第25話 敗者の涙


 アレンは暗い個室で目を覚ました。


 どうやら、試合前に居た控室のようだった。

 不思議なことに傷口は塞がっていた。


 しかし、妙に寒く、体中が鉛のように重い。

 ろくに動かすこともできない。

 目を開けることすらも億劫だった。


 ふと、アレンは自分が何か柔らかいものの上に頭を乗せていることに気付いた。


 後頭部に伝わる、命あるものの温もり。


 微かに鼻孔をくすぐる、ほんのりと甘い女性の匂い。


 それらはアレンに、懐かしい記憶を思い出させた。


「……姉さん、なの、か? 」


 石造りの小部屋の中にアレンの掠れた声が吸い込まれていく。


 返事の代わりにアレンの頭を撫でたのは、繊細で、柔らかく、しなやかで、優しく、綺麗な手だった。


「起きたみたいね。この愚弟」


 乱暴な言葉とは裏腹に、アレンのボサボサの髪を撫でてくれたルーシーの手つきは、とても優しいものだった。


「……俺、どうなった、んだ? ……っていうか、姉さんは、何でここに……? 」


 ルーシーは数分に渡って、アレンに説明してくれた。


 国中から見目麗しい女性たちを集め、白の精霊に舞と歌とを捧げる巫女の役に自分が選ばれて、白の祭典に来たこと。


 アレンの試合をずっと見ていたこと。


 そして、アレンが重傷を負ったあとも戦い続けたこと。



 そして――敗北を喫したことを。



「……そうか。俺、負けたんだ、な」


「そうよ。そして、とても危ない状況だった。『白の担い手』の人たちがいなかったら、もう少しで死ぬところだったのよ? 」


 アレンは弱々しく笑った。


「はは。白の精霊様が、俺に生きろって言ったってことか……でも結局、これでちい姉さんの病は治せないってことになるんだよな……」


「……アレン」


「ははっ……どうしてかなぁ……こういうお話って、たいていは『めでたしめでたし』で終わるはずなのに……やっぱ俺みたいな凡人には、人を救う英雄の役は務まらないってことか。ははは…… 情けねぇな……俺」


 から元気の最後の言葉の途中で、アレンの目に熱いものが込み上げてきた。


 ルーシーはアレンの頬に流れる涙の粒を、その綺麗な指先で拭ってくれた。


「……むかしむかしあるところに、不治の病を患った女の子がいました。」


「……姉さん? 」


「その女の子には、とても大事にしている弟がいました。弟がかわいくてかわいくて、ついつい甘やかしてしまうほどでした」


「……」


「ある日、弟は大好きなお姉さんの病を治すために、ある困難に立ち向かいました。弟はがんばって、がんばって、その命が尽きる寸前までがんばりましたが、お姉さんの病を治すことはできませんでした」


「……」


 アレンは、小さいころにルーシーがよく絵本を読み聞かせてくれたことを思い出した。


 昔はよく、新しく文字を覚えたことで得意になったルーシーが、よく絵本を読んでくれたのだ。


 ルーシーはアレンの髪をゆっくりと撫でながら、先を続けた。


「お姉さんは病を治すことはできませんでしたが、無事に弟が帰ってきてくれたことを、とても喜びました。お姉さんとっての一番の幸せは、大好きな家族がそばにいてくれることだったからです。そうして、お姉さんは最後のその時まで、大好きな家族と共に幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし……」


 話を終え、アレンの髪を撫でるルーシーの手が止まった。


「……カトリーナが言ってたの。ただ、アレンにはそばにいてほしいんだって……それだけで、私は幸せなんだって……」


「……ちい姉さんが、そんなことを? 」


「えぇ、でも今日のアンタの戦う姿、カトリーナに見せてやりたかったわ。背だってこんなに大きくなって。顔も大人っぽくなって……」


 そう言って、ルーシーはアレンの頬を撫でた。


 心地よい手の暖かさと滑らかさとが、アレンの頬に伝わる。


「これから先、カトリーナの病がどうなるかはわからない。でもね、アレン。物語の主役であるカトリーナが、最後の最後に『幸せだった』と思えるのなら、それはきっと『めでたしめでたし』な、幸せな物語なのよ。それが例え人より短い人生だったとしてもね」


「なんだよ……それ。そんな終わり方なんて……悲しすぎるだろう? 」


 鼻をすすってアレンが問いかける。

 絞り出すように出た声は少し裏返っていた。


「それを決めるのはカトリーナよ。そして、そのカトリーナのそばにいて幸せをあげるのが、次のアンタの役割。そうでしょ? 」


 そう言ってルーシーは微笑んだ。


 アレンは思わず見入ってしまった。


 その笑顔は、いつものルーシーならばありえないほど柔和な、母エキドナを思い出させる笑顔だったからだ。


 ルーシーは膝の上のアレンに顔を近づけた。


 アレンの顔にかかる自分の髪を掻きあげて耳に掛けると、二人の顔が息がかかるほどに近づく。


 ほんの少し見つめ合った後、ルーシーはアレンの額に優しくキスをした。


 女性の唇の柔らかい感触が、アレンの額に確かに記憶された。


「……よく頑張ったわね、アレン。一緒に帰りましょう、ヘファイスへ。私たちの家へ」


「……あぁ、ありがとう。そして……今までごめん、姉さん」




 目を閉じるアレンの頬に、新しい涙の筋が一筋、加わった。

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