第22話 それぞれの三年 ランダル

「ふっふっふ。お手柔らかに頼むよ? 年若き剣聖殿? 」


 髭を蓄えた口元をほころばせて、全身鎧フルプレートに身を包んだ壮年の騎士は大兜オーム視野窓スリットを降ろし、剣を構えた。


 相対するは、なめし革で作られた胸当て(キュイラス)と腕甲をつけた軽装の剣士。


 無表情で無造作にその場に立っている剣聖、ランダル・フォン・フランツベルクその人だった。


「はじめッ! 」


 審判の号令と共に、ランダルの影がゆらり、と動いた。


 地面を滑るように移動し一気に相手との距離を詰める。


「ぬん!! 」


 鋭い声と共に放たれた騎士の渾身の刺突を、ランダルはたやすくかいくぐった。


 至近距離まで間合いを詰めたランダルは、あろうことか全身鎧フルプレート相手に肩でぶちかましを食らわした。


「ぐぉ!? 」


 鎧で重量の増したはずの騎士の体は、くぐもったうめき声と共に少しの間地面から浮き上がった。


 騎士は重い金属音と共に何とか着地した――次の瞬間。


 着地の隙を突いたランダルの怒涛の剣戟が襲い掛かった。


 その手に持つ片手半剣バスタードソードは、鍛冶師ホーストの改良により新たに肉づけが施されていた。


 規格よりも一回り大きくなったその刀身は、人並み外れた類稀なる剛力を誇るランダルが使用するのによりふさわしいものとなっていた。


 ランダルは無表情で目の前の騎士に片手半剣バスタードソードを叩き込み続けた。


 良質な武具を持つ方がより有利になるのは戦いの常ではあるが、今回に限っていえば、それは当てはまらなかった。


 大兜オームの中で滝のように汗を流す騎士はランダルの矢継ぎ早の剣戟をさばくのに精一杯で――さばききれない分は、身に着けた全身鎧フルプレートにその傷跡を残すのみで――一向に攻撃に転じることはできなかった。


 数十秒後、ランダルは柄で騎士の大兜オームを突き上げて吹き飛ばし、円舞曲ワルツでも踊るような流麗な動きで騎士の後ろをとると、兜のとれたその首筋に手に持つ強力な刃を押し当てた。



 ――最初からやろうと思えばできた。


 そう告げているかのような冷たい表情と共に。


「ま、参った……」


 騎士は体を震わせながらがっくりと膝をつき、降参を宣言した。


 周りを取り囲んでいた者たちが一斉に大きな拍手を以て二人の健闘を讃えた。


「やはり、全身鎧フルプレートでは剣聖殿の速度についてはいけぬようですなぁ。それにしても、一度の反撃も許さぬとは、剣聖殿もお人が悪い! 」


「うむ! 最近の若者たちがこぞって片手半剣バスタードソードを使いたがる気持ちがよくわかる! かの剣を見て憧れぬ騎士がどこにいようか! 」


「いや、まっこと。それにしてもあの片手半剣バスタードソードの速いこと速いこと! あれほどの猛攻を凌ぎきれる者など、いかに帝国広しといえどもそうはおらんでしょうなぁ! 」


「まったくですな。此度の白騎士の祭典、世と民に次世代を担う英雄の誕生を知らせることができる! 大会を通して民草に希望を与え、白の精霊も大層お喜びになることでしょう! 」


「いやいや、剣聖殿と釣り合うほどの強者がおらねば、白の祭典も盛り上がりに欠けるというもの。ここはひとつ、国中から美しき者たちを集め、白の精霊に捧げる舞と歌をですな……」


