第6話 断章 決勝戦 第一局面より


「ほらほら! 上手く避けないと危ないよ!! 」


 連撃に次ぐ連撃。


 そして少しの溜めの動作の後、剣聖ランダル・フォン・フランツベルクご自慢の片手半剣バスタードソードが、空気を切り裂く。


 ――風切の轟音と、その鋼の持つ、鈍色の煌めきと共に。


 重量を誇る鋼の塊が、自分に向かって水平に高速で振りぬかれるのを、アレンは体を弓なりに反らして紙一重でかわした。


「――チィッ!!!! 」


 思わず、冷や汗をかいたアレンから鋭い吐息が漏れる。


 反動を利用して、そのまま一回、二回、三回と。

 大きくバックステップを刻み、相手との距離をとる。


 その大きな革製のバトルブーツで踏みしだいた地面からは、激しい動作によって乾いた土が巻き上げられる。


 最後に片膝をついてようやく停止したアレンの周囲を、砂塵の幕がぐるりと取り囲んでいた。


 アレンは相手の追撃に備えようと身構えたが、ランダルの方からは追撃をしてくるような気配はない。


 ランダルは、自分の周囲に巻き起こっていた砂煙をその手の剣のひと振りの風圧で鎮めて見せた。

 九死に一生を得たアレンの鬼気迫る様子を楽しむかのように、試合前と変わらぬ微笑をその口元に浮かべている。


 戦闘開始から数分。


 初めて距離をとって一息ついた両者の耳に、熱くなった観客の歓声が響いた。




 戦闘開始の合図とともに先手必勝を狙って突撃したアレンであったが、当然そんな手が上手いこと通じるわけもなく、試合は開始早々、ド派手な接近戦となっていた。


 アレンは鎚と盾、ランダルは片手半剣が獲物であるため、単純な武器のリーチ、攻撃範囲レンジの差ならば、文字の通り、「片手半」分、ランダルに分があった。


 アレンが思い描く勝機とは、ひとえに超近距離の間合いにおける懐攻めインファイトである。

 ゆえに序盤は、彼我の「片手半」分のリーチの差を逆手に取った立ち回りを期待しての動きで、ひとまず相手の出方を見たかったのだ。


 だが、そんな目算はものの数回の剣戟を交わしたことで、無意味だと云うことを思い知らされた。

 切れ味鋭く重厚なその一振りの鋼の塊を、ランダル・フォン・フランツベルクは、まるで自分の体の一部であるかのように、ごくごく自然に、しかも軽々と使いこなし、アレンに懐内に入り込む余地を与えなかったからだ。


 そして、攻撃によって少し体勢を崩したアレンに、すかさず斬撃を叩き込んだのである。



 ――この攻防。



 確かに先手を取って攻撃を仕掛けたのはアレンであったのだが、結果として先手を取ったのは、ランダルの方であった。


 先に相手に攻撃させておいて、それを利用して攻撃に転ずる。


 この、超人的ともいうべき一寸の見切りが可能にする、その道の達人たちをして「後の先」と称される戦闘法に、アレンは見事に引っかかってしまう結果となった。


 帝国随一の剣聖と讃えられるランダル・フォン・フランツベルクその人の手によって振るわれる剣の一撃一撃は、仮に形容するのなら、


 剛胆にして柔軟、

 柔軟にして強靭、

 強靭にして流麗、

 流麗にして凄艶であった。


 しかしながら、観衆の大歓声はなにも、ランダルにのみ向けられたものではない。

 先の攻防において、神業的な見切りを披露したのはなにも、ランダルの方だけではなかったからだ。


 矢継ぎ早に繰り出される剣聖の斬撃を、アレンは今の攻防において全て防御、もしくは回避することに成功していた。


 目先の超人的な力と見事に過ぎる太刀筋とに惑わされがちだったが、ランダルの剣の型そのものは、あまり複雑なものではなかったのが幸いしたのだ。


 もっとも、アレンの予想よりも盾の消耗が著しく、盾面にはくっきりと斬撃の痕が刻まれていた。

 これはきっと、今後の戦いにおいて支障を生じさせるであろうことは間違いないだろう……。


 とにかく、これからはなるべく盾を使わずに間合いを計算して立ち回るか、剣の軌道を逸らすような盾の使い方をしていかなくては、きっと使い物にならなくなってしまう。


 まぁ、予選において対戦相手の盾を、研ぎ澄まされた鋭い突きの一撃をもってものの見事にぶち抜く、という荒業を披露してくれたあの剣聖が、そんなことを許してくれるような奴だとは、アレン自身もこれっぽっちも思ってはいない。


 だからこそ、こんなこともあろうかと色々策を巡らせてきたのだ。



 さて、現状。


 今の攻防によって、両者共に生じた肉体的な損傷はゼロだが、盾を持つアレンの左手は、若干痺れを残している。


 しかしアレンの方も、攻防の最中にランダルの剣の平と刃先に二、三度、思い切り鎚を打ち付け、刃と刀身にダメージを与えることに成功していた。


 何とも地味な成果ではあるが、戦闘が長引いてくれば、これもゆくゆくは戦況を変えていく要素になるだろう。


 ……などと、アレンは希望的観測を頭の中で展開していた。


「ふぅ……さっきのは危なかったな。おかげで変な走馬灯見ちまった」


 そう独りごちながら、冷や汗をぬぐったアレンの顔に苦笑いが浮かんだ。


 アレンの言う『変な走馬灯』とは、具体的には幼少期の思い出である。


 もっと言うと、幼少期に、気の強い方の姉と繰り広げた、今となっては家族の中での他愛のない笑い話にしかならないような、そんな思い出である。


 ギリギリの命のやり取りをしている最中に、そんな記憶がフラッシュバックするとは露とも思っていなかった。


 それだけに、込み上げてくる何らかの感情が、純粋な懐かしさであるということにアレン本人が気付くまでに、少々時間がかかるほどであった。


 例えばそれは――小さいころ、まだ字の読めない小さな弟に自慢げに本を読み聞かせては、弟に予想外の質問をされて答えに詰まり、ついつい喧嘩をしてしまう、小さな女の子の姿。


