第7話 アレン 十四才 鍛冶師の門出と近づく糸①


「じゃあ、行ってきます」


 戸口の前でそう言って出ていこうとする、爽やかな少年の声が家の中に響く。

 声の主は、十四才になった鍛冶師見習い、アレンである。


 少し身長も伸び、心無しか、頼もしげな雰囲気を出し始めている。(――ような気がしないでもない、とは長女ルーシーの言である)


 そしていつものように、ふわふわとした笑顔で息子を見送るのは、母エキドナだった。


「はい、お弁当。これはゴドーさんの分、こっちがアレンのね。アレン、もうゴドーさんとは仲良くなった? 」


「仲良くって……ゴドー爺さんは友達じゃないんだから、『仲良く』はおかしいでしょう?」


「あらあらそうね。でも、母さんいまでも心配だわ。ゴドーさんはいい人だけど、とっても気難しいから」


「大丈夫、確かにあんまり自分からは話さない人だけど、話すときはいろいろ教えてくれるし、作業の方も、見ていてすごく勉強になってるよ」


 お弁当を受取りながらアレンは朗らかに言った。

 朝の忙しい時間も、このふわふわした雰囲気の母と話していると、なにやら気持ちが優しくなる気がする。


「うふふ、それじゃあ頼もしい鍛冶師見習いさん、今日も頑張ってね。行ってらっしゃい」

 

 エキドナは小さく手を振って、出ていく息子を見送った。



 最近アレンは、父ホーストの提案で、ヘファイスの町の郊外に位置する鍛冶師ゴドーの工房で働いている。


 父ホーストいわく、


『若いうちは、色々な職人の技を目に焼き付けておくもんさ、悔しいが、俺よりも腕の良い奴は間違いなくいる。アレン、俺はお前には簡単に自分の境界を決めて欲しくはないんだ。なぁ~に、お前に仕事を継いでもらうのはまだまだ先のことさ、先のことなんて気にするこたぁない。何事も勉強だと思って思いっきりやってこい!!』


 ……だそうで、その勉強の対象として真っ先に白羽の矢が立ったのが、ヘファイスの郊外に住む、偏屈で頑固な老鍛冶師ゴドーというわけである。


 この老鍛冶師、なかなかどうしてかなりの気難し屋の変わり者であり、町では有名だった。


 しかし、鍛冶師としての腕前も、これまたかなりのものなのは間違いなく、若かりし時のホーストとも少なからず友好があった。

 もしアレンにホーストのコネがなければ、ゴドーの下での鍛冶職人修行はありえなかっただろう。


 こうなるとただただ、父の人となりと人脈に感謝するアレンの今日この頃である。

 


 ゴドーの工房があるヘファイスの町の郊外に出るため、アレンはへファイスの町の居住区画から、商店の通りに出た。


 まだ朝早い時間帯なので、開いている商店はまばらだった。

 アレンはいつものように、町の道具屋の前を通り過ぎようとしたが、ドアの前に差し掛かったのと同時に、これまたいつも通り、ちょうど道具屋の店のドアが開いた。


「あっ、アレン、おっはよ! 」


 元気な声と共に、店から出てきたのは女の子だ。

 背が小さく、明るめの色をした赤毛の髪を肩のあたりで切りそろえ、人懐っこそうな笑顔をアレンに向けている。


「おはよう、カッティ。朝から元気だね。今日もおつかい? 」


 いつも通り、アレンも挨拶を返す。


 この少女の名前は、カッティ。

 雑貨屋の一人娘であり、年はアレンより一つ下の、アレンとは小さい時からの幼馴染である。


 幼い時から、外で遊ぶときは良く一緒に遊んだものだったが、アレンがホーストの仕事を手伝うようになってからは彼女も道具屋の手伝いをするようになり、会う機会も減っていた。

