第4話 アレン 十二歳 日常風景より②


 ホーストの工房は家の裏出にある。


 これは家と仕事場とを分けておきたいと考える、妻エキドナの意見からである。

 それゆえ二人はいつも表の玄関に回って家に入っている。


「ただいま、ドナ」


 ホーストのその声に妻エキドナが出迎える。


 すらりとした体つきに、一二才になったアレン少年よりも高いその身の丈。

 整った顔立ちに、まさに濡れ羽色と呼ぶにふさわしい艶のある黒髪。


 赤ん坊であったアレンを引き取って十二年になるが、近所でも評判のその美しさは、未だに衰えてはいない。


「あら、おかえりなさい。今日はいつもより早いのね」

 

 一見凛とした外見からはおよそかけ離れた、独特なふわふわとした調子でエキドナは夫と息子を出迎える。


「あぁ、もともと今日は、そんなにやることはなかったし、アレンも見てのとおり、こんな有様だしな」

 

 傍から見てもくたびれた様子のアレンを面白そうに横目で見ながら、ホーストは朗らかに言った。


「あらあら、大丈夫アレン? 初仕事で、張り切りすぎたのかしら」


 右手を頬に当てて困ったような微笑みを浮かべながら、エキドナはアレンの顔をのぞき込む。


 朝にはかなり張り切って仕事に出ただけに、アレンはバツの悪そうな顔を浮かべてただ唸るしかなかった。


 そんな息子の様子を見て、夫婦は顔を見合わせてクスクスと笑いはしたものの、からかうようなことはしなかった。


「さぁ、早くお昼にしようじゃないか。もう出来ているんだろう? 」


「えぇ、あともう少しで出来るわ。アレン、悪いけど、二人を呼んできてくれるかしら。多分、二人とも自分の部屋にいると思うから」


「わかった」


 アレンは疲れた体をのそのそ動かし、階段を登っていった。


 ヘファイスの町でも名士といって差し支えないホーストの家は比較的大きな造りをしている。新築時にはホーストが自分自身で天井の梁を渡し、その際に指の骨を三本も折ったことがある。


 そんな一家の大黒柱の献身によって建てられた家には、三人の子供の一人一人に、自分の部屋が割り当てられている。


 それぞれの部屋に行くのも面倒なので、アレンは階段を上がりきると少しだけ声を張って呼びかけることにした。 


「姉さん、お昼だよ、母さんが降りてくるようにって……姉さん? 」


 少しの間の後、奥の部屋の扉が開いた。出てきたのは……


「――ったく、何度言ったらわかるのアンタは? そんなに大声出さなくてもちゃんと聞こえるわよ。まったく……」

 

 ……長女ルーシーであった。

 十二年経って、十六才に成長したその姿は、若き日のエキドナと驚くほどにそっくりだと、町では評判になっているらしい。


 しかし、似ているのはあくまでも外見だけで、肝心の中身は、おっとりとして心優しい母とは全く異なっている、というのがアレンの見解である。


 この十二年間、長女に散々からかわれたり、馬鹿にされたりして育ってきたアレンに、彼女がこう思われるのも無理のないことかもしれない。


「……そんなに大きな声は出してないと思うけど? 」

 

 少々刺々しい言葉に、けれど淡々とアレンは応える。

 実際、アレンが姉を呼ぶ際、少し声を張っただけだったのは、これが理由だったりする。


 しかし、どんなに気を付けて呼ぼうが、アレンが呼ぶ限り、長女とのこのやりとりはほぼ毎回繰り返されるのだ。


 アレンの言動にルーシーが何かと難癖をつけるこの光景は、もう最近では日常の光景になりつつある、と言っても過言ではない。


「私にとっては大きいのよ。せっかく静かに本を読んでいたのに、私の高尚な思案の時間を邪魔するなんて、いい度胸じゃない? 」


 非常に絡みづらい姉の発言に、疲れているアレンは応酬する気も起きなかった。

 以前はこんなことはなかったのだが……そんなことを思いながら、アレンは適当に受けることにした。


「文句なら母さんに言ってよ……それより、は?いないの? 」


 もう一つの部屋を親指で指す。


「アンタ、もういい加減に、その呼び方は直したらどうなの? 十二才にもなって『ちい姉さん』だなんて、いつまで子供のつもり? 」


 あくまで突っかかってくる姉をアレンは無視して、もう一人の姉――次女カトリーナの部屋の扉をノックした。


 やはり返事はない。


「ちい姉さん? 」


 今度は訝しげにルーシーも呼びかける。


「カトリーナ? 」


 やはり、部屋からは返答はない。アレンとルーシーは互いに顔を見合わせる。

 そのまま少し間を置いて、二人は同時に息を呑んだ。


「「ッ! まさか! 」」

 

