三章 8

ディリオンは胸を刃物で斬り付けられた痛みよりも目の前で起こされた兄の行動に意識を攫(さら)われていた。

「どういうことだ……?」

 漏れた言葉は彼の疑問を漠然とした形で外に吐き出させる。が、彼のそんな言葉などブレイクは聞いていないのか、地面に倒れるスーツの男に向けて言葉を放つ。

「誰が、そんな行動を取れなんて言ったんだ? 俺は指示を出したはずだ。お前はボスのいる四階に行けと……」

「こちらの判断で……最善を……」

 掠れる声で答えながら身を起こそうとするスーツの男だが、よほど強烈な痛みだったのか、起き上がる途中でもう一度地面に崩れ落ちてしまう。顔だけを上げるスーツの男に、

「聞いてないんだよ。黙ってろ……」それだけ言葉を放つと、

「立てよ……。ディリオン。何か俺に言いたいことでもあるんじゃねぇのか?」

「………………」

 ディリオンはゆっくりとその体を起こす。もちろんナイフで切りつけられた際に手の内に握っていたグロックはどこかに飛んでいってしまっているし、武器となるものは何もない。

 だが、立たない、という選択肢は残されていなかった。

 破れた半袖のシャツが地面に落ちて、その胸が曝け出される(、、、、、、、、、、)。

 そしてそれが合図となった。始まるのは武器なんて一切使わないただの殴り合い。

 ————素手の男達は前に踏み込む。ここから先はただの男同士の戦いだ。

 拳が右から、左から、上から、下から。————殴打の乱舞が始まった。


「…………え…………」

 漏れた声はまるで幼い少女のようにか細いものだった。

 自分からそんな声が漏れるなんていつに想像しただろうか。

「……なんで……ディリオン……………………」

 だけど。それは……。

 名前を呼んだ彼の衣服の下から顔を現した大きなタトゥー。それを視界に入れた途端、冬の季節に外に出れば白い息が出るように、細い呟きはあまりにも自然に漏れ出ていた。

「どうして……どうして……それが……」

 それは夢の中で見た。いいや、十三歳の頃に見た悪魔の紋様そのものだった。

 もっと端的に言えば、あの夜に泣いていた少年の胸に刻まれているものと同じだった。


「……『ギャング狩り』、お前について調べたよ……」

 地面に倒れ伏して動けなくなったスーツの男は小さく口を開く。

「妹がいたんだってな……」その口からは過去が語られる。


 アヴェリーを含む五〇人を超える警察官は同数と思われるギャング達とバリケード越しに睨み合っていた。この部隊に所属してから僅か二ヶ月という期間でこうも大きな争いの中心点に自分が身を置くことになるとは思ってもいなかったが、その戦況に身を投じることに恐怖を感じてる訳ではない。むしろ対峙しているギャングが『MH』ということもあって、ディリオンという施設で一緒に過ごした少年の生い立ちを知る彼女からすれば、自分のことではないが宿敵のようなものだった。なのでそれだけでも十分に立ち向かえる。

 が、今はそれ以上にここを通すわけにはいかない理由があった。

(間違いじゃない……。確実にあの子は今、建物の中にいるのよ……)

 正直な話、施設を出た後のディリオンがどのように生活しているか、なんて私情は一切知らないし、特別な関係が切れてしまった以上執拗な関わりを持ち続けることは警察官職務としては間違っているのかもしれない。が、確実に繋がりを持つ人物を危険に晒すわけにはいかない。

 もちろん、『rk』の本拠地だと思われる建物の中にいるだけでも十分過ぎるほどに危険なのだが、それに加えて『MH』のギャングまでもが建物に流れ混んでしまえば、その危険度はさらに跳ね上がってしまう。そしてアヴェリーという警察官はそれを許さない。

 だから散弾銃を構えて、こう宣言する。

「ここから先はお前達が踏み込んでいい領域じゃない‼︎ 汚れたその手でこれ以上あの子に干渉するんじゃない‼︎ それでもここを通るというのなら、私たちがその悪事を正してやろう‼︎」

 叫び声と共に銃口が赤い光を発し、周囲に拡散する金属片をばら撒いていく。

 戦いが始まった。————双方合わせれば数百にもなる弾薬が通り(ストリート)に吹き荒れる。


 メムという少女は実の父親である『rk』のボスと対面していた。

 文字で綴った立場を見比べてみれば、片やアルバカーキ頂点六つのギャング組織(ファミリー)の一角『rk』のボス。片やその娘。なので、その上下関係は火を見るよりも明らかかと思われた。が、

「あの夜、なぜ母さんを殺したので?」

 現在においては字面の上下関係なんてものは適用されていなかった。それ以前に真逆。

 メムという娘が『rk』のボスであるザクセスの肩を自動小銃(単発)で撃ち抜いていた。

 そして椅子に縛りつけられたようにして身動きが取れなくなった状態のザクセスに対し、一人の少女が銃口を向けて語りかけている。

「なんだ……。お前は何がしたいんだ……」

「だから言っているので。なぜ母さんを殺したのか、って」

 ザクセスは気づけていないのかもしれないが、本当に彼女の行動理由はそこにあった。

 なぜ、あの夜に母親が殺されなければならなかったのか。ただそれが知りたいからこうまでしている。ただその事実を憎んでいるからギャングという枠組みから離反している。

「それを今更聞いてどうするつもりなんだ……」

 ザクセスはどっかりとその体重を押し付けている椅子の背もたれにすら流れ出る血液を滲ませ、言葉を放つ。それはやはりトップとしての威厳、というより父としての威厳なのか。