「おぉ! それは良い! そうと決まれば早速各地にお触れを出すお許しをもらわねば……」


 口々に剣聖の強さを讃え、とめどなくおしゃべりを続ける訓練場の聴衆たち。


 彼らが、ランダルが一人でさっさと訓練場を後にしたことに気付くのは、ここからややしばらく時が経ってからだった。




 白騎士の祭典まであと一年。


 皇都では、各地の都市や町および村々につつがなく祭典の情報が行き渡るような、大々的な広報活動が始まっていた。


 祭典の運営における遠方の商人たちとの情報交換や、白騎士の祭典の目玉ともいうべき剣闘大会に向けた勇気ある若者たちの訓練に至るまで、着々と計画が進められていた。


 皇都に居を構えるフランツベルク家もまた、祭典の準備を補佐するようにとの皇帝の命を受けていた。


 ランダルの父であるゲオルク・フォン・フランツベルクは公務により皇帝の傍から離れることはできなかったため、祭典の準備は息子のランダルに一任されていた。


 そんな理由から、ヘファイスでの一件から皇都へと帰還して以来、ランダルは自分の意志で気ままに行動することができなくなっていた。


 祭典の正確な情報を地方へと伝える任務として国内を旅することはあっても、もう武芸者たちと剣を交えることもなくなった。


 皇帝より直々に与えられた「剣聖」という名の役割ペルソナは、時が経てば経つほど確実に人々の間に浸透していき、自ら進んで立ち合おうとする者がいなくなっていたのが主な理由だった。


 今やランダルが剣を振るう機会といえば、訓練場で元老院の議員たちが見物する中、皇都の騎士たちとの剣の稽古をするときと、皇都ヴァルマスカや帝都ニーヴェルンゲンに居を構える剣闘士育成場での特別顧問として指導に当たるときのみであった。


 そして、そのどちらとも、ランダルの気を晴らしてくれるものではなかった。


「仕合うときは必ず真剣を使用する」というランダルの取り決めの下で行われる勝負は、その取り決めに従う以上――試合時には、必ず専属の治療師がついてはいるものの――限りなく相手を命の危険にさらすものであった。


 先程の試合、相手の騎士が、軽装備のランダルに対してわざわざ全身鎧フルプレートを着用していたのはこういうわけである。


 ランダルは訓練場を出ると立ち止まり、小さく溜息をついた。


 皇都の騎士たちも、帝都の若者たちも、ランダルと剣を交える者は決まって始めは目を輝かせているものである。


 それが数分後にはやる気を完全に削がれ、怯えたような目でランダルを見るのだ。

 そしてその後は決してランダルと剣を交えようとしない。




 自ら望んだ力ではない。


 けれど、自分には力が与えられたのだ。


 引き換えに、対等な関係を築ける者の存在を否定されて。


 戦争も、内乱も、今や物語の中でしか語られることのないようなこの世の中で。


 剣が要らぬ世界にて、剣がなければ意味をなさない力を、自分は与えられたのだ。


 故にそんなモノに意味など見出せるはずもない。


 ならば、自分は答えを得るまで、剣を振ろう。


 他の者がどう思おうと知ったことではない。



 しょせん――この両の手は、ただ剣を振るうためだけに在るのだから……


 ふとランダルの脳裏を、鍛冶の町ヘファイスの青年の姿が掠めた。


 当時のあの青年の実力は、はっきり言って帝都の訓練生たちよりも低いものであったことは否定しない。


 それでも、少なくとも何度敗れても慣れない剣を構えて向かってくるだけの気概は持ち合わせていた。


 それに、自分から挑発したとはいえ、他人から顔を殴られたのは初めてだった。

 もっとも、避けようと思えば避けられる拳であったことは間違いないのだが……


 自分に対して面と向かって宣戦を布告したあの日以来、あの青年とは会っていない。



 彼は今、どうしているのだろうか。



 ランダルは空を仰ぎ、もう一度小さな溜息を洩らした。


 思うままに剣を振るうことができなくなって、ランダルは老鍛冶師ゴドーの言ったことの意味を改めて噛み締めていた。


 聖都カノサリズを訪れた折、聖職者が修行を行う伽藍を見たランダルは、自分の心の在り方をそこに見た気がした。


 ただし、両者に根本的な違いがあることもまた、ランダルは理解していた。


 伽藍は修行のために空の状態を作り出しているが、自分の心はただただ満たされないがゆえに空であるにすぎないのだ。


 暮らしそのものに不満はない。

 しかしどこか満たされず、かといって満たされようともがくこともしない。


 そんな自分の心の在り方を見つめ直せば見つめ直すほど、人々が自分に向ける屈託のない笑顔は、ランダル・フォン・フランツベルクに向けられたものではなく、自分の役割ペルソナである「剣聖」、「英雄」という幻想に向けられたものであることを実感せざるを得なかった。


