二章 0 悪性の中に刺す一筋の正義
「ボス、アイツが出てきたってのは?」
「ボスなんて呼ぶな。私は市長だ。ボスはお前だろう」
豪華な装飾品が施された密室で二人の男がテーブルを挟み、向かい合うようにして座っていた。日本で言うところの上座に座る男の名前はニグレイ・マークレイ。アメリカ合衆国南部ニューメキシコ州アルバカーキの現役の市長である。髭は伸ばしている、というけれど程よいほどに整えられていて全く不潔という印象は感じない。いいや、むしろ清潔というべきだ。なにせ専属の髭剃り師なんてものを自らに付けているくいらいなのだから。だからこそ、不気味である。なにせこの男の立場は市長のはずだ。髭剃り師を専属で付けるなんて大統領クラスでもそうあることではない。つまり、それがこの男の「謎」であった。
「何言ってるんですか。形だけでしょう。実質はすべてボスが指示も出している。やっぱり俺は仮初(かりそめ)のトップにふさわしい」
「言うじゃないか、アイツに変わって病弱だったお前がここまで育ってくれたのは私としても予想だにしない収穫だった。何がお前をそうまでさせた?」
「それは……、」そして上座と反する下座に座る二〇代の男は苦虫を噛み潰すように顔をしかめ————ようとしてボスの前だ、と表情に仮面を付ける。本当の感情を押し殺すようにして。
「本来なら俺がなるべきだからですよ。アイツに仮初とはいえ、ボスの座を取られるのは癇に障る」二〇代の男は仮面の表情のまま目の前に座るこの街の市長の顔を見た。「弟にトップの座を取られる兄ほど格好の悪いものはない。だから————ですかね」
「別に敬語を使う必要はない。だってお前は仮初の代表であると同時に私の息子なのだから」
「それは……。まぁ、形だけはそうしないと、やっぱり意識が保てないからね」
「それほど責任を重く感じているということか、結構結構……。それはいい」
二〇代の男はそれに深く頷いた。市長————つまりニグレイ・マークレイの言っていることは当たっている。だがその意味は大きく違う(、、、、、、、、、、、、)。————責任の意味が彼にとっては違う。
誰にも明かしたことのない秘密。それが彼の今の核を形成しているのだ。
「アイツは確か十三歳の時に檻にブチ込まれるのを回避して施設に入れられたはずだ。その時になぜか『MH』のメンバーが多数死亡という事例も発生したが、それもあって五年ほど耐えてもらった。が、出てきて迎えをよこしてやったと思ったらなんだ? こちらに死者が出ただと?」
ニグレイは葉巻のタバコを片手で揺らしながら顔をしかめる。
「そうみたいだね。俺もはっきりとしたことは伝えられていないけどアイツが————弟が俺たち『MH』に反抗したことは間違いない」
「ほう……」ニグレイはその報告を受けて葉巻を持っていない方の手で自分の顎をゆっくりとなぞる。「ギャングからの離反をお望みというわけか?」
「おそらくそうなるだろうね。ま、『MH』自体は俺がトップにいるわけだし存続は問題ないけど……」そこで、二〇代の男は苦しそうに顔を歪めて、「どうなるの?」と、漠然と聞く。
「どうなる? ……決まっているだろう。何としても連れ戻す。本来であれば粛清、もしくは懲罰が必要になってくるが、アイツは重要だ。私が任期を務められるのはあと一回。つまり四年だな。そうなった場合、自動的に『MH』の元トップであるお前が私の立場を継ぐことになる。で、だ。その際に『MH』のトップの座が空席になってしまう」
「なるほど。それを防ぐために身内を連れ戻さないといけないってことだね」
「平たく言えばそうなるな」ニグレイはつまらなさそうに煙で不可思議な文様を空中に作り「でもそれだけじゃない。アイツは重要だ。なにせ十三歳でヤッているんだ。つまり刑事罰には問われていない」彼は葉巻を口にくわえてニヤリと嫌らしい笑みを浮かべる。「なんなら私の後ですら継げる状況にあるんだ。ま、お前の次になるけどな」
その言葉の意味を簡単に文章に起こすと、『これから二十年はマークレイ家がギャング蠢くアルバカーキの政治面を支配する』ということである。もちろん正当な選挙が行われているならそんなことはまかり通らないはずなのだが、逆に言えば正当でない状況であればそれを実現することは容易い。つまり、この街では「ギャング」という存在が蔓延っているが故にそれが可能であるのだ。ニグレイ自身もそうして今の立場を築いたのだから。
「ところで市長」
「固いな」
「なら父さん」二〇代の男は口調を柔らかくしてから、腕に刻まれている『MH』のタトゥーを一度なぞって見せた。それは市長と『MH』のボスだから理解できる、という合図ではなく、父と子だからこそ分かる血統所以の合図と言うべきだろうか。
「ほう? 今日はただ私に会いに来ただけだと思っていたが、なんだ、仕事の話だったのか」
「俺はそんなに可愛くないよ。なにせ『MH』のトップなんだから」
