第11話 年若き剣聖の追憶②


 そんなこんなで皇都ヴァルマスカから、鍛冶の町ヘファイスへと旅立ったランダルであったが、ヘファイスまでの旅路は、ランダルが想像していたものと比べると存外に退屈なものであった。


 父ゲオルクがあらかじめ便りを送っていた、凄腕の老鍛冶師との出会いも、ランダルのそんな退屈をすぐさま吹き飛ばしてはくれなかった。


 ――カァンッ! カァンッ!


 紅の奔流を放つ高温の炉の焔に思う存分舐ねぶられ、今やランタンのように煌々と光を放つフランツベルク家の片手半剣バスタードソードが、例によって、空気を固体化させる類の重圧を発する老鍛冶師ゴドーの節くれだった大きな手に握られた、柄の短い大きな金鎚の一振り一振りによって、橙色の火花を空気中に散らしている。


 ランダルの方はと言えば、老鍛冶師と挨拶を交わした当初の礼儀正しさはどこへ行ったのやら、いかにも退屈だと言わんばかりに、椅子の背もたれを体の前に持ってきた状態で、頬杖をついて座っていた。


 年若き剣聖は、老鍛冶師ゴドーの放つプレッシャーにもまったく気圧される様子もなく、あまつさえ、その眠たげな灰色の眼に涙を溜めながら、大きな欠伸までしてしまう始末であった。


 ――ジューッ!

 

 しばらく経つと、文字通り、『水の焼ける』音が薄暗い作業部屋に響いた。


「ふあぁぁぁあ。ん~? 終わったのかい、お爺さん? 」


 特大の大欠伸をしたランダルが、半日ぶりに席を立った老鍛冶師ゴドーに向かって、いかにも眠たそうな声を上げた。


 老鍛冶師ゴドーは気の抜けたその問いかけには応じず、作業の場を移して刀身の研磨の作業に入った。


 刀身に砥石を滑らせる単調な音が響く中、またもやかなりの時間が費やされ、ランダルはついに、その睡魔に勝てずに、静かな寝息を立てて寝入ってしまった。



 …………

 ……



 どれくらいの時間が経ったのであろうか。


 おもむろに――と、今の今まで眠っていたランダルには感じられたであろうが――単調な砥石の子守歌が途絶え、テーブルには蝋燭が灯った。


 そのほんの少しの状況の変化に、ランダルは素早く反応はしたものの、それは目を開けるのを渋るかのように片目を薄く開くだけにとどまった。


「……フン。ほらよ、持ってきな」


 寝起きでまるっきり緊張感のないランダルの顔にむっつり顔の一瞥をくれるのと同時に、ゴドーは鍛え直された片手半剣バスタードソードを手渡した。


 つい半日前までは、それまでの一年間、毎日のように酷使されてきたうえ、何の手入れもされておらず、刃こぼれと擦り傷だらけのなまくら剣と化し、肝心のフランツベルク家の家紋すら掠れかけている有様であったボロボロの剣。


 それが今や、まるで水鏡のようにくっきりと――いかにも眠たげな――自分の顔が映りこむほどに美麗に磨きあげられた刀身と、柄の部分に彫られたフランツベルク家の家紋とを見事によみがえらせていた。


「へぇ、まるで新品みたいだ。さすがだね? 」


 未だ半開きの眼を擦りながら、ランダルは剣を生まれ変わらせた老鍛冶師の技術に、素直な感心の意を示した。


 ゴドーは、ランダルの賛辞にはニコリともせずに―――まぁ、相手が誰であろうとも、彼の口角が持ち上がることは非常に稀なことであるのだが―――自身が鍛えなおした片手半剣バスタードソードを、お決まりのむっつり顔で睨みつけていた。


