第9話 アレン 十四才 鍛冶師の門出と近づく糸③


「あの時は驚いたよ。あそこまで話をしておいて相手の名前も知らないなんて」


 昼になって、母エキドナが用意してくれた弁当を食べるため、ぐちゃぐちゃに散らかったテーブルの上を片付けながら、アレンは初めて工房に足を踏み入れた時の思い出話に花を咲かせていた。


「初めに自己紹介を怠ったお前の責任だ。俺に責任はない」


 その傍らでは、作業を一段落させた老鍛冶師ゴドーが、椅子にどっかと腰かけながら、低いしわがれ声で静かに言葉を返している。


「大体、父さんから聞いていなかったの? 」


「あいつに細かいことを期待するのは、いささか無理があるな」


 にべもなく、老鍛冶師は言い放つ。


「はぁ。父さん……なんだってこんなに信用がないんだか。あぁ、はい。こっちがゴドー爺さんの分ね」


 アレンはぶつぶつ言いながらゴドーの分の弁当を渡した。


 エキドナが用意してくれた弁当の中身は、腹の部分を切られた大きな粗挽き小麦のパンで、その中には、レタスにタマネギ、チーズにこんがりと焼いたベーコンが入っていた。


「ふん。お前の母さんも相変わらずお人好しだな。毎日こんなジジイの分のメシまで作るとは」


 ゴドーはさっそくパンにかぶりつきながら、もごもごとつぶやいた。

 文面とは裏腹に、その言葉からは、トゲトゲしさも、鬱陶しさも感じられない。


 そこにあるのは単純な感心。

 そしてそこには、ほんの少しの嬉しさ――これについては完全にアレンの主観から見てのことであるが――も混じっているように思われた。


「ゴドー爺さんはいつも食材を調理しないでそのまま食べているって、僕が母さんに教えたからね。『あらあら~それはいけないわね~』なんて言って、それからは毎朝楽しそうに作ってくれているよ」


 たいして似ていない物真似をまじえながら、アレンは笑ってそう言った。ゴドーはそんなアレンの笑顔を見て、フン、と鼻を鳴らしたが、返事は返さなかった。

 


 昼食を食べ終えると、ゴドーは作業場に戻り、アレンはテーブルの上のパンくずをかき集め、椅子を立った。


「この後の仕事も、いつも通りで良いんだよね? 」


 さっそく仕事用のそれに切り替わろうとしているゴドーは、アレンの言葉には返事をせず、『声を出すことも面倒くさい』と言わんばかりの表情で、金鎚を握った手で外を指さすだけであった。


 その意味を理解したアレンが、集めたパンくずを持って外へ出て、家のドアを閉めるのと同時に、作業部屋という一つの空間は、例によって、空気を固体化させる類の、重苦しい雰囲気に包まれた。


 それはその場所が、鍛冶職人のみが入ることを許される、唯一無二の存在へと変貌した証でもあった。


 ドアにもたれかかって、ふう、と一息ついたアレンは、手に持っていたパンくずを、家の前で戯れている小鳥たちに撒いてやった。

 せわしなく首を前後に動かしてパンくずを啄む小鳥たちを見て、アレンは少し微笑んだ後、改めて自分の作業に取り掛かることにした。



 …………

 ……

 基本的にアレンの仕事は、外での薪割りやら、炭焼きに炭切りやら、品物を磨くことなどである。


 午前中に薪割りと炭焼きを終えていたので、この日アレンに残っていた仕事は、保存してある品物を磨くことだけであった。


 アレンは、ズボンのベルトに下げていた磨き布を取り出し、ゴドーの家の隣にある、「制作された当初は『納屋』と呼ばれていたであろう建物」へと歩いて行った。


 なぜこのような言い回しをするのかというと、この建物の中には家畜は一匹も存在せず、その代わりにゴドーの作品の数々で埋め尽くされているからだ。


 この中にある品物は基本的に、近隣の町や村から注文を受けたゴドーが作成したものである。しかしながら、ゴドーはその性格上、納期よりもだいぶ早く仕事を終わらせてしまう性質たちであるため、注文者が受け取りに来るまでの間、こうして納屋に収納されているのである。


