二章 1
「起きろ、おい起きるんだ。ディリオン、もう昼だぞ‼︎」
眠っていたら腹部にまるでトラックでも衝突したのか、という程の衝撃が襲いかかってきた。
「ぶぶブッブベェ‼︎⁉︎⁉︎」
それに彼は生まれてこの方発したことのないような悲鳴とも取れる呻き声を上げて、汚い(掃除しているとは言っていたが)床の上をまるで芋虫のようにブランケットで体を覆いながらゴロゴロと転がった。
「何をしている?」
そしてその光景を冷めた目で見下ろしていたのは髪の毛を高い位置でまとめてポニーテールにしている赤毛の少女メリッサだった。もちろん右手には彼女の相棒とも捉えることのできる自動小銃『AKM』が握られていて……、その自動小銃『AKM』がまるでゴルフをするみたいにスイングされた後の形で空中に静止していた。
熟睡していたディリオンは一気に開けた視界に寝起き特有の靄のようなものを感じながらも、視界に映る情景から予想できるシュチュエーションを瞬時に理解して喝破する。
「メリッサ、俺を殺す気か‼︎」
そう。現場からどのような事が起こったのか想像するのは難くない。つまり、いつまで経っても起きないディリオンにメリッサが腹を立て、自動小銃『AKM』を本来とは違う用途で使ったのだ。それも遠距離攻撃を可能とする武器を鈍器として扱うことによって。
「なに、きちんと安全装置(セーフティー)の確認はしているさ、ほらね」彼女は振り上げていた自動小銃『AKM』を腕に抱くと、安全装置(セーフティー)付近を人差し指で指して、確認を促す。
「そういう問題じゃないだろ‼︎」
ディリオンは彼女の言い訳にもならない釈明を受けつつも声を荒げるが、当のメリッサといえば「起きないお前が悪い」と言わんばかりに踏ん反り返っていて、その様子は「傲然」という言葉が嫌なほどに似合っている。
「はい、おはよう。どうだ、寝起きの具合は?」
「最悪って一言で簡潔に伝えておく」
ディリオンはボサボサの灰色の髪をボリボリと掻いて体を起こす。腹部にはまだ痛みの余韻が残っていて、痛みの種類が違えば今すぐにトイレに駆け込みたいほどだ。
「最悪なわけがないだろう。『MH』に追われている状況で一夜を過ごす事ができたんだ。寝起きは幸運でないとおかしいはずだが?」
「その幸運をメリッサに吸い取られたんだよ」
「どう言う意味だ?」
「分からないのならいい」ディリオンは上体を起こしたついでに寝起きのおぼつかない足取りでその場に立ち上がると、洗面所に向かおうとする。が、
「おい。なにをしている。目を擦っているようだが、この家に水は流れないぞ」
「おいおい。電気だけじゃなくて、水も止められているのか?」
「今更何を言うかと思えば、当たり前だろう」むしろ彼女はこの世の摂理を説くかのように口を開くと、まるで摂理どころか、世界の深淵を覗くようにして、「金がないと機能するものも機能しない。まったく生きづらい世の中なものだな」当たり前のことに頭を悩ませていた。
「ってか、じゃあいつもどうしてるんだよ。水も流れないんじゃトイレにも行けないんじゃないか?」ディリオンは電気が通っていないことや、水すらも流れないということが起点となって次々と連鎖的に不可能になっていく日常生活を頭に思い浮かべながら質問する。
「なぁに、簡単だよ。ま、説明はめんどくさいから、実際に見た方が早い。さ、朝食兼、昼食の時間だ。『MH』に追われている中で呑気だと思うかもしれないが、陽が出ている間に行動しないとな、夜になると余計に動きにくい」
たしかにギャングは夜に行動をするので日中に行動することは間違っていないはずだ。でも、まさか、……、彼女の言葉の意味をそのまま取るなら……、
「外食ってわけか……」
そう。この家には電気も水も通っていない。となると、もちろんガスも然りだろう。つまりキッチンは使えないのだ。そうなれば導き出される答えは一つだった。
「さぁ、ランチタイムだ」
まるで追われる身とは思えない発言が彼女の口から飛び出した。
