二章 4

この場を離れよう、というディリオンの言葉によって場所を移した三人なのだが、それは距離にすると約五十メートルほどだった。つまるところ、メムの家である。

「通り(ストリート)にも電気が通っている家があるのか……。初めてだぞ……」

 席に腰掛けてホットコーヒーをふーふーして冷ましているメリッサはメムが慣れた手つきでポットからお湯を注ぐ様子を見て、とても感心しているようだった。

 そして当のメムはといえばその視線をかなり不審に感じているようで(近代文明を知らないのか? という意味で)、自分の分のコーヒーを入れると警戒心を露わにゆっくりとした動作でメリッサの対面、ディリオンの隣に腰掛けた。ちなみにお昼間だから気が付きにくいが、しっかりと部屋の電気も灯っている。

「何やら君は通り(ストリート)のことを荒れ狂う土地か何かだと勘違いしているようだけど、ここにだって人は住んでいるし、その人々すべてがギリギリの生活をしているわけではないので」

 メムはメリッサの言い方が少しばかり癪に障ったようだが、

「メム、実はな、こいつも通り(ストリート)に住んでるんだよ。で、その家は電気水道何も通っていない」

 と、ディリオンが横から小さな声で耳打ちすると、肩をピクンと動かして、「(それはそれは可哀想に。私とした事が気遣いが足りなかったようなので)」と、小さくかぶりを振りながらメムの家に驚いているメリッサを哀れむように見た。と、同時に、「っていうか、今更なのだけど……なんでこんな女の子が通り(ストリート)に住んでいるので? 私は特別な事情があるから別におかしくはないとして、この子はおかしいのでは?」

 小首を傾げながらディリオンに確認をとるメムだが、どんな事情があろうと未成年の少女が通り(ストリート)に住んでいるという事実を聞けば大通りの一般人達は「今すぐ戻ってこい」と言うだろう。ま、彼女に対して戻れと言ったところで、その戻る場所すらも通り(ストリート)にあることはほんの少数しか知り得ないことなのだが。

「ちょっと、なんだがボクを置いてけボリにして二人で話しているようだが、そろそろ仲間に入れて欲しいんだが?」

「ん? 君は女の子なんだよね? なんで『ボク』なんて変な一人称使ったりするのかな、って出会った当初から思たりするので……」

「な……、別にいいだろう。アンタには関係ないことだ。というか、それを言うなら君の『ので』なんて語尾も同じようなものじゃないのか?」

 二人はお互いの立場を知らないからこそ、このようにして些細な事で睨み合う事ができるわけなのだが、それこそ、ディリオンが知っている情報を互いが認識してしまえば、視線をぶつけ合うどころか、銃口をぶつけ合うことにすら事態が発展してしまうかもしれない。

 が、しかしここまできて、「はい、じゃあ解散」という訳にはいかないだろうし、それを無理やりに押し通せるような状況ではない。

 つまり、あと数秒もすれば事実がこの場に流れ、そしてその先はどうなるのか分からない。

「………………」「………………」

 二人は互いの少しばかり人と変わっているところ、を遠慮なく真正面から言葉でぶつけ合って睨みをきかせているのだが、そろそろ飽きてきたのか、メリッサが最初に口を割った。

「ま、ずっとこうしていても仕方がないし、ボクから話そうと思うが質問はなんだったっけ? 確か、通り(ストリート)に住んでいることがおかしい、 みたいなことだったよな?」

「そうなので。だっておかしいと思うでしょ普通……」

「それを言ったらアンタの方もなんだけど……、事情があるなんて言ってたけど」と、メリッサは小声で言ってから改めて一つ咳払いをしてその口を開く。「こっちにも事情があるわけだ。そしてまず自己紹介がてらに名前を言っておこう。ボクの名前はメリッサ。最近じゃ、この地域では『ギャング狩り』、なんて呼ばれているらしいな」

 そしてその次に起こった反応をディリオンは見逃さなかった。メムが机自体を揺らしてしまうほどに大きな衝撃を伴い、ガタンっ‼︎ と大きな音を鳴らして席を立つ。

(————やばっ⁉︎)

