第27話 英雄の願い

「アレン、そろそろ終焉の儀だ。歩けそうか? 」


 アレン付きの兵士がカンテラを持って部屋に入ってきた。


 アレンはルーシーの膝の上から何とか頭を起こしボサボサの髪を掻いた。


「……あぁ、行こうか。悪いけどおっさん。手ぇ貸してくんない? 」


 アレンは両肩をルーシーと兵士とに支えられ、ゆっくりと廊下を歩きだした。


「……おっさん。ごめんな? 俺に賭けてくれた金、パァになっちまっただろ? 」


 兵士はへへへっ、と人差し指で鼻を擦り、子供のような笑顔を浮かべると、アレンの背中をバシリと叩いた。


「いってっ! 」


「金なんてお前が気にすることじゃねえよ。実際にお前と剣聖の試合見てたら、賭け事なんてしてる自分が情けなくなっちまってなぁ。賭け札なんて破り捨てちまったぜ」


 アレンは目を丸くして驚いた。


「えぇ!? でも、あの金で娘さんの薬を買うって言ってたじゃないか!? いい薬を買うには金は必要だろ? 」


 アレンの言葉で兵士は幾分真面目な顔に戻ったが、口元から笑顔は消えなかった。


 もっとも、その笑顔は、何かを諦めたような、そんな哀しい笑顔にも見えた。


「実はな、今日のお前の試合、娘も見ていたのさ。白の精霊様のおかげかもしれんが、今日はいつもより調子が良かったみたいでな。食い入るようにお前を見ていたよ。何日か前から俺がお前の話をしていたからな」


「おっさんも一緒に見てたんだよな? 」


「あぁ、妻と、娘と、久々に家族水入らずでな。おっと、仕事中にこんなことしてたのは内緒だぞ? ……あの子のあんな輝いた目を見たのは久しぶりだった。ただの殺し合いを見てそんな風になったわけじゃないことくらいは俺でもわかる。ここのところ病で気力が落ちていたあの子に、お前は力をくれたんだ。薬を買う金でも買う事なんて出来ないような、強い力をな」