やってきたのはただのレストランだ。しかし、メリッサが言うにはただのレストランではないらしく、他の広範囲に展開されているチェーン店よりも味が良く、値段が安いのだと言う。レストランに着き、案内された席は窓際からは程遠い壁に囲まれた店の奥の方だった(、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、)。
「いつも通りのものを二つ頼む」
彼女は席に座るなり、座席を案内してくれた店員にそのまま注文をした。
「かしこまりました」
どうやらメリッサは「いつも通りのもの」で意思疎通ができるくらいにこの店の常連らしい。店員さんは四十代くらいのオバさんで、黄色を基調とした若者向けのレストラン指定制服がそろそろ厳しくなってきていると見受けられた。
「さぁ、注文を済ませたし、まずはトイレに行ってくる。ディリオンも行っておけよ。家はトイレの水が流れないしな」
店員さんが注文をポータブルデータターミナル(日本でも普及している手帳型の注文を取る機械)に入力し、背を向けたのを確認すると、メリッサは席を立ち上がる。
「おいおい、まさかいつも……」
嫌な予感が頭をよぎる。なにせ、メリッサは『ギャング狩り』という立場ではあるが、一応は十八歳というピチピチの女の子なのだ。そんな年頃の女の子が……、
「ついでに洗面所で顔も洗っておけよ、右目に目脂(めやに)がついているぞ」
ディリオンはその言葉で確信した。予想は的中していたんだと。
「それって日常的にやっていることなのか?」
「毎日だな」
「店員さんは知っているのか?」
「トイレに監視カメラがついているなら知っているだろうけど、そんなことをする店ではないし、掃除の時に見られない限りは気づかれることはないだろう」
メリッサは流石に真っ昼間の飲食店(レストラン)に自動小銃『AKM』を持ってくる気はないらしく(そんな物騒なものを手に抱えていれば入店拒否をされる可能性すらあるが)財布一つという身軽な携帯物のみだったのでそれを後ろポケットに突っ込んでからディリオンの方に振り返る。
「どうした? ディリオンは来ないのか?」
「いや、行くけど。店側はそういう意味合いで客にトイレを貸しているんじゃないと思うぞ」
「まぁ、そうだろうけど、別に禁止されているわけでもないし」
「店側はそんな用途に使われると思ってすらないから禁止事項に追加しないだけだろ」
「なら、これからも使用していくんだし、見つかるわけにはいかないな。ディリオンも店側にバレないように気を付けろよ。今日はアンタと一緒に来ているんだ。どちらか一方がバレてしまったら、もう片方にも疑惑がかかる」
メリッサはゆっくりと席を立とうとするディリオンを鋭い目で見た。
「なんか、大事(おおごと)のように言っているが別にこれは俺たちの生死に直結するような問題ではないはずだぞ?」
ディリオンはメリッサのあまりの真剣度合いにこのやり取りが「ギャングから逃げる際にバレないための作戦を立てている」のか? と真剣に考えてしまうが、
「トイレは生死に関わってくるだろ⁉︎」
というメリッサのあまりにもギャングに追われているという現状から共通性の欠片もない叫びに耳を打たれて、やはりこのやりとりは現実に起こっていることなのだと改めて認識させられる。
「別にそんなことはないだろう。道の隅で立ってすればいい」
「なっ‼︎ なんてことを言うんだ⁉︎ それはディリオンが男だから可能なことだろう‼︎」
彼は当たり前のことを言ったつもりだったのだが、それがメリッサの逆鱗に触れてしまったのだろうか、彼女は席から立ち上がろうとしているディリオンの肩に両手を乗せて、グッと体重をかけて押さえつけた。
「ボクは女なんだぞ⁉︎ なんだ、ディリオンはボクに道の隅で屈んでヤれっていうのか⁉︎」
立ち上がろうとしていたディリオンだったが、流石に上からのしかかる重力には耐えられずに、そのまま席に強制的に座らされてしまう。