 いそいでドアを開け、二人は部屋になだれ込む。


 あまりの勢いに、ルーシーが自分の足に躓き、後ろから思い切りしがみついたので、前にいた哀れなアレンは、これまた思い切り床に倒れ込み、鼻を強打することになった。


 しかしそんなことには気にも留めずに、アレンはすぐに顔を上げて次女の姿を探す。

 とうの次女カトリーナは、二人と同じように床に倒れていた。


 いつまでも背中に張り付いている長女を引きはがして、アレンは次女に駆け寄り、ぐったりしたその身体を抱きかかえた。


「ちい姉さん! 大丈夫!? 聞こえてる!? ちい姉さん! 」


 痛くないように極めて軽く、次女の頬を叩きながらアレンは大きく呼びかけた。

 それを聞いて次女カトリーナはゆっくりと目を開けた。


「あぁ……おかえりなさいアレン……大丈夫? ……疲れているみたいだけど……初仕事はどうだったの? 」


 柔らかな微笑みと、ゆっくりのんびりした調子で、カトリーナはその口を開いた。


「それはこっちの台詞だよ。気分はどう? 気持ち悪かったりはしない? 」


 他にどこか異常がないか注意深く観察し、姉の額に手を当てて、熱がないか確かめながらアレンは尋ねた。


 次女のカトリーナは幼い頃から体が丈夫とは言えず、体調を崩しがちであった。


 現在では急に倒れることは少なくなったものの、それでもたまにこうして、具合が悪くなる時がある。


 容姿は母にそっくりで、中身は活動的な姉のルーシーと比べて、カトリーナは、中身は母そっくりでおっとりとしているが、容姿は母とは似ておらず――と言っても決して美人ではないと言う事ではなく、凛とした母や姉の外見とは違った、柔らかな印象を人に与える顔立ちをしている――髪の色も、エキドナやルーシーのような艶のある黒髪ではなく、鮮やかな赤色をしていた。


 幼い頃のカトリーナは、ルーシーによく泣かされていたアレンの数少ない味方であった。

 そのため小さい時から、アレンは自然と長女ルーシーよりも、次女カトリーナの方に懐いていた。


 ルーシーは、何故かそれがあまりお気に召さない様子で、ことあるごとにアレンの方に八つ当たりするのである。

 それでも、体の弱い妹に手を出さないあたりは、姉としての優しさの表れと言うべきなのだろうか。


「あぁ……アレンの手、冷たくって気持ちいいわ……ごめんね?……今朝は、いつもより調子がよかったのだけれど……本を読みながら、窓際で外から聞こえてくる……金槌の音を聞いていて……ずっと窓辺にいたから……急に目眩がしてしまって……」


「あまりお日様に当たりすぎるのは良くないよ。前よりは良くなってはいるけど、それでもまだちい姉さんの体はそんなに丈夫じゃないんだから」


「そうね……心配させてちゃってごめんね?……今日は、いつもと金槌の音が違ったから、アレンが打っていることがわかったの……だから聞いていたかったのだけれど……あら? アレン、鼻が赤くなっているわよ? 大丈夫? 」