「……参考までに聞きたいんだが」


「ほっ、はっ。ん、何を? 」


 ランダルは抜身の片手半剣バスタードソードを、軽々と横薙ぎに振って感触を確かめていた。


 風切の音を響かせながら何回か剣を振ってみて、その感触に満足したのか、鍛えなおされた片手半剣バスタードソードを、仔牛革で作られ、見事な装飾が施された鞘に納めた。


「お前さんの話は、ちらほらと風の噂で聞いている。弱冠十五歳にして御前試合で優勝し剣聖の称号を与えられたことも、そこから一年間、屋敷を出て行ったきり、むやみやたらと野良試合を繰り返し、その全てにおいて負けなしで皇都へ凱旋したこともな」


「へぇ、こんな所に住んでてよくそこまで知ってるね」


 やっと退屈から逃れられそうな兆しを見出したランダルは、鞘に納めた片手半剣バスタードソードをややぞんざいに壁に立てかけた。

 この行為に、ゴドーはほんの少し目を細め、白髪交じりの眉毛をピクリと動かせた。


 老鍛冶師の咎めるような視線を無視し、ランダルは椅子を手元に引き寄せて座ると、いかにもウキウキしている、といった具合に体を揺すらせて、傾聴の姿勢を取った。


 ランダルの存外に子供らしいそんな仕草を無表情で見つめながら、ゴドーは話を続けた。


「剣は嘘をつかん。その姿を見れば、その持ち主がどんな人間か、大体はわかるつもりだ。俺の知っているその片手半剣バスタードソードの前の主は、騎士の典型をそのまま地で行くようなヤツだった」


「前の主? 父上の事? 」


 ゴドーは頷き、壁に立てかけられた片手半剣バスタードソードを指さして言葉を紡いだ。


「その剣を作ったのは俺じゃない。本来なら、作った本人が手直しするのが一番だと思うが、なぜか知らんが、お前さんの親父はこんなジジイを指名しおった。まぁ、昔からの腐れ縁ってやつに頼ったといったところか。っと、話がずれたな」

 

 ここで、一旦話を切り、ゴドーは声の調子を――アレン曰く、『過度に相手を威嚇するかのような威圧的な口調』に――変えて、話の口火を切った。


「お前、見たところ剣の型は、親父譲りではないな? 誰に剣を習った? 」


 ランダルは、いきなり調子の変わった老鍛冶師の様子を面白そうに見つめた。


 だがその瞳は興味を示しこそすれ、まったくそれに臆しているようには見えなかった。


「驚いたな。剣を見ただけでそんなことまでわかるんだ。父さまがお爺さんを指名した理由がわかった気がするな」

 

 ランダルは相手の返事を待ったが、ゴドーはそれには応えず、猛禽を連想させる、その白目の濁った鋭い視線を送るのみであった。


 そんな相手を見て、ランダルは幾分子供っぽい表情をいつも通りの妖しげな微笑に戻した。


「確かに、僕の剣の型は父さまのとは違うよ。っていうより、多分他の誰とも違うと思うな」


 ゴドーは片方の眉を吊り上げた。


「ほぉ、帝国の剣聖ともなれば、凡人と同じ'〝型〟なんぞ使っていられないか? 」


 その語気からは非凡な人間をやっかむような響きが感じられた。


 もっとも、ランダルはこの言葉から、文面以上の意味を見出してはいないようであった。


「アハハ、そうじゃないよ。剣を習い始めた頃に、帝国騎士団の基本的な剣の型を習いはしたんだけど、ただ剣を振り回せば勝てる勝負がほとんどで、そこからはあんまりやってないんだ」


「ということは、お前はただやたらに剣を振り回しているだけで相手を負かすことができてしまう、ということだな。フン、それでようやく合点がいったわい。ゲオルク譲りの剣の〝型〟なら、いくら手入れを怠っていたからといってもあそこまで酷い傷み方はせん。――ただ剣を振れば勝負が決まるか……まさかここまでとはな」


「あっ、今父上の事名前で呼んだでしょ。やっぱり昔からの仲ってやつなの? お爺さん? 」

 

