二章 3

メリッサが手を伸ばした時にはすでに時が遅かった。彼女の伸ばされた白い腕は空気中を漂う目にも見えない物質を掴み、そして握りしめる。そこに掴みたかったものはない。

 ソレは既に飛び出していた。『ギャング狩り』としての彼女から見ても。『死地』へと。

「————————ディリオン‼︎‼︎⁉︎」

 あまりにも無謀な飛び出しだった。なにせ相手は二人、そしてその二人とくればギャングとしても異質である『MH』のメンバーで、さらに二人とも自動小銃を腕に抱えているのだ。

 本当にそれは無謀過ぎた。だけど、彼はその足を止めなかった。そしてそれはまるで死地に向かう人間の足の軽やかさではなかった。明確に、『死地を切り抜ける自信のある足取り』だった。それは言い換えれば素人の動きではない、と表現することも出来るだろう。

「問題ない‼︎」

 そしてメリッサに背を向けて突き進むように走る『彼女の知らない誰か』は叫び、腰に手を当てていた。そこから覗く事が出来るのは黒光している手に収まるサイズの『何か』。

 次の瞬間にはそれが発生源となって渇いた音が連続する。

 瞬間的に起こされた出来事にメリッサは目を白黒させることしか出来ないが、彼女の視神経はその光景を意味のあるものとして捉えていたようだ。そして、脳が理解する。

「————ッ‼︎ 何が‼︎‼︎‼︎‼︎」

 この表現が正しいのかどうかは分からないが、明確に脳が混乱していた(、、、、、、、、、、、)。

 でもそれは仕方のない事だと思う。だって、だって、だって。

「あと一人だ‼︎」

 気がついた時には一人のギャングが血塗(ちまみ)れになってその場に崩れ落ちていた。自動小銃を持っている素人ではない人間が、だ。ソレが意味するところを理解できない。

 いいや、理解したくないと言うべきなのか。そして、メリッサと時を同じくして。

「何をしやがった‼︎ おい⁉ おい‼︎‼︎」

 張り裂けるようにして声を上げているのはもう一人のギャングだ。自分の身内(なかま)が隣で生命を失った肉塊に変わり果てている。それが十分すぎるほどに驚きを、そして恐怖を与える。

「何をしやがった⁉︎ ディリオン・マークレイ‼︎ お前は一体なんなんだよ‼︎」

 目の前に立つ青年は————————、違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。

『目の前に立つメリッサの知らない何か』は、ギャングの男の質問に黒光する『何か』を指でクルクルと回しながらこう答える。まるでこの場での淘汰(とうた)を正すようにして。

「ディリオン(、、、、、)・マークレイ(、、、、、)だが?」

 たったそれだけ。たったそれだけでギャングの男の顔が引きつった。メリッサにとっては意味の分からない一言。だが、その一つの返答が判然として男の表情を一変させた。

「なるほど……。なるほど……。そりゃあディリオン・マークレイだ……」

 男は顔に脂汗を浮かべたまま、口だけを動かす。眼球すら移動できない。目の前の『何かを持っている何か』から視線を外す事は出来ない。いいや、ギャングの男にとっては『何か』と表現するよりも『マークレイ』という名前の方が圧倒的な恐怖をもたらすのだが。

「反逆行動をとっているといっても、やはりニグレイさんやブレイクさんの血統というわけか」

 その言葉にメリッサに背を向ける『何か』は少し肩を動かした気がしたが、そんな些細な動作を気にする余裕は彼女には存在しなかった。なにせ目の前に広がっている光景は簡潔に言い表すならば「不明」だった。だから、その全体像をまずは理解しようとする。