店の中には十四時を経過した所、ということもあってか、客はかなり減ってきていたが、まだお茶をしている人たちや、遅めのランチという客もゼロではない。
つまりかなり目立ってしまっている。
「落ち着け、メリッサ。ここで注目を集めたら不自然に思われてトイレまで店員に見に来られてしまうかもしれないだろ」
ディリオンは必死の形相でトイレの議論を語りかけてくるメリッサの体を腕を伸ばして押し上げると、ようやく席を立つ。
「な……、女に道でヤれ、なんて非常識と思わなかったのか⁉︎」
未だにメリッサはなんだか息を荒げているが、ディリオンは「それは俺が悪かった」とだけ小さく謝ると、テーブルの前に一人で立ち尽くすメリッサを残して案内板に従い、一人でトイレに向かう。
男子トイレと女子トイレの分岐点まで歩いた際に一度後ろを振り返ってメリッサを見てみるが、未だ変わらず彼女はその場に立ち続けていて、小さな手を小刻みに震わしていて顔を朱に染めている。
(こうして見ていると、やっぱ年相応の女の子にしか見えないんだよな……)
自動小銃『AKM』は現在手にしておらず、返り血を浴びていない彼女はやはり、『ギャング狩り』には見えなかった。
メリッサがトイレから戻ってきて(顔を洗うなどを含めて)席についたところで頼んでいた注文がようやく届いた。
「これだけ……か?」
「文句を言うんじゃない。確かに十八の男が摂る昼食としては多少なりとも少ないかもしれないが、これだけのものが食べられてなんと二ドルなんだ。破格だろ」
運ばれたものは湯気を立て、非常に食欲をそそってくる。が、
「ハンバーグ単品は流石にな、ライスが欲しい」
「なら、自腹を切るんだな。ボクのお財布事情的には飯を奢ってやるだけでも結構しんどいものなんだ。それでもまだ文句が言えるのか?」
「いいえ。いただきます」
その一言でディリオンは口から漏れ出る文句にストップをかけた。
なぜか、なんて理由を聞かれるとこれは単純なもので、現在ディリオンは財布を持っていないのだ。どこに置き忘れているのかは明白なのだが、取りに戻るという行為は不可能だ。
まず、行く勇気もないし、取りに行くリスクと財布の中身に入っている現金が釣り合わない。
「ま、店長が預かってくれていることに賭けよう」
つまりは、ディリオンの財布の在り処はバイト先のガソリンスタンドだった。取りに戻れない理由は『MH』が周囲にいるかもしれないからという至極簡単なものであり、彼の発言通り財布の行方は今日の朝から仕事に入っている店長のみぞ知ることである。
「というか、ディリオン。バイトの方は大丈夫なのか? 昨日は夜中に抜け出して来ている形なんだろう」
そう。もちろん店長は昨夜『MH』のギャング達が自分に責任のある店舗に押し寄せていたことなど知りはしない訳だし、アルバイト店員(クルー)であるディリオンが居なくなったのはそのような理由からくるものではなく、単純にサボりだと思われている可能性が高い。
「まぁ、それはそれで結構な問題だけど、やっぱメリッサって凄いな。こんな時に人の心配(どうでもいいこと)出来るなんてな……」
「ま、自分で言うのもなんだけど、ボクは感覚がおかしくなっているからね。下っ端ギャングに追われていようと『MH』に追われていようとそう大差はない」
メリッサはテーブルの端に設置されているフォークやナイフが入った籠から二セットそれらを取り出すと、片一方をディリオンに差し出す。彼がそれを受け取ったことを確認すると彼女は右手にナイフ、左手にフォークを持つと、それでハンバーグを切りにかかる。
「ま、さっきは自腹を切れ、なんて言ったが本当に腹が減っているのなら注文するといい。なにせ、このような追われる状況になったのはボクがディリオンを巻き込んだのがきっかけなんだからな。出来る限りのことならさせてもらうつもりさ。もちろん金がないのは本当だが」