二〇代の男の腕に刻まれた『MH』のタトゥーは他のメンバーと比べてさして大きくない。理由は単純で昔病弱だった彼はタトゥーを彫るという痛みにすら耐えることが出来なかったのだ。しかし、それが今では病気を克服し、『MH』のトップとなった。もちろんそれは生まれながらにして望まれていた道ではあるが、彼自身、そうした道を歩むために努力をしたのではない。ある人物を助けたかった(、、、、、、、、、、、)が為に、死ぬほどの努力をし、この道を選んだのだ。
「ところで、仕事の話なんだけど」彼はなぞっていたタトゥーから手を離すと、今までの柔和な笑みを崩して凶悪な顔になる。それはまさしく『MH』のトップにふさわしい。
「『rk』との会談が決定した。日時は三日後の二十三時から」
会話の中に飛び出た『rk』とはアルバカーキの頂点六組織の一角『MH』とも肩を並べる、言わば、この街のギャング秩序を形成する巨大組織(ファミリー)の一つだ。それ故に互いの抗争を避けるため、日頃は顔を合わせないのだが、この際にはどうしても必要だった。
「どうせ、麻薬の取引だろう」退屈そうにニグレイが言う。
「さすがだね、父さん。その通りだよ」
ニグレイから見て二〇代の男は自分の息子ではなく、『MH』のトップだった。それほどに成長し、それに見合う顔が出来るようになった。
「場所はこちらの本拠地ではなく、『rk』サイドで行うことになった」
「拒否はしなかったのか?」
「拒否したよ。でもどうしてもってことらしいんだ。なんか最近は向こうも荒れているらしくてさ。確かほら『rk』のボスの娘がいただろ、メムだっけ? その子の離反が確定したんだと」
「ほう。どこのギャング組織(ファミリー)も苦労するものだな……」
「で、そういうわけなんだけど、いいかな? もちろん父さんにも付いてきてもらうことにはなるんだけど」
「まぁ、しょうがない。麻薬が一番金になるからな」
ニグレイは葉巻を退屈そうに口から離し、大きく煙を吐き捨てる。
「それにしてもギャングも武力ではなく、結局金なんだな……」
その言葉はギャングという集団の中で頂点に立つものにしか理解できないものだ。下っ端しかり、ギャングに精通していない一般人はギャングは力が全てだ、と思い込みがちであるが実際にそれは大きく違っている。ギャングだって金がないと存続が難しい。だから麻薬を取り扱う。つまりもっと簡単にアルバカーキという街に巣食うギャングを説明するならば、アルバカーキのギャング組織(ファミリー)頂点の六組織とは、『麻薬を絶対量保持しているギャング組織(ファミリー)である』ということになるのだ。まぁ、アルバカーキの政治権を握っている『MH』に限ってはその枠に囚われていない一角とも言えるのだが。
「じゃあそういうことだから。俺はこれで失礼するよ」
仕事の話にしぶしぶニグレイが頷いたのを確認すると二〇代の男は深く腰掛けていた高級な一人がけソファからゆっくりとした動作で立ち上がり、背を向ける。
ニグレイは彼の背を無言で見つめながら呆れ気味に口の中で呟く。
(まったく、『MH』のトップだというのに、装備しているのはただのグロックか……)
彼は二〇代の男の腰に引っ掛けられている得物をみて、呆れ気味に息をする。
(なるほど、それも兄弟か……)
ギャングが使用する殺人道具にしてはあまりにもか弱い。しかし、誰にでも扱える。
そんな武器が、二〇代の男の腰で揺れている。それが彼の初めての殺人道具であり、彼の弟の一度だけ使われた殺人道具でもある。
ニグレイがそんなことを考えていると、二〇代の男はすでに部屋から退出していた。残っているのは自分の葉巻が吹き出す白煙のみだ。
二〇代の男、ブレイク・マークレイは部屋を出た後に、顔の仮面を剥がして捨てる。別に物理的に何かを被っていたわけではないが、表情が一気に変化したのだから、そう表現するのが一番適切だろう。
「なぜ見つかるんだ……。ディリオン……」
彼、ブレイクはできる限り『施設を出たディリオンが見つからないため(、、、、、、、、、、、、、、、、、、、)』の努力をした。それは『MH』のトップとして、または父親の思想に反するものであるということは重々承知である。しかし、それが病弱だった彼がギャングになるために努力した理由なのだ。
だからこそ誰にも伝えることはできなくて、誰にも知られてはいけない秘密。
彼がギャングとして存在出来ると同時に、彼の人格の核となる部分。
それが『ディリオン・マークレイ』という弟だった。
ニグレイ・マークレイは現在の『MH』のトップ、そして実の息子ブレイクが部屋から出ていった数十分後、部屋に訪れた人物を笑顔で招き入れる。
「ニグレイさん、『ギャング狩り』について調べ上げてきました」
それはスーツの男(、、、、、)だった。彼はギャングではない。ただの側近だ。ずっとずっと、ニグレイが『MH』のトップだった時代から市長となった今までの。ずっとずっとの側近である。
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