 そうして、思考もままならないまま周囲を見渡す中でこの戦況を大きく傾ける欠片に出会う。


 ディリオンは残る男の一人と向き合っていた。だが、まだ互いに銃は向け合っていない。

 少し視線を横に移動させると、そこにはつい数秒前に死体へと変貌した男の姿がある。

「この場を去るか? 下っ端」ディリオンは今まで見せた事ない、見る者に恐怖を与えかねない眼光で、目の前の男を刃物で刺すようにして睨みつけた。

「なるほど、確かにこりゃあマークレイだ。認めるしかない。だが、引き下がるわけにはいかない」しかし下っ端の男にだって引き下がれない理由などいくつもある。そして理由なんて関係なしにギャングとして、男としてのプライドがこの場で引き下がる事を良しとしない。

「どっちみちここでお前を取り逃せば俺にはニグレイさんから制裁が下る。なら、ゼロから真正面で向き合ったこの、一対一の状況で勝負に出た方が勝算はあるだろう」

 男は腕に抱えていた自動小銃の銃口をゆっくりと正面に向ける。そして、

「確かに俺はお前のことを殺す事は出来ない。でも忘れるな。それは俺が殺したくないからお前を殺せないんじゃない。俺を縛るものがあるからお前を殺せないだけだ」

「その間にどんな差がある? 結局ソレはお前が弱いだけだろ」

 相対しているディリオンも自動小銃に比べると可愛いと感じてしまうくらいに小さいグロックをしっかりと両手で握る。しかしそれはつい数秒前に人を一人殺した殺人具だ。そう改めて認識し直すなら可愛いなんて表現は使用できない。それはもう歴(れっき)とした凶器だ。

「……。確かにそうかもしれない。でも、でもだ。それを振り切ればどうなる……」

「正気か?」ディリオンだって自分がいつまでも立場上で優位に立っているなどとは考えていないが、それでも一応は『MH』の下っ端が殺害を企もうという気概すら失せてしまう地位に自分がいる事はたとえそれが嫌だったとしても自覚はしている。

「正気なんだろうか。自分でも分からねぇよ。だが、確実なのはここでお前にあっさり負けるつもりはないということだ」

 ギャングの男は自動小銃を構えたまま口を開く。だが、銃口をこちらに向けられている以上、それはいつでも撃たれる危険性を秘めているということだし、言葉で意識を逸らしている間に発砲のタイミングを狙っているかもしれない。だが、そんな状態の男の言葉に彼は返す。

「やるならヤレばいいさ。俺は別にお前が思っているような人間じゃない。だから親父(ニグレイ)には離反したなんて言われているんだろうし」

 ディリオンはゆっくりと口を開きながらも引き金(トリガー)に指をかける。つまりはここから先はスピード勝負。銃の性能の差さえあれど、五メートル程の距離では先に銃弾を発射した方が勝者になるに決まっている。だから、読み合い、賭ける。それがこの場での命の奪い合いだ。

 男二人は向かい合い、戦況を睨む。ギャングの男からすれば命を奪い去るために弾を撃てば最後、この場を切り抜けたとしても『MH』の上層部から粛清が下るのは間違いない。だが、ここで背中を向ければ、それで最後だった。

 だから男はギャングとして、ではなく「男」として彼に銃を向け、そして————、

「行ッ………………え…………ぁ……………………………………?」

 そこで、自分の胸に何かが食い込んだことを理解した。驚きと共に男は気がつかない内に撃たれたのか? と正面に立つ青年を見るが、その青年すらも呆けた顔でその状況を見ていた。

 そして続け様に胸を穿つ幾重もの衝撃が襲いかかって来て、体内から生命の赤色が溢れていく。跳ねる。飛び散る。辺りに真っ赤な花を咲かせるようにして。

 それ以上視界で情報を捉えることは出来なかった。まるで液晶テレビが突然ブラックアウトしたかのように一切の光が失われていく。そして残るのは体内を蛇が駆け回るかのような激痛だった。つまり、男の命が失われようとしている。声すら出せない。そこに堕ちる。

 あまりにも呆気なく。慈悲の欠片すらなく。振り叫んだ決心すら虚しく。

 ギャングの男は瞬間的に死んでいた。


 メリッサは現状を理解しようと周囲を見渡していたが、現状なんて改めて理解するまでもないということを数秒後に悟った。そう。彼女は今、守られているのだ。ディリオンによって。

