第24話 決着


 戦いと呼ばれるものの多くは、忌み嫌われるべきものであるのだろうか


 戦いと呼ばれるものの多くは、罰せられるべき悪徳であろうか


 例え戦いが忌み嫌われるものであったとしても


 罰せられるべき悪徳であったとしても

 

 戦いと呼ばれるものの多くは人をさらなる高みへと昇華させる

 

 それが他者との戦いであろうとも

 あるいは、自分自身との戦いであろうとも


 戦い抜いた果てに、人は何かを手に入れる


 真に戦い抜いた者だけが、名誉や栄光という名の勝利を


 真に志尊き者が、恒久とわの平和という名の理想ゆめ


 憎しみに囚われた者は、とるに足らない幻想を


 そして


 時には、遅すぎる答えを



 刃が奏でるその調べは、言うなれば


 鎚が織り成す音色と共に、刹那に散りゆく火花のような


 季節が移ろえば、静かに散りゆく運命さだめを負った


 もの悲しくも美しい一輪の花のような


 かつて世界の礎として散って行った、名もなき者たちにあてた鎮魂歌レクイエム


 剣が、それ自身は血で血を洗うためだけに造られたものであるのにもかかわらず、あんなにも美しく、人の心を動かすのには


 きっと――そういう理由わけがあるのだろう


「下手な詩だな、プロメシアス」


 闘技場コロシアムの観客席、聖都カノサリズ専用特別席に座っていた学者は、同門の学者にそう揶揄された。


「それは失礼。古の英雄ウルホダンの真似事をしてみたのですが、どうやら私は性に合っていないようですね」


 神聖帝国聖学者、プロメシアス・パウロは照れ隠しするように弱々しく笑った。


「聞いたぞ。お前、今度は古代の文献を勝手に読み漁って公文書館を出入り禁止になったそうだな。その上お前の著書、〈英雄の時代と神英十年戦争〉……だったか。今回の件、聖都を永久追放にならなかっただけありがたいと思うことだな。前に上からあれほど釘を刺されていただろう。古の英雄の国や邪教の研究など、百害あって一利なしだ。悪いことは言わんから、早いとこ手を引け、いいな? 」


「ご心配痛み入ります……しかし」


 プロメシアスは観客席に目を移した。


 闘技場コロシアムの観客たちは皆、声援を送ることを忘れるほどに、試合に魅せられていた。


 賭け事に興じ、熱くなっていた者たちの手から滑り落ちた賭け札が、一陣の風にさらわれていく。


 うわべの憧れのみで剣を振るってきた者たちは、二人の若者の戦う様に圧倒され、固唾をのんでそれを見つめている。


 プロメシアスは、今度は二人の若者に視線を移した。


 若者はどちらともかなりの時間戦い続けているにもかかわらず、決して卑怯な手段は使おうとはしない。


 まるで、そんな風に試合が終わってしまうことを断固拒否しているかのように。


「……プロメシアス? 」


「……いえ。やはり『戦う』ということの全てが、忌み嫌われるべきものではない。私はそう思います」


 ――そう、英雄たる者の戦う理由。

 それこそが、其の者が英雄たる所以なれば……


 古の英雄の詠んだ詩が、聖学士の心にこだまする。


「全ては人の子の内に眠る、善の意思の総算たるがゆえに……」


 異端の聖学士、プロメシアス・パウロの目には、二人の若者が確かに、古の時代を築き上げてきた「英雄」たちの残滓として映っていた。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 アレンは一度相手との距離を取り、肩で息をしながら、自分の状況を再確認していた。


