第3話 アレン 十二歳 日常風景より①


 ときに、ヘファイスの鍛冶師ホーストが捨て子の赤ん坊を自分の息子にしてから、十二年の月日が流れていた。


 町の神父によってアレンと名付けられた捨て子はあれからすくすくと成長し、少年と青年のちょうど境界線上に位置する年頃になっていた。


 へファイスの町にはあまり大きな変わりはなく、特別大きな争い事もなかった。


 ホーストの鍛冶の腕は相変わらず冴えており、最近ではアレンもようやく父親の工房で父の補佐を任されるようになっていたのだが……。


「そらそら、どうした! もうバテたのか? アレン、何度も言っているだろう、鉄って奴ぁ熱いうちに力強く打たなけりゃあ、思ったように言うことを聞いちゃあくれないんだぞ? 」


 今日も朝から今まで威勢の良い声が飛んでいる。

 声の主はもちろん、十二年経って親方としてすっかり貫禄の付いたヘファイスの鍛冶師ホーストと……。


「ちょ、ちょっと待って! 工房に入ってまだ日も浅いのに、はじめての仕事でいきなりこんなこと無理だよ、父さん! 」


 ……鍛冶師見習いアレンである。


 今日は朝食を食べた後二人ですぐに工房に入り、品物の原料である鉄鉱石などを高温の炉で加熱して、生成した金属を金槌で打ち、不純物を取り除き、品物に加工する前の鉄塊インゴットにするという作業に取り組んでいた。


 最初は、アレンも大張り切りで鎚を振るっていた。

 だが、いかんせん使う金槌は柄が長く、先端の金属部が人の頭ほどもある巨大な代物だった。


 なので何度も何度も振っているうちに、全身の筋肉が熱を持ち――工房の中が炉の高温の炎で熱されていることも相まって――今では、息を切らしながら、滝のように汗を流している始末だ。


「ほら、弱音吐くために口を動かす暇があったら手を動かす! お前だって朝は張り切っていたじゃないか。疲れたときは誰だって弱音の一つや二つは吐くが、俺に言わせりゃ、言ったところでなんになるってもんだ。お前が弱音を吐いたら残りの仕事が全部片付くのか、どうだ? 」


 ホーストが強い語気でアレンに言った。

 普段は優しい父親だが、仕事の時は別だ。


 アレンはそんな父親の言葉を否定するために、汗を拭ってブンブンと首を横に振る。

 髪についた汗が工房内に飛び散り、その一つが炉の炎に当たって音も無く消え去った。


「よし、まだやる気は残っているみたいだな。そんじゃあ、さっさと片付けちまおう! パパっとコイツを完成させて、美味い昼飯に舌鼓といこうじゃないか。午後はもうそんなにやることは残っちゃいないから、全力でぶつけてやれ! 」


 ホーストはそう言って炉の中に入れて熱しておいた、煌々と輝く熱の塊を、大きな矢床で掴んで取り出し金床に置いた。


 アレンは一度大きく深呼吸をして金槌を構え直し、狙いを定めた後、鋭い息吹とともに金槌を大きく振り下ろした。


 鎚を振る度に、一定のリズムで鳴り響く金属音が、聞く者の鼓膜を震わせる。

 不純物として飛び散る橙色の火花が、見る者の目を刺激する。


 アレンの体は、もうあちこちが痛みと熱を帯びていた。

 だが、強く意識を保とうとしなければ強い一撃は生みだすことは出来ない。


 アレンは思い切り歯を食いしばり――鋭い大きな犬歯を剥き出しにして――一心不乱に金槌を振るい続けた。

 

 経験の浅さ故か、力の入り具合や叩きどころの違いから、気持ちの良い音色で響く音、少し鈍い音、様々な音が工房に鳴り乱れる。


 古来より、鍛冶師は火と鉄とを用い、新たなるものを創造することができるとされてきた。


 無骨な鉄の塊が、鍛冶師がひとたび鎚を振るえば変幻自在、千変万化にその形を変えていくのだから、稀代の名工たちがそのような魔法使いのように語り継がれるのも、無理からぬことかもしれない。


 もちろん、今のアレンにはまだそのようなことはできない。

 振るうべき鎚に、自分が振り回されている始末である。


 それでも、ただ一生懸命に慣れない鎚を振るうその姿は、どこまでも初々しく……どこまでもちぐはぐで……。

 

 けれど、どこまでもまっすぐなものだった。



 しばらくして、鳴り響いていた音は作業の終了と共に止み、叩かれ、鍛えられ、延ばされ、冷やされ、洗練された鉄塊が出来上がった。


「なんだ、やりゃあ出来るじゃないか。お疲れさん、さぁ、片付けて飯にしよう」


 ホーストがニヤッとしながらそう言い、片付けを始める。


 アレンは相変わらず汗びっしょりで、荒い息使いだった。

 腕の筋肉は酷使により意志とは無関係にブルブルと震えていた。


 空気が刺さるような痛みを覚えて掌を見れば、既に幾つかマメが潰れ、じっとりと血が滲んでいた。


「アレン。今の作業を通して、お前自身、何か感じるところはなかったか。何発か、良いのが決まっただろう」


 片付けをしながらホーストが聞く。


「ハァ、ハァ、……う~ん、そうだな……」


 アレンは、乱れた息を整えながら、先程の作業の記憶を掘り起こそうと考え出した。


 しかし、次の瞬間。

 鋭い音とともに、アレンの額を弾けるような衝撃が襲った。


 ホーストの力強い指が ――パチンッ! と、アレンの汗びっしょりの額を弾いたのだ。


「ぐぇアッ!! ッッッ~~~!!」


 強力な一撃に、思わずのけぞり、額を抑えて悶えるアレン。

 