 もちろん、不思議で謎めいたことは目の前の光景には広がっている。だが、事実として彼女が守りたいと思った一般人が自分を守るために戦場に足を踏み出しているのだ。

 そんな光景の中で動けなくなっていては何も成長出来ていない。ディリオンから貰った言葉は彼女をここで足止めさせるものだっただろか。いいや、違う。守りたいのなら自分で踏み出せ、と彼は言ったはずだ。ならば戦わなくてどうする。

 気になることなど山ほどある。なぜディリオンが銃を常備しているのかとか、なぜ『MH』のギャングをあっさりと殺すことができたのかとか、飛び出す前の発言の真意とか。

 だが、今だけはそんな余計な思考を取っ払う。彼女が見つめているのは一点だ。

(……、武器がある‼︎)

 そう。メリッサが視界に収めていたのはディリオンが射殺して死体に変貌してしまった男だった。より詳しく言うと、その男の腕に抱かれたままの自動小銃だった。

 それを確認してからは早かった。物陰からクラウチングスタートのような姿勢で飛び出したかと思えば変則的に地面を蹴って、体を地面に這わすようにしながら滑って死体に近づいた。

 僅か数メートル隣には銃を持つギャングがいたが、なにやらディリオンとの会話に夢中になっているようで体勢を低くしている彼女には気がつかなかったようだ。

 つまり、それは勝敗決定(チェックメイト)を意味する。

 戦うことが前提であったギャングの所持品である自動小銃は初めから安全装置(セーフティー)が解除されていて、指先を動かせばすぐに殺人を可能とする弾が発射される。

 転がるようにして自動小銃をかすめ取り、地面に伏せる形で照準を合わせる。続いて、

 ドドドドドドドドドドドドッ‼︎ と、鉄錆をハンマーで殴りつけるような鈍い音が連続する。

 引き起こされる結果は火を見るよりも明らかだ。ただ男が崩れる。真っ赤な液体と共に。


「大丈夫か……? ディリオン……」

 彼がその現象を理解したのは目の前に立っていたギャングの男が息をしなくなってから五秒も後のことだった。ゆっくりとした動作で彼の前に立ち上がるのは赤髪の彼女。

「なんとか生きているが、そっちは大丈夫なのか?」

「ボクのことは何も気にしないでいい。この通り怪我の一つもしていないさ」彼女は自分の服に付着した土埃などを払って地面に落とすと、その場で軽く回って見せて怪我がないことをアピールする。「それよりも本当に大丈夫なのか? ボクの心配をしている暇なんてないだろう」

 おそらくメリッサはディリオンが『MH』のメンバーを殺害してしまったことによって標的になってしまうであろうことを心配しているのだろう。いいや、それ以前にギャングに立ち向かった『一般人』の精神状態などを心配しているのかもしれない。だけどそれは杞憂だ。

「全く心配いらない。それにこんな事は今までの間にいつ起こされてもおかしくなかったことなんだ。むしろ二ヶ月も向こうからアクションが無かったのが不思議なくらいだ」

 ディリオンが過去を思い出すようにして話すその内容にメリッサは訝しげな顔を浮かべ、

「それは……どういう……」徐々にその言葉が示しているであろうことを噛み砕いたのか、二の句を継ごうとするが、「その前にだ。大丈夫な事は何よりだ。でも、」そして彼女は顔に浮かべていた、色で表現するなら紫色の表情を隅に寄せ、ビシッと指でディリオンを指す。

「どうして飛び出した? どうしてボクの制止を振り切った?」

 メリッサはつい先ほどまで身を隠していた背後の物陰を首だけで振り返る。

「それは……」彼は彼女が示している方角に一度だけ視線を置いてから、視線がジリジリと体を焼いてくる感覚に気がつき、すぐに目の前の彼女の方に意識を戻す。「それは言った通りだ。メリッサに巻きこまれているなら俺は言われた通りに身を隠したままだったかもしれない。でも、俺が巻き込んだかもしれないから、自分でこの場での責任を取ろうと思っただけだ」