 これ以上の持久戦がアレンにとって不利であることは、アレン自身が一番よく理解していた。


 相手の片手半剣バスタードソードは、アレンの鎚による攻撃と盾を上手く使った防御のおかげで、その切っ先と刀身の所々に刃こぼれを作っている。


 一方、アレンの盾を握る左腕も、度重なる剣戟を受け、痺れて感覚が大分鈍くなっていた。

 さらに、身に纏う叩きだし鎧ロリカには、いたるところに針金のような細い傷が走っている。

 これは剣戟を受け流し損ねた際についたものだった。


 息を整えようと距離を取れば、ランダルの方から攻めてくることはない。


 しかし、小休止をいくらとったとて、確実に体に疲労は溜まってくる。


 いつまでランダルの剣をいなせるだけの動きを持続させることができるかについては、正直に言って何の保証もなかった。


 したがって、ここはリスクを冒してでも、有効な一手を取りに行くしか方法はないように思われた。


 アレンはベルトからダガーを取り出し、左腕に巻きつけていた盾を固定する革のベルトに切れ込みを入れた。


 強引に引きちぎろうと思えば、簡単に引きちぎれるほどの深さの切れ込みを。


 ――動きは今までの打ち合いで大体読めてきている……誘導さえ正確にできれば、勝機はある。


「どう? もう一度行くかい? アレン」


 ランダルが剣を振り回して構え直し、アレンに声をかける。

 爛々と目を輝かせるその様子は、とても死と隣り合わせの戦いをしている者とは思えない。


「……あぁ、行くぜっ! 」


 アレンは真っ直ぐにランダルに突っ込んだ。


 待ってましたとばかりに大上段で迎え撃つランダルの剣を横に跳んでかわし、ランダルの狙いを側面に向ける。


 ――推測が正しければ……横薙ぎで来るはずだ


 アレンの読み通り、ランダルの横薙ぎの一閃がアレンに襲い掛かる。


 予期していたとはいえ、微塵も勢いの衰えないその剣圧に冷や汗をかきながらも、アレンは後方にのけぞってそれをかわした。


 ――踏み込んでの打ち込み……これを耐えきれば……


 まさに疾風迅雷。

 怒涛の如く押し寄せる剣戟の嵐を、アレンは全神経を総動員して防御し、かわし、いなしていった。


 そして、連撃の数が二十を超えたところで、左腕の感覚が一瞬なくなり、ついにアレンの盾の防御が弾けた。


 緊急回避のために、アレンが大きくバックステップを踏み距離を取った。


 それは、剣を振るには遠く。

 かといって見逃すには惜しい距離……


 ――そして、この距離なら、振り回しても届かない……突いてくる!


 読みは三度当たった。


 ランダルは横に薙いだ剣を身体に引き寄せると、大きく踏み込みながら片手半剣バスタードソードの切っ先をアレンの身体の中心へと繰り出した。


 ――きた!


 アレンは剣戟で傷ついて耐久力の落ちた円形盾ラウンドシールドでランダルの刺突を受けに行った。


 予選において、ランダルは対戦相手の盾を、その鋭い刺突の一撃をもって貫通させている。


 おそらく。否。間違いなく。

 この一撃で耐久力の落ちた円形盾ラウンドシールドは貫かれる。


 それがわかっていて、アレンはあえてランダルの刺突を受けた。


 ――感じろ……集中して、この時を……感じろ!


 アレンの目には、この一瞬一瞬が非常にゆっくりと流れていくように感じられた。


 片手半剣バスタードソードの切っ先が、樫の木とイノシシの皮で作られた円形盾ラウンドシールドに突き刺さる刹那。


 アレンは間隔のない左腕をねじり、盾と腕とを繋ぐベルトを引きちぎった。


 持ち主の手を離れ宙に浮いた盾は刺突により見事に貫かれる。


 だが、貫いた先にアレンはいなかった。


 刺突による力の解放の余韻から一瞬動きが止まったランダルの、その時が止まってしまったかのような灰色の目だけが、ベルトを引きちぎった惰性で体を横に流すアレンを追っていた。