 そんな訳で、この「納屋」は、制作された当初の意図など完全に無視され、今では立派な倉庫となっている。


 アレンが毎日のように品物を磨く作業に駆られているのも、この建物が、もともと「納屋」として設計されているために、こと品物を保存しておく、という点に関してはいささか都合が悪いからに他ならない。ただ、オンボロの納屋だけあり、風通しが良すぎるといっても良いくらいなので、カビ関連の悩みがないのが唯一の救いだ。


 前に一度だけ、新しく倉庫を作ってみてはどうか、とゴドー本人に提案したことがあったが、彼の返答はただ一言、


「もうあるから必要ない」

 であった。


 アレンがここで働き始めてそこそこの日にちが経つが、その「倉庫」なるものの存在を確認できたことは、今まで一度もない。


 まさか、あの老鍛冶師が、自身と作品との思い出をしまってある場所――おそらくこの場合、その場所は「心」ということになるのだろうが、そのことをあの老鍛冶師が詩的に「倉庫」と例えているとも思えず、――頭の中でこのことを想像したアレンは、食事の最中に吹き出してしまい、大いに家族の顰蹙ひんしゅくを買ってしまった――この謎は、現在進行形のまま、保留となっている。


 アレンは「納屋」の扉を開けて中に入った。

 天気が良かったので、乾いた風が建物の中に入るよう、木でできた窓を開け放ち、棒でつっかえをして窓が閉じないようにしておく。そうして、作業を始めることにした。



 鍬や鋤といった農具から、刈り入れの際に用いられる脱穀機や、馬の蹄鉄などに至るまで、一つ一つの品物を丁寧に、手に持った磨き布で磨いていくこの作業は、アレンにとってあまり面白いものではなかった。


 しかし、その労働の報酬として、品物をピカピカに磨いた後の、ほんの少しの光にも反射する、その金属独特の光沢を一番初めに見る権利を得ると、人知れず達成感を感じるアレンなのであった。



 作業の八割方を終えたころ、アレンの耳に、外から馬車の車輪の音が聞こえてきた。


 外へ出てみると、その音の主は、近くの農村にすむ若者であった。どうやら品物の受け取りに来たらしく、疲れ切っているように見える牡馬を後ろにつれていた。


 若者は、家の方をチラチラと見ながら、心なしかビクビクしている様であったが、アレンが牡馬に水を飲ませ、ゴドーが作業中で、出てこられない旨を伝え、品物がもう既に完成していることを告げると、ホッと安堵の表情を浮かべた。


 アレンは若者が荷台に品物を積み込むのを手伝い、報酬を受け取った後、礼を告げて去っていく若者を見送った。


「……やっぱり、印象悪いんだなぁ、ゴドー爺さん……」


 若者が見えなくなって、顔に無理やり張り付けていた笑顔が、ゆっくりと音もなく顔から剥がれ落ちていくのを感じながら、アレンはため息交じりに独りごちた。


 せめてゴドーが死を迎える前までには、数えるほどでもいいから、その今際の際を看取ってくれる人ができるといいのだが……


 ……そんなことが、アレンの頭の中をよぎった。


「……おっと。縁起でもないな。さっ! 仕事仕事! 」

 

 ブンブンと首を振って雑念を払うと、アレンは作業を再開することにした。


 しかし、「納屋」に戻ってみると、八割方で中座していたはずの品物磨きは、いつの間にか終わってしまっていたようであった。


「あっれ~? おかしいなぁ。これも……これも、あれも。全部もう磨いてある……確かにまだ残っていたはずなのに……ハッ!? しまった! さっき渡したヤツ、まだ磨いてないヤツだった! 」

 