 放った言葉にはあらゆる意味が込められている。もしもこの台詞をディリオンのことを彼と同等に理解しているくらいの人間が聞けば、即刻意味が通じることは間違いない。だが内情を何も知らない人間が聞けばそれはバットで空振りしたかのような感覚を味わうのだろう。

「どういうことだ……。何を言っているんだ……。ディリオンは確かにボクに巻きこまれたはずだ。だから、何を言っているのか…………」だからディリオンの内情を何も知らないメリッサも然り、その言葉に首を傾げるしかないのだが、「……ん? ちょっと待ってくれ」途中で彼女は何かを思い出したようにして小首を傾げながらも、同時に何かを閃いたようにして顎に細い人差し指を当てる。

「どうして、……どうして『MH』のギャングの男はディリオンの名前を知っていたんだ?」

 それはまるで迷宮入りになっていた事件の真相を暴く時の瞬間に似ていたのかもしれない。だけどそれは同時にとても単純で初歩的な質問でもあった。数学の難問だって基礎を固めていれば怖くない。どんなに複雑な式がそこら中に点在していようと問題の根本を理解していれば惑わされたりしない。つまり、彼女の質問は言い換えれば、物事の本質を明らかにするものだ。

「それは……」

 言ってしまえばそれは簡単なことだ。『実はディリオンは『MH』のボスの息子だ』。文字にすると一行すら要さない簡潔な回答。だが、その一文を口に出す事は過去をさらけ出すことに変わりない。ディリオン・マークレイという人物はそれを封印して生きたいと願っている。もう一生関わることなく、この先の人生をやっていきたいと思っている。だが、それは今日、この時に閉ざされた未来と言っても過言ではない。そしてそれを目の前の少女はそれを認識してしまった。今更言い逃れすることなど出来ないだろうし、彼女は自分が巻き込んだと思っているようだが実際はこちらが巻き込んでしまったのだからそれに対する責任としては真実を告げるということも含まれているのだろう。だから、

「————実は……」

 口を開こうとした。だが、それは最後まで言い切ることができなかった。理由は単純。

「お迎えだぜ。お坊ちゃん」

 気がつけば周りには五〇は下らない数のギャングがいた。そのどれもが凶悪なほどの笑みを浮かべていて、揃って左腕には『MH』のファミリーを示すタトゥーが彫られている。

「————ッ⁉︎‼︎ 囲まれた‼︎ いつの間に‼︎」

 それにメリッサは声を裏返して叫び、ディリオンのことを背中に庇おうとする。

「おっと。そちらが例の『ギャング狩り』ッて奴か……こりゃ、けっこうな上玉じゃねぇか」

 一歩前に出た男はメリッサが自動小銃を構えているにも拘らずまったく恐れている様子を見せない。だが、それは当たり前だ。メリッサが持つのは一つの自動小銃。対して男の背後には五〇を超える自動小銃。火力が違う。数が違う。圧倒的な不利な状況。

 メリッサの気が触れれば前に出た男を一人殺すことなど容易だろう。が、その先に待っているのはその発泡を起点とした五〇もの自動小銃が奏でる乱射の嵐だ。それらが自分たちに向けられる。そう理解しているからメリッサは身動きが取れない。ディリオンを背後に庇っているが、そんな状況では前に立っていたってボロボロになって中が透けているカーテンと一緒だ。

「『MH』のギャングが揃いも揃って何の用だ? ボクが目的ならさっさとボクを連れて行くといい」メリッサはこちらに踏み込んでくる男に後退りしながらも、「だが、ボクの後ろにいる奴は全くの無関係だ。こいつに手を出す事は許さないぞ」