 アレンは乾いた自嘲的な笑い声を上げた。


「ははっ、お世辞はよしてくれよ。俺は結局負けちまったんだから」


「……娘から伝言を預かってきた。聞いてくれるか? 」


「……」


 アレンは頷いた。兵士は哀しそうな笑顔を少しだけ明るくさせた。


「『勇気をくれて、ありがとう』、だとさ」


 それは、会ったこともない、病に伏す少女から送られた、感謝の言葉。


 しかし、似たような境遇の女性を救おうと努力してきたアレンにとって、その少女の言葉は、ルーシーが掛けてくれた言葉を裏付けてくれる、何よりの証拠のように感じられた。


 アレンは傍らに寄り添うルーシーを見た。

 ルーシーはまるでカトリーナのように優しく微笑みながら、何も言わず、静かに頷いてくれた。


 廊下を進んで、一同は扉の前にたどり着いた。


 兵士が扉に手をかける。


「おっさん……今度、娘さんに会いに行っていいかな? 」


 アレンの問いに、兵士は今度こそ子供のような屈託のない笑顔を取り戻した。


「あぁ、もちろんさ! いつでも歓迎するぜ? ただし、俺の娘に惚れちまっても責任はとらねぇけどな? 」 


 ひとしきりクスクス笑った後、兵士は扉を開けた。


 外はもう夜だったが、白銀の満月と輝く星々が地上を優しく照らしていた。


 その穏やかで柔らかな光とひんやりとした空気が、昼間まで闘技場だった場所を、どこかしら神聖な感じのする場所へと変貌させていた。


 闘技場には観客席にいた人々が一様に集められ、閉会の儀を今か今かと待ちわびていた。


 観客席の一番上には皇帝と姫君のための座がある。


 昼間はなかったが今はそこへ至るための石段がせり出している。優勝者はその石段を上り、そして皇帝と同じ高みに至るということを表しているのだろう。


「いい月夜だ。こりゃあ、明日も晴れだなぁ……アレン、俺はここでお別れだ。本当に、いつでも気軽に訪ねてきてくれ。うちの子もきっと喜ぶはずだ」


「あぁ、きっと行くよ。その時は、弱った身体に効く『すごい水』持ってくから、楽しみにしててくれ」


「ははっ、そりゃあ凄いな……楽しみにしてるよ」


 兵士は空に手をかざし、アレンはその手を叩いた。


 ――パンっと乾いた音が響き、兵士は後ろ手を振りながら暗い廊下を戻って行った。


 兵士を見送った後、アレンは傍らで支えてくれているルーシーと共に、夜空に浮かぶ満月を仰ぎ見た。


「姉さん。もしかしたら、姉さんの言うとおり、なのかもな? 」


「さぁ……アンタがそう思うんなら、そうなんじゃない? 」


 二人は月明かりの下で顔を見合わせる。青白い光にそれぞれの顔が浮かび上がる。


「今日は、最後まで優しい理想の姉でいてくれるんだろ? 」


「今日だけ仕方なく、よ。アンタが元気ないと張り合いないんだから」


 二人はまたクスッと笑いあった。

 満足げに微笑むアレンはルーシーに支えられて、闘技場の中に足を踏み入れた。





 中へと入り、人々で埋め尽くされた円形の闘技場を丁字に割るように仕切られた道を、アレンはルーシーに支えられて歩いた。


 仕切りの中から口々にアレンの健闘を讃える声が上がる。

 会話するほどの距離から口々に告げられる人々の言葉に、アレンははにかんだ笑顔を以て応えた。


 ちょうど反対側の門からランダルが出てくるのが見えた。


 半狂乱かと思われるほどの歓声が近くの人々から発せられた。


 月光に善く映える銀髪を揺らす青年の、そのしなやかで軽い足取りは、威風堂々としていて、それでいて傲慢不遜には感じないものだった。


 ランダルは一人で、アレンはルーシーに支えられて闘技場の中央まで歩み寄り、向かい合った。


 観客の歓声が一気に消え、闘技場は水を打ったように静まり返った。


 一番近くで見ている人々は、何かが起こることを想像しているかのように、固唾をのんで二人を見守っていた。


「……本当に良かった。傷は大丈夫みたいだね、アレン」


「……お互いにな、ランダル」


 その命尽きる寸前まで死力を尽くして戦い合ったのがまるで嘘のように、穏やかな様子で両者は微笑み合った。


「……アレン、一つ、僕の願いを聞いてくれないか? 」


「あん? 」


 ランダルはすっと手を差し伸べた。


「……君が、君だけが、僕を解放してくれた。剣聖としてではなく、英雄としてではなく、一人の人として、僕の存在を認めてくれた。――お願いだ。どうか、僕の友人になってはくれないだろうか? 」


 周りの人々には聞こえない、とても小さな声だった。


 次世代を担う新たな英雄となったはずのランダル・フォン・フランツベルクにはいささか似合わない、遠慮がちな口調。


 アレンはそんな銀髪の青年と差し出された手とを交互に見つめ、傍らにいるルーシーと顔を見合わせると、クスっと笑った。


「面白いなぁ、お前は。俺たち、つい何時間か前まで殺し合ってたようなもんなんだぜ? 」


「……」


 その言葉でランダルの顔は少し翳った。


「でも、素直な気持ちで差し出された手を振り払えるような手を、あいにくと俺は持ってないんだ。貴族のお前が俺みたいな鍛冶師見習いと友人になるなんて、他の連中が聞いたらなんて思うかは知らねえけどな? 」


 そういうと、アレンは笑顔で差し出された手を取った。


「……アレン」


「言ってくれたよな? 俺に逢えて良かったって。正直言って、俺はお前の事が苦手だった。初めて会った時からな。でも、お前がいなかったら、今の俺は絶対にいないっていうのも確かなことなんだ。それが良かったのか悪かったのかはわからねぇけど、今の俺は、お前に逢えて良かったと、心から思ってるよ」