 その時、ディリオンが思った事は言うまでもく、メムが『ギャング狩り』という言葉に反応して何か攻撃的なアクションを起こすのかと予測した。だが、実際には、

「な、何をしているんだ⁉︎ アンタは‼︎ ボクは初対面の人間といきなり馴れ合う趣味はないぞ」

 ディリオンは目をパチパチさせた。いや、白黒させた。どっちでもいい。ただ、

「こんな偶然があるので⁉︎ 『ギャング狩り』‼︎ 私は君のことを探していたので‼︎」

 と、まるで幼稚園児が夢の国(遊園地)でテレビの中でしか見たことのない可愛らしいキャラクターに出会って駆け寄って行く、みたいな構図が目の前で出来上がっていた。

 簡潔に目に映った光景だけを述べると、席を勢いよく立ったメムがメリッサの右手を両手でガッチリと掴んでブンブンと上下に振っている。握手している。

「な、な、な、ディリオン‼︎ ボクは一体何をされているんだ⁉︎ 全く状況がわからない‼︎」

 こっちだって分かったものじゃない。

 ディリオンは二人が内に抱えている真実を知った時にどうなることだ、と冷や汗ものだった。

 が、実際はこれ。

「そうか。身体的な特徴、噂通りなので! なんで私は最初に気づく事ができなかったので⁉︎」

 手を急に握られてあたふたしているメリッサと、なんだが自分の観察眼の無さに落ち込んでいるメム。まずはどちらから落ち着かせようか、とディリオンが悩んでいると、

「あ‼︎ こっちの自己紹介がまだ済んでいなかったので。私の名前はメム。短いから覚えやすいと思うので。気軽に読んでね」

 ディリオンに五年ぶり(くらい)の再会を果たした時よりもテンションを上げたメムはディリオンの心中然り、慌てているメリッサなど気にも留めず、流れるように自己紹介を引き継ぐ。

「ちなみに私は『ギャング狩り』だったら名前は聞いた事あると思うけど『rk』ってところの結構命令できる立場にいる人間、ってところなので……。……ん? どうしたので?」

 そこまで言ってメムはようやく自分が手を握っている人物の変化に気がついた。

「今……、なんて……」

 慌てていたはずのメリッサの目が急速に据わっていく。冷めていく。ブンブンと上下に振られ、されるがままになっていた彼女の腕が車がブレーキをかけるように減速していく。

「えっと、だから私の名前はメムっていうので。で、私の立場なんだけど『rk』っていうギャング組織(ファミリー)の結構いろんな人に命令できる立場にいて、詳しく言うとボスの一人娘で……」

 メムが言葉を続けられたのはそこまでだった。

 続いて聞こえたのはブンッ‼︎‼︎ という金属バットをフルスイングするかのような音。

 実際には掴まれていた手を振り払ってから、その腕をメムの顔面に向けて高速で振るった音だった。今度こそ、束の間の平和は壊された。メムの方はどうやらメリッサの正体が『ギャング狩り』だと分かっても別段予想していたような行動に出る事はなく、それ以上になんだか歓迎している様子だった。だが、たとえ一方がそうであるからといってもう一方も同じとは限らない。特にメリッサという人間はギャングという存在自体に対してかなりの恨みを抱いている。

 それが今、この場で再認識させられただけのことだ。

 高速で横なぎに振るわれたメリッサの細い腕は、手を払われて無防備になったメムの顔面を正確に捉えようとする。しかし、

「……おっと……。急にどうしたので? ……危ないのでは?」

「…………ッ⁉︎」

 クリーンヒットしたかと思ったその一撃はメムによって受け止められていた。

 直撃していれば鼻の骨など容易く折れていたであろう一撃を片手で支えるようにして。

「私は……自己紹介をしただけなので。それのどこに……君をそうまでさせるものが含まれていたので……?」一応は高速でスイングされた腕に反応して防御の形をとったメムであったが、余裕という訳ではないようで奥歯を強く噛んだまま途切れ途切れに言葉を発する。

「それを本気で質問しているならアンタはボクの自己紹介を聞いていなかったということか?」

「そんなわけないので。聞いているからこそ、こうやってこちらも自己紹介したので」

 両者は腕に力を込めたまま鼻先が触れ合ってしまいそうな距離で拮抗する。

「なら、死にたいっていう意味か? ボクがギャングに対して取る行動はたった一つに限定されている。そしてアンタはギャングだった。それだけでボクの行動理由になる……」

「浅いので。そんな表面上しか見えていない視野だとこの通り(ストリート)で生き抜く実力などないので。多分、今まで君はまぐれで生きながらえてきたと予測するので」

「五年も『ギャング狩り』を続けておいてそれがまぐれだとはよく言うな……」

 しかし、メリッサもそれ以上は口を挟む事はできなかった。理由は単純。『ギャング狩り』として同年代の女の子になど負けるはずがないと自負していた彼女の腕が押し返され始めたのだ。

