第57幕 心の灯~ともしび~ 4
敵対するオオカミたちの攻撃から逃れ、住みかである洞穴前まで帰ってきたシロと白銀オオカミとブチ。
騒ぎを嗅ぎ付け仲間の茶毛オオカミ"ダク"が洞穴から出てくる。
「大丈夫ですか?!背中のキズは…」
「心配ねぇさこのぐらい」
ブチが白銀オオカミの背のキズを心配する。
傷口はザクロのように裂け血が滴っている。
「グルル…グルル…」(ごめん…ごめん…)
シロも敵対する派閥の領域に立ち入ったこと、
"お父さん"に怪我をさせてしまったことを涙をボロボロ流して謝った。
「グガ!ガガウ…」(ブチ!お前がついていながら…)
「ガルゥ…」(すまん…)
ダクがブチを責める。
「ググゥ」(もういい…、やめろ)
白銀オオカミはダクをなだめる。
「…グフ」(…おぅ)
ダクは小さく喉を鳴らし怒りを鎮めた。
…だけどよ…こんな深いキズ…、治るわけがない…。
蛆が湧いて腐っていくのを待つだけだ…、
いままで死んでいった仲間たちのように、
いずれ亡骸になる…。
「グルル…、ガガ…」(肉を食えば…、傷も塞がるんじゃ…)
「グガフフ!」(じゃぁお前が捕ってこいよ!)
ダクがブチに吠える。
「やめてよ!私が悪いんだから!」
ブチを守るため、ダクとブチの仲裁に入ったシロ。
「……ッ」
人間の言葉全てを理解出来るわけではないが、
シロのボロボロ涙を流して泣きじゃくった顔を見て、ダクは吠えるのを止めた。
…くそ…、お前の泣き顔を見ちまうと、噛み付くことを躊躇ってしまう…、ただの人間のガキなのに…。
「グフ…」(シロ…)
シロの後ろでブチが喉を鳴らす。
お父さんの傷、治さないと…、早くしないと
お父さんが死んじゃう…。
山を降りて、人に助けて貰えば…、
傷も治せるかもしれない。
病院っていう所に行けば治してもらえるかな…。
「…ごめんね」
シロはそう静かにつぶやいて、走ってその場を離れた。
オオカミたちと生活をしていて、人間がどの様に怪我を治すのか詳しくは知らない8歳の少女は、
微かな希望を頼りに人里に降りようと考えた。
少女の記憶にあるのは白い部屋と苦い粉薬、
女の人に力強く押さえつけられて、腕に針を刺されたこと、それだけだった。
白銀オオカミは何も言わず、洞穴脇のの斜面を素早く登り、突き出した岩壁の上から森を抜けていくシロの後ろ姿を眺めていた。
_________
山を降りて森を抜ける。
日の登っている時間に人里に降りることは今までなかった。
人に見つかると怒られるから、人の寝静まった夜中に徘徊していた。
住みかである洞穴も転々と居場所を変えていたこともあり、人が住む町の姿も毎度違う雰囲気がある。
読み書きをまともに学んで来なかった少女は、看板や建物に書かれた文字が理解できなかった。
母親の口から聞かされた言葉と歌声。
痛みと空腹に耐えて震えていた日々の記憶だけだった。
…早く、お父さんを助けてくれる人を探さないと…。
林を抜け、砂利の斜面を降りる。
1m幅の小さな川をひょいっと飛び越え、再び砂利の斜面を登る。
木製の柵柱に掴まり町の様子を見渡す。
人の会話と笑い声、陽気な音楽が流れていた。
町の住人に見つからないように物陰に隠れながら移動する。
怪我を治してくれる白い服の人を探さないと…。
光の反射でキラキラ輝く大きな岩が町の至る所に置いてある。
キラキラと輝く川のせせらぎ、蛍の妖光、
仲間たちの光る眼光。
シロは光る物を見る事が好きだった。
「…きれい…」
シロは虹色に光彩するガラス張りの建物に目を奪われた。
建物の入口には人が集まっていた。
