てたんだ。あそこはもう立派なお前の「家」だといっていいんだからな」


「……」


「……どうした? 」


「いや、ゴドー爺さん、今日は一段としゃべるなぁと思ってさ」


「……あぁ? 」


 ゴドーはあまり落ち込んだ様子を見せていないアレンの言動に拍子抜けしているようだった。


「ありがとう。でも、気を遣わなくてもいいよ。確かに教えられるタイミングとしては最悪だし、アイツの口から聞いたときは言葉が出ないくらい驚いたし怒ったけど、不思議と今は何の感情も湧いてこないんだ。もしかしたら、体中が痛いせいで悲しんだり悩んだりする余裕がないだけかもしれないけど……」


「アレン……」


「それに今日みたいなゴドー爺さん、初めてだから面白いしね? 」


「……フン。どっかの誰かのおかげで、今日はちいっとばかし血が滾っててな」


 ゴドーの目は中で焔が燃え滾っているかのようにギラギラと輝いていた。

「血が滾る」というのもまんざら単なる言葉の綾、というわけでもなさそうである。


 アレンは体が痛みでギシギシと軋むのを感じながらも小さく笑った。


「しかし、すまなかったな、アレン。一石二鳥を狙ったつもりが、こんな形で考えが裏目に出るとは思っとらんかった」


「どういうこと? 」


「俺はな、あの打ち合いを通して、お前が実力の差を体感して無茶を言うのを諦め、あの御曹司がお前の願いを叶えるために一肌脱ぐことに賭けておった。それが考えうる限りにおいて一番都合のいい筋書きだったからな」


「筋書きって……」


「筋書きはこうだ。お前が弱いながらも何度も何度も立ち上がり、その意思の強さを見せれば、その志の高さをあの若造が認めることになるかもしれん。そうして、目的はあるがそれを成すだけの力がない『一人の鍛冶師見習いの少年』に代わって、目的なき豪剣の力を持った剣聖ランダル・フォン・フランツベルクが立ち上がる。そうなればお前も戦いに身を投じることなく、あの若造もまた、がらんどうの心を埋めるものを見つけるだろうと。まぁこう思ったわけだ」


 アレンは目をぱちくりさせた。


 そして思わず――またも体が痛んだものの――アレンは笑ってしまった。

 一年以上付き合って、初めて垣間見た老鍛冶師の一面だった。


「はははっ、確かに上手くいけばこれ以上ない理想の筋書きだね。でも今回ではっきりした。やっぱりゴドー爺さんには鍛冶仕事が似合ってるよ」


 無骨で愚直なこの老鍛冶師に、策士の役は似合わないのだ。

 顔をしかめて頭を掻くゴドーを見て、アレンは微笑んだ。


「ぬぅ……まぁ、なんだ。あの気まぐれな若造相手にこんな美談が上手くいくはずもないことくらいはじめから気付くべきだったんだろうがな。今日空回りしていたのは、何もお前だけじゃあなかった、ということかもしれんな」


 違いない、と歳の離れた青年と老人はお互いの愚かさを笑いあった。


「……ねぇ、ゴドー爺さん」


 痛みに耐えながらひとしきり笑った後、アレンは先程から気になっていたことを訊ねた。


「ゴドー爺さん、もしかして……いや、もしかしなくてもアイツのこと知ってるよね? さっきもがらんどうの心がどうとかって……? 」


「ん? あぁ、別に隠していたつもりはなかったんだがな。この際だ」


 アレンはやっと顔だけ自由に動かせるようになった。

 顎をテーブルの上に乗せ、傾聴の姿勢を取った。


「もうかなり昔のことになるんだがな。あの若造の父親がまだ若いころ、ここらでちいっとばかし事件があってな。まぁ、そのことを知ってるヤツは今はもう少ないが……まぁいい。それ以来、俺もホーストのヤツも、少なからずフランツベルク家とは付き合いがあるんだよ」


「あっ、じゃあ父さんがあの片手半剣バスタードソードを打ったのって? 」 


 ゴドーは頷いた。


「あぁ、そのときのものだ」


「事件って、いったい何があったの? 」


「うぅむ。話してやらんわけじゃあないが、今は言わんでおこう。こいつはちいっとばかし長い話になる。来る時が来たら、お前の親父から話してもらえる日が来るかもしれんしな」


