第26話 勝者の涙


「どうですかな、剣聖殿? まだどこか体に違和感などは? 」


 ゆったりとした法衣に身を包んだ聖職者が、柔和な笑みと共にランダルに問いかける。


「……いえ。何ともありません。さすがは『白の担い手』だ」


 砕けた肩。

 切り裂かれた腿。

 刺された腹。


 それら全てが元通りになったことを確認して、ランダルは礼を述べた。


「いえいえ、我々がこのような力を行使できるのも、あなた様が今日という日を善き日にして下さったおかげです。件の決勝戦、よもやどちらかが命を落としてしまうのではないかとハラハラしておりましたが、やはり懸命に生きようとする者には、必ず白の精霊の加護があるのですよ」


「では、彼は無事なのですね? 後遺症なども残らない、と? 」


 聖職者は頷いた。


「白の精霊のご意志により、あの若者も命を繋ぎとめました。少々血を流しすぎたせいか、おそらくしばらくは目を覚まさないでしょうが……たまたま身内の方がいらっしゃったので、あとはその方にお任せしてきたのですよ」


「そうですか。それは、良かった……」


「ふふふ、戦った相手の命を気遣うその姿。あなたはまさに、次世代を担う新たな英雄としてふさわしい。今宵は聖なる夜。あなたが白の精霊にどんな望みを託すのか、国中が注目しておりますよ? では、私はこれで……」


 聖職者は胸に手を当てて丁寧に暇を告げると、他の聖職者を引き連れて控室を出て行った。


 うす暗い小部屋の中に一人残されたランダルは、静かに目を閉じ、浅いまどろみの中に落ちて行った。


「……ンダル様。ランダル様?」


 微睡に落ちてからどれくらいの時間が経ったのかもわからないまま、ランダルはうっすらと目を開けた。


 白く強い明かりが、暗闇に慣れた目には少々辛く感じられた。


 瞬きをして照準を合わせると、目の前には城付きの侍女が白く輝くカンテラを持ってランダルを覗き込んでいた。


「ランダル様、おやすみ中に起こしてしまい申し訳ありません。お体の具合は大事有りませんか? 」


「あぁ、もう治療は済んでいるよ。どうしたんだい? 」


「えぇ、それが……」


 侍女はそう言ってカンテラの光を後方に向けた。

 白い光の先には、純白のドレスに身を包んだ王女フラウディアが立っていた。


 その顔は、どこか怒ったような、笑いを堪えているような、そんな顔だった。


「……ランダル、兄様」


「やぁ、フラウ。どうしたの? その顔」


 ランダルはもっとよく顔を見ようと椅子から立ち上がった。

 しかし次の瞬間、それは叶わなくなった。


 フラウディアがランダルに駆け寄り、強くしがみついたからだった。


「……フラウ? 」


「……心配、しました。ランダル兄様が、肩を……おなかを……」


 ランダルの胸で、フラウディアは小さく震えていた。


 ランダルは目の前で震える小さな肩を両の手で優しく掴み、フラウディアを胸からゆっくりと引き離した。


「もう大丈夫だよ。ほら、傷も全て治してもらった。なにも心配はないよ? 」


 ランダルはそう言って身を屈め、フラウディアの頬に流れる涙の粒を拭った。


 フラウディアは何も言わず、身を屈めたランダルの首に手を回し、抱き着いた。


「……良かった……ぐすっ、本当に、良かった……」


 抱き着いたまま頑として動こうとしないフラウディアに困ったように微笑みを浮かべながら、ランダルは彼女の背中に手を回し、落ち着きを取り戻すまで、その艶やかな金色の髪を撫でた。


「ぐすっ、ごめんなさい……取り乱したりして、わたくしったら……」


 しばらくして、フラウディアはランダルから離れた。


 照れ隠しなのか、白い手袋をした手で、涙で汚れた顔を隠すように覆っている。


 その様子を見た侍女がすぐさまハンカチを持って駆け寄り、その顔を拭った。


「落ち着いたかい? 」


 侍女が顔を拭き終わるのを待ってから、ランダルは尋ねた。


「……えぇ、では、改めて。おめでとうございます、我が国の新たな英雄様」


 フラウディアは優雅な微笑みを浮かべて、ドレスの裾をつまんで会釈をした。


「……くくっ」


「な、何を笑ってますの!? 」


 かぁっと頬を赤くして、フラウディアが問いただす。


「いや、さっきまであんなに泣いてたっていうのに、いきなりそんなお姫様らしいことされても……ねぇ? 」


「で、ですからあれは、ランダル兄様の事がとても心配だったのです! ……もう、 ランダル兄様はこんな時にまでわたくしに意地悪をなさるつもりなのですか……? 」


 もじもじとしているフラウディアを見て、ランダルはクスクス笑ったが、返事は返さなかった。



 それは、小さいころからあったごく当たり前の会話。


 しかし、ランダルは、何か憑き物が落ちたかのようなすがすがしい気分だった。



 世に生を受けてより十数年。


 鍛冶師の青年とのを通じて初めて感じた得も言われぬ感情が、心を無秩序に、無制限に、満たしていくのをランダルは感じていた。


 あえて言葉にするのならそれは、生まれて初めて感じた、「戦士としての生の充足」とでも言うのだろうか。


 ランダルには、が、その充足を感じて満足げに喉を鳴らしているかのように感じられた。


 何一つ心を乱すものなどない。今のランダルの心は、漣ひとつ立たない水鏡のように、澄み渡っていた。



 ――ありがとう、アレン……



「ランダル兄様? 大丈夫ですか? 」


「……ねぇ、フラウ。僕は今、とても満ち足りてるよ。なんていうか、胸のあたりがじんわり暖かいんだ」


「はぁ……でも、ランダル兄様? 」


「ん、なに? 」


「満ち足りているのでしたら、どうして、泣いてらっしゃるの? 」


「……え? 」


 ランダルは気付かぬうちに涙を流していた。


 止めどなく、滔々と頬を流れる涙。


 それは、胸に抱いた感情と同じくらい、暖かなもののように感じられた。


「ホントだ……でも、どうして……? 」


 今のランダルには、どうしてか、涙を流すことがそれほど嫌なことには感じられなかった。


 フラウディアは侍女からハンカチを受け取り、手ずからランダルの顔を拭った。


「きっと、張りつめていた気が緩んでしまったのでしょう。わたくしがあんなに取り乱したから、でしょうか? 」


 涙を拭うと、フラウディアは両の手でランダルの顔を包み込み、愛おしそうに見つめた。


「……あぁ、ランダル兄様。わたくしも涙が出てしまいそうです。約束の通り、ランダル兄様は白騎士の祭典で優勝してくださいました。やっと、ランダル兄様と結ばれる時が来たのですね? 」


「……フラウ」


「もうすぐ終焉の儀の時間ですわ。雲一つない白銀の満月の下で、わたくしと、ランダル兄様の、二人の願いが叶うのですね。名にし負う剣聖、そして我が国の新たな英雄となったあなた様なら、きっと白の精霊も最大の祝福を下さいます。お父様も認めてくださるはずです。これからは二人で手を携えて、共に幸せを分かち合いましょうね? 」


「フラウ、僕は……」


「姫様、そろそろお時間です。お戻りになられなくては」


 ランダルの言葉を遮って、侍女は暇を告げる用意を始めた。


「わかりました。ランダル兄様、わたくしは一足先に戻っていますわね? では、のちほど」


「……あぁ」



 フラウディアは侍女を伴って部屋を出て行った。



 期待に胸を膨らませる一人の少女としての健気な笑顔と共に。


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