 アレンは鎚を繰り出した。


 クロウの想いを乗せた盾の命を引き換えにした鎚の一振りは、ランダルの左肩を確実にとらえ、身の毛もよだつ嫌な音と共にその骨を砕いた。


 ランダルの目が驚きで大きく見開かれた。


 観客席全てが息を呑んだかのようだった。


 アレンはそのまま横に転がる形で体制を立て直した。


 が、顔を上げた瞬間。

 風を切る音と共に、視界が先程捨てたはずの自分の盾で覆われた。


 刺突によって貫いた盾をランダルが剣を振って飛ばしたのだ。


 アレンは反射的に右手に持つ鎚を水平に振り払い、飛んできた盾を叩き落した。


 視界が開けたと思った矢先、今度は眼前に鈍色の煌めきが走った。


 ランダルが続けざまに二撃目を放ったのだ。


 右手だけで振るわれ、幾分その威力が削がれたとはいえ、片手半剣バスタードソードの一撃はアレンが握っていた鎚を手からもぎ取る程度の威力は持ち合わせていた。


 キィンッ、と甲高い金属音と共に鎚はアレンの手を離れ、点々と地面を転がって行った。


 近距離の間合いで得物を失ったアレンはすぐさまベルトからダガーを抜き、最小限の動きで速やかにランダルの懐内に潜り込んだ。


 今まで懐内に入れることを決して許さなかったランダルであったが、片腕を失ったことによる損失は大きく、ここへきて初めて懐への侵入を許すことになる。


 アレンは身を低くし、ダガーをランダルの左腿に滑らせ、切創を負わせた。


 血が噴き出るとともに、またも観客から悲鳴が上がる。


 一瞬ランダルの膝がガクリと沈んだのを見て、そのままランダルを後方へと押しやり、アレンは反対方向へと一気にバックステップを踏んで距離を取った。


「……ははっ、凄い、な。アレン。君はやっぱりすごいよ。こんなに痛みを感じたのは初めてだ……」


 ズボンを赤く染めた足を引きずり、ランダルは剣を持つ右手で、砕けてだらりと下がった左腕をおさえながら、小さく震えていた。


 心なしか、声も震えているようだった。


「……退いたらどうだ、なんて野暮なことはいわねぇぞ。どうせ、お前は最後までやるつもりなんだろうしな」


 アレンの方も疲労と興奮から肩を上下させ、今や身体全体で呼吸していた。


 この攻防は、言ってみればランダルの手足一本ずつと、アレンの鎚と盾の交換のようなものだ。


 結果的に見れば、どちらも二つのものを失う痛み分けである。

 客観的に見れば、得物を失い空手になったアレンの方が不利に見えるかもしれない。


 しかし、重要なのは、失ったもののではない。

 真に重要なのは、失ったもののである。

 すくなくともアレンには、その確信があった。


 片手半剣バスタードソードはその設計として、片手でも両手でも扱えるものである。


 しかし、実際に使う際には、片手で使うには少々重すぎ、両手で使うには両手剣と比べて少々リーチに欠ける、という器用貧乏ともいえる一面を持つ。


 ホーストの改良によってかなりの肉付けが施されたランダルの片手半剣バスタードソードは、いかにランダルが類稀なる剛力を誇る剣士であるとしても、右手一本で扱うには――現に、先程もそうだったように――両手で扱う際に比べて速度が落ちるはずなのだ。