「……ありがとう」


 二人の若者は、固い握手を交わした。


 近くにいた観客たちから、一人、また一人と拍手が上がっていく。


 ただ二人の若者のためだけに向けられた、人々の祝福の笑顔。惜しみない拍手と歓声。


 それは漣の様に少しずつ広がっていき、最後には闘技場そのものが叫んでいるかのような大歓声へと変わった。 




 少しして、格式ある装束に身を包んだ大僧正と思しき人物が皇帝の座の前に現れた。


 人々の視線は闘技場の高みへと向けられた。


「ではこれより、白騎士の祭典、終焉の儀を執り行う!! 」


 大僧正は声高々に宣言した。観客席は再び水を打ったようにしん、と静まり返った。


「今宵、神聖帝国に新たな英雄が誕生した! 勇気ある若者よ、祭壇へと参られよ! 」


 民の目が、今度は一斉にランダルへと向けられた。


「アレン、石段の手前まで、一緒に来てくれるかい? 」


 その言葉を受けて、アレンはルーシーと共に、ランダルと肩を並べて石段への道を歩く。


 栄光への王道の両脇を守るのは、道半ばで敗れて行った三十一人の戦士たち。


 彼らと人々の眼は、石段へと向かう二人の若者の姿を静かに追っていた。


 ゆっくりと歩き、二人と一人は石段の目前までたどり着いた。


「そういえば、お前は白の精霊に何を望むんだ? 」


 アレンがふと思い出したようにランダルに尋ねる。

 三年前には聞けなかったことだ。


 ランダルは白銀に一番近い高みを見つめながら、微笑んでいた。アレンはその笑顔に思わず見入ってしまった。


 ――青白い月光に照らし出されたその姿は、今まで醸し出していた諦念レジグナチオンを一切感じさせない、凛として力強い姿だったからだ。


「……答えは得たよ。僕は今、僕がすべきことをする。皆が僕を新たな英雄として認めてくれるなら、僕は英雄としてそれに応えるまでさ」



 ――たとえ、それが一人の夢見る少女を悲しませることになったとしても、ね……



 ランダルは姫君の座を見上げ、そうつぶやいた。


 きっとそこには、柔らかな微笑みを浮かべ、幸せに浸る姫君が座っていることだろう。


「あ? なんか言ったか? 」


「……いや、なんでもない。じゃあ、行ってくるよ」


 ランダルはアレンを置いて高みへと上って行った。


 ゆっくり、けれど確実に。

 一段、一段と階段を上り、人々の眼からそのシルエットは徐々に小さくなっていく。


 一番上まで上り詰めると、ランダルは大僧正の前に片膝をついて跪き、大僧正は月桂樹の冠をランダルの銀色の髪に乗せた。


 皇帝が座から立ち上がった。

 脇に控える近衛兵がカンテラを持ち、威厳あるその姿を照らし出す。


「剣聖ランダル・フォン・フランツベルク! 余はそなたを我が国の英雄として認め、そなたにあらためて『御剣の座』を授けようと思う! 余の申し出に不満のある者はおるか? おるならば名乗り出るがよい!」


 力強い皇帝の言に誰一人として、反対する者はいなかった。


「今ここに新たなる英雄は来たれり! 白の精霊よ、民の希望に祝福を! 世に永久なる平安を! 」


 大僧正の声が朗朗と響いた。観客席から大音量の歓声が鳴り響いた。


 誰もが新たな英雄の誕生を祝い、それを心から喜んでいた。

 大僧正が諸手を上げて歓声を鎮めると、ランダルは立ち上がった。


「……ここにある喜びは、今宵、ここに集まった皆のもの。故に私、ランダル・フォン・フランツベルクはここに誓おう! 新たな英雄として認められたこの力は、常に皆の心に寄り添い、その支えとなるものであることを! 」


 ランダルの言葉に、民は再び大音量の歓声で応えた。


 傍らで大僧正は満足げに微笑み、玉座に座す皇帝も、姫君も、ランダルの宣言に拍手を送っていた。


「……驚いた。アイツ、あんなにまともで立派なことが言えたんだなぁ」


 なんとなく自分は場違いなのではないかと懸念し始めながら、アレンは呆気にとられていた。


「……彼が最後に対等な友人を求めたのには、こういう理由があったってわけね」


「ッ! ……そういうこと、か」



 ――でも、アイツは「答えは得た」と言った。アイツの心はもう、がらんどうじゃない。



「責任重大ね? 〝英雄の友人〟なんて」


「やめてくれよ、アイツはきっとそんな風に扱ってほしくないから、俺を友人に選んだんだ。それがアイツの願いなら、友人としてそれくらい叶えてやるさ」


 アレンがそこまで話したところで、大僧正が再び歓声を鎮め、また静寂が訪れた。


「では、民に認められし新たなる英雄よ。白の精霊がもっとも我らと共にある今宵この時に、そなたは何を望み、何を叶えるのだ? 」


 そこにいる全員が生唾を飲んだような奇妙な緊張感がその場を満たしていった。


 姫君が、座から身を乗り出した。


 祭壇の上のランダルは、一度俯き、大きく息を吐いた。


「……ごめんね、フラウ」


 それは、隣にいる大僧正にさえ聞こえないほどの小さな声だった。


 ランダルはこうべを高く上げ、頭上の白銀の満月を仰ぎ見た。



「私が……ランダル・フォン・フランツベルクが白の精霊に望む願いは――――!! 」



 白の精霊の力が満ち溢れる、神聖なる宵。


 届かぬ高みから降り注ぐ優しい光が、ほんの少しだが、強くなる。


 新たなる英雄として、民草に認められたランダル・フォン・フランツベルク。



 その口から紡がれたその言の葉が――



 空に。

 風に。

 大地に。

 人々の耳に。

 そして――心に。


 確かに響き渡った。


 それを聞いた民たちは喜びをあらわにし、感涙にむせび泣いた者もいた。


 その後ランダルの言葉は瞬く間に国中に伝播し、誰もが歓喜に震え、それを隣人と分かち合うこととなった。




 けれど――ただ一人。


 恋に恋い焦がれた少女ただ一人だけは。


 皆の夢が叶ったその夜、ひとり夢破れ、静かに涙を流したのだった。

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