 しかし、アレンがゴドーの工房で働くようになってからは、また話す機会も増えていた。


 最近では、話す時間がだんだんと伸び、郊外への通り道である露店の通りまで、「おつかい」と称して一緒に行くことが、二人の毎朝の習慣になっていた。


「うん!行商市バザーまで一緒に行こ! 」


 カッティの笑顔はいつでも見ていて気持ちが良い。

 その後ろで、もう一度、カッティに負けないくらいの元気な声と共に店のドアが開いた。


「こぉら! カッティ! おつかいに行くのにお金も持たないで、アンタは一体どこに行くつもりなの! って、あら、おはよう、アレン」


「おはよう、おばさん」


 母親にそう言われて服のポケットを探り、初めてお金を忘れたことに気付いて、ハッとして目が点になってしまっている幼馴染の表情の面白さに笑いを堪えつつ、アレンはカッティの母親に挨拶を返した。


 一人娘に鋳造貨の入った袋を手渡すと、道具屋夫人は両手を腰に当てて、片目を閉じ、大きなため息をついた。


「まったく、アレンがゴドーさんのトコで働き始めた時は、店の前で少し会話する程度だったのに。最近になって『お母さん! 私、明日から朝のおつかいに行く! 』なんて、たまには親孝行なことを言うかと思ったら……目的はアレンとのおしゃべりだし。アレンと話すのに夢中になって、肝心の買い物はしてこないし。んもう、いたずらする要領はいいくせに、ほんとにおっちょこちょいなんだから! アレンからも、何とか言ってやっておくれよ」


 呆れ顔の夫人の愚痴に、アレンはクスクスと笑う。


 自分の母であるエキドナとは全くといってよいほどに感じは違うが、夫人の持つ、その言葉の裏側にある暖かさがアレンは好きだった。


 一方、主に愚痴の対象となっている当の一人娘の方は、何ともバツの悪そうな顔を浮かべ、頭を掻きながら苦笑いしていた。


「あ、あっはは~……さ、さぁ、アレン、早く行こ行こ! 」


 カッティはそう言うと、アレンの手を掴んで小走りに走り出した。


「ちょ、ちょっと! じゃあ、おばさん、行ってきま~す! 」


 幼馴染に引っ張られながら、アレンは夫人に手を振って別れを告げた。


「はい行ってらっしゃい! カッティ! アンタはあんまり遅くなるんじゃないよ! 店の準備があるんだから! 」


 夫人の声を背中に受けながら、二人は露店街の通りへと向かっていった。


 …………

 ……



「おつかいに行くのに、お金を忘れるって……ふふっ」


「笑わないでよ、もう! 今日はたまたまだってば! 」


「じゃあ、さっきおばさんが言ってた、買い物を忘れるっていうのは? 」


「そ、それも……ときどきよ? ホントに……ときどき……」


「……」


「ん~~~~!!! もう! ホントだってば! 」


「はははっ、わかったわかった」


 他愛のない話をしながら、二人は露店街へ向かう。


 姉が二人で、末っ子のアレンにとっては、カッティはまさに妹のような存在だった。


 だから姉相手にはできないようなからかい方も――最近はアレンも口が達者になってきたものの、ルーシー相手に少し試して、鋭い蹴りのお返しをくらった――できるくらい、気の置けない、数少ない相手であった。


「……だって、手伝いするようになってから、あんまり会えなくなっちゃったし……もっとアレンと話したかったし! ……だから……」


「おつかいは、ついでになっちゃった、ってこと? 」


 カッティは、唇を噛んで俯きながら、コクンと頷いた。


 アレンは、そんな幼馴染の様子を見て、何とはなしに暖かなものを感じながら、身長が少し大きくなったことを活かして、彼女の明るい色をした赤毛の頭の上に、ポンと自分の手を置いた。


 カッティは、ビクンとするのと同時に目をつぶり、それから不安そうな上目づかいでアレンを見上げていた。


「僕も、朝が早いと人とあんまり会わないから、毎朝こうしてカッティと話せるのは嬉しいよ。仕事が休みの時は、フリッツとかグランとか誘って、また一緒に森にでも遊びに行こうな! 」