 加えて、それほど深い傷ではないものの足を負傷したランダルは、前ほど機敏には動けないだったある。


 アレンはそれらを考慮したうえで、最後の攻防に打って出ることにした。


 ほんの少し感覚が戻ってきた左手にダガーを持ちかえ、ベルトから投擲用の手投げフランシスカを抜く。


「……この戦い、長かったなぁ、ランダル。」


「ふふっ、長かったかい? 僕にとっては凄く短かったよ」


 ――でもね、とランダルは付け加えた。


「この短くてこの上なく楽しかった時間が、がらんどうだった僕の心を満たしてくれた」


「……」


「この肩の疼きも、腿の痛みも、胸の高鳴りも……僕の求めていたものは、きっと……きっとこれだったんだよ、アレン」


「……そうかよ」


「そうさ……君に逢えて、本当に良かった」


 苦しそうに冷や汗を流しながら浮かべたランダルの笑みは、それでも今まで彼が見せた中で最高の笑顔だった。


 それは、何の邪心もない、心からの笑顔。


 剣聖でもなく。

 英雄でもなく。

 一人の若者としての……ランダル・フォン・フランツベルクという一人の人間としての。


 ただそれだけの笑顔であった。


 アレンは動きだす。


 間合いを一気に詰める過程で勢いよく手投げフランシスカを投擲すると、ダガーを素早く右手に持ち替え、ランダルに肉薄する。




 ――『汝の剣に縁ある処にて、一番高き木に登り、オオカミがもたらす幸運を待て』




 足を負傷したランダルは投擲をかわそうとはせず、右手一本で片手半剣バスタードソードを構え、迫りくる手投げフランシスカを打ち払った。


 横薙ぎで剣を振ったランダルの身体が開く。


 ダガーを構えたアレンの姿が近づく。



 ――……そうさ、君こそ、僕の「幸運」だ。君だけが僕を解放してくれた……



 両手で振れない限り、一度振り払って体が流れた状態からもう一度剣を振るうにはそれなりの時がいる。



 ――もし、本当に僕が皆にとっての英雄たり得る者なのだとしたら……君は……



 それはともすれば限りなく刹那に近いタイムラグではあるかもしれない。


 しかし、アレンにはそれで十分なはずだった。

 ダガーの刺突と片手半剣バスタードソードの横薙ぎ、どちらが速いかは一目瞭然だった。



 ――……僕の……このランダル・フォン・フランツベルクただ一人にとっての……



 不思議なことに、もう冷や汗は引いている。


 柔らかな微笑みを浮かべるランダルの剣速が……不意に加速した。



 ――英雄、だよ、アレン……



 肉に刃物が沈み込む音が、闘技場コロシアムに響き渡った。


 乾いた土の上に、ぽたり、ぽたりと紅の鮮血がしたたり落ちる。


 アレンの突き出したダガーはなんの間違いもなく、ランダルの腹部に突き刺さっていた。


 しかしながら刺された方のランダルは微笑み、刺した方のアレンの目は衝撃で大きく見開かれていた。


 渇いた土の上に、ぼたり、ぼたりと紅の鮮血がしたたり落ちる。


 ランダルの片手半剣バスタードソードは、アレンの叩きだしロリカを食い破り、その脇腹に食い込んでいた。



 もし、食い込んだのが力の伝わりにくい剣の鍔元でなければ。

 もし、ゴドーの叩きだしロリカで守られていなければ。

 もし、ランダルが片手で剣を振っていなければ……。

 間違いなくアレンは死んでいただろう。


 様々な幸運が重なって、アレンはまだ生きていた。


 しかしながら、脇腹にめり込んだ片手半剣バスタードソードの一撃が完全に想定外だったアレンにとって、戦闘続行が不可能なほどの重症であることは間違いなかった。


「……楽しかった。そして、怖かったよ……アレン」


「……へへっ、やっと、気付いたの、かよ? 戦う、ってのは、怖いもんだ。そして――」


 今や足がガクガクと震え、青ざめたアレンがランダルの肩を掴む。


 ダガーを抜こうとするが力が入らず、ダガーはランダルの身体から抜けない。


「そこから――逃げない、ってことだ!」


 そう言って、アレンはダガーから手を放した。


 失血により薄れゆく意識の中で、アレンは今出せる全身全霊を賭して握り絞められた拳を、あらん限りの力をもって、ランダルの顔に叩き込んだ。


 ランダルはどこか満たされたような微笑みのまま、目をつぶり、アレンの拳を受けた。


 アレンはランダルを殴り倒した。


 倒れたランダルに馬乗りになり、脇腹から剣を生やしたまま、地面に鮮血の飛沫を降らせながら、何度も何度もその顔を殴り続けた。


 二撃目以降、もはや拳に力など入ってはいない。

 それでも、手は動いた。


 もはや、自分の意志で動いているのではなく、なにかの執念で動かされているかのように……



 ――負けられない……絶対に、負けられない……!



 勝たなければ、救えない命がある。

 勝たなければ、返すことのできない恩がある。


 視界はぼやけても、アレンには見えているものがあった。

 感覚が消えても、アレンには消えない想いがあった。


 どこからか、女性の声がアレンの名を呼んだ気がした。


 アレンの振り上げた拳が、ぴたりと止まった。



 ――……ちい姉さん。ごめん。俺……



 失血により気を失ったアレンはそのまま下にいるランダルへと倒れこみ、ランダルはそれを静かに受け止めた。


「アレンッッ!!」


 そこにいるはずのない女性ひとの声が、幻のようにアレンの耳朶を打つ。


 目を開けたまま気を失ったアレンの虚ろな瞳に最後に映ったのは、純白の巫女装束を纏った、濡れ羽色の髪の女性の泣き顔だった。




 かくして――勝負は、決着した。



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