「…………っ‼︎ な……、アンタ一体…………」

「だから自己紹介したので。私はメム。アルバカーキを締める頂点ギャング組織の内の一角『rk』のボスの一人娘なので」そして彼女はメリッサの瞳をじっと見つめる。

「まずは落ち着くことをお勧めするので。『ギャング狩り』、私の自己紹介はまだ終わっていないので」そこまで言うと、メムは徐々に押し返していた腕に力を込めて一気にメリッサを後方に弾き飛ばす。予想外の膂力にその場で留まれなかったメリッサは三歩ほど蹈鞴(たたら)を踏んでからようやく体勢を立て直した。

「ま、もう一度座るといいので。気が治らないようだから先にいっておくけど、私やディリオン(、、、、、)は君が思っているようなギャングではないので」

 彼女はメリッサよりも先に椅子に腰掛け直すと、テーブルを挟んで暴れてしまったことにより、少しばかり飛び散ってしまったコーヒーの滴をティッシュペーパーで綺麗に拭き取る。

「おや? どうしたので? 何か、…………」

 そこでディリオンはようやく気がついた。メリッサがメムのことなど見てもいないことを。

 そして彼女の瞳は確実に自分のことを捉えているということを。そして言葉が発せられる。

「……どういうことだ…………」

 それは、本当に。唐突に突きつけられる余命宣告のようなものに似ていた。自分では実感がない。だけど確かにそれは事実であって。何よりも逃げられない。だからだろうか、意識していないのに、彼の体は椅子ごと引きずるようにして数センチずつ後ろに下がって行く。

「……ディリオン……、どういうことなんだ……」

 メリッサはメムがギャングであることを明かした時のように急に暴力を振るって来る訳でもなく、それこそ壁に立て掛けている自動小銃で連射してくることもない。

 ただ、その場で確実に、彼自身の口からその真相を吐き出させようとする。

「あれ……。なんだか私、まずいこと言っちゃったので?」しかし、この場に置いての爆弾発言をかました張本人(はんにん)はまるで自覚がなく、コーヒーカップを傾けながら小さな声を出す。

「ディリオン‼︎」

 彼の肩がびくんっ‼︎ と跳ねる。

「それは……。」そう。これはメリッサとギャングの男二人を通り(ストリート)でなんとかした後にも持ち上がっていた話ではある。そして結局のところ、隠し通せない道ではあるのだ。

「……だから、だからなのか……。ギャング達がディリオンの名前を知っていたのはそういうことなのか……」メリッサもそれをようやく理解したのか、自分に言い聞かせるように、そしてディリオンに確認をとるようにしてゆっくりと言葉という形をもって脳に流し込んでいく。

「でも、だったらなんでボクのことをあの場で庇ったんだ……? なぜ、ボクを見捨てなかった……。いや、……それ以前にだ……」そして、「どうして同じギャングのはずなのにディリオンは『MH』のメンバーに追われていたんだ……」

 メリッサはいくつかの繋がった情報をもとに自分の中で何かの推測を立てているようだったが、それが途中でふと止まる。そしてそれはやはり、あの時にギャング達が放った言葉によるものだった。つまりそれが、一連の出来事の中心点だ。

「メリッサ……」

 そこでようやく彼は口を開いた。思ってみると初めから彼女に真実を告げていれば無駄な勘違いをさせる必要もなかったし、無駄な心配をかけることもなかった。

 そして何より、この騒動に巻き込んでしまうという事態も防ぐ事ができたのだろう。

 もしかしたらメリッサはそんなの関係なしにいつも通り『ギャング狩り』として騒乱の中心に自動小銃を持って四月に見たあの日の姿のまま現れたのかもしれない。もしかしたら一般人の居住圏にまで被害が出ていたら自分が勝てない戦いに身を投じると分かっていても駆けつけてそれこそ、ディリオンごと『MH』のギャング達に向けて掃射を行(おこな)っていたかもしれない。