 鬱陶しそうにジロリとねめつけるゴドーの視線も、この少年には効果はないようであった。


「さっきも言っただろう。昔からの腐れ縁だ。ところで、もう一つ聞きたいことがある」


 もう一つの質問は非常に単純なものであった。


「お前は、その剣のことをどう思っている? 」


 ランダルの答えもまた、非常に単純なものであった。


「ん、別にどうにも。よく斬れるし、丈夫だし、『色々』便利ってくらいかな? 」


「……なるほどな」




 なんとなくだが、ゴドーは目の前の少年がどんな類の人間か分かった気がした。


 騎士として誉れ高い父親から受け継いだ剣に、別段何の感情を抱くことのないこの少年は、類稀なる剣術の腕にも、家宝の剣にも、そしておそらくは剣聖の称号にさえ、人々がそこに見出すであろうはずの価値を、ただ一人だけ見出してはいないのだ。


 否、この少年にはそもそも物事に価値を見出すということ自体、できないのかもしれない。


 剣士として戦いに明け暮れたのも、そんながらんどうの心を埋め合わせるための一つの手段でしかないのかもしれない……そんな思いが、ゴドーの頭を掠めていった。



「あ、今の質問で、僕がどんな人間かわかっちゃうんでしょう? ますます父さまがお爺さんを信用しているってことに確信が持てるよ。で? お爺さんは僕がどんな人間だと思う? 」


 ランダルは、『面白くなってきた』と言わんばかりに椅子から身を乗り出した。


 ゴドーは急に、目の前の少年が不憫に感じられた。


 その端正な顔に張り付けた微笑という名の仮面は、ごくまれに年相応の無邪気な感情を垣間見せはするものの、笑顔の時も年不相応に大人びた目だけは決して笑わず、まるで時が止まってしまったかのような灰色の瞳は、常に冷たい光を湛えている。


 ――まるで、何か、少年とは別の何かが、その一つの身体の中に生きているかのように……

 

 ゴドーはランダルの問いには答えず、席を立ち、羊皮紙と羽ペンとインクとを取り出し、何やら手紙のようなものを書き始めた。


 逆さまな文面を何とか見ようと、ランダルは首を傾げて手紙を覗き込んでいたが、ランダルがその文面を解読しきる前に、驚くほどの速記でゴドーは手紙を書きあげてしまった。


「これを持っていけ」


 ゴドーは蝋でしっかりと封のされた手紙をランダルに手渡した。


「これは? 」


「次に修理が必要なときは、これを町の鍛冶屋のホーストという男に見せることだ。もともと、その片手半剣バスタードソードを作ったのはそいつだからな」


「えぇ? もうお爺さんは直してくれないの? 」


「あぁ、俺から言えることは二つだ、フランツベルクの子せがれよ」


 ゴドーは幾分語気を和らげて、ランダルに告げた。




「剣と共に生きるのであれば、道具としての剣ではなく、『剣』としての剣と共にあれ。そしていつか、そのがらんどうの心を満たす何かを得るその時、お前はお前を縛り付ける鎖から解放されるだろう」




 一瞬の静寂が、部屋を満たした。



「……今度はまるで予言者、だね。お爺さん、一体何者なの? 」


 ランダルは囁いた。


 見る者を思わずゾクリとさせるような、飛び切り妖艶な微笑を浮かべて。


「フン、何のことはない。お前よりほんの少しだけ長く生きているだけの、火と鉄しか知らん、下らんジジイだ」

 

 老鍛冶師のその言葉に込められた想いは、皮肉なのか、本心なのか。


 あるいは、その両方なのか。





 ともあれ、この会話から一年後、この言葉の意味を、ランダル・フォン・フランツベルクが理解し始めた頃、この物語の歯車は、大きく動き出すことになる。


 



 ――アレンとランダル。二人の青年の出会いによって……









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