「ホントッ? やった! 約束ねっ! 絶対! 」


 アレンの言葉に、今まで浮かない顔をしていたのがウソのように、カッティはパァッと顔を輝かせて頷いた。


 働き始めたといっても、二人ともまだ、それぞれ年相応の少年少女である。


 幼馴染同士のこんな会話も、今の二人にとっては、とても大切な時間だった。


 …………

 ……


 二人は露店街の通りへと出た。

 行商市バザーで行われる朝市には、近くの農村や、果樹園で取れた食べ物が、色とりどりに並んでいた。


「おう! おはよう、お二人さん! 」


 果物の露店の店主が近くを通った二人に声をかけた。それほど大きくないこの町では、顔なじみは多い。


「おっはよ! おじさん! 」


「おはよう、おじさん。今日も早いね」


 二人も笑顔で挨拶を返す。


「はっはっは。最近じゃあ毎日来るねぇ! 二人とも朝から仲の良いことで! まるで新婚ほやほやの夫婦みたいじゃないか? 」


 軽口で二人をからかう店主の冗談を、アレンはクスクス笑って流したが、カッティの方は、少し頬を赤く染め、はにかんだ笑みを見せた。


「し、新婚さん、かぁ……えへへ……新婚さん……」


 思春期の女の子らしい、彼女の初心な反応を見て、店主の方は、「俺が求めていた反応はコレだ!」と言わんばかりの、満足そうな表情である。


「カッティ。今日買うものは? 」


 アレンが助け船を出す。


「えへへ……ハッ! 買い物! また忘れるとこだった。え~っと……! そうそう! バゴットじいちゃんの果樹園のリンゴ! おじさん、リンゴ三つお願い! 」


 夢見心地から我に返り、ついでに買い物の内容も思い出したカッティが、店主に注文する。


「あいよ! リンゴ三つね。朝からいいものを見せてくれたカッティには、特別でっかいヤツをやろう! 」


「わぁ! ホントにおっきいね! ありがと、おじさん! 」


 店主は籠の中から、真っ赤に熟した美味しそうな大きなリンゴを三つ、カッティに手渡し、鋳造貨を受け取った。


「そういえば、アレン。お前はどうなんだ? あの頑固ジジイにこき使われて、そろそろ音を上げる頃なんじゃないか? 」


「え~、頑固ジジイなんておじさんが言ってるのをゴドー爺さんが聞いたら、もうおじさんに道具を作ってくれなくなるんじゃないかなぁ」


 さっきのお返しと言わんばかりに、アレンが反撃に出た。


「お、おいおい。勘弁してくれよ。ゴドーの爺さんは腕だけは確かなんだから。……まぁ、もしそうなったら、ホーストの旦那に道具作りは頼むことにするかなぁ」


「よし! 毎度あり! 今後ともごひいきに~」


 クスッと笑ってアレンが悪戯っぽく店主に言う。


「あっ、こりゃあ、一本取られたなぁ、はっはっは。今日はお前の勝ちだよ。ほら、アレンも持っていきな! 」


 愉快そうに店主も笑いながら、アレンに品物のリンゴを投げ渡し、二人を見送った。


 アレンはもらったリンゴをかじりながら、カッティと一緒に、声をかけてくれる顔なじみに挨拶を返し、世間話をしながら通りを進んでいった。カッティはリンゴの他に、お使いで頼まれていたチーズとパンも買った。


 バザーの先端までたどり着くと、アレンは芯だけになったリンゴを、集まっている小鳥の集団に投げてやった。

 小鳥たちは、列を乱された蟻のように散り散りに飛んで行ったが、危険がないとわかると、すぐに戻ってきて、痩せこけたリンゴをつつきだした。


「じゃあ、今日はこの辺で。また明日の朝に会おう」


 この先は郊外に続いているので、カッティとはここでお別れだった。


「あ……うん。また明日ね」

 