 その間にも男は距離を詰めていて、気がつけば手を伸ばせば届くほどの距離になっていた。

「ウチの下っ端が二人も死んでしまっているようだが?」男は少し視線を移動させて、地面に這いつくばって動かなくなった『MH』のギャングたちを見る。「お前が殺したのか?」

「ああ。ボクが二人とも殺した(、、、、、、、、、、)。何か文句があるか?」

 それにメリッサは睨み返すようにして答える。が、その答えは違う。

 ディリオンはそれに「俺が一人殺した」と答えようとするが、メリッサはそれを察知してか背後から顔を出そうとするディリオンの口を片手で押さえた。

「ま、いい。それはいい」しかし男はメリッサの返答に表情を変えずにそう告げると、「ただ、そこをどけばいい。ただ、お前はこの場から去ればいい。お前には何の用もないんだよ」

 そこ言葉にメリッサはまるで豆鉄砲を喰らったみたいな顔になるが、それは仕方のないことだ。この出来事の真相を知らない彼女からすれば今までは自分が事件の中心に立っていると思っていたはずだ。なのに、突然「君は何の関係もない人なのですよ」と言われたのだから。

「それはどういうことだ。じゃあ、何でお前たちはここに来た。『MH』なんて強大な組織(ファミリー)に属する人間をこれほども集めて……」

 対して、男はまるで子供に一足す一は「二」であることを指で説明するように、

「お前の後ろだよ。ほら、いるだろう。そこにディリオン・マークレイが」

 そう。初めから男は一度たりともメリッサのことなど見ていなかった。初めから。その視線はとある青年に注がれているのだ。間違いなく、それはディリオンだった。

「な、何を言っている……。ボクだぞ。ボクが二日前にガソリンスタンドでお前たちの仲間を殺したんだぞ。こいつはただの被害者だ。何もしていない。ただ現場にいただけだ」

「だから、それが違うと言っている」男は退屈そうに、まるで簡単なマジックの種明かしをするようにして、「まず初めてに考えてみろよ。なんで『MH』なんて組織が大通りのガソリンスタンドなんかに現れるんだよ。聞いたことがあるか? そんな事例」

「……。何を……。どういう……」

「目的があるから現れたに決まっているだろう。ま、確かにお前は『ギャング狩り』として通り(ストリート)を荒らしていたのかもしれない。だけどそれとこれに何の関係がある。大前提としてなぜそいつの周りで人が一人撃たれていたんだ? なぜあの夜にギャング三人に囲まれてその男は死んでいなかったんだ」男は一度強く息を吐き捨てると、「さぁ、答え合わせというこうか。簡潔に言おう。『MH』は『ギャング狩り』を何とも思っていない。ただ我々の標的がお前の側にいたというだけの話だ。あの夜も、今この瞬間も、『MH』が追いかけているのはたった一人、それがディリオン・マークレイなのだよ」

「どういう、一体何の話をしている……」メリッサは声を震わせる。「お前たちが何を言っているのか、さっぱり理解できない。何が目的だ‼︎ 結局はボクなんだろう⁉︎」

「これだけ言ってまだ理解できないか」男は本当に次こそ、呆れた表情を浮かべて、「面倒だからこれだけ聞いておこう。我々は『ギャング狩り』をここで逃すことを良しとしているし、興味もない。ただ、今尋ねるべきは、お前にディリオン・マークレイをこちらに差し出す意思があるかどうか、という点だけだ」そこで初めて男はメリッサと視線を合わす。「どうなんだ?」

 それはまるで絶対に逃れない二択を迫る悪魔のようにも見える。だが、それが『MH』。

「そんなの‼︎ できる筈がないだろ⁉︎ 何でディリオンをお前たちに渡さなくちゃならない‼︎」

「なら言い方を変えようか」そこで背後に屹立する五〇ものギャングたちが自動小銃を一斉に持ち上げ、照準をこちらに合わせてくる。それはハッタリでも何でもない。もちろんのことながら安全装置(セーフティー)は既に解除されているし、命令一つでそれらは火を吹くことになるだろう。