 カトリーナはそう言って、アレンの鼻の頭を、ほっそりとして儚いその指で、優しく撫でてくれた。


 彼女は基本的にどんなときも――自分の体調が優れないときでさえ――他人のことを気にかける、心優しい娘だった。


 そんなの様子を見て、体調が少し回復したことを確認し、アレンはホッと息をついた。

 が、その次の瞬間――正確にはという単語が頭をかすめた瞬間――自分の背後で、ワナワナと震えているであろう存在のことを思い出して、その息を再び飲み込んでしまった。


 慌てていたとはいえ、先ほど自分は何をしでかしただろうか。


 確か、部屋になだれ込んだ際に、というか、なだれ込む原因になった出来事があったような……。

 しかも倒れた直後、後ろに張り付いていたを、自分は確か……


 ――そんなことが脳裏をよぎった直後、アレンは、ひどい憂き目にあってしまった。


 具体的に言うと、怒ると意外と可愛らしい声になる長女ルーシーの怒声を背中で受けながら、カトリーナを抱き起こしたままの体勢で背中を蹴飛ばされる、という憂き目に。


「こぉんの愚弟! アホ~! よくもこの私を足蹴にしてくれたわね! 」


「ッッ~!!!! 」


「キャッ! アレン大丈夫!? 姉さん、乱暴したら駄目よ、アレンが可哀想じゃない」


 背中を蹴られた衝撃で体制を崩し、カトリーナに半ば覆いかぶさるような状態になってしまったアレンが悶絶し声を失う。


 カトリーナはそんな弟の背中を優しく撫でながら、少しだけしっかりした口調でルーシーを諭した。


「ッ!! ちょっとカトリーナ! アンタこそいつまでそうしているつもり!? 意識がはっきりしたならさっさと立ちなさいよ! アレンも! 大の男が、か弱い女の子に蹴られたからってそんなに痛いはずないじゃない! 」

 

 こんな強力な蹴りを放つ者のどこが『か弱い女の子』なものかと、アレンはたまらず言い返そうとした。


 しかし同時に、こんな調子ではいつまでたっても昼食にありつけない、とも考えた。


 まして、朝から今まで重労働をしているのだから、いつまでもこんなことをしていると、イライラは募り積もって、今やアレンは癇癪を抑えるのが精一杯だった。


「……」


 そんなこんなで、アレンは、最近使い始めた手段に出ることにした。


「ハァ~~……」


 ゆっくりと立ち上がり、両手で膝についた埃を払い落とす。


「あ~あ。転んだせいで服が汚れちゃったじゃない。アレン、ホコリを払いなさい」


「……」


「なっ、なによその目は! 」


「……チッ」


「ッ! ちょっと! 今舌打ちしたでしょ! どういうつもり!? 」


「さぁ、ちい姉さん立てそう? よかったら下まで手を貸すよ? 」


「ええ……ありがとうアレン。じゃあお言葉に甘えさせてもらおうかしら? 」


 アレンはカトリーナの手を取って立たせると、カトリーナはアレンの腕に寄りかかるようになりながら歩きだした。


「ちょ、ちょっと! なんで無視するのよ! 話はまだ終わってないわよ! 」


「…………」


「ねぇ! 何か言いなさいよ! 」


「………………」


「アレン……? もしかして蹴ったこと怒ってるの!? だってあれはアンタが私を……そうよ! アンタが悪いんじゃない! 」


「……………………」


「何とか言ってよ! カトリーナもアレンに何か言ってやりなさいよ! あっ! ねぇ待ってよ! ねぇってば~! 」


 だんだんと声に勢いがなくなっていく長女を無視して、次女と弟は部屋を出て階段へと歩いていく。


 この無言の抵抗は、真っ向勝負では長女に絶対に勝てないと踏んだアレンが、長女に対抗するために最近になって編み出した手段である。


 すなわち――非暴力、非協力、不服従。


 ……しかしてその実態は、単なる無視である。


 ルーシーは、日頃、特に最近、何かとアレンに対しては突っかかってくる反面、アレンがとことん無視を決め込むと、嘘のように元気をなくしてしまうのだ。


 その姿はさしずめ、構ってもらえずにしょぼくれる子犬のようであり、なんとはなしに、可愛らしいものではある。


 だが、あまりやりすぎると、アレンの方も罪悪感が半端ではないため、いつも頃合を見て、解除するようにしているくらいだった。


 近頃のアレンは、この時のしおらしいルーシーなら、町の人がもてはやすのもわからなくはないのに……などと意味もない考えに思いを馳せていたりする。



 ともあれ、アレンはカトリーナのことを気遣って、ややゆっくりと階段を降りていた。


「アレン……姉さんのこと、あんまりいじめちゃ駄目よ? ああ見えてかなり繊細なんだから……」


 アレンはフンと鼻を鳴らし、カトリーナの方を見ずに応えた。


「いじめるって……手をだしてきたのは姉さんの方からだし、僕はそんなつもりはないんだけどな。今だって、ずっとあんな調子で続いたら、お昼が食べられなくなっちゃうから無視しただけだし。大体、『お昼だよ、降りてきて』って言うだけのはずが、何分かかってるんだか……お昼ごはんが冷めちゃうじゃないか……ちい姉さん? 」