 例えばそれは――年下の弟に姉の威厳を見せようと背伸びをして、何かにつけて斜に構えた言動をしていた、少女の姿。


 例えばそれは――そして、家族を思いやり、その美しい瞳に涙を浮かべて、だけど決してその涙を決して流すことはない。


 そんな儚くも凛として咲く花のような、そんな女性の姿。


 時の流れに沿って成長していくそれらの情景が、脳裏にくっきりと浮かび上がる。  


 アレンは思わず、邪念を振り払うために兜を鎚で殴りたい衝動に駆られたものの、すんでのところで堪えた。



「あぁ~、いかんなぁ。どんどん思い出してきちまったぞ。こんなこと思い出している場合じゃないってのに……」


 しかし懐かしいなぁ……あの時は姉さんにさんざんやられていたっけか……小さいころから気が強いのは、いったい誰に似たんだか……


 ――そういえば、いつからだったかな?

 姉さんがあんな顔を見せるようになったのは。



 アレンのそんなノスタルジックな感傷は、大音量で鳴り響く銅鑼の音で、ものの見事にぶち壊されてしまった。


 どうやら、審判の「早く戦闘を再開しなさい」の合図のようだ。


 一方、ランダルはというと、自分から動くつもりはないらしく、相変わらず微笑を浮かべながら、感触を確かめるように、その手に持った片手半剣バスタードソードを体の前で、くるり、くるりと∞の形を描くように、ゆったりとした動作で回している。


 アレンと視線が合うと、その剣の動きは、ちょうど剣を体の前で掲げるような体勢で止まった。


「あれ~、しっかりしてくれなくちゃ困るよ、鎚の振るい手さん? まさか、さっきのでもう疲れちゃったのかい? 三年間の成果、見せてくれるんじゃなかったの? 」


 挑発の意味でも込められているのだろうか。

 体の前に掲げられた片手半剣バスタードソードの陰から小首をかしげ、微笑という名の仮面の下からほんの少しだけ無邪気な笑みを覗かせて。


 剣聖ランダル・フォン・フランツベルクはアレンに問いかける。


 そんな対戦相手を見て、アレンは感傷に別れを告げるかのように、小さく息をつく。

 鋭い大きな犬歯をむき出しにした野性的な笑みを、対戦相手に向けて解き放つ。


「そんなわけあるかよ。体も程よく温まってきたし、そろそろ本気で行かせてもらおうかと思っていた頃さ。――お前こそ、もうそろそろ手ぇ抜いて戦うの、やめたらどうだ? それとも、この俺じゃ役者不足かな? 」


 この言葉を聞いて、ランダルは驚いたように大きく目を見開いた。

 それは、時が止まってしまったかのような。覗き込むものに永遠を表象させる、灰色の瞳。


 ぽかんとした表情をしたその後、剣聖ランダル・フォン・フランツベルクは、ゆっくりとその微笑の仮面を取り払った。


 アレンは、ランダルの冷ややかな微笑以外の顔を初めて見た気がした。


 美しくもどこか嘘臭かった微笑みの仮面の下から覗かせたのは、年相応の――否、それよりもなお子供っぽい、無邪気で快活な笑顔だった。


「あはははは! さっすがだよ! 僕にそんなこと言ってくれる人なんて今までいなかった。ううん、力不足なんて思わない。そのために三年間待ったんだからね。それに、さっきのも、そこまで手加減してたわけじゃないよ……でも、やっと……やっと心の底から楽しめるんだ! 期待していいんだね? 」


 まるで、子供が友達を遊びに誘うかのような。


 あまりにも無邪気なその表情と口調に、アレンは少々面喰ってしまった。


「あ、あぁ……まぁ、お互い、思いっきりやりあおうぜ。即死しない限りは、どんな怪我を負っても、が何とかしてくれるんだからな! とにかく、こっから先は第二局面だ。アンタの手の内、見せてもらうぜ、剣聖! 」


「うん、僕も本気で行く! 二人で、素晴らしい試合にしよう! あぁ、僕は今日の試合を絶対に忘れない! 」


 ――なんだよ……あんないい顔で笑えるんじゃないか。

 

 よくわからんが、こっちまで楽しくなってきやがった……。


「アレンだ」


「え? 」


「俺の名前さ。いい加減、『鎚の振るい手』ってのは勘弁してくれ。どうも調子が出ない」


「……ありがとう、アレン。じゃあ君も、僕のことは名前で呼んでほしいな。剣聖っていう肩書きは嫌いじゃないけど、君とは対等な関係でいたいから」


「へぇ、意外と律儀なんだな。わかった! じゃあ、はじめようか! ランダル! 」


「本気で行くよ! アレン! 」


 アレンが勢いよく地面を蹴って動き出した。


 同時にランダルも、それに応えるように片手半剣バスタードソードを両手で持ち、体の側面で構え、猛然とアレンに向かっていく。


 二人の動きを見て、一斉に観客はその歓声のボリュームを最大限に上げる。




 大地も割れよとばかりに繰り出された、二人の若者の持つ――鎚と剣。



 双振りの鋼が、闘技場の中心で、橙色の火花を散らした。




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