第5話 アレン 十二歳 日常風景より③
さて。
ところ変わって、まだ、部屋から出てこない家人が一人……
「……アレンのアホ……」
……長女ルーシーである。
ことごとく弟に無視されてしまった彼女は――ルーシー自身、最近は結構無視されている自覚はある――この後、どんな顔で食事を取れば良いのかを必死に考えていた。
アレンは最近よく自分を無視するが、やはり、自分の乱暴な言動に、愛想をつかせてしまったのだろうか。
いつものように、カトリーナは姉弟の仲を取り持ってくれるだろうか。そんなことが頭の中をぐるぐる回る。
「はぁ……十六にもなって、何やってんのかしらね、私……らしくないなぁ……なんでなんだろ?……変わっていかなくちゃって、わかってるのに……」
ふと、口からそんな言葉が漏れた。
「誰と話してんの? 姉さん」
「別に……ただの独りごとよ……ってアレン!? 」
いつの間にか、アレンが部屋にいた。
「な、なな、なんでここにいるのよ!? もう下へ行ったんじゃ……!? っていうか、今の聞いてた!? ウソ!? やだどうしよ!? あぁもうなによこれ訳わかんない!? 」
「ちょ、ちょっと姉さん、大丈夫? ちょ、お姉ちゃん! とにかく落ち着いて!? 」
取り乱して、つい以前の呼び方に戻ってしまいつつも、アレンがルーシーの両肩を抑えて、そう言い聞かせる。
すると、はじめは取り乱していたルーシーも、だんだんと気を取り直していった。
そして、だんだん顔を赤くして、うつむいてしまった。
それから、しばらく両者に沈黙が走った。
カトリーナに言われて――『嫌なことは、しっかり水に流して、みんなで楽しくごはんを食べたいわね? 』――仲直りに来たアレンだが、この状況はどうも想定外だった。
つい、『お姉ちゃん』などと呼んでしまった……。
また子供みたいだ、などとチクチク言われる原因を作ってしまったと、アレンはなかなかに後悔する。
いつもと全然違う様子のルーシーに自身の調子を崩されていることはまず間違いないが、あまり沈黙が続くのも耐えられそうもない。
なのでとりあえず、アレンはいつになく変な緊張を感じながらも、自分は怒ったりしていないことを伝えることにした。
「あ、あの、お姉ちゃ……姉さん? 」
「な、なななにかしら? アレン? 」
両者とも、ただいま絶賛緊張中である。もっとも、両者の緊張の理由はそれぞれ異なっているかもしれないが。
両者ともに、その作り笑顔は固く、口の端がぴくぴくと動いている。
――なんなんだ、この空気。
とにかく、姉さんの様子もどうもおかしいし、さっさと謝ってしまおう。うん、そうしよう。
アレンは、覚悟を決め、素直に頭を下げることにした。
「あ、あの、さ。何か……ごめん! よく考えたら、最近、姉さんとまともに話してなかったっていうか……僕に無視されて寂しかったんだよね? 僕姉さんが繊細だってあんまり実感が湧いてなくてでも別に姉さんのこと嫌いになったとかそういうわけじゃないしっていうか普通に姉さんのことは好きだしだから安心して! 」
勢いに身を任せて、後半から言わなくてもいいことまで口走ってしまっているアレンである。
そしてアレン自身、言ってしまった後から後悔の念が沸き起こる。
ルーシーの方はというと、どこから応えればよいのか非常に困惑している様子であった。
言葉を発しようと口を開くのだが、肝心の言葉がまったくと言っていいほど出てこず、顔はどんどん赤くなっていった。
少しして、やっとのこと開いた口と出てくる声が一致させることに成功したようで、
「……あ、当たり前じゃない! どこに無視されて喜ぶ馬鹿がいるって言うのよ! ……ま、まぁ、アンタがちゃんと反省して……これ以降は絶対に無視しないって言うんなら……許してあげなくも……ないけど……」
とりあえず、和解についてのことについてのみに焦点を当てることに決めたようだった。
それでも、向こうから和解を持ちかけてきてくれた嬉しさと、素直に謝りたい気持ちと、プライドとが入り交じってしまっているのだろう、最後の方は完全に尻すぼみになりなってしまっていた。
一方、完全に目が泳いでしまっている姉とは打って変わって、アレンはすんなり謝罪が受け入れられたことに顔をほころばせていた。
「うん、ほんとにごめん! もう無視しないし、忙しくても、姉さんと話したりする時間もつくるよ。最近本も読めてなかったから、またいろいろ教えて欲しいな。仲直り、してくれる? 」