 そんなことより、とゴドーは座る姿勢を正した。

 真剣な眼差しがアレンの双眸をとらえた。


「さっきの伝言の受け取りようからして、お前出るつもりだろう? 白騎士の祭典に」


 アレンはテーブルに顎を乗せたままの体制で、重々しく頷いた。

 顎がテーブルに擦れてゴリゴリと音を立てた。

 恰好だけをみればひどく滑稽だが、これが今のアレンにできる最大限の覚悟の証だった。


「ゴドー爺さんが言ってくれたことはよくわかっているつもりさ。でも……」


 アレンは心の中にある想いとこれから発する言葉とを慎重に重ね合わせ、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「……もし父さんたちが反対したとしても、僕はちい姉さんを助けたい。助けるために戦いたい。血が繋がっているかいないかなんて関係ない。アイツはあのとき僕を煽るためにこの話題を持ち出したんだろうけど、冷静に見ればアイツの言ったことにも一理あると思ったんだ。ううん、むしろアイツの言葉で、決心が固まった。小さいころに本で読んだ英雄に僕が成れるとは思わないけど……きっと、こうするのが自分の答えに一番近いモノなんだと思う」


 ゴドーは目の前の少年の目を見た。


 つい先ほどまで自分の無力を嘆いて涙をこぼしていたとはとても思えないほどに、生気に満ちたその瞳には力の波動がひしひしと感じられた。


「……なるほど。あの若造が魅かれるわけだ」


「え? 」


「いや、そこまで思っているのなら俺はもう止めん。フン、結局あの若造の言うとおり背中を押しちまったな。覚悟を決めたお前といい、全部ヤツの掌の上ってわけだ」


「……構わないよ。むしろその掌の上で精いっぱい暴れてやるさ」


「くっくっ……そうか。そいつはいいな」


 ゴドーは喉の奥を鳴らして低い笑い声を漏らした。


「さて、ヤツについての質問の答えだ、アレン」


「うん」


「俺もあの若造と顔を合わせるのは数えるほどしかないが、それでもわかることはある。まず、ヤツには力に見合った目的が存在しない。何が満たされていないのかすらわかっていないまま――いや、もしかしたらその何かを得るために剣を振るううちに、その人並み外れた力だけで皇帝から剣聖の称号を与えられた、言ってみれば天才だ。しかしヤツはそんな肩書にも、自分の家の家紋が彫られた剣にさえ、道具以上の感情を抱いていないほどに心が凍りついておる」


 アレンにはなんとなくわかったような気がした。


「昨日アイツに叶えたい願いがあるかって訊いたら、アイツ、何も答えなかった。それってやっぱり……? 」


 ゴドーは頷いた。


「ヤツ自身、望むものなど何も見出せていないということだ。その意味で、ヤツの心は……」


「……がらんどう、なのか」


「あぁ。そのがらんどうの剣聖が、お前を戦いの場に引きずり込んだ。その真意は本人のみぞ知るところだろうが、おそらく――いや、間違いなく最後までお前の願いの前に立ちふさがるのはあの男だろう」


 アレンには、その言葉の意味がよく理解できていた。


「うん。わかってる。三年でどれだけ強くなれるかわからないけど、目的もなく無駄に力を持って生きてるような奴に、僕は負けたりしない」


 来たる未来への不安も確かにあるだろう。


 しかしアレンのその言葉は、決して自棄になって出た言葉ではなかった。


「……それでいい。その強い想いを忘れないことだ」


 ――それが何よりもお前を強くするのだから、と。


 ゴドーは目を細め、静かにそう言ったのだった。





 それから数時間が経過し、大地に降り注ぐ陽光もだいぶ西に傾き始めても身体はなかなか言うことを聞いてはくれなかった。


 そんなアレンはゴドーに背負われて帰路についていた。

 町に入るまではたいしたことはなかったものの、町に入って改めて人の目にさらされるようになってから、いい年をして人に――まして老人に――背負われている気恥ずかしさがチクチクとアレンの肌を刺した。