 痛い、とてつもなく、痛い。

 というか、この感覚は、むしろ熱い、という感覚に似ている。

 

 はじかれたところが熱い。焼きごてを押し付けられたかのようだった。

 アレンは目に涙を浮かべながら、苦々しげに父の方を見る。


「いいか、アレン」


 ホーストは実に父親らしい、諭すような口調で言った。


「何度も言うようだが、この仕事は考えながら出来る仕事じゃない。そして今の俺の質問は、お前がさっきの作業中に何を考えていたのかを聞いたものじゃない。大体、さっきの作業中、お前が何かを考えられるほど余裕があったとは思えんしな」


 アレンは何も云えなかった。何を答えたらよいかわからなかったからだ。

 涙目で、痛むおでこを抑え、じっとホーストの声に耳を傾けている。


「そこでだ。もう一度聞くぞ? アレン、さっきの作業を通して、お前自身、何か感じるところはなかったのか? 」


 ホーストは、力強そうな指を引き絞りながら、もう一度同じ質問をした。


 アレンは同じ過ちを繰り返すまいと、必死になって、心の中で自分が何を感じていたかを心の中に描き出そうとした。


 しかし、上手く決まった時と、そうでなかった時、この二つの間にある違いを、何となく心の中で感じることは出来ても、それを言葉としてホーストに伝えることは、至難の技だった。


 心の中にある言葉の欠片は、伝えようと口を開こうとしても、喉の奥のどこかで迷子になって、どこかへ行ってしまう。


 必死になって伝えようとすればするほど、アレンは空回りするばかりであった。


 そんな必死なアレンの様子を見たホーストは、またニヤッと笑って、汗で濡れたアレンの髪をくしゃくしゃっと撫でた。

 汗のしずくが、そこらじゅうに飛び散る。


「よ~し、合格! 感じるべきものはちゃんと感じているみたいだな。今は、無理に言葉にして伝えなくても良いさ。理解ってのは経験を積むことで、後から追いついてくるもんだからな」 


「え~~~。これの答えってなんなの? 」


 鍛冶仕事で鍛えられた父親の力強い指という、アレン少年にとって、非常に凶悪な力により頭を弾かれるという憂き目にあったのだ。出された問題の答えくらい、知っておきたい。

 そんなことを考えたアレンは、ヒントなどではなく正解を聞くという、えらく直接的な方法に出た。


 息子のそんな質問にホーストはその太い腕を組み、何を言うべきかを考えていた。

 そして、少し経って片方の手で顎のあたりを掻きながら、その口を開いた。


「あー、あぁ。そもそも、これに正解はないんだ」


「えぇ~……」


 そんないじわるな問題のせいで自分はあの指の餌食になったのか、と言わんばかりにアレンはとても渋い顔をした。

 一方、そんなアレンの顔を見て、ホーストは実に面白そうである。


「まぁまぁ、そんな顔すんなよ。俺の答えとお前の答えが一緒であることはないだろうし、そうである必要もない。俺には俺の、お前にはお前の答えがあるのさ」


 アレンはため息をついてマメの潰れた掌を見つめた。大きくゴツゴツとしたホーストの手とは違い、アレンの手はまだふにゃふにゃとしていて頼りなげだった。


 ――自分はまだまだ子供なのだ。

 アレンは少しの悔しさと痛みをこらえて血の滲んだ手を握りしめた。


「でもな、アレン」


 ホーストはそんなアレンの肩に手を置いて、言葉を続けた。


「これだけは覚えておけよ? どんな時も、考えることと、感じること、この二つはどっちも大切だってこと。計測して、判断して、そして決断する。行動を起こすときに必要なこの三つを自分の心の鏡に映し出して、お前自身で感じること。その上で、最善だと思う方法を考えて、行動すること。――そして、重大な選択を迫られたときは、迷わずに「感じた」方を選ぶこと……もちろんそれで間違うこともあるだろうが、それで後悔することは、そうそうないだろうからな」


 最後に軽い調子でそう付け加えて、ホーストはアレンの頭を撫でた。


 アレンは、父親のこの言葉を神妙な面持ちで聞いていた。

 自分を子ども扱いせず、真剣に語ってくれた父親の言葉を前にして――またいかにも唐突だが……――少し自分が大人に近づけたように感じた。


 責任を持って仕事をやり遂げた満足感、そして父との対話を通して、ほんの少しではあるもののホーストに認められた嬉しさとが混ざって、アレンは心なしか清々しい気分を味わっていた。


 片付けを終えて外に出る際に、体を撫でるように爽やかな風が吹く。

 

 アレンの熱くなった体を程良く冷ましてくれるその風の清々しさは、きっと今のアレンの気分と同じだった。




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