 アレンはカトリーナがじっと自分を見ていることに気付き、口をつぐんだ。


 いつの間にか足を止めたカトリーナに合わせて、アレンも足を止める。

 カトリーナは少し哀しげな顔をして、ちょっとだけ唇を噛んで、ただじっとアレンの方を向いている。


 アレンは、カトリーナのこの顔が苦手だった。

悪戯を咎められた子供のように、次女から目線を逸らそうと試みる。


しかしカトリーナは、そんなアレンの顔を、儚く、ほっそりとした両手で包み込んで、視線を合わせてきた。

 少しの間抵抗を試みたものの、体の弱い姉を無理に振りほどくこともできず、アレンは観念して、目線を合わせ、次女と向かい合った。


「アレン……ルーシー姉さんは少し寂しがってるのよ」


 カトリーナは思いやり深い声でアレンにそう告げた。


「はぁ? なんでそんな……いつも人のことを子ども扱いしてるくせに……自分だって子供なんじゃないか……」


 予想外な言葉に、アレンの受け答えはしどろもどろになるが、カトリーナはそんな弟を諭すかのように、再び口を開いた。


「最近、アレンは本格的に仕事の方に時間を取られてしまっているでしょう? 私はよくアレンに手助けしてもらっているから話す機会も多いけど、アレンは最近姉さんとまともに話をしたかしら? 」


 アレンはふと考え込んだ。

 そうかな? そうかも。いや、どうだろう……。

 自問は徐々に頼りなくなりつつも、可能な限り記憶をたどってみることにする。


 たしかに以前は、からかわれたり馬鹿にされたりしながらも、なんだかんだでよくルーシーとは話をしていた。


 思い返せば小さいときに、アレンが文字の読み書きを教わったのも、両親ではなくルーシーだった。

 まあ、これは単にお姉さんぶりたいルーシーがただ教えたがったからかもしれないが。


 読み書きが出来るようになってからは、よく姉弟で一緒に本を読んでいた。

 アレンは本が好きだったが、本を読んでいて分からないことがあった時、いつも教えてくれたのはルーシーだった。


 それがである。

 確かに最近は、それこそ「お昼だよ、降りてきて」以上の会話をしていない気がする。

 そして、最近はいつにも増して、突っかかってくるような言動が増えていたような……?


「いや、それでも最近いやに絡みづらい問答を繰り返しているような……もしかしていつものあのアレって……? 」


 カトリーナはゆっくりと頷いた。


「この前、姉さんの部屋に入ったとき、姉さんは窓から工房をぼうっと見ていたわ。そしてお父さんがアレンを注意する声を聴きながら、『まったく……何やってんのかしらね、あの愚弟は……』って」


「へぇ、姉さんなりに心配してくれてたんだ。知らなかったな」


 その台詞を「心配」の意味としてとらえるあたりは、腐っても弟である。

 カトリーナは、そんな弟を見て微笑んだ。


「だからね、アレン。あんまり姉さんに冷たくしないであげて? 口では言わないけど、アレンのことは大好きなはずだし、可愛いと思っているはずだから……ね? 」


 アレンは深いため息をついた。


 昔から、姉と弟の仲を取り持ってくれていたのはカトリーナだった。

 いつもしっかりと双方の意見を聞いて、それを双方に正しく伝えてくれた。


 それのおかげで、どんなに喧嘩をしていても、最後にはいつも仲直りができたものだ。


「……ごめん。ちい姉さんにはいつも気を遣わせてばっかりだね……」


 カトリーナは微笑んだ。


「分かってくれて嬉しいわ。そりゃあ可愛い弟と姉のためですもの。うちはお父さんもお母さんもあんまり口うるさく言う方ではないし……それに、仲の悪いギスギスした姉弟なんて、アレンも嫌でしょう? 」


「可愛い姉って……もうどっちが姉なんだかわからないな」


 苦笑いしながらアレンがつぶやく。

 その言葉とアレンの気持ちを汲み取ってか、カトリーナもクスクス笑う。


 そしてまたアレンの腕に寄りかかるようにして歩き出す。


「さぁ、お昼にしましょう? お父さんもお母さんも待ってるわ」


「うん……っていうか、ちい姉さん?なんかもう、具合良くなってない? 」


「あら、具合が悪くなかったら、アレンの腕にすがって歩いちゃいけないのかしら? 」


 カトリーナはそう言って悪戯っぽい笑顔を見せた。


 この姉にはどうにも適う気がしない。


 今度はアレンもクスっと笑って、二人でゆっくりと階段を降りていった。




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