十二才ならではの無邪気なその言葉を聞き、そして弟の顔をじっと見て、ルーシーは少しだけ哀しそうな、苦しそうな表情をした。
「ハァ、もういいわよ……やっぱり、弟なのよねぇ……」
「? 」
そんな意味不明の言葉をつぶやいた後、ゆっくりと吐息を吐いたルーシーの顔に、何かを諦めたような微笑みが浮かんだ。
アレンが長女のトゲトゲしくはない、自然な笑顔を見たのは久々のことだった。
「よし! それじゃ、お昼にしよう。父さんも母さんもちい姉さんも待ってる……姉さん? 」
長女の機嫌が良い方向に傾いたのを感じ取ったアレンは、やっとお昼ごはんにありつけると思い、部屋のドアを開けて姉に部屋を出るよう促した。
しかしルーシーは、すぐに出ようとはせず、少し何かを考え込む仕草をした後、何かを決心したかのような面持ちで静かに口を開いた。
「アレン」
「ん? 」
またさっきとは様子が変わった姉に疑問を抱きながら、アレンは聞き返した。
長女は無言で片手をアレンに差し出していた。
「ん? 」
差し出された手と姉とを交互に見て、アレンがもう一度聞き返す。
「ん 」
どうやら、和解の握手を求めているようだった。
昔はよく、仲直りの際に握手を交わしたものだったが、あまりにもいきなりだったので、アレンは少し面喰ってしまった。
同時に、手を取った瞬間、関節を極められるのではないかなど、内心ビクビクしながらも、アレンはルーシーの手を取って握手に応じた。
ルーシーの手は、母譲りの、白く、しなやかで、それでいて柔らかい、きれいな手であった。
握手をした体制のまま、少しの時間がたった。
アレンは姉の意図が分からず、不思議そうな顔をしていた。
対するルーシーはそんなアレンの顔を見つめ、相変わらず、何かを諦めたような微笑みのままだった。
「……姉さん? 」
「今まで、悪かったわ。これから反省して、よい姉になろうと思います。以上。応援よろしく」
おもむろに長女はそう宣誓し、握っていた手をパッと放した。
そして、アレンの頭をポンポンと軽く弾みをつけて撫で――この頃は、まだルーシーの方が、アレンよりも背が高かった――白く整った健康そうな歯を見せて、ニッと笑って見せた。
アレンは、さっきからコロコロと変わる姉の態度に、そろそろ本気で困惑しながらも、あいまいに笑みを返すことにした。
「……よし!! さぁ、アレン、行きましょ! お昼ごはんお昼ごはん! もうお腹すいちゃった! 」
そう言って、足取り軽やかに部屋を出て、階段を下っていく。
「……わっかんないな~……姉さんって一体……?」
元気になって、部屋を出ていくルーシーを追って、アレンは部屋を出て階段へ向かう。
ルーシーはと言えば、何かを自己解決したかのように、さっぱりとした顔をしていた。
そこにはもう、最近まで見ていた、けだるそうな姿は無い。
まさか、今の『悪かった』の一言で、幼いときから積み重ねてきた、自分への悪行の数々を――と言っても、ほとんどが周りからすれば大したことのないものだが……――チャラにしたつもりなのだろうか……。
そんなスケールの小さなことを考えていたアレンであったが、それと同時に、他に思うことがあった。
ほんの少しだが、素直な気持ちを見せてくれた長女と、姉の気持ちに気づいていなかった自分との間にあった、壁のようなものがなくなったような気がする、と。
もっと言えば、今まで離れていた二人の心の距離が、以前のような、喧嘩をしていても、なんだかんだで、毎日が楽しかった、あの時の二人のように、少しでも戻れたのではないかと……
この日を堺に、長女からは以前のようなトゲトゲしさはなくなった。
依然として、気の強いところはあるけれども、アレンに突っかかってくることも少なくなり、どこか斜に構えた感じもなくなり、そして何より、自分が悪いときには、自分の非を認めるようにもなった。
アレンにとって、この変化はありがたかったし、今までよりも長女と話す機会も増え、関係も良くなったと感じていた。
ただ一つだけ、アレンは、ルーシーが時折見せる、少し哀しそうな、何かを諦めたような表情が、ただずっと気になっていたのだった。
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