キーキーと聞き慣れない音とパチパチと手を叩くが聞こえてきた。
「…この音…いやだ」
キーキーという音を聞いて首が痒くなった。
聞きたくなくて耳を塞いでしゃがみ込んだ。
(…ウィルソン気をつけろ。獣の臭いが近づいているぞ)
「けものの…におい?」
レオンが臭いに気が付きウィルソンに忠告する。
パフォーマンスの最中で手を止めることの出来ないウィルソンは目線だけ動かし周囲を見渡す。
パフォーマンスを観ているお客さんの中には動物のような動く姿は確認出来ない。
(どうかしたの~)
リオンが僕とレオンの動きが鈍くなったことに気が付き小声で話し掛けてきた。
お手玉3つを持ってジャグリングをする手は止めず、バイオリンの演奏をするリオンの背後にターンをしながら近づく。
(気をつけてリオン、もしかしたら噛み付かれるかも)
リオンに小声で耳打ちをする。
「えぇ!痛いのヤだ~!」
動揺したリオンは演奏の途中でキュィと引っ掻くように弦を弾いた。
「ひゃぃ!」
それと同時に博物館の建物の陰で飛び上がった声が聞こえた。
声が聞こえた建物の方を振り向くと白い髪の子供がうずくまっていた。
「女の子?」
「…みたいだね」
ウィルソンはうずくまっている少女が気になった。
「みなさま少々お待ちください!」
一旦ジャグリングをする手を止め、観客に声をかけ耳を塞いでうずくまる少女に駆け寄る。
―血が混じった獣の臭いはあの人間の子供から臭ってくる、あいつはいったいなんなんだ…。
(待てウィルソン!そいつから臭ってくるぞ!)
「ねぇ、どうしたの?大丈夫?」
僕がうずくまる少女に声をかけると同時に耳に届いたレオン兄貴さんの声。
「…ぇ」
レオン兄貴さんの方を見る。
シロは耳を塞いでいた手を離し、恐る恐る顔を上げた。
目の前には探していた白い服の人が立っていた。
…早くお父さんの所に戻らないと!
「…お父さんを!…たすけて!」
少女は不意に僕の腕をぐいっと引き寄せた。
「うわっ!」
(ウィルソン!)
レオンが駆け出しウィルソンの助けに入る。
シロは涙をボロボロ流し、目の前の人物にすがった。
「…おねがい…」
「…お父さん?君の名前は?」
「ウィルソ~ン、だいじょ~ぶ~」
リオンが僕を気遣う。
レオン兄貴さんが僕の元に駆け寄ってきた。
(ウィルソンその娘―)
「はっ!グルル!」
目の前に現れたレオンを見て、シロは数歩距離を取り、喉を鳴らして威嚇した。
「ぁ…やり過ぎじゃないですかぁ?」
(す…すまん…)
僕と背格好も同じぐらいの紫色が混じった白い髪は腰の辺りまで長く、顔に前髪がかかりはっきり顔が分からなかった。
体型に似合わない黄土色のTシャツを着ていて、
腕や太ももは泥が乾いたように茶色く汚れている。
四つん這いになり地面に爪を立て威嚇する姿はまるで猫のようだった。
「大丈夫?…安心して、僕が傍に居るから」
ウィルソンは少女をこれ以上怖がらせないように優しく声をかけた。
「……ん…」
きょとんとした表情で首を傾げた少女。
「レオン兄貴さん、この子がお父さんを助けて欲しいんだって。団長さんたちに知らせないと」
(あぁ、そうだな。おやっさんらと合流しねぇとな)
「うん、一緒に行こう」
ウィルソンは少女に手を差し伸べた。
「うん!早くしないとお父さんが…」
シロはウィルソンの手を取った。
お客さんの前で演奏を続けるリオンの元に戻る。
―しかし…、この娘からは獣の臭いしかしねぇ、
こいつの”お父さん”ってのはいったい…―
獣の血の臭い、動物のような威嚇の仕方、この町に到着した時からしていた胸騒ぎに、レオンの疑いは晴れないままだった。
