第28話 エピローグ
聖なる宵、年若き英雄が人ならざる者に託した望みは、確かに叶えられた。
それは、確かめる術を持たない願い。
それでもそれは、確かに叶えられた願いでもあった。
「……姫様……」
「……わたくしは、自分を恥ずべきですね」
「いいえ、姫様の願いは、一人の御仁を深く愛されていたがために抱かれた願い。その想いに、恥じるところなどありはしません」
「……民の上に立つ者としての責務を、ランダル兄様はきちんと果たされたわ。きっと、あの時もそのことをわたくしに打ち明けようとなさってくれていたはずなのに、わたくしは一人で舞い上がってしまっていました」
「……もしそう思われるのでしたら、次にランダル様がいらした時には、お二人でじっくりとお話をなさるとよいでしょう。ランダル様は決して、姫様を悲しませるようなことはしないはずです」
「えぇ、ありがとう。その時まで、わたくしも自分を磨いて、ランダル兄様を支え、支えられるにふさわしい女になるよう努めます。望んですがるだけの者に、白の精霊は微笑まない。それを教えてもらうことができたのですから」
「姫様ならば、きっと成れます……きっと、きっと」
「……ヘファイスの鍛冶師、ですか……」
「姫様? 」
「……いいえ、なんでもありません」
例えばそれは。
淡い夢破れた一人の少女が、大人の階段を一段登り、さらに次の一歩を踏み出すきっかけを得たことであったり……
「お~い、クロウの旦那! 俺たちにも剣を教えてくれよ! 勘違いしてくれんなよ? あくまでも健康のために、さ! 」
「最近身体がたるんできてしまいましてね、ここはひとつ頼まれてくれませんか? 」
「あぁ~、あの時のアレンとの打ち合いは凄かったからな! もう一度見せてくれよ、クロウさん! 」
「……あ、あぁ、別にかまわんが……」
例えばそれは。
変り者と呼ばれていたとある武芸者が、村人たちと打ち解けあうきっかけを得たことだったり……
「ご、ごごご、ゴドーさん、あ、あああのあのあの……」
「……」
「じ、じつは、父ちゃんに内緒で使ってた金属細工……こ、壊しちゃって……直せなく、なっっちゃって……」
「……」
「ひぃ! ご、ごめんなさい! 」
「……見せてみろ」
「ごめんなさい! タダで直してほしいなんてムシが良すぎますよね…………へ? 」
「ふむ……ちいっと待っとれ。これくらいならすぐに直る」
「……あ、ありがとう、ございます! 」
例えばそれは。
頑固者の老鍛冶師が町の人々からの誤解を解かれ、ほんの少しの歩み寄りを見せたことだったり……
「あなた! あなた! 」
「ど、どうしたんだそんなに慌てて! 」
「あの子が、あの子が! 」
「ッ! あの子に何かあったのか!? 」
「お父さん! お父さん! 」
「!? お、おい! 寝てなくても大丈夫なのか? 」
「お父さん! 私、すっごく体が軽いの! まるで病気なんて治っちゃったみたい! 」
「な、なんだって~!? 」
例えばそれは。
病を患った娘を持つとある兵士の家庭に舞いこんだ、飛び切りの幸せだったり……
きっと、武芸者は困惑したような困り顔で……
きっと、老鍛冶師はいつも通りのむっつり顔で……
きっと、兵士は子供のような屈託のない笑顔で……
それぞれの日々を過ごしていくのだろう。
そして、無事故郷へと帰還したとある姉弟にも、大きな幸せが待っていた。
二人は――特に弟の方は――ひどく驚いただろう。
自分の身が壊れるほど強く望んだものの答えが、眼前に立っているのだから。
彼女は父と母とに両肩を支えられ、大好きな弟を出迎える。
その髪の色は、かつての鮮やかな赤ではなく、まるで絹糸のように気品に満ちた、美しい純白。
かつて優しげな光を湛えていた瞳は、既に光を失い、もともと細かった体の線も、さらに細くなってしまっている。
それはおそらくこの先も変わることはないのかもしれない。
ただ、変わったことが一つだけあった。
彼女を侵していた病は、もう彼女の体の中にはいなかったことだ。
彼女は自分の足でゆっくりと外の世界に踏み出し、弟を迎えた。
おずおずと歩み寄る弟を抱きしめ、その胸に頬を摺り寄せる。
「……おかえりなさい。おかえりなさい、アレン」
それは、感極まり、くぐもった声ではあった。
それでも、青年の耳には、その声が、どんな音色よりも綺麗な音色に聞こえた。
「……ただいま、ちい姉さん」
そう言って、青年は自分の胸にすがりつく姉のその弱々しい身体を、その力強い腕でしっかりと抱きしめたのだった。
こうして鍛冶の町ヘファイスに住む鍛冶師見習いの青年に、平和な日常が戻った。
和解を終えた後、これまで以上に育ての両親との仲もしっくりと行くようになった。
弟をからかうのが好きな上の姉の相手をしたり。
病の癒えた下の姉を外に連れ出したり。
たまに顔を出すようになった老鍛冶師と父に技を伝授されたり。
いつまでもプンプン怒っている幼馴染をなだめたり……
そんな日々が、確かに戻ったのだ。
「そうだ! いいぞ、その調子だ! どんな感じがする? アレン」
「あぁ、なんかこう……ガッとなって、バーンって感じだな! 」
「はっはっは、ガッとなってバーンか! そいつはいい! 」
「……まったく、親子そろってアホなこと言いおって」
「あはは、でもさ、ゴドー爺さん、火花って、いいもんだな。俺も好きだよ……綺麗で、儚くて、ゴドー爺さんの言うとおり、まるで命みたいだ……」
「……フン」
青年が三年の間に得たものは、鍛冶師の仕事においてもきっと生かされていくのだろう。
そしてそんなある日、きっと彼が青年を訊ねるのだ。
新たな英雄として各地を巡り、人々に希望を与える若者が……
その一本一本が純銀を溶かして作られたかのような銀髪をそよ風になびかせ。
規格よりも少々大きな
「……よう。何の用だい? 剣士さん」
青年のその顔は、友人に向けられる屈託のない笑顔だった。
「……あぁ、実は剣が刃こぼれしていてね。ここらに腕の良い鍛冶師がいるはずなんだけど、知ってるかな? 」
対する若者の顔もまた、気の置けない友に向けられる、柔らかな笑顔だった。
二人はきっと、お互いにさぞや大きな声で笑い合うことだろう。
「よくきたな、ランダル! さぁ、上がれよ! 改めて家族を紹介するからさ! 」
「……あぁ、じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」
そう言って二人は家の中へと入って行く。
鍛冶師と貴族という垣根を越えて、彼らは友人となり、親友となった。
彼らの間に、剣聖や英雄、鍛冶師といった肩書や役割は不要だった。
迷走しながらも自分という存在を見出し、「万人のための英雄」となったランダル。
計らずも、その「英雄」の心を解放へと導いた、「英雄のための英雄」アレン。
二人は、それぞれの『戦い』の中で、答えを見出したのだ。
暗闇に囚われた冷たい鋼が、無明を晴らす鎚の火花を受け、かくも美しい英雄の剣となるように。
それは、「めでたしめでたし」の物語を望む者たちが、胸の内に秘めたる想い。
それは、ランダルがあの夜、白の精霊に託した願いの根底に在るもの。
それは、古の英雄が後世の者達のために詠った、ひとつの願い。
英雄――その剣は誰のために。
これは、その答えに至った者たちの――物語である。
(了)
英雄ーーその剣は誰の為にーー @ddd92602991
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