「我々とここで交戦する覚悟があるか。『ギャング狩り』‼︎」

 男の目がギャングのソレに変貌する。街で子供が見れば喚き泣くだろう。大通りの角で大の大人が詰められれば小便を漏らすだろう。そんな眼光が至近距離の真正面から突きつけられる。

 もちろんメリッサだって出来ることなら戦ってディリオンのことを守り抜きたい。だが、それは現実的に不可能だ。こちらの武器は一つ。相手は五〇。あまりにも無謀だ。だけど、だからといってそれを理由として守りたいと誓った一般人をギャングに引き渡すことなど出来るだろうか。確かにディリオンについてはここに来て少しばかり不穏な匂いが漂って来ている。が、しかし、彼とは凝縮された内容の詰まった三日間を共にした。それが彼女を諦めさせない。

「勝てるなんて思っていないよ。そしてこの場で戦っても、ボクが望んでいるような結末にならないことも理解しているさ。だけど」彼女は自動小銃を構える。「ボクは『ギャング狩り』なんだ。相手が『MH』だからどうした。五〇人いるからどうした⁉︎ それが脅しか⁉︎ 生温い‼︎」

「それは交戦する、と受け取っていいのだな」男が一歩後ろに下がり、腕を上げる。

 それを振り下ろせば、銃弾の雨がこの場に降り注ぐことになるだろう。

 メリッサだってそれが馬鹿な正義だと理解している。ディリオンという青年とはたった三日の付き合いだ。まだ自分が叶えたい復讐だって済んでいない。だけどなぜだか、彼をここで見捨てることなど出来なかった。出来るはずもなかった。だから、その銃を吹かせようとして、

 ————その瞬間の出来事だった。

「人ん家の真前でうるせぇので。何をごちゃごちゃ、大層な……」

 まるで突然降ってきた夕立のように。予期しない出来事のように。

「昼寝の邪魔なので。どっかでヤッテもらっても? ……ってか、そちらにいるのはディリオンじゃないのかって思ったりするので?」

 まるでこの場には似合わない、見た目だけではメリッサよりも身長が十センチほど低いと見られる少女が立っていた。髪型はボブにしていて青色、前髪は左目だけを隠すようにして伸びている。そして場違い感を倍増させる要因はなんといってもその服装だった。半袖半パンのパジャマのような姿。しかし、手には自動小銃。それが何とも不釣り合いで。

「誰だ、お前は……」

 驚いているのは『MH』のギャングたちも同じようで、その少女にこの場にいる全員の注目が集められる。だけど、それを少女は軽く流してから一つ小さな欠伸をした。

「メム(、、)だよ。って言っても分からないので? 通じなかったら『MH』失格だと思うので」

 その言葉に明確にギャング達の表情が変化する。メリッサからは確認のしようもないが、その場の全員が生唾を飲み込んだ気配がひしひしと体に伝わってくる。

「で、私のお昼寝の邪魔をするならどっかに行ってくれるだけで許してあげたんだけど」少女はメリッサの方を確認する。正確にはその背後にいる青年を。「私の友達が巻き込まれているとなるとそういう訳にはいかないんだよねー。ディリオンは小さい頃から仲良しだったので。ま、最初は親の意向で付き合えって感じだったんだけど、仲良くなってからはそんなの関係なかったので」少女は『MH』のギャング達という異様な集団を前にしながらも思い出話を展開する。

「これ以上、私の友達を痛ぶるようなら、」そして、

「ゴミ屑(パパ)に言いつけちゃうので、覚悟した方がいいのでは?」

 一陣の風が通りに吹き抜ける。それが彼女の袖口を揺らして、————『rk』。

「…………。俺たちにどうしろと、……」

「撤退をお勧めするので。ま、ここで私もろとも殺すってならとっても怖いんだけど、そんな訳にはいかないと思うので。二日後だっけ? 大事な麻薬の取引会談があるのって?」