「僕の名前はウィルソン。君の名前は?」
「か…カリーナ…」
オレンジ色の髪、白い顔と赤い鼻、にっこりと笑った背格好も一緒の男の子。
初めて会ったはずなのに、初めて聞く声なのに、安心できた。
言葉の通じないオオカミたちとは違い、人の優しさに触れたのは初めてだった。
この人と一緒に居たいと思った。
繋いでくれた手の温もりは、優しくて太陽のようだった。
ウィルソン…―。
___________
カリーナという少女がお父さんの所に急がないととせがむので、2時間後に宿屋に集合と団長たちから指示もあり、客寄せを終了し、宿屋前に戻ることにした。
「わたしはリオンだよ。よろしく~」
「り…おん」
「そう!わたしはバイオリン弾きなの!」
「このキーキーするの私きらい…」
僕の左腕にしがみついたままリオンと話すカリーナという女の子。
宿屋前の木製のベンチに3人で座り団長たちの帰りを待つ。
(俺もその音は正直好かん。もう慣れたがな)
「そうなの?」
「ん?なぁにウィルソン」
「レオン兄貴さんもバイオリンの音色苦手なんだって」
「なにぃ!じゃぁ好きになってもらえるように練習するね!」
ポジティブに大人からも動物からも好かれるように練習しなきゃね!
「れ…おん」
カリーナは初めて聞く言葉を覚えるためだろうか、聞いた言葉を復唱している。
「レオンはこっちの黒いの。かっこいいでしょ」
(黒いのって…)
「ウィルソンは動物とお話しできるんだって」
「”お父さん”とも…お話しできる?」
「え?君のお父さんって誰なの?」
腕にしがみついて密着して、ようやくこの子の血の乾いた臭いとレオン兄貴さんと同じ動物の臭いに気付くことが出来た。
「私のお父さんは―」
「おーぃ、お前たち大丈夫かぁ!」
するとキースさんの声が聞こえた。
団長さんたちが中心街の方から歩いてくる。
「ん?ウィルソンたちの真ん中に居る子供はなんだ?」
「また"みなし児"ですかね…」
ベンチに座る3人に向かい歩いていると見知らぬ少女も一緒だった。
ったく…、なんだって身寄りの無い子供がこんなに多いんだよ…。
双子姉弟もリオンもそうだが、薄汚れた子供の姿ほどむごい物は無い…。
「団長さん、この子"カリーナ"って言うんですけど、お父さんが怪我していて助けて欲しいみたいです」
とウィルソンはその少女のことを説明する。
「それで、その父ちゃんは今何処に居るんだ?」
髪もボサボサで前髪で目が隠れている少女の目線に合わせ、しゃがんで顔を覗き込む。
「……あそこの上…」
とカリーナは山の頂上を指差した。
「この子、動物の血の臭いがするんです…、もしかしたら…森の動物たちに…」
確かに、獣の臭いが染み付いているような臭いがこの
「怪我してるかも知れないってことだな。案内、出来るか?」
少女は横目でウィルソンの顔を見る。
ウィルソンは"うん"と微笑みかけ頷いた。
「…うん」
「リーガル、リオンと一緒に留守番頼む、宿屋で待機していてくれ」
「ぁ、はい!」
「わたしもお留守番?」
「あぁ、森の中は危険だからな。キースとウィルソンは俺と同行を頼む」
「はい」「わかりました団長さん」
この娘もウィルソンには心を開いているようだ、ウィルソンが傍に居れば話やすいだろう。
「レオンな」
グルル…とレオンも喉を鳴らした。
只事じゃねぇのは確かだ。血生臭いにおいもする。
ゴードン団長、ウィルソン、キースはカリーナの案内を元に山の頂上を目指すことにした。
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