 人々に罪はないことはランダルも理解している。

 むしろ人々に希望を与えること。それこそが次世代を担う者に与えられた責任なのだと、父ゲオルクや皇帝は口にする。

 それも自分なりに理解しているつもりだった。


 それでもランダルは最近になって、何も考えずに過ごしていた日々を懐かしく思う時があった。


「ランダル様」


 ランダルは自分に話しかけてくる侍女の言葉で、鬱屈した思考から意識を覚醒させた。


「どうかした? 」


「はい。姫様が是非お会いしたい、と。今日はこれから何かご公務は? 」


 ランダルは首を横に振った。


「一度屋敷に戻って汗を流してくるよ。その後から部屋に行くから、フラウにはそう伝えて? 」


「かしこまりました」


 侍女は胸に手を当て了解を示すと、踵を返し立ち去って行った。

 それを見届けたランダルもフランツベルクの屋敷へと戻って行った。


 屋敷に戻り、身体を洗おうと申し出る世話係の娘たちの申し出を断って、独り浴室で稽古の汗を流した。


 そして新しい服に着替えると、ランダルは城へと出向いた。


 姫の部屋の前に到着すると、扉の前に立つ侍女がオーク造りの分厚いその扉をノックした。


「姫様。ランダル様がいらっしゃいました」


「通して」


 部屋の中から、鈴の音を鳴らすかのように透き通った凛とした声が返ってきた。


 侍女が重厚な造りの扉を開けると、天蓋付きの大きなベッドの縁に王女フラウディアがちょこんと座っていた。


 ランダルが部屋に入ると、姫君は幼い子供のような笑顔でランダルを迎えた。


「急にお呼び立てして、公務に支障はありませんでしたか? ランダル・フォン・フランツベルク」


 部屋にいた侍女たちを下がらせると、フラウディアはランダルに話しかけた。


 ランダルは口元に微笑みを浮かべて首を横に振った。


「大丈夫だよ。それで? 今日は何の用で僕を呼んだのかな? 」


 ランダルは半分わかりきったことをあえて訊ねた。


「あら、わたくしは何か用がないとあなたを呼ぶことも許されませんの? 」


 フラウディアも悪戯っぽい笑顔で返す。


「いいや、そんなことはないさ。姫君たっての願いとあらば、臣下は従わざるを得ないからね」


「まぁ、ではわたくしが無理矢理連れてこさせたと? 」


 二人は顔を見合わせると、一緒になって笑みをこぼした。


 姫と過ごすひと時は、ランダルの鬱屈した心を少しでも紛らわせる数少ない時間だった。


 幼いころから共に育ってきた間柄であるだけに、気兼ねなくする姫との会話は、ランダルに自由だった子供の頃の記憶を思い出させた。


「ところで、白騎士の祭典の方、準備は進んでいますか? 」


 他愛のない会話が一段落したところで、フラウディアが訊ねた。


 ランダルの顔が少し曇った。


「あぁ、万事順調に。何の滞りもなく進んでるよ」


「そうですか。それは何よりです。わたくしは争いごとには理解が深くありませんが、もちろん我が国が誇る剣聖様は、今回もその技の冴えを見せてくれるのでしょう? 」


 フラウディアは笑顔を見せたが、ランダルの顔を見て、不思議そうに小首を傾げた。


「どうかしまして? 」


「……いや、なんでもないよ」


 フラウディアはほんの少しムッとしたように、その桜色の艶やかな唇とつんと尖らせた。


「『なんでもない』人はそんな顔はいたしません。あなたは時折そうやって遠くを見てらっしゃる。何か悩みがあるのでしたら、微力ながらわたくしがお手伝いさせていただくことだって……ひゃぁっ! 」