 まさかの失態に頭を抱えるアレンであったが、急いで家に入り、アレンが自己の失態を報告しても、老鍛冶師ゴドーは大した反応を見せなかった。


「まぁ、不具合があったら向こうの方から何か言ってくるだろう。金を返せと言われたときは、返せばいい」


「す、すごい自信だね。でも、本当にいいの?お金を返しちゃったら、色々と……」


 アレンは申し訳なさそうにブツブツ言った。ゴドーはというと……


「今日はもう終わりか? 」


 ……前後の文脈などお構いなしである。アレンにはゴドーが何か他の事を考えているように見えなくもなかった。


「え? う、うん」


「そうか。なら今日はもう帰れ」


「え!? こんなに早く!? ……ゴドー爺さん! 失敗したことは謝るよ! でも……」


 大方の作業を終えた後、工房に入り、ゴドーの作業を見てその技を学ぶ。

 この時間が、アレンにとって毎日の楽しみの一つなのである。


「あん? あぁ、別に怒っている訳じゃあない。今日はこれから来客があるんでな」


「……へ? 」


 その言葉に驚いたアレンが口をパクパクさせるのと、その口からやっとこさ音が出てくるまでの間に、部屋の中に絶妙なまでの沈黙が走った。


「だ、誰!? ゴドー爺さんにわざわざ会いに来るなんて、どこの物好……い、いや……誰!? 」


 純粋な驚きに、慌てに慌ててまくし立てるアレンであったが、ゴドーはこれを無視し、それ以上の追求には応じなかった。


 ただ、昔の知り合いが来ること。明日は仕事に来なくても良いこと。明後日からは、アレンに道具作りの仕事もさせるつもりであるということを告げ、アレンを送り出したのだった。



 帰り道を歩きながら、アレンは一人、悶々としていた。せっかく明後日から道具作りの仕事ができるというのに、アレンの意識は不思議と、違う方へ、違う方へと向かってしまっていた。


「……あぁ~~~! 気になる~~! 昔の知り合いってなんだよ……帰ったら父さんに聞いてみようかな」


 他人のプライバシーには、あまり干渉すべきではないのかもしれないが、ひとたび考え始めると、変な推測が新たにおかしな推測を呼んでしまう。


「……あぁ~~~~~!!!もう!何いらんこと考えてんだよ~~~~!」


 アレンは鬱憤を晴らすかのように、道の脇に転がっている大きな岩石に駆け上り、声の限りに叫んだ。


「はぁ、はぁ、はぁ……あっ、そういや明日、休みだっけ。まさかこんなに早く休みがもらえるなんて思ってなかったけど……」


 叫んだ拍子に、急に、今朝、幼馴染と交わした、友達と森に遊びに行こうと約束したことを思い出した。




 ――みんな……明日は空いているかな?




 …………

 ……


 アレンが帰ってからしばらく経ち、太陽が西へ沈み始めた頃、トントン、とゴドーの家のドアがノックされた。


 ドアを開けたゴドーが、フードつきのマントを羽織っている件の訪問者を家の中へ入れる。


 ドアをくぐって家の中に入ってきた訪問者の背丈は、アレンよりほんの少しだけ高いくらいであろうか。


 キィ、という軽い音と共にドアが閉まると、訪問者はゆっくりと、被っていたフードを取り払った。


 フードを取ることで、その端正な顔立ちが露わになる。


 年は、アレンと同じくらい。


 その髪は、一本一本が、まるで純銀を溶かして作られたかのような、美しい銀髪。


 輝かんばかりの彼の容姿全てが、飾り気のなく、明かりの乏しい家の中を、俄かに煌かせているかのようであった。


 その口元に浮かべている微笑みは、一見すると無邪気な子供のそれだが、ともすればどのような大人よりも、大人らしく見えなくもない。


「初めまして。お爺さん? 」


 口元に浮かべた微笑みはそのままに、少年は胸に手を当てて、貴族風の丁寧な挨拶をしてみせた。


「……」


 ゴドーは挨拶を返さず、唸り声と共にテーブルを指さし、少年に椅子に座るよう促した。


「ありがとう。よいしょっと」


 促されるまま、少年は席に着いた。


 椅子に座る前に、身に着けたマントの下から少年が取り出したのは、仔牛革で作られ、見事な装飾が施された鞘に納められた片手半剣バスタードソードであった。


 鞘に包まれた刀身は見えないものの、ゴドーの鍛冶職人としての目は、それがひどくくたびれていることを既に見抜いていた。


 長剣から目を放すことなく、ゴドーは少年と対面するように椅子に腰かけ、その固く、ひび割れた口を開いた。



「……それで、何の用で来た? ――フランツベルクの子せがれよ」


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