彼女は一口サイズに切り分けた内の一つを口に含むと、咀嚼しながらフォークで彼を指す。
「ま、なら我慢する。別にライスを注文しなくちゃ死ぬってわけじゃない」
ディリオンはメリッサの提案になんら意識を向けていないように答えたが、実際の所は色々なことで迷っていた。まず、自分が元ギャングであったことを打ち明けるべきなのか。そして『MH』が追っているのはメリッサではなく自分自身ということを伝えるべきなのか。
この場合後者を伝えればメリッサはディリオンのことを見捨てていつも通りの『ギャング狩り』に戻ることだって出来るはずだ(現在は他のギャングが外をうろついていない為、完璧な形で復活という訳にはいかないが)。しかし、それを伝えた所でメリッサが引き下がるとは到底思えなかった。なにせ、彼女が『ギャング狩り』になった理由は双子の妹の仇を討つためだという。ならばその仇である『MH』が現状では向こうから寄ってきてくれているのだ。もちろん言うまでもなく、その餌になっているのはディリオンなのだが、それを知らないメリッサが引き下がる理由などどこにもないのだ。
「それはこちら側としてはありがたいな。ま、冷めないうちにディリオンも食べろ」考え事をしているうちに彼女はすでに四割ほど食べ終わっていて、ディリオンはまだ一口も食べられていなかった。「ところでこれからどうするのかを本格的に考えなくてはいけないな」
「そうなるな。ずっとメリッサの家にいて見つからないとは限らない」
前述したとおり、ディリオンがメリッサに巻き込まれているのではなく、ディリオンがメリッサを『MH』との地獄の闘争に巻き込んでしまっている。彼女自身は気がついていないようだが、気が付く気がつかない関係なしに彼女の身の安全を守るのは彼の責任でもある。なので、どのようにすれば安全に身を隠せるか、という問題については彼女以上に真剣に考えなくてはならない。かといって十三歳から五年間施設で育った彼に安全な場所など検討つくはずもない。
「メリッサの家は通り(ストリート)にあることから考えてあと四日は持つと考えていいと思う」
「そうだな。大体ボクも同じくらいだと思う。昨夜ディリオンが言っていたように『MH』のメンバーもまずはボクらが住宅街にいると思ってそちらを捜索するはずだ。それにアルバカーキはかなり広い。一般人が住んでいる地域全体を調べるとなると、かなり時間がかかるはずだ」
「だから、四日だな。それ以上は一点に留まり続けるのは危険だと思う。アイツらだって大通りに俺たちがいないことが分かると、消去法的に通り(ストリート)に手を伸ばしてくることになるだろう」
ディリオンはメリッサから手渡されたフォークとナイフを使ってハンバーグを口に運んでいく。男だからか、メリッサよりも一口サイズが大きくて普通のペースで食べていると追いつけそうだ。そして確かにメリッサが言っていた通り、味は大したものだった。
「ま、その間になんとかしてこの状況を打破する方法を見つけないといけないわけだ……」
ディリオンはジューシーなハンバーグを咀嚼しながら考えこんでいる。が、
「なぁ、ディリオン。ボクは今とても閃いたんだが……」メリッサは眉間にシワを寄せる彼とは対照的にその顔に悩みを浮かべているようには思えなかった。むしろ小さな光……、つまりは直面している問題に対する解決策でも思い付いたかのような顔だった。そして口を開く。
「向こうから攻めてこられる前にこちらから攻めるというのはどうだ?」
と、期待していたディリオンが馬鹿だった。と痛感させられることを口にしたのだ。
「(まぁ、『ギャング狩り』なんてしているメリッサの発想が普通な訳ないよな……)」
「なぜ顔を隠すようにして項垂れているんだ? 何か問題でも?」
「(問題っていうか、前提が間違ってるんだよな……)」
ディリオンはメリッサに聞こえないように、口の中で押し殺すようにして返事をしながら、
「本気で言っているのか?」一応確認だけしておく。