 もっとも町の人々からすればゴドーが町に訪れたことが非常に物珍しいらしく、次々と声をかけてきた。


 意外なことにゴドーは人々からの質問攻めを無視することなく、手短ではあったが会話を交わしていた。


 途中で話し好きの夫人たちの井戸端会議に捕まったりしたことで少々時間を食ったものの、暗くなる前までには二人は何とか家に着くことができた。


 両手が塞がっているゴドーに代わって、アレンは震える手でドアをノックした。


「は~い。あら! ゴドーさん。ご無沙汰してます。あら、アレンどうしたの? 」


 出迎えたのはエキドナだった。夕食の支度をしていたのか、エプロンを身体に掛けたままだった。


「久しぶりだな。突然ですまんが、上がらせてもらっても? 」


「えぇ、もちろん! もうすぐ食事ができますから、どうぞ食べていってくださいな。」


 エキドナは機嫌よくそういうと、パタパタと調理場の方へ戻って行った。


 のっしのっしとゴドーは部屋に入り、食卓の椅子の一つにアレンを降ろして自身も隣の椅子に腰を下ろした。


「ありがとう、疲れてない? 」


 気遣わしげにアレンは声をかけた。


「やれやれ、腰が痛くなった。もう二度とはやらんからな」


 腰のあたりを大きな拳で叩きながら、苦々しげにゴドーは言った。

 アレンは辺りを見渡したが、調理場の方から感じるエキドナの気配の他には人の気配を感じないことに気が付いた。


 カトリーナは二階にいるのは間違いないとして、ルーシーはカトリーナに付いていてくれているのかもしれない。


 ホーストの姿も見えないが、もしかしたらまだ工房にいるのかもしれない。


「アレン~? 悪いけど、上に行ってルーシーを呼んできてくれるかしら~? 」


 調理場の方からエキドナのふわふわした声が聞こえてきた。動けないアレンに一瞥をくれ、ゴドーは静かに席を立って階段を上って行った。


 一人になったアレンは暗くなっていく部屋の中で眠気に襲われ、テーブルに突っ伏したままうとうととまどろみ始めた。


 少しして、トントントンと軽やかに階段を降りてくる音でアレンの意識は覚醒した。


「アレン? あのお爺さんって……ってちょっと! 大丈夫なの!? 」


 ルーシーの大きな声でよりはっきりと意識が覚醒していくのを感じながら、アレンは突っ伏したまま顔だけを姉に向けた。


「う~ん……ちょっと体に力入らないけど、なんとか」


「……何があったのよ? 」


 アレンはルーシーが少なからず自分のことを心配していることをその語気から感じ、少し嬉しくなった。


「な~にニヤついてんのよ。ホントに大丈夫なの? 」


「あぁ、でも、ごはんは食べさせてもらうことになるかもしれないなぁ」


「ばか」


 ルーシーは白くきれいなその指でつん、と軽くアレンの額を小突いた。

 わけもなく、またアレンの顔から笑みがこぼれた。


「あぁ、ちょうどよかったわ。ルーシー? お皿、運ぶの手伝ってくれる? 」


「は~い。ほらアレン。お皿置くんだから、体起こして待ってなさい」


 くしゃっとアレンの髪を撫で、ルーシーは調理場へと消えていった。


 普段は弟をからかって遊ぶのが好きなルーシーだが、アレンに元気がないときには基本的に嫌がることはしないのである。


 相変わらず動けないアレンは、少しして降りてきたゴドーに体を起こしてもらった。


 母と姉の二人が手際よく料理の乗った皿をテーブルに並べ、ゴドーのために椅子を一つ足し、まだ姿の見えないホーストを除く四人は席に着いた。


「父さんはまだ工房にいるの? 」


 力なくだらりと椅子に座っているアレンが誰に尋ねるでもなく尋ねた。


「そうなの。一度やる気になったらとことんまでやっちゃう人だから、ある程度は仕方ないとは思うんだけどねぇ」


 困ったような微笑みを浮かべて答えたのはエキドナだった。


「……なぁ。一つ聞きたいんだが」


「はい? 」


 ゴドーが切り出した。


「アイツがまだ工房にいるってことは、まだ何かしら仕事が残っているということだな? 」


「えぇ」


「……まさかとは思うが、朝からずっと同じ作業に没頭している、なんてことはないよな? それに開いている椅子が二つあるということは……」


 エキドナは不思議そうにルーシーと顔を見合わせた。一方で、アレンとゴドーもまた共通の嫌な予感を持って顔を見合わせた。


「母さん。もしかしてまだアイツが……? 」


「おう! 帰ったか、アレン! おお! ゴドーの爺さんも! 珍しいもんだなぁ」


 充実した様子のホーストが部屋に入ってきたことで、アレンの言葉はかき消された。


 そして言いかけた質問の答えが、アレンの眼前に突き付けられた。


「やぁ、お帰り」


 は、何事もなかったかのように口を利いた。

 あまりにも自然な口の利き方に、アレンは軽い眩暈すら覚えた。


 誰あろう、ランダル・フォン・フランツベルクその人が、何食わぬ顔でそこにいた。


 驚愕すべきは、何時間か前にアレンの全身全霊の一撃をもろに受けたはずのその右頬が、腫れはおろか拳の摩擦による擦り傷すら見受けられなかったことだった。


「いや~、久々に気合い入れてやってたらもうこんなに遅くなっちまってなぁ! はっはっは」


「はっはっは、じゃないですよもう。ごめんなさいね? ランダルさん、もしよろしければもう一泊されていきますか? 」


「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」


「な……えぇ!? 」


 それ以上の言葉が出てこないほど、アレンは呆気にとられていた。


 その傍らではゴドーが頭をポリポリと掻きながら小さな溜息をついている。


「おう? そういえばどうしたアレン? そんなにぐだっとして。今日はそんなに爺さんにこき使われたのか? はっはっは」


 アレンの苦悩など露知らず、ホーストは朗らかに笑いながら息子の肩を叩いた。その普段なら何でもないほどの衝撃で、ぐにゃぐにゃのアレンは無様に椅子から転げ落ちてしまった。