 メムと名乗った少女は腕に抱く自動小銃をまるで小学生が大事にするテディベアのように優しい手つきで撫でると、

「それとも、ここで引き下がらないなら私を撃てないお前達ブイエス〜、私の一方的なシューティングゲームでも試してみるので?」そして、少女はニヤリと笑う。自動小銃の安全装置を解除するのと同時に。「ま、お前達がゾンビなら私はゲームオーバーかもしれないんだけど」

「撤退する以外の選択肢は取れないわけか……」

「だからもうそれは言ったので。撤退するか、ここでシューティングゲームの餌食になるのかどっちかだって。二択なので。さっさと決めてもらっても?」

 つい先ほどまでは『MH』のギャング達がメリッサに究極の二択を迫っていたはずなのに、数十秒の間にその立場がまるで逆転してしまっている。メリッサにはこの少女が誰なのか、どのような殊に精通しているのかは想像も出来ないが、それでもこの場において絶対的な立場にあることだけは理解していた。それと同時に、彼女がこちらの味方であるということも。

 そして何より。『MH』と謎の少女。そのどちらもの行動原理がディリオンにあることを。


 メムと名乗る少女の出現によってギャングの男達総勢五〇人は撤退するしか行動の選択肢がなかった。彼らはゾロゾロと通り(ストリート)の中を歩いて行く。

「本当にこの選択肢が最前だったのかよ……」

「仕方ない。あの場で余計なことをすれば麻薬取引の会談そのものが無くなるかもしれなかったんだ。そんなことになればブレイクさんではなく、ニグレイさんに殺されちまう」

「なるほど。ま、そりゃそうだな。で、名前だけ知ってて初めて見たんだが、あの小さな女が『rk』のボスの娘なのか……。確か離反しているなんて聞いたが?」

「その通り、離反はしているな。でも、確かにあの女は『rk』のトップの娘なんだ。手を出していいことなど何もないだろう」

 男は日中にも拘らずあまり日の差してこない通り(ストリート)の空を眺めて、重い息を吐く。

「アルバカーキ六つのトップギャング組織(ファミリー)の一角を担う血統が二人も揃っちまった」

 それだけならいい。ただそれだけなら。だが、

「それもどちらも離反している者同士。これから先、この街に何が起こるか分からねぇぞ……」


「ディリオン‼︎ かなり久しぶりなのでは?」

 青髪ボブの少女、メムは『MH』のギャング達が去って行く背中をその視界に捉えながら元の場所から移動していないディリオンとメリッサの方へ駆け寄ってきた。手には自動小銃を持っているので物騒なイメージが強くなってしまうが、その部分を取っ払ってしまえばそれはまるで留学をしていて二年ぶりに実家に帰った、かのような明るい雰囲気に包まれている。

「ああ。……何年ぶりだ? 五年は過ぎているよな……」

 ディリオンも久しぶりの再会を喜びたいところなのだが、置かれている状況が状況なだけにあまりテンションを上げることができない。そして傍にはそれを不思議そうな顔で眺めているメリッサがいる。まったくもって不安定限りない状態だ。

「そんなに経っているので? ま、見ないうちに身長が高くなり過ぎなのでは? これじゃあ昔のように遊ぶ事はできないのでは?」

「俺の身長が小さいままでもあの時みたいに取っ組み合って遊びはしないし、今は呑気に遊んでいられるような状況じゃないんだよ……」

 ディリオンは未だに地面に転がっている『MH』のギャング二人の死体に目をやる。

「ま、確かに大変そうな状況って事は理解できるけど、それはどうにもならないことなので?」

「どうにもならないな。『MH』っていうか、俺の親父が絡んでる……」

「あ〜、それは確かに面倒臭くて、どうにもできない事かもしれないので」

 ディリオンの視線を追ってメムは男達の死体に注目すると、近づき始める。

「おい、何をしているんだ?」

「使えるもんはないかなーって」メムはゴソゴソと死体を漁り、「特に使えそうなものはなかったけど、でもこれくらい持っていた方がいいと思うので。特に『MH』なんて相手にしているのだったら尚更だと思うので」彼女が漁って取り出したのはメリッサに殺された男が持っていた自動小銃だった。それを安全装置をロックしたことを確認するとこちらに投げ渡してくる。