「返答次第では……」

 それに対してメムはその銃口をザクセスの顔に近づける。そしてようやく彼も気づく。

「お前がギャングを離反した理由はそこにあるのか……」

「それすら分かっていなかったので?」

「俺は『rk』のトップだからな……。離反しても後継ぎを残さなければならない。どうだ? もう一度戻ってきてみないか。今ならまだ反逆行為はしていないことにしてやってもいい」

 実際問題、彼の肩はメムによって撃ち抜かれているので、それは立派な反逆行為なのだが、そこまでやられて最大級の譲歩を出す。が、

「誰もそんな会話は求めていないので。さっきから聞いている」

 そして、彼女は鼻先と銃口が触れ合ってしまいそうなほどに自動小銃を前に突き出す。

「————なぜ母さんを殺したのかって。さっさと理由を言うので……」

 それにザクセスは鼻で返事をした。そして、口を開く。

「なぁに、簡単なことさ……」そうして紡がれた言葉をメムは一生忘れることはないだろう。

「————お前が将来ギャングとしてやっていくことを否定したのさ」

 それはあまりにも小さくて、それでいて子の安全を思う母であれば当たり前の答え。

 しかし、そんな親として当たり前の考えが命を失う引き金になってしまった。

「………………」

 メムはその理由が知りたくて『rk』を離反し、こうしてこの場所までやってきた。

 それなのに、その理由は彼女が発する形ある言葉を奪うには十分過ぎるほどに、理不尽で、残忍で、理解できなくて。

「……そんなことで……」

 そうして数十秒の時間が経った後に、メムはようやく小さな口を動かした。

「そんなことで……。たったそれだけの理由で母さんは殺されたので?」

「ああ。気が済んだか?」

 自動小銃を突きつけられているというのにザクセスの返答はまるでバルコニーで春のそよ風でも受けているかのような軽やかさを持っている。

「…………済むわけないので」

 が、片や少女の方はその肩を沸々と震わして、言葉を途切れ途切れに絞り出していく。

「そんな返答で気が済むわけではないので……」

 メムの中に渦巻いている感情は二つだった。

 一つ。自分があの日あの夜まで「将来はギャングとしてやっていく」という気持ちを持っていたから母親が殺されるなんて悲劇を生み出してしまったのか、という後悔の気持ち。

 一つ。そんな小さくて、それでいて親としては当たり前の理由を掲げただけで殺されてしまった、……母親を殺した父親への恨みか。

 どちらの感情が表に現れてもこの場がただで治るとは思えない。双方どちらの感情が優先されたにせよ、この場で嵐が巻き起こる事は間違いない。

 そして感情が解き放たれる。

 ジャキンッ‼︎ という金属製の音。それが示すのは完全装填(フルリロード)。

 彼女が表出させた感情は後者。

「————なんでそんなつまらない理由で母さんが殺されなくてはいけないので‼︎」


 その言葉の迫力を耳に入れた瞬間、ザクセスの目の色が変わった。

 感じたのは、単純なる『危険』だった。

 目の前で自分の娘が引き金に手をかけて、銃を水平に向ける(、、、、、、、、)。


「ハ……ハハ……」

 もう殺される事は確定しているはずなのにザクセスは向けられた銃口の奥に佇む少女の目を見て小さく笑う。それは諦めの笑いの様にも感じられるし、惨めなものを見る目にも思える。

「離反した? ギャングを離れた? ……嘘をつけ……」

 そして彼は明確に顔を上げて、その『悪虐』をあたり一面に貼り付ける。

「何が、離反しただ。見てみろよ。お前のその銃の構え方を……」


 メムは銃を水平にして(、、、、、、、)、自分の父親であり、『rk』のトップである男に向けていた。

 しかし、すでに彼を父親と呼ぶつもりはないし、心の中ですらもそう思っていない。

 彼女の内側から溢れ出した感情はただの怒りだ。

「……」

 いつでも放つことのできる死の銃弾の決定権をその腕に抱きながら、彼女は椅子に貼り付け状態にされている男を睥睨する。そしてその男は死の縁まで来て、口を開く。

「見てみろよ、お前のその銃の構え方、」

 そして、

「ギャング撃ち(、、、、、、)じゃねぇか……。抜けきっていないんだよ。結局あの母親の願いは叶っていない……」

 男は目を剥いて、

「————お前はどこまでいってもギャングなんだよ‼︎ 何一つ母親の願いを叶える事なんてできない‼︎ どこまでいってもお前は根っからのギャングだ‼︎ そもそもお前が初めからその道を拒んでいればあの女だって死なずに済んだかもしれないのにな‼︎」

 これは一体なんなのだろう。 

 一人の少女は思う。

 何を聞かされているのだろう。

 そして否定しないと。

「違うので」

 彼女が反応したのは、ザクセスの母親の願いに対する言葉ではなかった。

 その視界が捉えていたのは、自分が構えている自動小銃————水平に————『ギャング撃ち』と呼ばれるその状態に保たれているその銃身。

「なにが違うんだ……」

 男は死の淵にいてもなお言葉を発するが、答えはすぐに返ってきて、

 それでいてその命をもって返答を得ることになる。

「これは私がギャングであることを示すものじゃないので————」

 そして引き金が引かれる。

「————これは線引きだ。お前と私の違いを示す‼︎」

 閃光がその銃口から溢れ出す。


「————地獄でくたばれ。クソ親父(やろう)‼︎」


 至近距離から放たれた弾数は三十を超えた。

 グシャグシャにひしゃげた死体は豪華な背もたれすらもへし折り、奥の壁へと激突する。

 後に残るのは静寂だった。

 あまりにもあっけなく、あまりにも圧倒的に、地上四階での戦いは終結する。

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