 たった今そのことに気付いたような顔で、彼女は頷いた。


 アレンは背を向けて歩き出したが、後ろから彼女が反対方向へ歩いていく足音が聞こえてこないことに気付いた。


 振り返ると、カッティは大きなリンゴ三つとチーズとパンを抱えたまま、アレンの方をじっと見つめていた。


「……カッティ、早く帰らないと、またおばさんに怒られるよ? 今日のおつかいの内容からして、おじさんもおばさんも朝ごはんまだだろうし、急いで帰った方が……」


「……アレン!さっきのあれ、嬉しかったよ! 」


「さっき? 新婚さんの話? 」


「しんこんさ……ひぇ!? え、あ、ち、違うよ! そっちじゃなくて! 」


 幼馴染は顔を赤くして狼狽える。


「今度フリッツとかグランとか誘って森に遊びに行くって約束! もしあの二人がいけなくても、わたしとアレン二人だけでも行くの! 絶対行こうね! 」


「……あぁ! きっとな! 」


 アレンは笑いながら幼馴染に手を振る。


 カッティも元気に手を振ってアレンを見送ろうとしたが、その拍子に、持っていたパンやらチーズやらリンゴやらを落としてしまった。


 すかさず食いしん坊な小鳥たちが、落ちた食べ物に向かってくる。彼女は本日三度目のハッとした表情を浮かべ、あたふたと食べ物を拾い上げた。


 その間、絶え間なく小鳥たちの追撃を受けながら、幼馴染は情けない声を上げて帰り道を走って行った。


 そんな彼女を見て一笑いしたアレンも、踵を返し、改めて老鍛冶師ゴドーの工房へと歩きだした。


 …………

 ……


 へファイスの町の中の道路は一様に、石畳で綺麗に舗装されている。


 郊外の道には、帝都ニーヴェルンゲン、皇都ヴァルマスカ、聖都カノサリズを繋ぐ「神聖街道」が存在する。


 百年前に新たに行われたこの街道の整備により、人が集まる場所への往来が、依然と比べて格段に容易になったとされている。


 しかしながら、辺境の村や集落への道は未だに昔の――帝国がまだシィンという国名で呼ばれていた時代の――街道のままであり、古より、何千、何万という幾多の人々の足で踏み固められた道が、見渡す限りに広がるシュタフヴァリアの緑色の大地の上に、土色の線の数々を刻んでいた。


 へファイスの町の郊外に位置する老鍛冶師ゴドーの工房へと向かうその道も、数あるそんな道の一つである。


 道の脇には、人ひとりを完全に日陰で覆えてしまえるほどの大きな岩石が転がり、道行く人の休憩所の役割を果たしていた。


 もっとも、今アレンが歩いている道は、通る人がほとんど皆無といってもよいような道だ。


 なので、整備された「神聖街道」の道の脇にあるような、旅人の休憩のために街路樹の代わりに、ごろごろとそこら中に巨岩が転がっている始末だ。


 もっとも、通る人がほとんどいない以上、木陰だろうが岩陰だろうが、そこで休む人もいないのだが。


 幼馴染と別れてから、どれくらいの時間が経っただろうか。


 もう既に太陽は完全に登り、明るく、そして暖かく大地を照らしている。

 その暖かな光を全身で浴びながら、アレンは道を進んでいった。

 十人がかりでも持てるかどうかわからないほどの大きな石の脇を通り過ぎると、老鍛冶師ゴドーの住居も兼ねた工房が見えてきた。


 煙突からはもくもくと煙が上がっている。

 どうやら、もう既に作業を開始しているようだった。


 煙突の煙を見たアレンは軽やかに走り出した。

 足取りはたいへん軽やかだ。ゴドーの下で働き始めてから、毎日町と郊外とを行き来しているため、人知れずアレンの足腰は鍛えられている。


 あっという間にドアの前までたどり着く。

 トントンとドアをノックするのと同時に、何かを思い出したようにアレンは微笑んだ。


 ――思い出すなぁ……初めてここに来た日のこと……


 ――あの日も、こんな風に家に入って行ったっけ……


 キィ、という軽い音を立てて、工房のドアが開いた。



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