「おっと。意外と重いんだな……」ディリオンはそれを上手くキャッチして腕に抱く。

「ま、自動小銃だから当たり前なのでは? ってか、ディリオンはそんなゴッツイの使わないんだっけ?」メムは折り曲げていた膝を退屈そうに伸ばすと、屈伸運動をするようにしてその場で軽く運動をする。「ほら、今も手に持っているソレ、グロックが相棒だったような?」

「そうだ。俺にこんなでかい武器は扱えねーよ」ディリオンは受け取った自動小銃を小汚い地面に落下させると、メムではなく、自分の隣にいる赤髪の少女に目をやった。すると、

「ところで、さっきからずっと気になっていたのだけど、その女の子はディリオンのガールフレンドだったりするので?」

 と、メムがメリッサのことを視界に入れるなりそんなことを口走った。

「なななななななななななッ⁉︎‼︎‼︎」それにメリッサは急に口をパクパクさせながら、「そそそそそ、そんな訳ないだろう‼︎ ディリオンとボクの間には何の関係もない‼︎‼︎」と、やけに顔に熱を灯しながらその場で身振り手振りを大きくして全力で否定する。

「そ、」それに対してメムの反応は「超」がつくほどに冷たい。その理由は、

「ま、ディリオンのことだし、そんな事はないと初めから思っていたので」

「そ、それは……、どういうことなんだ……」

 叫んだものだからハァハァ吐息を荒くしながらメリッサが尋ねると、メムは鼻を鳴らすと同時に手をヒラヒラと空中で振った。

「なーに。昔話から推測することだからとっても簡単なことなので。って、それを知らないってことはもしかして赤毛の君はディリオンと最近知り合った人だったりするので?」

「ま、そうだけど……。で、さっきのはどういう訳か説明してもらおうか……」

 なんだか話が変な方向に転がって行っている気がしたディリオンはその会話を間に入って中断させて、早くこの場から離れることを提案しようとするのだが、

「なら説明しようと思うので」と、声をかけようとした時には既にメムによるディリオンとの過去話から推測する「女の子に対するお話」が幕を開けようとしていた。

「ま、簡単に言うとディリオンという男は私と一緒に寝ても、お風呂に入っても特に興味のカケラも示さなかったので。ま、男として未成熟だと思うので」

 と、なんだか十八歳という年齢を過ぎた今聞けば、とても警察沙汰になりそうな発言をぶちかまされた(もう、殺人をしているのだから十分に警察沙汰なのだが)。

 それに一応はメリッサも女の子だから怒り始めるのかな……なんて思ったりもしたのだが、

「(なんだ……。それならよかったじゃないか。ボクは何を余計な心配を……。女として見るまでもない、なんて思われているだなんて心配は杞憂だったんだな……ボクは女だ、まだやれる)」

 と、なにやら理解し難い言葉がボソボソっと聞こえてきた気がするのだが、多分気のせいだろう…………。

 ディリオンはそれを通り(ストリート)に吹く風に乗せて聞き流すと、そろそろ口を挟むことにした。

「一旦この場を離れよう。ってかお前ら初対面なんだよな? なんでそんなに……」

 ちなみに再確認しておくとメリッサは『ギャング狩り』であり、メムという少女は『rk』というアルバカーキ頂点六角の内の一つを担うギャング組織(ファミリー)のボスの娘である。

 普通であればここでメリッサが襲い掛かってもおかしくない。だが、そんな互いの内情を知らない二人はディリオンに対して「女を分かれよ」という目線を投げかけてくるのみだった。

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