昨夜『MH』から追われて通りへの塀を乗り越えた際にも、よく分からない冗談を言っていた彼女だ。今の発言だってジョークかもしれない。だが、
「本気も本気だが? だから何か問題があれば言って欲しい」
こりゃだめだ……。と、ディリオンは今度こそ完全に諦めた。だからこそ、表情を一切なくした顔をもって正面に向き直り、恰も「名案だろ」なんて言い出しそうな具合の彼女を捉え、「すべて却下する。別の案を考えよう」
大口を開けてハンバーグを流し込みながら手短に伝える。それに彼女は心底不服そうにしていたが、ディリオンに取り合う気が無いのを理解したのか、
「じゃあ、こういうのはどうだ————」
と、続いての案を出そうとした時だった。店内が急に騒がしくなった。
「「……なんだ?」」
それに二人は示し合わせたかのように同時に首を捻り、そして気づく。店内に響いているのは複数人の足音だった。それが店内から入り口の方へと遠ざかっていく。まるでこの店から一目散に避難しようとするように。
そこでようやく一つだけこちらに近づいてくる足音があるのに気づく。
ディリオンはまさか、と腰に隠しているグロックに手を当てるが、ディリオン達が座っているテーブル近くの角から曲がってきたのは入店時に席に案内してくれて、同時に注文を取ってくれた四十代のレストラン店員だった。
しかし、その表情は先ほど見たものとはかけ離れたものだった。簡単に言うとその店員は顔色を真っ青にしていた。そして、口調は店員が客に対して使うようなものではない。
「早く、逃げて‼︎」
まるでマニュアルに乗っている接客用とは思えないような切羽詰まった言葉がテーブルに腰掛けたままの二人に押しかかる。
「なにが……?」
この店の常連だからだろうか、未だかつて無い事態にメリッサはどこか不思議な顔を浮かべていたが、店員から放たれる次の一言が、その余裕を瞬時にかき消した。
「ギャング達が集まってきてる‼︎」
口に出した店員自身も「信じられない」という表情をこれでもかというくらい表出(ひょうしゅつ)し、鼻で息をするという基本を忘れ、口で……、いいや、息をするのさえ忘れてしまっているようだ。
「早く‼︎」
息継ぎもなしに荒れた声で叫ぶ店員の形相が、ようやく二人に危機感を抱かせる。
「立て‼︎ メリッサ‼︎ 狙いは俺たちだ‼︎」
「……ぁ……ぁあ」
メリッサという人物は何の罪もない一般人がギャングに巻き込まれることを嫌う性質を持つ。
彼女はそんな悲劇を消し去るために『ギャング狩り』という道を選び、自ら危険な域に突入した。彼女は自分の妹と同じ悲劇を生み出さないために、それら無辜の人々を凶悪(ギャング)から遠ざけると決めた。だが、この事態は。
「……ボク達が呼び寄せてしまった⁉︎」
その声は震えていて、今まで感じたことのない程に焦りに満ちていた。
このレストランにいたのは昼食時間(ランチタイム)真っ只中という訳ではなかったので、両手で数えられる程度の客しかいなかったはずだ。だが、それでも最大で一〇。
つまりは一〇の命を脅かす引き金を自分たちが引いてしまったのだ。何よりも守ると決めた者たちを自分たちがきっかけとなって傷つけてしまうかもしれない。
それがメリッサの焦燥感をこれでもかというくらいに刺激したのだ。
「慌てるな‼︎ 正面出口から出ても混乱を拡大させてしまうだけだ‼︎」
ディリオンは顔色を悪くし、思考が欠如してしまっているメリッサの細い腕を掴むと、彼女を引き寄せ、顔を僅か五センチの距離で捉えて言う。
「まだ誰も犠牲になっていない。客達が店から逃れられているということはまだ厳重にこの店が包囲されていないということだ! だから焦らなくていい。まずは俺たちが……」
ディリオンはメリッサの心を落ち着けながらも最悪だ、と心の片隅で思う。
まず座席の位置が最悪だった。窓側にでも座っていれば接近してくる一般車両とは異質な不自然な車両に気が付くことができたかもしれない。だけど、運悪く彼らが座っていたのは店の奥の座席だった。だけどそれはこうも捉えられる。