「おう!? おいおい、ホントにどうしたんだ!? そんなに疲れちまったのか? 」


 息子のこの反応はさすがに予想外だったらしい。

 ホーストは素で驚いているようだった。


「……おい、剣聖」


 アレンがジトッとした目でランダルの涼しげな顔を睨みつけた。


「この身体、全然言うことを聞かないんだけど。どうしてくれるんだ? 」


 ランダルは小首を傾げ、あぁ、と、何かを思い出したような素振りを見せた。


「そうか、忘れてたよ。ちょっとジッとしてて」


 そういうと、ランダルは床にうつ伏せになっているアレンの背中の一部分に、親指を強く押し込んだ。


「ぐあぁッ!? 」


 一瞬、針で刺されたような鋭い痛みがアレンの全身を駆け巡った。

 しかしその痛みは全身に広がると同時にアレンの身体の節々に熱を持たせ、数十秒と経たずに再び動かせるほどにアレンの身体を回復させた。


 ホーストやエキドナ、ルーシーは、「わけがわからない」といった風にこの一部始終をただポカンと眺めていた。


「あの、ランダルさん? なにを……? 」


「あぁ、今彼の――」


「――ああもういいよ! さぁ、父さんも席について、早くごはんにしよう」


 アレンはランダルの言葉を遮ってホーストを席に着かせた。


 ランダルも肩をすくめ、席に着いた。

 あろうことか、ランダルの席はアレンの隣だった。


 ホーストの号令に合わせて食事の前の祈りと挨拶を終え、各々は食事をとり始めた。


 ホーストとエキドナは久しぶりに顔を合わせたゴドーとの話しに花を咲かせていた。


 ルーシーは心なしかピリピリした様子のアレンをチラチラ見ながら黙々と食事をとっていた。


「……なんでまだいるんだ? っていうか、アンタのその顔。腫れも何もないっていうのはどういうことだ? 」


 アレンは小声でランダルに問いかけた。


「今の今まで、肝心の剣が完成していなかったからね。それと、この顔のことだね? 言ってなかったけど、簡単な〝治癒の法術″なら使えるんだよ、僕」


 アレンはスープで暖まった胃が、俄かにグラッと揺れるような感覚を覚えた。


「……まるでびっくり箱だなぁ、アンタは。お次は一体何が出てくるんだ? 」


「ふふっ。あぁ、そうだ。ところで、お爺さんに頼んだ伝言は聞いてくれたかな? 」


 ランダルはアレンに顔を近づけてさらに声を落とした。

 唇を薄く伸ばして微笑んでいるその顔が、アレンの神経を絶妙なまでに逆撫でた。


「……あぁ、聞いたよ、聞かせてもらったよ」


「それで? せっかくまた会えたんだから、今答えを教えてくれるんだよね? 」


 ズイズイッとさらに顔が近づく。


「だぁ~! 顔が近い! 」


 アレンは思わず立ち上がってしまった。

 一斉にその場にいる全員の目がアレンに集中した。


「わかった! 答えてやるよ! 今すぐにな! 」


「そう来なくっちゃね」


 満足げなしたり顔をもう一度殴りたい感情を抑え、アレンは十五年の間自分を育ててくれた「両親」に向かい合った。


「父さん。母さん。話があるんだ」


 至極真面目な表情でアレンは切り出した。


「どうしたの、アレン? そんな大声出して」


 エキドナは驚きで目を丸くしていた。

 アレンの表情を見たホーストは、手に持った杯の中身を一気にあおり、手の甲で口を拭いた。


「ぼく……いや。俺、どうしてもやりたいことがあるんだ。反対されるかもしれないけど、どうしてもこれだけは譲れない」


「ア、アレン? 」


 エキドナは急に雰囲気の変わったアレンに戸惑っているようだった。

 ホーストは杯をテーブルに静かに置き、真っ直ぐな目でアレンを見た。


「……言ってみろ」


 アレンの目が、そこにいる一人一人に移って行った。

 ランダルは相変わらずの微笑を浮かべ、ゴドーは目を細めて小さく頷いた。


 エキドナは少し怯えた様子でアレンを見つめ、ルーシーは少し哀しそうな顔をしていた。


 そして最後に、真正面に座る、アレンがいつも手本としてきた父の力強い目がアレンを捉えた。



 アレンはすぅ、と小さく息を吸った。


 意を決し、言葉を紡ぐために口を開く刹那。


 ……不意に脳裏に浮かんだのは、十五年間の楽しかった思い出の日々だった。


「俺、白騎士の祭典に出たいんだ。優勝して、叶えられる願いでちい姉さんの病気を治す。そのために……この家を出ようと思う」




 それは一人の少年が、確固たる志を持った一人の青年へと変わった瞬間であった。




 そしてそれは――運命という名の歯車が、ゆっくりと音を立てて動き出した瞬間でもあった。



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