 だけど、それは単なる想像に過ぎない。ただ、この現実に事実として残っているのはメリッサという一人の少女ががディリオンというたった一人の人間を中心とする問題に巻き込まれてしまったということだけだった。だから、それに対する責任として彼女に自分の立場を明かすのは義務のようなものだ。しかし、彼女に事実を伝えなければいけない理由はそうした悲観的なものばかりなのだろうか。

 そう、彼女とは三日間という短い時間であるが、何度も死闘を潜り抜けた。

 彼女は覚えていないだろうが、初めて出会ったのは二ヶ月も前の通り(ストリート)にゴミを捨てに行った時だった。そしてその二ヶ月後にガソリンスタンドで彼女がディリオンを助けてくれた。それから一緒に『MH』から逃げて。一緒に一夜を明かして。爆速で襲いかかってくる『MH』の追手から逃げて、そして通り(ストリート)に入ってその脅威を退けて。こうして今も一緒にいる。

 それが、そのもう一つの側面を持つ事実が。果たして、真実を告げる理由にならないのか。

 なるに決まっている。ならないわけがない。だから、

「聞いてくれメリッサ……」彼は立ったままのメリッサに向けてゆっくりと言葉を紡いでいく。

「俺は……、『MH』のギャングだ」その言葉を伝えるのが、どれだけ遅かったのだろうか。どれだけ時を間違えたのだろうか。前述した通り、もっと先に伝えていれば今彼女はディリオンの側にいなかったかもしれない。この街をまるごと動かすような騒動の中心点から離れた『ギャング狩り』としても比較的安全な立ち位置にいたのかもしれない。だけど、それはもう変えられない。だから、言葉を止める事はない。ただ、事実を並べていく。

「……俺は『MH』のボス、いいや、違うな。今はアルバカーキ市長『ニグレイ・マークレイ』の息子、ディリオン・マークレイだ。そして『MH』のボス、『ブレイク・マークレイ』が兄だ」

 そこまで言って、しかし気持ちが軽くなる事などあるはずもなかった。

 現状を例えるならば、それは悪いことをした子供がやってしまった事を学校の先生、または親に伝えた時と同じだろう。つまりはこの先にようやく「怒られる」という本題が待っている。もちろん、それをディリオンとメリッサの関係に当てはめればそれは「怒る」なんて可愛らしいものではないことは自明の理だ。だが、

「……そうか……」

 目の前に立つ彼女が口から吐いた言葉はそれだけだった。

 その言葉はあまりにも優しく、あまりにも信じられない。

「メリッサ…………、」

 ディリオンはそれに返す言葉など見るからず、何もない空間を掴むようにして不安定な動きでその腕を伸ばした。そして呼びかけに返事するようにしてメリッサは二の句を継ぐ。

「でも、何か理由や事情があるんじゃないか……」彼女は一度ふぅ、と息を吐いた後に小さな歩幅でゆっくりと前進すると、テーブルについた。そして腕を軽く組むと、「ボクはこれでも『ギャング狩り』としての経験を積んでいる。だから、ギャングが同じ組織(ファミリー)メンバーに対して手を上げないことは理解してるつもりだ。けど、ディリオンはあの時、『MH』のメンバーを躊躇もなく撃った。それが、どうにもボクには不審でな……」

 暴力の嵐は訪れない。蔑んだり非難したりする声も聞こえない。

 それはまるで泣いている子供がとある女性の腕の中に抱かれているようで。

「それに、たとえディリオンがギャングだったとしてもあの時ボクは確かにお前に守られたんだ。どうしようもない状況で前に飛び出して助けてくれたんだ。そしてなにより、」

 メリッサは一度、左肩に巻いている包帯を強く握りしめる。

「ディリオンはボクが一般人が巻き込まれるかもしれないと思って動けなくなった時に、ボクが動ける原動力を与えてくれた。動けなくなったボクを重荷になると理解していても引っ張っていってくれた。ボクを支えてくれた……。だから、」

 そこで彼女は左肩から手を離すと、ディリオンの落ち着かない目をしっかりと見据え、

「その変えられない事実が、どうしても何かあるんじゃないかって思う。ボクの目が、ディリオンを感じた心が正しければ……、ディリオンはギャングだけど……」

 ————違うんだろ……。

 そう彼女の口が続けた気がした。それに彼は「ああ」と答える。

 これがようやくのスタートラインなのかもしれない。だけど同時にまだ知らない。

 そのもっともっと奥の奥に隠された本当の真実を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る