 フラウディアの言葉は最後まで続かなかった。ランダルが不意に彼女の頭を撫でたからだった。


「……フラウは優しいなぁ。ありがとう、心配してくれて」


 なでり、なでりと姫君を撫でるランダルの手は、銀色のティアラを付けた頭部から、美しい髪、きめ細やかで綺麗な彼女の頬へと移って行った。


「な、なな何を!? えっと、そ、その、困っている臣下に手を差し伸べるのは当然というかなんというか。あ、あぅ……」


 顔を赤くして返答がしどろもどろになる目の前の少女を見て、ランダルは寂しそうに微笑んだ。


「あ、ち、ちがいます! 決してあなたを下に見ているとかそういう話ではなくて、あなたの沈んだ顔を見たくないというかなんというか、そのぅ……」


「……フラウ」


「は、はい!? 」


 ランダルは撫でていた手を放した。


「久しぶりに、小さいころ呼んでいた名前で僕を呼んでほしいな? 」


 フラウディアの顔がさらに赤くなった。


 口をパクパクさせているところを見ると、何か言いたいのに、言葉が出てこないらしい。


「そ、そんなこと! どうして今この状況で……」


「いいから。呼んで? 」


 フラウディアは下唇を噛んで俯いてしまった。


「……ら、ランダル兄様」


 消え入るような、そんな声だった。


 ランダルは俯いてしまったフラウディアの長い髪をゆったりとした動作で撫でた。


「兄妹って、いいものなのかな……」


 ランダルの脳裏に浮かんだのは、あの青年の事だった。


「え? 」


「……いや、なんでもない」


「ま、またそうやって……」


 怒ったり、心配したり、ドギマギしたり、また怒ったりと。

 完全に振り回されっぱなしの姫君であった。


「……ねぇ、ランダル兄様? 」


 しばらく経って、剣聖と姫君の二人は部屋のテラスから外の景色を眺めていた。


 太陽は赤みを帯び、西の方に傾きつつある。


 目を細めて外の世界を静かに見つめるランダルに、フラウディアはおずおずと話しかけた。


「ん? 」


「もし……白騎士の祭典で優勝なさったら、ランダル兄様は白の精霊に何を望みますの? 」


「……さぁ」


 フラウディアは愁いを秘めた表情を浮かべて、隣に佇む銀髪の青年を見つめた。


 ――フラウディアにはわかっていた。

 今の返事は、何か望みを持つ者がどれか一つを選ぶために逡巡しているようなものではないことを。


 ――フラウディアは見ていた。

 皇都の騎士を相手に稽古をする剣聖ランダル・フォン・フランツベルクとしての彼を。


 まるで氷のように冷たく、刃のように鋭い。力強く剣を振るう剣聖としての彼の在り方を。


 ――フラウディアは感じていた。

 その在り方は、同時に張りつめた糸のように脆い部分を孕んでいることも。


 幼いころから見知っているはずの目の前の若者の瞳には、自分自身に一かけらの希望も見出してはいないかのような、冷たい輝きが讃えられていることも。


 世に広く讃えられ、人々の希望を一身に受けることに対する想いを、姫君たるフラウディアはランダルと同等に。

 否。それ以上に理解しているつもりであった。


 ただし、ランダルとフラウディアの違うところは、彼女には人々の希望を一身に受けてなお、自らが望むものがあることだった。


 目の前にいる青年の支えになりたい。


 青年に叶えたい願いがない故に青年が苦しむのならば、いっそ自分と同じ望みを、青年に共有してほしい。


 それが、王女としてではなく、一人の少女としてフラウディアが抱く望みであった。


「まだ小さいころ、中庭の庭園でお話したこと、覚えていて? 」


「ん? 」


「ランダル兄様が癇癪を起して、侍女のフィリアがケガをした時のことです」


「……あぁ、フィリアには悪いことをしたよ。今となっては本人も懐かしそうに話してくれるけどね」


「昔から、ランダル兄様は他の者とは違う力をもっていましたね。癇癪を起こせば侍女が何人いても止められないくらいに……今だって、こんなに逞しい腕をなさって」


 フラウディアは、上着の袖を捲っていたランダルの腕に、白く小さな手を乗せた。


「癇癪を起こしたときにわたくしにまで危害が及ぶことを恐れた世話係の進言で、しばらくの間、会えない日が続くことになりましたね? 」


「あぁ、思い出した。それでもこっそり中庭の庭園で、僕たちは話をしていたんだったね」


「えぇ、今もそうですが、小さいころは特に、ランダル兄様と離れたくはありませんでしたから」


 もう一歩、フラウディアはランダルに歩み寄った。


 ランダルは外の景色から視線を外し、目の前の少女を見た。


 いつもとは雰囲気が異なる、何かを決意したような、強い意志の宿ったその端正な相貌を。


「ぶしつけな願いを一つ、聞いていただけますこと? 」


 いつの間にか日は沈み、薄明トワイライトが世界を満たしていた。


 それは、太陽が姿を消す、夕暮れ時でもなく、夜でもない。全てのものの影が一切無い、魔法のようなひとマジックアワー


 そのせいか、ランダルには、目の前の少女の微笑みが、いつもと少し違って見えた。


「フラウ……? 」


「此度の白騎士の祭典。優勝した暁には……叶えられる願いで、わたくしと、婚姻の契りを結んでいただけませんか? ランダル兄様……いいえ、ランダル・フォン・フランツベルク」


 おとぎ話のような幸せな結末を夢見る、薄明トワイライト姫君プリンセスは、ランダルの目に、とてもとても美しく映ったのだった。



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