「言い換えれば俺たちは向こうにも見つかってないんだ。このまま外に存在をバラさないようにして裏口から店を出るぞ‼︎」
メリッサの体はまるで電池が切れてしまった玩具のようにダラリとした無気力な重みに苛まれていた。だけど放っていく事など出来るはずがない。
彼は彼女に二度も助けられているのだ。それを返さない訳にはいかない。
それに、罪滅ぼしになるのかなんて分からないが、もし、あの日のあの子に、あの子の横にいた少女に報う事が出来るのなら……。涙を流した過去の自分を払拭できるのなら。
あの少女は今はどこにいるのかだって分からない。何をしているのかすら知らない。だけど、もう昔の自分じゃないことを証明したいから。今度こそ、彼はギャングに抗ってみせる。
電話を受けたニグレイ・マークレイは深い髭の奥で満面(さいあく)の笑みを浮かべていた。
隣にはスーツ姿の男が立っていて、それはギャングではない。
「的中(ヒット)だ。流石だな……」
チラリと横目でニグレイはスーツの男を捉える。市長、という肩書きの上でこなす職務についてはきっちりと相手の目を見て親身に言葉を交わすニグレイであるが、裏の顔の彼はそんなことなど滅多にしない。もちろん『MH』に所属しているギャングにだってそうだし、麻薬取引の相手にだってそうする事が多い。そんな彼にスーツの男は見られていた。
これがどのような事を示しているのか、なんてことはわざわざ言うまでもないだろう。
「報告通りの人物だったでしょうか……?」
ニグレイに直視されることがある人物といえば、彼の息子であるブレイク、そしてアルバカーキに三〇〇あるギャング組織(ファミリー)の頂点六角である大組織のトップくらいのものだろう。
「ああ。私はお前のような側近を持って、恵まれているな」
相変わらず右手には太い葉巻が握られていて、白い煙が立ち込めている。
「お前は『ギャング狩り』に会ったことがあるんだったな?」
スーツの男(、、、、、)はそれに応じて、口を開く。
「ええ。つい先日でした。ディリオンさんを迎えに上がった『ガソリンスタンド(、、、、、、、、)』で」
そう。一〇時間ほど前にニグレイの自室に訪れたこのスーツの男はあの日、ガソリンスタンドに現れた集団の内の一人だったのだ。つまり、ディリオンとメリッサが————、語弊は生まれるかもしれないが「共闘した」という一場面を目撃した証人である。そしてその男はニグレイ側の人間だった。つまりはこう考える。
————あれからもディリオンは『ギャング狩り』と共に行動をしている、と。
そしてその予想は実際に当たっている。さらに、
————一般人に(、、、、)手を出してんじゃねぇよ。アルバカーキのゴミ屑供が。
その言葉に隠されたヒントを長年の暗躍者は聞き逃していなかった。つまりはそれが『ギャング狩り』の守りたいものであり、それと同時に弱点であるということを。
だから「彼ら」は『ギャング狩り』が街に潜んでいるのを探すのではなく、そのように見せかけて、『ギャング狩り』が一般人の紛れる(、、、、、、、)大通りに出てくるその時のみを待った。無論、彼らの第一の狙いは血統であるディリオンという人間だ。だが、ディリオンという人物は身を隠そうと思えば一般人だって囮に使うだろう。そのように幼少期から教育を施してきた。
だけど、もしも一度は共闘をしたことのある人物が隣にいたら。
————そしてその人物が自分の守りたいものが危機に晒されている状況で動けなくなってしまったとしたら? つまりそれはただの重荷になる。
これはちょっとした小細工だった。ちょっと弱い部分をつついただけだった。
だが、それが絶大な効果を生み出す。
「さぁ、私の下に戻ってこい。ディリオン」
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